記憶の狐
そこを通りかかったのは偶然だった。普段は閑散としている道が多くの人でにぎわっていた。塾へ行く途中、神社の前の道で縁日が繰り広げられていたのだ。
「うわぁ、楽しそう! ねぇ海里、ちょっと寄っていこうよ」
「駄目だよ沙羅ちゃん、ちゃんと塾行かなきゃ」
「行かないなんて言ってないでしょー。それに受験生なんだからちょっとぐらい息抜きしないと肩凝っちゃうよ」
「沙羅ちゃんはいつも息抜きしかしてないでしょ!」
「まぁまぁ……。じゃあ晩御飯を屋台で調達しよう。どうせ塾行っても自習なんだからちょっとぐらい遅く行っても誰も文句言わないよ」
「……晩御飯だけだからね」
拝み倒され渋々足を踏み入れた縁日は、煙とソースの焦げる匂いがそこら中に舞っていた。文句を言ったものの海里もこういった空気は嫌いではなかった。何を食べようかといろんな屋台を目移りしている海里を他所に、沙羅は屋台に目もくれずずんずんと奥へ進んでいく。
「沙羅ちゃんどこいくの。早くご飯買って塾に行こう」
「んー? ダメだよ海里。こういうのはちゃんと神社にお参りしてから買い物しなきゃ」
「え、そういうものなの?」
「そういうものなんだよ」
屋台がずらっと並ぶ道を超えて神社の境内を歩き奥まで進む。拝殿にたどり着き賽銭箱に小銭を投げ入れた。二礼二拍一礼。パンパンと音高く柏手を打つ音が響いた。
「さぁーて、これで義理も果たしたことだし屋台に行こう!」
「本当に晩御飯買うだけだからね!」
しっかりと釘を刺し二人は屋台の方へ歩き始めた。
「そういえば沙羅ちゃん、神社で何をお願いしたの」
「はぁー? 受験生が神社に行ってする願い事なんて一つしかないでしょ。大学合格しますように、だよ。逆に他に何があるの。海里は?」
「まぁ、大学に合格しますように、だけど」
「でしょー? わかりきってるじゃん。それを聞くなんて、野暮だねー」
「……」
海里はそっと顔を背けて口を尖らせた。ちょっとお願い事を聞いただけなのにそこまで言うことないじゃないか。
「あ、ほら拗ねたー!」
「拗ねてない!」
「拗ねてるよー。ごめんって機嫌直してー!」
沙羅は海里の頭をわしゃわしゃーっと撫でる。その子どものような扱いにさらに口が尖っていく。
「ほら、屋台で何でも一個好きなの奢るから機嫌直してよー」
「え、ほんと? いいの」
「いいよいいよ。お祭りとか久しぶりだし私は今日機嫌がいいから大盤振る舞いさ!」
すっかり機嫌を直した海里は何にしようかと屋台を見渡した。
(焼きそば……、はソースが服についちゃうかもだしりんご飴……、は全部食べ切れないしわたあめ……、はお腹いっぱいにならないし、もっと金銭的にダメージが大きそうなやつがいいなぁ)
なかなかあくどいことを考えながら屋台が並ぶ道を歩く。その横で沙羅はさっそく購入したチョコバナナにぱくついていた。海里のお腹もグーッと悲鳴を上げる。とにかく何かお腹に入れなくてはとたこ焼きを購入した。
「私が出すよ?」
「いいの。沙羅ちゃんにはもっといいもの奢ってもらうから」
「もっといいものって何よ……。言っとくけどこの屋台の中でだからね!」
「わかってるって」
道の端っこによって海里はたこ焼きを、沙羅は新たに購入したポテトを頬張る。普通に食べれば普通の味だが、出来立てあつあつを祭りの空気の中食べることにより何倍もおいしく感じる。目の端でいち早くポテトを完食した沙羅が指をぺろりとなめているのが見えた。まだ四個ほど残っているたこ焼きに急いで手を付ける。
「海里は……」
沙羅がぽつりと何か呟いた。
「え、なに?」
「海里は国公立だよね」
「理系だからね。理系の私立はお金かかるし。知ってるでしょ。何をいまさら」
「わかってるよー。言ってみただけ!」
沙羅はポンッと立ち上がった。
「ほら、いつまで食べてんの。そろそろ行くよ!」
「あ、ちょっと待って」
残ったたこ焼きをひょいひょいと口の中に放り込んだ。口を動かしながら立ち上がる。
「何買うか決まったの?」
「うーん……」
「優柔不断だねぇ。私が選んであげようか」
「それはちょっと」
きょろきょろしながら歩く海里の目に一際カラフルな光景が映った。
「あれ……」
「え?」
「あれがいいな」
「はぁ!?」
海里が指さしたのはお面の屋台だった。おなじみのキャラクターたちが並ぶプラスチックのお面だ。
「え、え、海里あれがいいの? どうしちゃったの? アンパンのヒーローが好きなの?」
「いやそっちじゃなくて、これだよ」
お面屋に近づきさらに指さすそれは、キャラクターたちに混じってひっそりと存在感を放つ狐のお面だった。
「いやそれでもだよ!」
沙羅は叫んだ。
「なにキャラのお面じゃないから大丈夫~って空気だしてんの!? 高校三年生がお面を買うことが珍しいっていうかやばいんだよ! そんなのお金もったいないよ!」
「うん、だから沙羅ちゃんに買ってもらうんだよね」
「うっ……」
「何でも一個、好きなの買ってくれるんだよね? 勿論沙羅ちゃんがお店で直接買ってくれるんだよね?」
「うぅ……」
海里は沙羅をじぃっと見つめる。その目から逃げ回っていた海里だが、しばらくして諦めたようにため息をついた。
「コレクダサイ……」
屋台のおじさんに千円札を差し出す。やり取りをずっと聞いていたおじさんは千円札を受け取りながら爆笑していた。お面を受け取った沙羅はとぼとぼと歩き出す。
「ほら、それちょうだい」
「え、いるの?」
「欲しいから買ってもらったんでしょ」
沙羅から狐を受け取った海里は頭にお面をつけた。
「似合う?」
「……幽霊みたい」
「失礼な」
「それつけて塾に行っちゃだめだよ?」
「当たり前でしょ!? 人を何だと思ってるの!?」
怒ってはいるが心なしかさっきよりもずいぶん機嫌がいい。どうやら欲しかったというのは本当だったらしい、と沙羅は考えた。
「でも何で狐? 他にもいろいろあったじゃん」
「お面を付けるのって意味があるらしくて、確か狐は神通力を与えてくれる? みたいな話を聞いたことがあるのよね。……あとかわいいし」
後半の一言が絶対に本音だと思いながら、この狐をかわいいと思える感性に沙羅は感動していた。
「これは家に帰ってから部屋に飾るね」
「え、ホラーじゃない?」
「違うよ。それにこれをずっと飾っておけばいつでも沙羅ちゃんのこと思い出せるでしょ」
「え……」
「まぁ別にお面を貰わなくても沙羅ちゃんを忘れることなんてないけど。物として置いておけば沙羅ちゃんも安心じゃないの?」
全部を見透かしたような目で海里は笑った。
海里と離れることが何よりも怖い。その思いが見抜かれていたことを知った沙羅の顔は真っ赤になる。
「まぁずっと私のこと考えてる沙羅ちゃんもかわいいけどね」
海里はご機嫌にるんるんと歩く。
「さ、塾に行くよ」
差し出される手をそっと握り、二人は塾に向かって駆け出した。
塾にたどり着いた二人が服に染み付いた煙の臭いで追い出されるのはまた別のお話。
夏祭り企画、今年は「お面屋」で書かせていただきました。
よろしくお願いいたします。