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殉×愛×ハッピーエンド  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
第二幕 Fall in love
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第一章・第二話 二人の葛藤

「……何か……ごめんね」


 雛市を散々歩き回った和宮かずのみやは、可愛らしい雛人形をついつい手に取った挙げ句、商人に捕まって販売講話を聞かされ、うまく購入させられるということを、数回繰り返してしまった。

 さすがにマズい、と思ったのは、邦子と家茂いえもちの両手に人形の包みが、てんこ盛りになったあとだ。

「……まあ、いいよ。俺が買ってやるって言ったんだから」

 と言った割には、家茂の顔はそうは言っていない。

 最後の店を辞したあと、「もう離れるぞ」と言い出したのは、ほかでもない家茂本人だ。

「……ねえ、菊千代きくちよ

「あ?」

「どっか、甘味処、知ってる?」

「は?」

「お詫びにおごるから」

 そう言った時の、家茂の表情は、凄まじく複雑だった。

 普段取り澄ました、端正で涼しげな顔立ちには、『甘味は大好きだけど、何でこいつそんなこと知ってんだ』『てゆーか、ここで素直に喜んだら男が廃る』『おごってもらっても同じく廃る』『でも』という恐ろしい葛藤が何とも分かり易く去来している。

「……菊千代」

「何だよ」

「頑張って黙ってるその健闘は認めるけど、残念ね。顔に色々書いてあるよ」

 更に数瞬、押し黙って目をウロウロとさせていた家茂は、程なく白旗を揚げた。


***


「美味しーい」

 ある甘味処の店先に座った和宮は、餡ころ餅を一口含んで思わず感嘆の声が漏れる。

「って、おごってやるとか言うからお前が払うのかと思ったら……」

 隣に座っている家茂も、同じモノを呑み込んでから、チラリと邦子に目を向けた。邦子は、こちらに背を向けるようにして反対側に腰を下ろしている。

「払ったの桃の井じゃんよ」

「それ言われると立つ瀬ないけど……邦姉様が『わたくしが払います!』って言いながら凄い目で睨んでたの、あんただって見たでしょ?」

 ヒソヒソと言いながら、和宮も邦子をチラと見る。

 その邦子は、涼しい顔であんみつをつついていた。

「……まあな。いつもあんな調子か」

「……んー、京にいた頃はもっとこう……涼しげで凛としてた気がするけど」

 あまり感情を表に出さない女性で、そんなところにも憧れていたのだが、最近は声を荒らげることが増えているようだ。

 日々、奥女中と衝突している所為だろうか。

「ところで、菊千代」

「ん?」

 二つ目の餅を頬張った家茂が、口をモグモグとさせながらこちらを向く。

「結局、見せたかったモノって何だったの?」

 街に出てからは、雛市をフラフラと歩いて、少々派手に買い物をしただけだ。特別、これと言った何かがあったようには思えない。

 家茂は、口の中がからになったと見えたあとも、しばらくは沈黙していた。

 答えを待つ間、手持ち無沙汰になった和宮も、二つ目の餅を口に入れる。その時、目の前を走り抜けた幼い男児が、何につまづいたのか、パタリと転んだ。

 ややあって、男児は泣き出す。

「あーあ」

 苦笑気味に吐息を漏らして家茂が立ち上がった。

 彼は転んだ男児を、当たり前のように優しく抱き起こし、土を払ってやる。

「ホラ、大丈夫か? どっか怪我した?」

 すると程なく、男児の泣き声は小さくなり、啜り泣きの段階まで収まった。

 そのあいだに、家茂は幼子の掌と膝を検分している。

「軽い擦り傷だな。一人で帰れるか?」

「……うん」

「そっか。帰ったらちゃんと綺麗な水で洗って、お医者に診て貰え。母上にそう言えるか?」

「ん」

「よし、いい子だ」

 フワリと笑った家茂が、男児の頭を撫でてやる。

 じゃあな、と手を振ると、手を振り返した男児は、懲りずにまた駆け出した。彼を見送った家茂は、和宮の隣へ元通り腰を下ろす。

「……街を、見て欲しかったんだ」

 唐突に言われたので、一瞬何のことか分からなかった。しかし、すぐに先刻の和宮の問いに答えたものだと悟る。

「街って、江戸の街?」

「ああ。どう思った?」

「どうって……平和だなって。南蛮人が闊歩してるって聞いてたけど、今のところそれらしい人も見当たらないし……皆笑ってた。商人はちょっと強引だったけど」

「そうだな」

 クス、と家茂は苦笑めいた笑いをこぼす。

「じゃあ、ちかは街に住む人たちの、こんな生活が壊れてもいいと思うか?」

「えっ?」

 今度は本当に、質問の意味を測り兼ねた。

「いいわけないじゃない!」

 思わず大きな声が出て、反射で肩を縮め、口を押さえる。こちらに注目が集まった気がして恥ずかしくなったが、それは一瞬のことだった。

 人の目が外れたのを確認して、そろそろと手を下ろす。

「……何でそんなこと訊くのよ」

ちかが凄く、自分の嫁いできた意味を気にしてると思ったから」

「えっ?」

「だから、見てから考えて欲しかったんだ。攘夷を推進する意味を」

 目を伏せていた家茂が、背を反らすようにして後ろに手を突き、どことも分からない場所に視線をさまよわせる。

「今まで日本は、一部の国以外と付き合って来なかったから、世界の情勢に目を向けるなんて考えもしなかった。だから、ペリー提督が強引に開国を迫った時、どうしていいか分からなかったんだ。その頃の幕府首脳陣は戸惑うしかなかったんだと思う。判断材料もなかったわけだし」

 言葉を切ると、家茂は湯呑みを持ち上げ、口を湿すように中身を啜る。

ちかはどうして、欧米人が嫌いなんだ?」

 出し抜けに問われて、和宮は思わず言い淀んだ。

「どう……してって……だって、錦絵を見たことがあって」

「錦絵?」

「そう。何だか鬼みたいな顔で凄く怖かったし」

 すると、家茂は軽く吹き出した。

「あんなの誇張が入りまくってるに決まってるだろ。麟太郎りんたろうはフツーの人間だって言ってたぜ。ただ、目や髪の色が違って彫りが深くて背が高いだけだって」

「……だけ、にしては随分違う点が多いみたいだけど」

「そうだな。あと、言葉の違いか」

「言葉?」

「そう。欧米では日本語が通じない。だから、蕃書調書ばんしょしらべしょみたいなトコが必要になってくるわけだ」

「鎖国に戻すなら必要ないでしょ」

 思わずムッとして唇を尖らせる。しかし、家茂は淡々と続けた。

「もし、朝廷の言う通りに鎖国に戻すなら、日本て国はなくなるかもな」

「は?」

 和宮は、眉根を寄せる。やりたくないから屁理屈をこねているのかと一瞬思った。けれども、家茂の横顔に浮かんでいたのは、できるのにやりたくないことを逃れようとする表情ではない。

「ペリーが来た時、大砲をぶっ放したって話は聞いたことあるか?」

「……知らないわ」

「そっか。あれがもし、どこかに直接ぶち込まれたら、多分その土地は壊滅だろうな」

「……つまり……もし、外国の要求を……国を開く要求を断れば、いくさになるってこと?」

「そう。そいで、多分負ける」

 いつの間にか、家茂の横顔からは、表情が削げ落ちていた。柊和ひなの死を語った時と同じだ。

「実際に米国に行った麟太郎が言うんだ。日本とは絶対的に兵力が違う。戦う前から負けは見えてる。負けの分かり切ってる戦に臨むのは、勇気でも美徳でも何でもない。ただのバカだ」

「そ、そんなの、かつの捏造じゃ」

「あいつのことなら、俺のほうがよく知ってる。誰に対しても嘘を言うような男じゃない」

 家茂の目は伏せられ、和宮を見てはいない。だが、直接睨み据えられるよりもゾッとした。

ちかは、そうなるのが望みか? 民の日常よりも、自分の嫁いで来た意味を守るほうが大事か?」

「そんな……」

 そんなことは決まっている。

 今日見た、民の生活。平和そうで、皆が笑っている、他愛のない日常。

 自分が我が儘を通すことで、自分が嫁いで来た意味などという目に見えないものを守ることでそれが破壊されるのなら、そんなものは無にしても構わない。しかし、即答できなかった。

(……熾仁たるひと兄様)

 今、彼をどう思っていようとも、相愛だと分かった瞬間、引きちぎられた心臓の痛みを、忘れることはできない。

 母や伯父を人質に、江戸への下向を無理強いさせられた理不尽を、忘れてはいけない。

「別の方法でなら、お前の嫁いで来た意味を無になんてさせない」

「えっ……」

 葛藤を見透かしたように言った家茂の手が、和宮のそれにそっと重なる。

「はっきり言うぞ。攘夷はできない。そんなこと、物理的に不可能だ。幕閣か公家くげの誰かが、お前にどう言ったかは知らねぇけどな。だけど、攘夷ができなきゃ即、お前の存在意義や嫁いで来た意味がなくなるのか? 違うだろ?」

 そうだ、違う、と一瞬頷いてしまいそうになる。

 熾仁と破局した時の胸の痛みを、忘れたわけではない。だが、彼への恋情が薄れても、幕閣のやり方にささくれ立っていた心が、癒されつつあるのも事実だった。

 ほかでもない、目の前のこの少年――徳川家茂によって。

 けれど。

(……だめよ、認めたら)

 認めてはいけない。そんなことは許されない。

(だって、忘れちゃいけないんだもの)

 幕閣の横暴を、熾仁との婚儀に横槍を入れた時のやり方を。

 和宮が首を縦に振らなければ、幕閣は母や伯父に危害を加えると言ってのけたのだ。

「……許せないの」

「何が」

「幕閣は……あたしにこの結婚を承諾させるのに、おたあ様も伯父様も、……お兄様の帝位も人質に取ったわ」

 ポロリと一筋、頬に滴が伝う。

「あたしがあんたとの婚儀を承諾しなかったら、二人を処罰するって……攘夷をするとかしないとか、そんなの関係ない。どうだっていい。ただ、それが許せないの」

 だから、幕閣が困るというなら、とことん攘夷を迫ってやればいい。それが、彼らが和宮を脅迫した代償となる。

「民が死ぬのなら、それはあたしの所為じゃない。結局彼らの所為よ。あたしには関係ない」

 出来もしないことをすると約束し、和宮を手に入れたのなら、何が何でも攘夷を実行するべきだ。

 掛け値なしの本心だった。ただ、そうして何の罪もない民を犠牲にすると、口に乗せられる自分自身にも吐き気がする。家茂に向かってこんなことを言わなければならないのも、胸が痛かった。

 様々な感情が絡まり合って、涙が次から次へと溢れ出る。

 家茂の手が放れるのを感じて、胸の痛みが増す。だが、彼は和宮を責めなかった。和宮の頬をそっと拭うと、「そろそろ帰ろう」とだけ言った。


***


 隠し通路から和宮と邦子を送り届け、中奥の私室に戻った家茂は、小さく溜息を吐いた。

 和宮の傷は、相当に根が深い。

 もちろん、家茂も柊和という犠牲を払わされた。柊和には何の罪もないけれど、彼女を失ったことで負った家茂自身の心の傷は、今は代償だと思っている。為政者としての権利を、自ら掴みに行かなかった自分への。

 家茂がもし、もっと早く操り人形をやめる決意をしていたら、それでなくてももっと積極的に幕閣と交渉していたら、柊和を失わずに済んだかも知れない。

 すべて『たられば』の仮定の話だ。今更何をしたところで、柊和は戻っては来ない。

 けれども、理不尽に柊和が命を絶たれた上、家茂が代償を払っただけでは済まなかったことを知ったのは、和宮と結婚した夜のことだ。

 和宮の幸せも、家茂が政治に無関心だった所為で、端微塵ぱみじんになっていたのだ。

 自分と出会う前の彼女の幸福が失われたと言って、本来なら家茂が責任を感じる必要はないだろう。だが、思わずにはいられなかった。

 政略結婚以外で、天皇家や公家と手を取る方法があったら、それを模索していたら、彼女は今あんな風に苦しまなくて済んだはずだ。愛しい人と一緒になって、幸せに暮らしていた――

(……俺以外の、オトコと)

 そう思うと、胸のどこかが軋むように思えるのは、気の所為だろうか。

 いずれにせよ、家茂は攘夷のことで和宮を説得するつもりはなかった。ただ、幕府側の所業で傷ついた心を癒してやりたい。可能なら、江戸ここでも笑って、幸せだと思いながら過ごしてくれればそれでよかった。


***


 雛市から三ヶ月ほど、家茂とはギクシャクしたままだった。

 総触れでは顔を合わせるし、和宮も自由に使える状態にしておいてくれている馬場や矢場でも時折一緒になる。だが、特にこれと言った会話をするわけでもなかった。

 もの言いたげな表情をしている家茂を見ていると、無性に駆け寄って、彼の腕に飛び込みたくなる。ごめんなさい、と。本当は民を犠牲にしていいなんて思ってない、とまくし立てたくなる。

 けれども、降嫁を強要された時の憤りが、常に頭の隅を支配していて、衝動のままに行動する枷になっていた。

 目の前には、つい先日家茂が贈ってくれた金魚が、鉢の中で泳いでいる。

 透明のそれは、ギヤマン、またはビードロというらしい。どちらも、以前から国交のある、オランダとポルトガルの言葉だ。

「……お前たちは、いいね。自由に泳げて」

 小さく呟きながら、縁がまるで金魚の尾のような意匠の、金魚鉢の中に餌を落とす。

 好きなものを好きといい、許せないものを許せないと叫べたら、どんなに楽になるだろう。だが、今の和宮に、その二つは並び立たないものだった。

 どちらかを選べば、片方を捨てなくてはならない。

 もう、どこかへ逃げてしまいたかった。どこでもいい。追っ手の来ないほど遠く、何にも縛られず、自由に生きられる場所なら、どこでも――けれど、それもかたわらに愛する人がいなければ、虚しい自由だろう。

(……って、誰よ、愛する人って)

 今は誰もいないはずよ、と取って付けたように脳裏で続けて、またぼんやりと優雅に泳ぐ金魚に視線を戻す。

「宮様」

 その時、上段の間の扉が開いて、邦子の声が掛かった。

「んー?」

 立てた両膝に寄り掛かるようにして、金魚を見ながら生返事をする。

「あの……将軍がお呼びです」

「……家茂が?」

 眉根を寄せて、和宮はようやく邦子を振り返った。

「……何の用?」

 しかし、またノロノロと彼がくれた金魚のほうへ視線を戻す。

 今はまだ、積極的に会いたくない気分なのだ。いや、会いたくないと言ってしまうと語弊があるだろうか。会いたいけれど会いたくないという、矛盾したこの気持ちを、どう表現すればいいか分からない。

 しかし、細かい心情までは邦子にも分からないらしく、いっそ無頓着と思えるように言葉を重ねてくる。

「……あの、勅使が来ているんです。その勅使がぜひ宮様にもお目通りをと」

「勅使? お兄様の……主上おかみ直属のお使者ってこと?」

「はい」

 それこそ、何の用なのだろう。

 これまで、朝廷への状況報告は、庭田にわた嗣子つぐこ典侍ないしのすけがしていたはずだが、その返信の使者も直接和宮に会いたいと言ってくることはなかった。

 もっとも、朝廷の者だからと言って、無条件で味方とは思っていない。和宮の降嫁を推し進めた者たちは、和宮にとっては許しがたかたきだった。

 しかし、相手が勅使で、しかも名指しで会いたいと言ってきているのなら、会わないわけにもいかないだろう。

 一つ溜息を挟んで、気怠げに立ち上がった。


***


「人払いをお願いされているので、ここから先は和宮様だけでお願いします」

 表にある、対面の間まで案内してくれた男に言われて、和宮は一瞬邦子と目を見交わした。

「……この中にいるのは、本当に勅使なの?」

 思わず、疑わしげに訊ねてしまう。しかし、男は小揺るぎもせずに「はい」と一言答えて頭を下げただけだった。

 また一つ、溜息を吐いて、もう一度邦子を見る。

「……わたくしは、ここで控えております。何かありましたら、お呼びに」

「……分かった」

 頷いて、案内役に目配せする。男は再度会釈するように頷くと、襖に手を掛けた。

 勅使、というからてっきり何人かが待っているものと思っていたが、中で平伏していた男は一人だけだった。

 小首を傾げて、ひとまず上段に腰を下ろす。

おもてを上げなさい」

 凛と告げる。

 平伏した状態から更に少し、返事をするように頭を下げていた男が、命令通り上げた顔に、和宮は目をしばたたいた。

「……熾仁兄様……!?」

 そこに座していたのは、約二年振りに会う元婚約者、有栖川宮ありすがわのみや熾仁親王その人だった。


©️神蔵 眞吹2024.

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