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第五章 北ウォールズ(後編)

 第三十七話 ピオニーとの再会



 新暦二〇三年 秋


 オピアムに帰ってきてから一週間もしないうちに、気温はぐっと下がり、高原にいた頃のように過ごしやすくなってきました。

 私は二都山道の基点からさほど遠くない、郊外の安宿を拠点として、病に苦しんでいる人がいないか、街のあちこちで見張っていました。

 残念なことに、癒師の黒衣を目にした街の人々の反応は、王都ジンセンとそう変わりない冷たいものでした。かつては魔法の国と恐れられていたウォールズも、最後の大戦に敗れてから二百年経った今では、半島を統一したカスターランドの科学至上主義や合理主義に飲みこまれつつありました。

 癒術は体に負担をかけない優れた治療手段であることは、エルダー諸島の人々なら誰でも知っていることです。しかし、それを島の外に持ち出せないようでは、単なる自己満足ではないかと、私は思うようになりました。

 どうにかして癒術を世に広めたい。でも、才能を持った人は原則エルダー人女性だけです。エルダー人は島にこもって大陸の激動を傍観しているだけだと、旅の途中で批判を受けたこともあります。私は上手いことを言って、島の癒師たちを動かすべきなのでしょうか。それとも、他にもっといい方法があるのでしょうか?

 そんなことを考えながら、街角の広場で人の行き来を眺めていると、見覚えのある顔が目に止まりました。

 以前、三つ編みにしていた長い金髪は、少年のように短くなっていましたが、はさみで切ったようなショートスカートをはいて、きれいな脚を披露する癖は変わっていません。

「ピオニー先輩!」

 私は駆けていって声をかけました。

「……」

 彼女はうつろな目で私を見るだけです。

「先輩?」

「ええと……誰だっけ?」

「え……」

 まさか、人違い? そんなはずはありません。黒衣は着ていなくても、左の耳たぶに収まった月蛍石のピアスは、癒術学校を卒業したという、何よりの証拠です。

「なんだ、プラムか」

「二年半ぶりだというのに、なんだ、はないじゃないですか」

「……」

 ピオニー先輩はそれには応えず、くすんだ瞳を遠くの方へ向けていました。

 異変に気づいた私は、先輩の手をとり、路地裏へ引っ張っていきました。あのわがまま放題だった先輩が、人形のような従順ぶりです。

 私は人目がないのをたしかめると、両手を差し出し、患者の症状を透視していきました。

 停滞しきってどこにも行けないという、悪い夢を見ているような、粘ついた心の風景が広がっています。

 危険を感じた私はすぐに瞑想から目覚めました。

 ピオニー先輩は、麻薬に溺れていたのです。

 大都市の裏社会で流通している『(カーム)』という、鎮静作用の強い違法薬です。

 薬をなるべく使わずに病を癒す仕事をしている人が、薬漬けで病んでいるなんて……。

 私はショックのあまり、カッとなって怒鳴りました。

「なにやってるんですかっ!」

「……」

 先輩はうるさそうな顔一つしません。

 モノクロームの世界にいる彼女に、今はどんな過激な色をぶちまけても無駄でした。

 私は我に返って考え直しました。薬が抜けるまでは大人の理屈など通りません。質問を変えるしかなさそうです。

「これからどこへ行くんですか?」

 私は小学生を相手にするつもりで、優しげに言いました。

「だるい。うちに帰る」

「私もお邪魔していいですか?」

「夜になっても帰らない?」

「えっ?」

 意外な答えに、私は戸惑いました。

「一人にされるくらいなら、一人のままがいい」

 なるほど……事情が少しわかりました。ピオニー先輩らしい言い回しです。

「私は帰りませんよ。あなたが元気を取り戻すまで」

「嘘ばっかり」

「私が先輩に嘘をついたことありますか?」

 ピオニー先輩は眉根を寄せると、私に向かってどんどん顔を近づけてきました。

「なんだ、プラムか」

「そ、そうですよ。先輩の良きパシリのプラムです」

「よかった……」

 先輩は私の腕に腕をからめると、ぎゅっと抱えてきました。

「私はずっとピオニー先輩の味方です。さぁ、お家へ帰りましょう」

 私は先輩の新しい彼氏になったような気分で、家まで送っていきました。




 第三十八話 離脱症状



 市の中心を大きな円で占める城址公園——旧オピアム城のことです——、その北に広がる古い住宅地の中に、ピオニー先輩が暮らす石造りのアパートがありました。部屋は四階建ての三階です。

 先輩はこの部屋に、一年以上前から住んでいました。東の都ジンセンで留置場を脱走した私を見送ってから、そう経たないうちに引っ越したようです。当時つき合っていた男とは別れたとのことでした。

 別れた理由や、生活費はどうしているのか、薬漬けになった経緯など、いろいろ知りたかったのですが、少しでも難しい質問をすると、先輩は悲しげな顔をするだけで答えが返ってきません。

 私は個人的な追求をやめ、治療に専念することにしました。



 まずは観察からです。

 ピオニー先輩は、昼間はとても気怠そうにしていました。朝にスニフ——薬を鼻から吸入することです——した麻薬が効いているせいです。夜になると薬が抜けてきてイライラしますが、節約観念が強いのか、それとも無意識の良心からか、薬を追加することなくベッドに入るのが常でした。

 私は先輩が眠っている間、ランプ片手に部屋に忍びこみ、麻薬をしまってある宝石箱を開けて中身をたしかめました。

 紙袋を開き、粉のように細かい白の結晶をすくって口に含むと、独特の苦み。カームに間違いないと確信しました。

 カームは古くから大陸の悪党や心の病んだ人を苦しめてきた、注意すべき麻薬。癒術学校の実習においては、この味がわからないと、単位をまるごと一つ落としてしまいます。

 ひとまず薬は、元通りにしまっておきました。



 翌日、私は街へ出かけ、グリスコという根菜由来の白い精製糖——通称グリ糖——を一袋買ってきました。

 そして夜、先輩が寝静まったのを機に、私は麻薬の袋を開けてグリ糖を少し入れ、薬さじでまんべんなくかき混ぜ、また元に戻しました。



 次の日、また次の日と、私はグリ糖の量を少しずつ増やしていきました。

 グリ糖は無臭で、しかもカームと手触りがそっくりです。プロ中のプロでもない限り、なめてみるまでは区別がつきません。

 ピオニー先輩は考える力が衰えているため、しまってある薬のカサが減らないことには気づきませんでした。



 麻薬の濃度をこっそり薄める作業を、二週間ほど続けたある日の午後。

 日々イライラを募らせてきたピオニー先輩は、ついに爆発しました。

「おかしいわ! 効かなくなってきた! 『慣れ』はないって……あのクソ学長!」

 先輩は寝室で、物を投げて暴れています。

 私は鍋のフタを盾にして、キッチンの隅に隠れていました。

 カームに限っては、体が慣れてしまって効かなくなることはありません。それだけに恐ろしい麻薬なのです。

 薬の量を知らない間に減らされたピオニー先輩は、離脱症状に苦しんでいました。

「恐い、寂しい……誰か! 誰かいないの? プラムはどこ?」

 一通り怒りをぶちまけた後に待っているのは、底知れぬ不安でした。

「プラムはここです」

 私は丸腰で寝室へ入っていきました。

「一人にしないでって、言ったでしょ……」

 先輩はベッドに座ってめそめそ泣きはじめました。

「すみません。気をつけます」

 私は先輩の横に腰掛け、そっと背中を抱きました。



 朝は筋の通らない泣き言を聞き……。

 昼は飛んでくる物をかわし……。

 夜は先輩の抱き枕。

 そんな日々がしばらくつづきました。

 話を聞いていると、どうやらピオニー先輩は、体目当ての男に弄ばれては捨てられる、といったことをくり返していたようです。でも、先輩は先輩で、目先の快楽に溺れる節があり、内心では大いに同情するというわけにはいきませんでした。

 麻薬の楽しみ方は、最後の恋人に教わっていました。

 先輩は薬の知識があるため、一度は断ったものの、その男に恋したが故に服用につきあってしまい、やめられなくなってしまったのです。

 最後の恋人の行方は知れません。しかし、麻薬の密売人は元彼とつるんでいた別の男で、先輩は今でも定期的に買っていると、涙ながらに告白してくれました。



 薬漬けになった人に対し、癒術は無力に近いものがあります。なぜなら、患者が自分の治癒を心から信じる、ということが重要な触媒になっているからです。

 今回のケースは、相手のことをひたすら受け止めるしかありません。ある意味無力で、ある意味究極の方法です。

 私がとった作戦は功を奏しました。

 治療をはじめてから一ヶ月経つと、ピオニー先輩は朝あまり泣かなくなり、昼の暴力も減り、自分で食事を作ることもできるようになりました。一方、夜の抱き枕制度は健在で、先輩の悲しみの根深さが伺えました。



 ピオニー先輩の麻薬からの離脱は、早くても半年はかかるだろうと、私は読んでいます。プリムローズさんの癒術学校入試に間に合わせるつもりだった私の旅は、計画を変更せざるを得ません。でも、私はそれを残念だとは思いませんでした。

 癒術学校では、先輩は私を下っ端弟子のようにこき使っていました。しかし、後輩がピンチのときは天性の悪知恵を巡らし、学内の女社会にうずまく陰謀から救ってくれたのです。

 先輩を置いてこの街から離れるなんて、考えられません。

 私はピオニー先輩と一緒に暮らしながら、余裕があれば他の方の診察もする、という方針で、しばらくやっていくことにしました。




 第三十九話 傷の言語



 秋風が身にしみる季節に、背筋がさらに冷たくなるような噂が、オピアムの街を駆けめぐっていました。

 私たち癒師の仲間の一人が、その能力を悪用して、強盗や殺人をはたらいているというのです。しかも、噂で語られる人相は男だといいます。

 まさか、私を影から守ってくれていた先輩癒師のオークさんが? そんなはずはありません。でも、去勢しなければ成立し得ない男性癒師というのは、歴史上にも数が少なく、私が知っている限りではオークさんだけでした。

 噂のせいで、癒師の評判は下がる一方です。

 ピオニー先輩が昼間一人でも留守番できるようになったのを機に、私は修行活動を再開することにしました。

 私は身の安全をはかるため、黒衣の着用をいったんやめて、ピオニー先輩の露出多めな服で出かけざるを得ませんでした。

 街の人々は別の意味で、私のことをじろじろ見ていました。男の人は本能のままに、女の人は、寒さ対策より男優先なんていやらしい、といった目つきです。

 私はしばらくの間、ショートスカートの裾を引き下ろそうとする無駄な癖が止まりませんでした。



 市街地の北の果てにある、畑がちな郊外をぶらついているとき、見覚えのある後ろ姿に目が止まりました。

 あのひらひらしたゴスロリ風黒衣は……どこから見てもユーカさんです。

 アイブライト峠での施術対決に敗れ、バカにされたことを忘れたわけではありません。でも、他の癒師はどのように仕事をしているのか、興味が尽きないのも事実。

 私は好奇心を押さえきれず、気がつくと彼女を尾行していました。

 ユーカさんは緩やかに蛇行する馬車道をしばらく行くと、街道沿いにある似たような家並みの中の一軒を訪れました。

 私は家の石門まで行って身をあずけ、聞き耳を立てました。

 裏庭の方から話し声がします。が、ここではよく聞き取れません。

 私は辺りに誰もいないことをたしかめると、芝生の上を這って裏へまわりました。

 屋根付きテラスの下で、女二人が立ち話しています。

「あなたには、病を克服して元気になろうという意志はないんですか?」

 ユーカさんは言いました。

「元気になりたくないなんて、そんなひねくれた人、いるわけないでしょ?」

 三十歳くらいの長い黒髪の女は言いました。肌の色は青白く、ひどく痩せていて覇気が感じられません。

「じゃあ、どうしてまた食べなくなってしまったのかしら。これで三度目ですよ?」

「仕方ないじゃない。食欲がないんだから」

 ユーカさんは深いため息。

 何か言いたそうですが、こらえています。

 こらえきれないのか、鼻息が荒くなっていき、癒師はついに口を開きました。

「あなたには、元気になりたくない理由があるとしか思えません」

「そんな人がいるわけないでしょ! 何度言わせるの!」

 痩せた患者はそう怒鳴ると、ふらふらと白木のイスに腰を落としました。

「今日は、これで失礼します」

 ユーカさんは暗い顔をして、踵を返しました。

 私は大あわてで門の外まではい出し、太った街路樹の陰に隠れました。

 ユーカさんは、丁度やってきた路線馬車に手を挙げて乗りこむと、市街地の方へ去っていきました。



 あんなに落ちこんだ顔のユーカさんを見たのは初めてでした。

 私はしばらくの間、ユーカさんと拒食症の患者のことが頭から離れず、ピオニー先輩のお世話の他は、何も手がつけられませんでした。

 このままでは癒術修行ができず、帰郷がどんどん遅れてしまいます。

 私は気を取り直し、病んでいる人を街で探す活動を再開することにしました。

 街にくり出したはいいものの、寄ってくるのは血色のいい男ばかり。

 凶悪癒師の噂が消えるまでは黒衣が着られません。それにしても、ピオニー先輩はどうしてこう短いスカートしか持っていないんでしょう。

「これじゃあ、あのゴスロリ黒衣を借りて、ユーカさんの助手になったほうがマシだわ……」

 十字路の角の店脇でぶつぶつ言っていると、死角からいきなりユーカさんが現れました。

「わっ」

 私が声をあげたせいで、うつむき加減だったユーカさんがこちらに気づいてしまいました。

「あなた、何? その格好」

 ユーカさんはゲテモノ料理でも見るような目つきです。

「こ、これには深いワケがありまして……」

 私はいつもの癖で、ショートスカートの裾を引き下ろそうとしました。

「ああ、あの噂のせいで黒衣が着られないのね」

 あれ? なんだか拍子抜けしてしまいました。いつもの彼女なら「そんな飢えた女丸出しなのが私服だったなんて軽蔑するわ」くらいは言いそうなものなのですが……。

「じゃあ、私は買い物があるから……」

 立ち去ろうとするユーカさんに、私は呼びかけました。

「お悩みのようですけど、何かあったんですか?」

「……」

 メガネの奥の瞳が、ギロッと私のほうを向きました。

「す、すみません。出過ぎた真似でした」

「今月の私は運勢が悪いのかしら。今この界隈にいる癒師が、私とあなたの二人だけなんてね」

 こ、これはもしや……誘っているのでは?

 私はもじもじしながら言いました。

「あ、あの……そこのカフェでちょっと話しませんか?」

 ユーカさんは長い金髪をかきあげると言いました。

「フン、たまには劣等生の逆武勇伝でも聞いてあげようかしら」

 私とユーカさんは近くのカフェに入ると、一番奥の薄暗い席まで行き、向かい合って座りました。

 私はまず、旅先であったこれぞという失敗談を並べたて、ユーカさんを笑わせることに専念しました。

 やがて話が途切れると、ユーカさんは例の患者のことを語りはじめました。

 名前はビット、三十一歳。彼女は若い頃から拒食症になりがちで、治療のために市内の病院に通っていました。体力がなくてあまり働けないビットさんは、途中でお金が払えなくなり、今年の春に通院をやめてしまいました。困っていたところに、アイブライト峠から下りてきたユーカさんが現れた、というわけでした。

 施術をはじめると、ビットさんは日に日に回復していき、食事も三度きちんと摂れるようになりました。自力で回復できると判断したユーカさんは、彼女のもとを去ろうとしました。すると、また症状が悪くなり、施術再開。今度こそ治ったと思って去ろうとしたらまた悪化、再々施術。そんなことの繰り返しでした。

「あの女、はじめっから治す気なんかないんだわ」

 ユーカさんは言いました。

「まあまあ、抑えて……」

 私は苦笑を見せるのが精一杯でした。癒術学校の関係者に聞かれたら大問題です。

「私、こんなところでつまずいてる場合じゃないの。オピアムで三百人癒したら、さっさとカレンデュラをまわって、来年の春には学校で盛大なパーティーよ」

 後半を意訳すると『来年の春には故郷へ帰り、本試験を優秀な成績で受かることまちがいなく、癒術界の期待に見事応えた自分に対して、学校関係者は盛大に祝ってくれるでしょう』だと思います。ちなみに、カレンデュラは大陸四カ国の一つで、ウォールズやカスターランドの南に広がる熱帯の国です。

「さ、三百人も……ですか」

「大癒師になるつもりなら、そのくらい最低限のノルマよ。それが、あの女のせいで、まだ三十人にも達してないなんて……」

 一度施術を引き受けてしまったら、癒師の方から断ることは許されません。ユーカさんが焦る気持ちは、わからなくもないです。

「私なんて……一ヶ月余りでまだ一人だけです。それもまだ途中だし……」

「それでも癒師を名乗れるなんて、うらやましいわ」

「はぅ……」

 でも、地方ではちょっとだけ活躍したんですよ。

 と言い返したいところを、ぐっとこらえ、意見に変えました。

「あの、患者さんも人間ですから、数字で計るべきじゃないと、私は思うんです」

「あなたはまだそんな甘いことを言ってるの? 一人一人が多くの患者を治せるなら、目が届かずに死なせてしまう人なんていなくなるでしょ」

「それは、そうですけど……」

 たしかに彼女の言うことも正論の一つです。でも、患者を大量生産の工業製品のように扱う医師が増えている現状を知る私としては、ユーカさんの考え方にはどうしても賛成できません。

 とはいえ、口のまわるユーカさんを説き伏せるつもりは、私にはありません。その代わりに、彼女のプライドを満たすためのアイデアを一つ出しました。

「もし、ユーカさんさえよろしければ、ビットさんの治療を、私に引き継がせていただけませんか?」

 ユーカさんは、すすっていた紅茶を吹き出しました。

「な、なんですって?」

「そうすれば、ユーカさんは先に行けますよ? 癒師同士の引き継ぎなら、掟にも抵触しませんし」

「……」

 ユーカさんは汚れたテーブルをナプキンでふくと、黙りこくってしまいました。

 重い沈黙の後、ユーカさんは低く言いました。

「この私が持て余した患者なのよ。あなたに治せるわけないじゃない」

「では、私のダメっぷりを笑って気分転換する、というのはどうでしょう?」

 ユーカさんは意地悪そうな微笑みを浮かべました。

「フン、おもしろそうね。なら一週間だけ、あのヒステリー女をあなたに貸してあげるわ」

「あ、ありがとうございます」

 過激な発言にドキドキしながら、私は冷えた紅茶を飲み干しました。



 ビットさんの家を訪ねた私は、事情を話して癒師の臨時交代を告げました。

 ユーカさんは体調不良で寝込んでいることにしてあります。今は私の様子を陰から見張っているはずです。

 今日の私はいつもの黒衣姿。凶悪癒師の噂はまだ消えていませんが、チャラチャラした先輩の私服では説得力がありませんので。

 テラスの白木イスに座ったビットさんは、不満げな顔で言いました。

「癒師が違えば、治療の効果も違うのかしら?」

「そうですね。能力の差は多少あると思います」

 私は丸いテーブルをはさんで患者の向かいに座りました。

「あなたは、あの生意気な女より優秀なの?」

 いきなりの暴言に、私は息が詰まりそうでした。今頃ユーカさんは、どんな顔しているんでしょう。

「いいえ、私なんて……」

 同僚の怒りを抑えるために、自分をなるべく低くアピールしようとして、私は思いとどまりました。

「……じゃなくて、その、癒師それぞれ個性がありますので、一概には優劣はつけられません」

 ああ、これでユーカさんには完全に嫌われてしまったでしょう。それでも私は、患者の前では、プロの癒し手として大きく構えていなくてはなりません。

「そうなの。まあ、いいわ。じゃあ、はじめてくれる? ベッドに寝る必要はあるかしら?」

「そのままで結構です」

「……」

「……」

「何してるの? 施術をやりに来たんでしょう?」

「はい。もうはじめてます」

「すまして座ってるだけじゃない」

「お話をしています」

「話なんていらないわ。ちゃんと施術をして」

「正規の施術なら、ユーカ癒師の方がずっと優秀です。ただ、私は別のやり方のほうが上手くいくと確信しています」

「……」

「ビットさんのことをすべてわかったわけではありませんが、事情を聞いた上で、少なくとも私から言えるのは……」

 私は間をためてから言葉を継ぎました。

「あなたは誰かを失いたくない。その人の気を引きたくて、あえて病んだ自分に戻ってはいませんか?」

 ビットさんは強ばった顔で言いました。

「な、なにを根拠にそんなことを……」

「少しだけあなたのことを調べました。ビットさんは五人きょうだいの長女で、あなただけ自立していて、弟さんや妹さんはまだ実家で暮らしている」

「……そうよ」

「ご両親は、あなたが病気をしたときに限って、様子を見にきてくれた。違いますか?」

「実家に行ったのね!」

「興奮しないでください。あなたの病気は結果です。原因を取り除くために、必要な質問だったんです」

「……」

「結論を言いましょう。あなたが失いたくないのは……」

「わかってるわ」ビットさんは両手で顔を覆って、すすり泣きました。「もっと構ってほしかったのよ。甘えたかったのに……」

「……」

 私はただ黙って待っていました。

 しばらくして彼女は気を取り直し、言葉を継ぎました。

「私の子供時代は、次の子が生まれたときに終わってしまったの。私は母親の補佐役を演じなければならなかった」

 私はイスから立ち上がると、ビットさんに近づいていって手を差し伸べました。

「では、行きましょうか」

「行くって、どこへ?」

「実家にです。本当のことを伝えに」

「む、無理よ! 今さら……」

「あなたのことを話しているとき、ご両親はとても辛そうでしたよ。愛していなかったわけじゃないんです。許してあげてください」

 ビットさんは私にしがみつくと、貧血で倒れるまで泣いていました。



 その日の夕方。

 親子のわだかまりが消えたのを見届け、私はビットさんの実家を後にしました。

 家の門を出ると、ユーカさんが不敵な笑みを浮かべて待ち構えていました。

「癒師は向いてないから、カウンセラーになろうってことかしら?」

「特殊な能力を発揮することだけが癒術じゃないって、私、最近わかったんです」

「たまたま勘が当たったくらいで大きな顔するなんて、素人の証拠よね」

「別に大きな顔なんか……」

「そうやって能力を磨くことをサボってたら、何年旅したって本試験には受からないわね」

「そうかも、しれませんね」

 ユーカさんの顔から怒りの色が消えました。

「な、なによ。認めるっていうの?」

「そりゃあ、本試験には受かりたいですよ。でも、何というか、上手く言えませんが、もっと大事なことを、この旅を通じてつかめそうなんです」

「それ、不合格だったときの言い訳にしたら、在校生の前で笑ってあげるから」

 ユーカさんは高笑いを残して、夕暮れの街に消えていきました。

「ハァ」

 私は疲れてがっくり肩を落としました。

 ユーカさんは一足先に合格した後、仕事を休んでまで、私の本試験につき合うつもりなんでしょうか。試験は授業がある平日に行われ、結果も当日わかるので、落ちたら見事にさらし者です。

「ユーカには困ったものだ」

 私の真後ろで男の声がしました。

「へっ?」

 あわてて身を翻すと、黒衣の美男オークさんが立っていました。

「コホシュ岬以来だな。心配していたが、元気そうでなによりだ」

「ど、どうも……」

「その顔は疑っているな? 最北の地で君と別れてから、私はクレインズに下り、ジンセンから二都山道を通って、ユーカより少し遅れてオピアム入りした」

「そうだったんですか」

「陰から彼女の仕事ぶりを見ていた。希有な能力者だが、一人の人間としては、君よりずっと問題がある」

 ユーカさんへの批判がつづきそうな気がして、私は旅の話題に戻そうとしました。

「あの、私の方はあれから……」

「君の旅の話は後でゆっくり聞こう。それより、狂癒師(きょうゆし)の退治に協力してほしい」

「狂癒師……というと、近頃オピアムで恐れられている、噂の男癒師のことですか?」

「そうだ」

「協力できるなら、是非と言いたいところですけど……私のような下っ端では戦力にならないのでは?」

 オークさんは私の両肩に手を置くと、言いました。

「君は変わった。語らずとも、乗り越えた壁の大きさは伝わってくる。今すぐエルダーに帰ったとしても、本試験には受かるだろう」

「そ、そんなはずは……」

「実を言うと、私は君のことをずいぶん誤解していた。アンジェリカ学長の目は正しかった」

「学長が? 私について何か言ってたんですか?」

「君の旅が終わったら、本人の口から聞けばいい。それより今は、狂癒師の捜索だ」




 第四十話 狂癒師ネトルの行方



 旅癒師の守護を学校から任されているオーク癒師は、ユーカさんの言動を監視する一方、悪事をはたらく堕ちた癒師の行方も追っていました。

 癒師の名はネトル。オークさんと同じ、世にも珍しい去勢した男性の癒師です。

 ネトルは癒師の中でもおそらく最上級の能力者で、見た目は五十歳から六十歳前後、ということ以外、詳しいことはわかっていません。少なくとも癒師ですから、エルダーの癒術学校に在籍していたことは間違いない。それなのに、記録が一つも残っていないというのです。

 オピアム市の地理上の中心である城址公園。そこをとりまくドーナツ状の地区は、かつて魔法の国だった名残から『マジックリング街』と呼ばれており、行政や経済の主な機能が集中していました。

 私とオークさんは、マジックリング街を歩きながら、狂癒師ネトルについて話し合いました。

「同世代の癒師は、彼のことを覚えていないんですか?」

 私の問いに、オークさんは答えました。

「知っていたら、とうの昔に顔が割れ、誰かが捕まえている。私の調査と勘が正しければ、ネトルの本当の年齢は百五十歳くらいだろう」

「ひゃ……」

 平均寿命は国や地域によってばらつきがありますが、長寿といわれるエルダー諸島でも、せいぜい七十五歳くらいです。

「現代の癒術書には載っていない、禁断の癒術というのがある。君も知っているはずだ」

「ま、まさか、忘却の術?」

 その術は古くから存在していましたが、副作用で体の老化を止めてしまうため、自然の摂理に反するとして、ある時期を境に封印されました。

 本来、忘却の術は、虐待などの辛い記憶を封じておくために使います。しかし一歩間違うと、自分が誰かさえわからなくなってしまう危険な業なのです。

「過去に何があったかは知らないが、ネトルはおそらく、自分で自分の時間を止めてしまった。効力はおよそ百年。術が解けたとき、彼の時間もまた動きはじめた。それが今年だったというわけだ」

「当時の辛かったことを全部思い出してしまって、きっとそれを暴力で発散しているんですね」

「私もそう読んでいる。さて、情報屋が言っていたのはここだな」

 オークさんは立ち止まると、レンガ造りの細長い建物を上下に見てたしかめました。

 一階はレストランになっていて、二階から四階はアパートです。

 本通りから二本裏へ入っただけの、そこそこ人通りのある場所に凶悪犯が潜んでいるなんて、私には信じがたいものがありました。

 オークさんは私の顔を見て、小さく笑いました。

「貧民街の奥か地下壕に、アジトでも構えていると思ったか?」

「凶悪犯と聞くと、どうしてもそういうイメージが……」

「癒術は素質をもたない人間には見えない。だから、どう殺そうと証拠など残らない。万一残ったとしても、医学の知識では理解できないだろう。自宅の隣が警察署でも、ネトルには何ら不都合はない」

 癒術の一つに、悪さをする病魔を滅する術があります。それを健康な部分に悪用すると、触れずして人を殺すことも可能なのです。

「天使と悪魔が紙一重だなんて……」

「特別な力を持つというのは、そういうことだ」

「それでは科学と一緒じゃないですか。私は癒術が特別なものだとは思ってません」

「なんだと? それはどういう意味だ」

「いえ……なんでもありません」

 言った私自身が驚いていました。深く考えて口にしたわけではないので、上手く説明できません。

「その話はいずれ聞かせてもらおう。今はネトルだ」

 二人はレストラン横の階段を上り、三階に犯人が住んでいると思しき部屋を見つけ、廊下で様子をうかがいました。

「人の気配がないな。留守か」

 オークさんが試しにドアノブをまわすと、簡単に開きました。

 私たちは顔を見合わせると、そっと中へ入りました。

 部屋には家具一つ残っておらず、がらんどうでした。

「情報屋の探りに気づいて逃げたんでしょうか?」

「どうかな。む? これは……」

 オークさんは、床に落ちていた四つ折りの紙切れを拾いました。

 開くと、メッセージだけが書いてあり、記名はありません。

『オークよ。これ以上私を追うつもりなら、ユーカとやらの命はないと思え』

 オークさんは紙切れを握りつぶすと、歯噛みして言いました。

「クッ、奴のほうが上手だったか」

「早く見つけないとユーカさんが……」

「しかし、下手に動けば先手を打たれる」

 そのとき、ふと直感が下りてきて、私は言いました。

「では、オークさんはいったんオピアムを出てください。ネトルがユーカさんを解放するのを待ちましょう」

「なぜ殺さずに解放すると考える?」

「旅の癒師を殺したとなれば、癒術学校が黙っていないでしょう。メンツにかけて最強の捜査隊を出すはずです。いくらネトルが強いといっても、同じ癒術に長けた者を何人も敵にするほど愚かとは思えません」

「たしかに、それは一理あるが……」

 オークさんは渋い表情を崩しません。

「彼を追いこんではなりません。機会があれば、私が直接会ってお話してみます」

「その間に誰かが殺されても、構わないというのか?」

「私たちは癒師です。病んだ人を助けるのが仕事です。まず助けるべきなのは、ネトルなのです」

「……」

 オークさんは惚けた顔で私を見つめていました。

 一方、私も自分で言ったことが理解できないでいました。今日の私はどうしてしまったんでしょう。考えるより先に口が動いてしまうんです。

「フフッ、クックック……」

 オークさんは急に笑いはじめました。

「な、なんですか? 私、おかしなこと言いました?」

「いいや全然。君が旅を終えた後、世の中がどう変わるのか、楽しみになってきたよ」



 オークさんがオピアムを去ってから、狂癒師ネトルの恐ろしい噂は少しずつ下火となり、やがて市民の記憶から薄れていきました。

 癒師が殺されたというニュースはなく、ユーカさんが解放された気配もありません。二人はまだどこかで一緒にいるのでしょうか。

 私は罪悪感と向き合いながら、日々過ごしていました。

 天から受け取った直感は常に正しい。そう教わり、経験から事実だとわかってはいても、何もしないで時機を待つことにこれほど辛抱が要るとは、思いも寄りませんでした。




 第四十一話 病を見て人を見ず



 秋の終わりを知らせる雪虫が舞っています。

 私はいつものように、誰か困ってはいないかと街をぶらついていました。

 ウォールズ国立病院の正門前を通りすぎようとしたとき、中から出てきた脚の悪いお婆さんに目が止まりました。国立病院は大陸でも随一の近代医療機関。抱えている患者の数は王都ジンセンの大病院をもしのぐと言われています。

 お婆さんはとても腹を立てていて、一人でブツブツ小言を口にしています。どうやら担当医師との間で何かあったようです。

 私は思い切って話しかけてみました。

「先生とケンカでもしたんですか?」

「ちょっと聞いておくれよ。一日馬車に乗ってはるばるやってきたってぇのに、ロクに話も聞かんで、ちょっと何か書いただけで、もう帰っていいときたもんだ。患者を何だと思ってるのかねぇ!」

「患者を物に見立てかねない大病院の態度については、私も大いに疑問です」

「そうだろうそうだろう。で、今日は勇気出して聞いたのさ。長くかかるような悪い病気なんですかってね。そしたら何て言ったと思う?」

「さ、さぁ……」

 お婆さんは口をへの字にして、医師の口真似をしました。

「老化なので仕方ありません。薬がなくなったらまた来てください。だって!」

 お婆さんの名はスクレ。オピアムの北西に広がる山々の麓にある、サウスチコリ村の人です。慢性の脚の病気でもう二年も国立病院に通っているのですが、消炎剤の湿布や軟膏を毎度渡されるだけで、いっこうに良くならないとのことでした。

「薬代をぼったくられただけで、何にもならんかった。また働けるようになったらと思ってたけどさ、もう諦めるよ。自分の葬式代ぜんぶ崩して、それでも食いつなげなくなったら、山に捨ててもらうしかないねぇ」

「あ、あの、私でよければ、診させていただけませんか?」

「ああ、あんた、エルダーの癒師だっけ? タダでもって、これ以上悪くしないんなら構わないけどね」

「厳密にはタダではないのですが……」

 私は癒師の報酬について話しました。

「そうかい。じゃあ、一緒にサウスチコリまで来ておくれ。二人メシが三人になったって、どうってことないさね」



 サウスチコリは、チコリ砂漠へつづく山道の手前にある小さな村。北のゲンティアと並ぶ隊商の基地であり、また、山裾に広がる草原を利用した酪農地帯としても知られていました。

 スクレさんは夫と二人暮らしで、小さな養鶏場を営んでいました。スクレさんによると、旦那さんはとてもシャイな方で、余所者の客がやってくると、しばらく姿を見せなくなるとのことでした。

 私はスクレさんを寝室のベッドに寝かせると、両脚に手をかざしていきました。

 症状のおよその見当がつくと、瞑想に入って、スクレさんの魂とつながりました。

 すると、病巣から記憶の洪水がどっと湧きでてきました。

 私は泥混じりの濁流に押し流されていきます。でも慌てません。これは病魔をやっつけたり、浄化したりする類いの病ではない。長居は無用です。

 私はすぐに瞑想を止め、現実に帰ってきました。

「ハァハァ……」

 横になっているスクレさんは言いました。

「なんだい、もうおしまいかい?」

「は、はい。とりあえず、今日の診察は」

「まだ五分も経ってないじゃないか。まさか、病院の冷血先生と同じことを言うんじゃないだろうね?」

「結論から言いますと、治るまでには三ヶ月くらいかかります」

「二年かかってもダメだったのに?」

 スクレさんは驚きと喜びの混じった顔をしています。

「ただし、条件が一つあります」

「条件?」

 スクレさんは起き上がって、身を正しました。

「あなたはここ数年の間、この土地を離れるかどうかで、旦那さんともめていませんでしたか?」

「ど、どうしてそれを……」

「あなたの脚は訴えているのです。この生まれ育ったサウスチコリから離れたくないと」

「!」

 図星だったのでしょう。スクレさんはそれから私を信頼し、包み隠さず話してくれるようになりました。

 旦那さんは苦しい生活から逃れるために、東の都ジンセンに移り住んで、新しい仕事に就こうとしていました。たしかに、老いた体にむち打って養鶏場を営むよりは、勢い盛んな近代都市で雇用されたほうが、お金は効率的に入ります。しかし、好きではじめた仕事や好きで住んでいる場所を失えば、心の底まで貧しくなってしまうでしょう。

 心の貧しさを別の何かで埋め合わせること。無理が祟って患った病気を治すこと。

 夫婦は心底では望んでいないことにお金を浪費し、結局は今より苦しい生活を強いられることになる。スクレさんの脚は、それを予見しているのです。

 私は話をつづけました。

「旦那さんには、ジンセンへの移住を諦めていただく必要があります」

「フフン、そうかい。そういうこと……フッフッフ」

「どうしました?」

 スクレさんはそれには答えず、天井に向かって声を張りました。

「話聞いてたろ? あんた次第だってよ!」

 天井の上で、重い物をひっくり返したような激しい音がしたかと思うと、天板の軋みがみしみしと、右から左へ移っていきました。



 旦那さんの承諾を得た私は、スクレさんの脚が完治するまで、夫婦宅で寝泊まりすることになりました。それはいいのですが……。

 オピアムのアパートに残してきたピオニー先輩が気がかりです。麻薬の離脱症状を乗り切ったとはいえ、心に闇を抱える彼女はまだ、長い時間一人で過ごすには無理があります。

 私はいったんオピアムへ帰ることにしました。

 アパートに帰って事情を話すと、先輩は涙目で私に抱きついてきました。

「一人にしないでって、言ってるでしょ? あんたは癒師。病人のあたしを治す義務があるのよ」

「では、引っ越しましょう。一緒に、サウスチコリへ」

 ピオニー先輩は顔をしかめました。

「サウスチコリですって? 肥料くさい女なんて、誰も声かけてくれないわ。冗談はやめて」

「私は癒師です。引き受けた患者は、最後まで面倒を見る義務があります」

「あたしを見捨てるっていうの?」

「ですから、一緒に引っ越しましょうと、言ってるんです」

「イヤッ! 女の価値を失うくらいなら、毎日泣いた方がマシ」

「そうですか……では、ときどき様子を見に来ますね」

 私はトランクを手にすると、踵を返し、玄関に向かいました。

「待って!」ピオニー先輩は私の背中に飛びつきました。「ごめんなさい、ごめんなさい……一人はイヤなの」

 私はふり返って先輩を抱きしめると、頭をそっとなでました。

「においはガマンできますか?」

 年頃の女は幼児のような口ぶりで答えました。

「……うん。ガマンする」



 オピアムの近代化の影響を受け、人口が減りつづけている村には、空き家がたくさんありました。

 私とピオニー先輩は、スクレさんの家から歩いて十分も離れていない一軒家を、格安で借りる事ができました。

 ピオニー先輩はつきあう男が変わる度に貯金が増える人で、フタを開けてみると相当な額をためこんでいました。しばらくの間は生活に困ることはなさそうです。



 昼はスクレさんの家で施術。夜は先輩と一緒に借家で過ごす。そんな日々がしばらくつづきました。

 心の葛藤を消化したスクレさんの脚は、私の見立て通り、徐々に回復していきました。

 一方、ピオニー先輩は相変わらず私にべったりで、まるで甘え盛りの娘のようでした。大自然に囲まれた散策しがいのある土地へ引っ越してきたというのに、彼女は薄暗い家に引きこもったまま私の帰りを待つだけの、ペットのような暮らしをしていました。

 やっと麻薬から離れられたというのに、今度は別の問題が首をもたげてきたのです。というより、絶望の一つ手前の段階に『戻った』というべきでしょうか。

 ピオニー先輩は癒術学校を卒業したくらいですから、一級の癒師を目指していたはずです。自分の人生の目的をわかっている人が、寂しさを埋め合わせるためだけの快楽に逃げるとは思えませんでした。

 


 七曜日はスクレさんの宗教的な事情で、施術はお休みです。

 ある晴れた七曜、私はピオニー先輩を連れて、近くの針葉樹の森へ出かけました。

 先輩は朝から寒い寒いと文句たらたらです。

 昨晩降った雪が溶けずに残っていて、もう年末が近いことを知らせていました。

 これという景観もない森の中を、私たちはただただ歩いていました。

「なんなのよ。わざわざ風邪引きにきたっていうの?」

 運動不足のピオニー先輩は、息を切らして立ち止まりました。

 私は背の高いウォールズ松を見上げました。そよ風が枝をゆすって、雪がキラキラと落ちてきます。

「雪が降ったあとの空気って、おいしくないですか?」 

「そりゃ、そうだけど……寒い方が勝ってるわ」

「じゃあ、凍える前に聞きますけど、先輩って本当にちゃんとした癒師になりたいんですか?」

「それは……」

 先輩は何か言おうとしてためらい、うつむきました。

「意識できない心の深いところでは、何か別の人生を求めてるんじゃないかって、気がしてます」

「どうしてそう思うの?」

「私は癒師の仕事をしているとき、幸せを感じています。そりゃあ、難しい病気を相手に上手く行かないこともたくさんありますけど、他の事で気を紛らわそうとは思いません。先輩はどうですか?」

「あたしは……」

 長い沈黙の後、ピオニー先輩は今まで語らなかったことを口にしました。

「うちの家系は先祖代々癒師をやってきたから、親も当然、あたしを癒師にしようとした。学長には高い潜在能力があるって言われたし、授業も難しいとは思わなかったし、卒業して旅して、そのまま正式な癒師になればいいんだと思ってた。でも、ジンセンっていう大きな街で、エルダーとは違う世界を見てからあたしは、癒術に集中できなくなっていったの」

「先輩が求めているものは、きっと、故郷のエルダーにはなかったのでしょう」

「そうみたいね」

「でも、目先の快楽に溺れて、真の自分を見つけるための時間を無駄にするのは、違うと思います」

「あんたが思ってるほど、あたしは強くないわ。与えられた課題を乗り越えるには、パートナーの協力が必要よ」

「自分は強くないと勝手に決めつけて、男に頼って、必要な課題を避けようとしてませんか? 現実逃避させてくれる人を確保するために、無闇に体をあずけては……」

 ピオニー先輩は雪玉をつくって私にぶつけました。

「あんたいつの間に、長老みたいな口きくようになったワケ?」

「自分でもよくわかりません。オークさんにも変な顔されましたし。それはともかく……」

「わかったわよ、もう。少なくともあんたに頼るのはもうやめる。それで気が済むんでしょ?」

 私は微笑みました。

「今晩から私、スクレさんの家に寝泊まりしますね」



 一人で暮らすことになったピオニー先輩は、日を追うごとに家を留守にすることが多くなりました。

 まさか、新しい男を見つけにオピアムに通っているのでは?

 心配した私は、施術のないある七曜日、彼女の家を訪ねてみました。

 玄関に出てきた先輩は、以前よりずっと元気そうでした。

 居間へ行くと、二人は暖炉の火を囲むかたちでイスに座りました。

 私はいきなり本題に入りました。

「最近あまり見かけませんけど、どこへ行ってるんですか?」

 ピオニー先輩は紅茶を口にすると、小さく笑いました。

「なーに? 疑ってんの?」

「べ、別に疑っているわけでは……」

「雲の上の聖人になっちゃたのかと思ったけど、顔に出る所は全然変わってないのね。ちょっと安心したわ」

「なんですか、安心って」

 私はムッとしました。

「オピアムには、たまに行ってる」

「えっ?」

「ほら、また。すぐ顔に出る」

 先輩は私を指さして笑っています。

「すみません」

「街にも行くけど、その辺の森とか川べりを歩く方が全然多いわ。都会は刺激が多くて楽しい。でも、安っぽい誘惑とか慰めも多くって、気が散るのよね。直感がひどく鈍ってた。何したいのか、そりゃあわかんなくなるわ」

「なにか収穫はありましたか?」

「長いこと自分を抑えてきたからね。簡単じゃないよ、自分自身と再会するってのは」

「スクレさんの脚が治っても、先輩が何かきっかけをつかむまで、私はこのサウスチコリにいるつもりです。いいですよね?」

「……」

 先輩はそれに答えず、暖炉の炎を見つめていました。

「先輩?」

「プラム、あんたは明日、ここを発つのよ」

「ど、どういう意味ですか?」

「あんたみたいな癒師を待ってる人が、この世にはたくさんいる。旅の途中で道草食ってる場合じゃないのよ」

「道草だなんて……私は真剣に……」

「治りかけのスクレさんやあたしの治療に、あんたの稀な力はもったいないって言ってるの」

「私の能力なんて、下から数えた方が……」

「自分を偽るのはやめなさいよ」

「……」

「あたしにさんざん説教しといて、それはないでしょ? 国立病院の医者は病気のことばかり気にして、患者自身を見てなかった。あたしは煮え切らない人生の埋め合わせすることばかり考えていて、本当の自分を見ようとしてなかった。病気の激しさに比べたらほんとに地味な原因。並の医者や癒師だったら、それを見逃して病気を難しくしてしまう。でも、あんたは違ってた。プラム、あんたならきっと、世の中の深い闇に光を通せるわ」

「……」

「もっと自信を持ちなさいよ。スクレさんや他の村人はあたしが診るから」

「で、でも、癒師になるのは望みじゃないと……」

「あんたのためだったら、少しだけつづけてもいいかなって。もちろん、これっていう道が見つかったら辞める。心配しなくていいから。もう前のあたしじゃないって、わかるでしょ?」

 ピオニー先輩はイスから立ち上がりました。

「先輩……よかった」

 私も立ち上がり、二人は抱き合いました。




 第四十二話 弾丸鉄道



 サウスチコリ村を後にした私は、オピアムには留まらず、旅を先に進めることにしました。夢のお告げで、骸骨顔の魔法使い——おそらく狂癒師ネトルを象徴している——が南へ向かったと知ったからです。

 ウォールズの都オピアムから南国カレンデュラの都ヤーバまでは、東海岸にあった国有鉄道ではなく、『弾丸鉄道』と呼ばれる私鉄が走っていました。

 さっそくオピアム駅へ向かった私は、プラットホームで発車を待っている列車の奇妙な姿に、言葉を失ってしまいました。きっと弾丸のように速い列車が走っているのだろうと、私は人並みに想像を巡らせていたのですが……。

 発車を待っていた黒い塊は、弾丸そのものでした。

 先頭が流線型をした長大な一本の車両。小さな丸い窓が横一列に並んでいて、ところどころに船のハッチのような乗降口があります。

 機関車もないのに、これ、どうやって走るんでしょう?

 不安になってきた私は、談笑する家族客の後をついていって、車内へ入りました。

 座席は左右に二つずつ。東岸鉄道の各駅停車と違って、すべて前を向いていました。背もたれに触れると、質のいい綿がしっかり詰まっているのがわかります。連結部分がないだけに、ずっと先まで見渡せて気持ちいいかと思いきや、東岸式に慣れていたせいか逆に変な感じでした。

 窓側の席に着くと、後からやってきた小学三年くらいの男の子が通路側に座り、彼の両親が反対側の二席につきました。

 そんな歳でもう親に気を遣っているのかしら? それとも早熟な子で自由を求めている? 

 などと勝手な想像をしていると、少年は席に備え付けてあったベルトを手にして、肩から腰へ斜めに締め、先端の金属部分をバックルに留めました。

 列車の座席にベルト?

 未知の文化を前に頭が混乱した私は、思わず少年に訊いてしまいました。

「あの、どうしてそんなベルトをするんですか?」

 少年はあどけない顔で言いました。

「お姉ちゃん、大人のくせに知らないの?」

「すみません。初めてなのでわからないんです」

「シートベルトしないと、きしゃが何かにぶつかったとき死んじゃうから、しめなきゃダメなんだって」

「あ、ありがとうございます」

 私も少年にならってシートベルトをしめました。

 しばらくすると、ホームにいた駅員たちがいっせいに乗降口を閉じていきました。

 発車のベル。

 列車はうんともすんともいいません。

 機関車がいないんだから、動くわけがないのです。鉄道員たちはどうするつもりなのでしょう? 

 私は丸窓に顔を近づけました。

「お姉ちゃん、ちゃんと座ってなきゃダメ」

 少年の忠告。

 嫌な予感がしたので、私は従うことにしました。

「十、九、八……」

 ホームにいた駅員の一人が、大声でカウントダウンをはじめました。

 ゼロになったら、どうなるというのでしょう?

 私は本能的に体を固くし、歯を食いしばりました。

「……三、二、一、発車!」

 突然、前からものすごい圧力が。

 体が座席にめりこんでしまいそうです。

「ひぎいいいいぃ!」

 窓の外を見ると、いろんな絵の具を混ぜないなまま線を引いたように、でたらめな景色です。

「く、苦しい……」 

 悶える私を見て、少年は勝ち気な顔で笑いました。

「な、なに言ってるの。これがおもしろいんじゃない」

「……」

 このイベントを楽しめない私は、もう子供には戻れないのかと、少し悲しくなりました。

 しばらくすると、弾丸列車は惰性を失い、次の駅のホームでぴたりと止まりました。

 私は自分の胸をあちこち触ると、ため息をつきました。

「ハァ、よかった。まだあった」

 隣の席の少年はクスクス笑っています。

「お姉ちゃんって、ヘンタイなの?」

「な、なんですか、いきなり」

「自分のおっぱいさわってばっかりの人はヘンタイだって、五年生の人が言ってた」

「そんなんじゃありませんっ!」

 ベルが鳴り、カウントダウンが終わると、弾丸列車は再び爆発的に発車しました。次の駅まで行くと惰性をなくして、またぴたりとホームで停車。

 こんな激務をくり返しても平気だなんて、ウォールズの人はどういう体質をしているんでしょうか。

 平均速度に直しても東岸鉄道よりずっと速いので、便利といえば便利ですが、私は体が保ちません。

 ウォールズ最南部にある、パスク地方への分岐点ボリジという駅まで行くつもりでしたが、予定を変え、次のマジョラム駅で下りることにしました。



 マジョラムは南ウォールズの中心都市で、物語の宝庫と呼ばれるほど、作家を多く輩出することで有名でした。

 そういえば、私が愛読する幻想小説の作家メリッサは、南ウォールズの人です。 

 できれば彼女に出会ってサインをもらいたいな……そんなミーハー心で浮かれる一方、狂癒師とユーカさんの行方も予断を許さないという複雑な心境のまま、私は新暦二〇三年の末を迎えました。

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