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殉×愛×ハッピーエンド  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
第二幕 Fall in love
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第二章・第二話 通じ合う心

 一瞬だけ、彼女のしがみつく腕に力が籠もる。だが、その力はすぐに失われた。

 啄むように唇を放し、伺った彼女の瞼は閉じられている。いつもより白く見える頬は伝った涙で濡れ、長い睫の影が落ちていた。

 彼女が呼吸をしているのを確認し、家茂いえもちはホッと息をく。


 和宮かずのみやが倒れたとしらせがあったのは、夕餉の時刻を半刻〔約一時間〕も過ぎた頃だったろうか。

 家茂が駆け付けた頃には、彼女は寝床で何やら譫言うわごとを言っていた。

 自分の名と、「死んじゃ嫌だ」を繰り返す彼女の枕元へ座り、何があったかを桃の井にただした。

 彼女によれば、夕餉のあと急に独り言を喋り始め、程なく意識を失ったらしい。時機が時機だけに、これを『ただの急性熱病』で片付けられるほど、家茂の頭はおめでたくできてはいなかった。

 自身の暗殺計画は知っていたからそれなりに用心していたが、まさか和宮が倒れるとは思っていなかった。奥に置いておけば安全だと思い、実際今日まではそうだったのに、どうして突然こんなことになったのか。

 桃の井の話を聞いた家茂は、すぐさま一度中奥へ取って返し、崇哉たかなりに夕餉の残りを至急回収することと、併せて献立も調べるよう命じた。

 それと平行して、奥医師をひとまず呼んだが、彼らの診察方法と言ったらまるきり当てにならない。何しろ脈診を、布を掛けた上からするのだ。いくら高貴な身分の者の肌に直接触れるのがはばかられると言っても行き過ぎているし、医者に診せるのなど非常時だ。それで正しい判断ができるのか、はなはだ心許ない。

 ともかくも、医師は対症療法を指示し、城内の宿直所へ辞して行った。


(……症状としては、ワライタケに似てるけど……)

 家茂も、常々暗殺には用心して、毒や解毒の方法も一通りは学んである。けれども、専門家ではない。

 ワライタケの中毒なら、陽気になって歌ったり踊ったり、笑いが止まらなくなると聞いている。が、その症状とは合わない。

 どちらにせよ、幻覚作用があるだけの食べ物を食べたという推測はほぼ合っているだろうが、断定はできなかった。

 和宮が倒れたと聞いて、激しく脳裏を去来したのは、柊和ひなが亡くなった時のことだ。

 あの時は、数日前まで元気だった彼女が、突然息を引き取った。

 もっとも、彼女の場合、苦しんだりするところは見ていない。家茂の感覚からすれば、いきなり遺体になった印象だった。

(一体誰が)

 熾仁たるひとと桃の井が関わっていると思うのは、考え過ぎだろうか。

 通常、和宮がやまい以外の原因で倒れたとしたら、この二人はまず容疑者から外れる。

 熾仁は彼女の元婚約者で、桃の井は幼い頃からの近侍らしいからだ。それぞれに和宮を大事に思っている二人が、彼女に危害を加えるとは思えない。

 しかし、勅使が来て以降、この騒ぎだ。

 その上、崇哉の手の者の調べによれば、桃の井はあれから一、二度、熾仁と密かに会っていたという。それを、彼女はどうやら、あるじである和宮にも話していないようだった。

 再度、安らかとは言いがたい眠りに落ちた和宮を見下ろし、家茂は涙の痕を拭ってやる。

 正直言って、気が気ではない。

 うなされている彼女を見た瞬間、わけも分からず叫び出しそうになったのをどうにかこらえた。

 昼間、失いたくないんだ、と彼女に言ったのは、ほとんど無意識だった。確かに、失いたくない。それは本音だけれども、こうなるまでその根本にある理由は、自分でも分からなかった。

『――好き、なの』

 熱に浮かされた彼女の言葉の意味が、脳に浸透して理解できるまで少し掛かった。理解した途端、家茂も自覚した。

 生死の境をさまよう彼女を見て、自分のほうが死にそうになっている理由は、そういうことなのだと。

「……俺もだ」

 聞こえていないと知りつつ呟いて、彼女の身体を布団へ戻し、掛け布団を引き上げてやる。

(……ごめん、柊和。あんたを忘れたわけじゃないけど……)

 けれど、今目の前にいる少女を、こんなに早く失うのも耐えられない。このまま彼女にもしものことがあったら、今度こそ自分はおかしくなるだろう。

 今までは、何となく和宮に惹かれ始めている自覚はあったが、柊和への後ろめたさから、自分の気持ちを敢えて見ないようにしていた。

 どうして、もっと早く素直になれなかったのだろう。こうなる前にも時間は沢山あったというのに――

「……上様。そろそろ中奥へお戻りになられませんと」

 和宮の額に、無意識に唇を落とした直後、迷った末にやっと言ったという口調の声が掛かる。だが、家茂は素気すげなく返した。

「いや。今日は俺もここへ泊まる」

「なりません、上様。奥へ泊まられる日はそれなりの手続きが」

「今更、俺があんたを信用できるとでも?」

 和宮から目を離さないまま、冷ややかに声を落とすと、声のぬしである滝山が息を呑んだのが分かった。

あの時(・・・)、柊和に暇を出したのはあんただったな。だとしたら、手を下したのもあんただと思うが、俺の推察は的外れか?」

 素の口調で言い放って、冷え切った流し目をくれる。滝山は伏せた目線をさまよわせ、やがて無言のまま一礼すると、退出した。

 柊和の暗殺に関して、後ろめたく思う良心に似たものはまだあるらしい。そう思うと、クスリと小さく嘲りの混ざった微苦笑が漏れる。

 嘲りが向けられた先は、自身か滝山か、家茂にも分からなかった。


***


 重い、重い眠りだった。どうして、今朝に限ってこんななのだろう。昨夜ゆうべは、そんなに就寝が遅かっただろうか。

 そんなことをツラツラと考えながら、まだくっついていたがる瞼をどうにか持ち上げた和宮は、次の瞬間、瞠目した。

 視線の先には、この四ヶ月ほどですっかり見慣れた美貌がある。

「……家茂?」

 何でここに、と思いながらそっと彼の頬に手を這わせる。すると、その小さな刺激でか、それとも名を呼んだことでか、程なく彼の瞼が開いた。

「……和宮?」

 幾度か目をまたたかせると、家茂は起き上がろうとしたらしい。けれど、彼が寝ていたのは布団ではなく畳の上だ。身体が強張ってしまっていたのか、「いって!」と言いながら、上体を持ち上げたところで一瞬動きを止めた。

「……大丈夫? てか、何でここにいるの?」

 ノロノロと身体を起こす彼を見ながら、和宮も同じように上体を起こしながら問いを投げる。

「……お前こそ平気か? 昨夜、倒れたんだぞ」

「えっ?」

 倒れた? 自分が?

 と思いながら、和宮は急いで記憶をさかのぼった。

(……そう言えば、自分で布団に入った記憶がない……)

 気付いたら朝だった。というか、家茂の顔面を視界一杯に映すという、最高の目覚めだ。

(何せ、この美貌だもんなー……)

 目も覚めるような美しさ、などと言うのは男性の容貌に対する比喩ではないだろうし、実際に本人に言えば張り倒されそうだが。

「昨日のこと、覚えてるか?」

 そんな美貌のぬしは、和宮の思考に構わず、腰を落として胡座あぐらを掻くと問いを重ねた。

「昨日……えっと、えーと……」

 記憶を遡る作業が中断していたのに気付き、慌てて口元へ拳を当て、考え込む。

「昨日……昨日は確か、夕食が済んで四半時くらいは邦姉様が貸本屋から借りてくれた本を読んでて……」

 そのあと、と思った途端、和宮はガバリと顔を上げた。

「……何だよ」

 自分がどういう形相をしていたかは分からないが、家茂がギョッとしたような顔で、臀部でんぶで気持ち後退あとじさる。

「そうよ、あんたこそ平気なの!?」

「何が」

「狙撃されたって聞いたわよ、滝山から!」

 言いながら、和宮は家茂の上半身に手をペタペタと這わせた。

 彼はしばし、唖然としてされるままになっていたが、やがて和宮の手首を制止するように掴む。

「い、家茂?」

「見ての通り、俺はピンピンしてる。お前が見聞きしたのは多分、幻覚だ。幻()を『聞く』ってのも妙な表現だけどな」

「へ? げ、幻覚?」

「そ。まだ調べの途中経過も聞いてねぇし何とも言えないけど、お前、幻覚キノコの一種を食べたんじゃねぇかな」

「幻覚……キノコ?」

 眉根を寄せて瞬時、首を傾げたが、ふと気付いて目を見開く。

「そう言えば、昨日の夕飯、キノコ汁があった!」

「どんなキノコだったか覚えてるか?」

 問われて、記憶を辿るようにして宙を睨んだ。

「……んー……ナメコ……かなって思ったんだけど」

「……見た目がよく似た毒キノコってトコだな。それにしちゃ、毒見にそれらしい症状が出た奴がいねぇのが納得できねぇけど……」

 瞼を伏せて一人ごちていた家茂は、目を上げると和宮の頬に空いた掌を這わせた。

「い、家茂?」

「今、身体の具合は?」

「え、今? ……な、何ともないと思う」

 心臓の動機が早いのは、家茂の挙動の所為だ。

 その家茂は、明らかにホッとした表情を浮かべ、そのまま和宮を引き寄せた。

「えっ、あの、家茂?」

 いきなり抱き締められて、鼓動が跳ね上がる。

 だが、こっちの動揺に、家茂は頓着しない。

「……よかった」

「あ、あの……っ」

 慌てて抜け出そうとする動きを遮るように彼の腕に力が籠もる。

「……お前、昨夜ゆうべ俺と何話したか、覚えてる?」

 なぜかムッとしたような声音が、耳元へ落とされた。

「え?」

 話題がまた急に転がって、目をしばたたく。サラリと髪を梳かれる感触に、鼓動がどんどん速くなる。慣れない体勢に、動転寸前になりながらも、家茂の問いの答えを脳裏から探そうとした。

「昨夜……て、あたしが倒れたって」

「そう。でも、途中で一度、目ぇ覚ましただろ」

「一度……」

 目ぇ覚ましたってそれからどうしたんだっけ、と記憶を辿り掛ける。そして思い出した瞬間、一気に頬に熱が上った。

(そうだ、あたし……!)

 何を言ったかまで、急速に思い出して、反射で腕を突っ張ろうとしながらまくし立てる。

「……べっ、別にあれは言葉の綾って言うか、あんたがこのまま死ぬんだったら伝えときたいと思ったって言うか」

「じゃ、俺が死ななきゃ好きでいられないってことか?」

「じゃなくて! てゆーか、サラッと言わないでよ、あんたね――」

 照れに任せて喋り続けようとしたが、それ以上言い募ることはできなかった。強引に、言葉を遮断するように唇を塞がれ、頭が真っ白になる。

 昨夜も同じことがあった、ということまで思い出す。

 焦点が合わないほど近くにある彼の顔を見続けるのが気恥ずかしくて、思わず目を瞑った。

 結果的に無反応(?)で硬直しているのをいいことに、家茂の腕が腰に回る。頬に添えられていた手が後頭部に押さえ付けるように回り、彼が顔を傾け直す。

 熾仁とも経験したことのない情熱的な接吻に、反射で身体が震える。

 彼の胸元にあった手を、無意識に握り締めた。無言の受容が、彼を調子付かせたのか、更に貪られる羽目になる。

 何度も角度を変えて繰り返される深い口づけに呼吸が続かなくなった頃、やっと彼は一度完全に、啄むようにして唇を離した。

「……も、何……」

 荒くなった呼吸の合間に言いつつめ上げると、家茂はキョトンと目を瞠る。

「……何って……返事の、つもりだけど」

 同じように息を弾ませながらあっさりと言われて、和宮は胡乱げに家茂を睨み続けた。

「……何だよ、不満か」

「……言葉で言わないつもり?」

「好きだ」

 望む通りの言葉を返されたのに、何だか嬉しくない。

「促されて言うって、内容本気なの?」

「拷問されたって本心じゃなきゃ口にできるもんか」

 同様に不満げな顔をしていた家茂の唇の端が、ニヤリと吊り上がる。

「……何よ」

 その笑顔に覚えるのは、不吉な予感だけだ。

「納得できねぇなら、ほかの方法で証明してやろうか?」

「えっ?」

 と言った時には優しく、だが有無を言わさず押し倒されている。

「ちょっ、……本気!?」

 思わず大声を上げそうになって、慌てて小さく鋭く抗議する。しかし、そんなものは聞こえていないとばかり、家茂はすでに首筋に顔を埋めている。

「や、ちょっ……!」

 接吻以上の行為を知らないほど、和宮も幼くはない。そのまま先へ進まれそうな流れに、いよいよ真剣に焦った。

「ちょちょちょ、今何時(なんどき)!? あたし昨日ぶっ倒れてんでしょ、誰か様子見に来たらどうするのよ、病み上がりの女襲うとか最っ低……!」

 矢継ぎ早に言い募る合間に、耳元で小さく吹き出す声がする。

「……家茂?」

 不審に思って眉根を寄せる。よく注意して見ると、和宮に体重を掛けないように覆い被さっていた家茂の身体が戦慄わなないていた。

 具合でも悪いのかと一瞬心配したが、程なく小さく笑っているのだと気付く。

「……いーえーもーちぃー……」

 からかわれたと悟ると、勢い低い声が出た。

「……わっ、悪いっ……すんごい本気で焦ってるからついっ……!」

 クククク、と笑いの残滓を引き摺る彼は、中々和宮の上から退こうとしない。

「冗談やめて早く退いてよ!」

「無理」

 え、と思った時にはもう、家茂の笑いの発作は収まっていた。そうして、縋るように抱き締められる。

「……家茂……?」

「……冗談じゃなくて」

 抱き締める腕に、わずかに力を込めた家茂は、今度はすり寄る猫のように和宮の胸元へ顔を埋めた。

「……お前が好きだ。もう……誤魔化せそうにない」

「……何、を」

「自分の気持ち」

 伸び上がるようにして顔を上げた家茂の表情は、怖いくらいに真剣そのものだ。

「……柊和さんを死なせたのは」

「お前じゃないだろ」

「でも」

 言い募ろうとする唇を軽く啄まれる。

「……あいつのことは、俺の中じゃ、とっくにケリ着いてる」

 本当に? とはとても問えなかった。答えた数だけきっと、家茂が傷付く気がして。

 けれど、それをまるで読んだかのように、「本当だよ」と家茂は困ったような微笑を浮かべた。

「……あいつが大事なのは変わらないけど……今大切なのはお前だから」

 やっと和宮の上から、その横へ身体を移動させた家茂は、手枕すると、空いた手で和宮の頬を愛おしげに撫でる。

「お前こそ、元婚約者のことはもういいのか」

「……うん」

 瞬時目を伏せ、コロリと家茂のほうに寝返りを打った。彼の胸元に額を寄せて、思い切って手を伸ばし、しがみつく。

「……とっくに心変わりしちゃった。ひどい女よね」

 クスリ、と自嘲気味の笑みがこぼれる。実は、嫁いでくる時にはすでに熾仁からは心が離れていた、なんてまだ言えないけれど。

(……それでも……何でかな……惹かれずにいられなかった……)

 飾り人形として将軍の座に就くことを強いられ、ただ一人愛した女性さえ取り上げられた、孤独な少年。周囲の圧力と戦う為に、強くならざるを得なかったその孤独に、今は心から寄り添いたいと思う。

 そんな状況の中から伸ばしてくれた彼の手を、どうして取らずにいられただろう。

 望まれて嫁いできたはずなのに、その意味を早々に失い掛けていた自分に、先に寄り添ってくれた彼を、拒めるわけがなかった。

 何より――理屈ではない。

 彼といると、等身大の自分でいられる。背伸びをしなくていい気安さも、熾仁よりも惹き付けられた要因だったかも知れない。

「こんな移り気な女でも……いい?」

「冗談。ほかの男のことなんか、考えさせるかよ」

 クス、と面白そうな笑いをこぼした家茂は、胸に埋まっていた和宮の顔を上げさせると、また一つ口づけを落とす。

「……死ぬまで俺しか見えないようにしといてやる。覚悟しとくんだな」

 刻まれた不敵な微笑は、その美貌とも相俟って、喩えるものがとっさには考え付かないくらい綺麗だ。

(……ああ、もう)

 言われるまでもない。思えば、出会ったあの時、とっくに捕まっていたのだ。

(一生、離れられる気がしないわ)

 頼まれてももう、ほかの男なんか目に入らない。もちろん、熾仁に心が戻ることもないだろう。

 けれど、それを素直に告げるのも何だか悔しい。和宮は一言「バカ」と小さく返す。

 目を丸くした家茂と、一拍見つめ合う。同時に吹き出した二人はしばらくの間、クスクスと小声で笑い続けた。


©️神蔵 眞吹2024.

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