トランキライザー
23
「おじさん、おじさん!!!」
蛍の切羽詰まった声で我にかえった。
冷や汗で手が冷たく、激しい動悸は煩わしい。
「どうしたの? 大丈夫?!」
いつの間にか地面に座り込んでいたようだ。
見上げると、秋馬も蛍も心配顔で慧を見ている。
二人とも鳴り止まぬ花火のことなどもう頭にないようだ。
「…蛍、お願いがある」
「な、何?! 水持って来る?」
慧は大きい深呼吸をして、落ち着こうと努める。
「秋馬を連れて、別のとこで花火を見せてやってくれ。俺はちょっと腹が痛くなっただけだから……」
蛍は釈然としないような顔をした。しかし敢えて追及することはせず、慧の言葉に従った。
「……うん、わかった。秋馬くん、行こ。おじさんは大丈夫だってさ」
戸惑いに揺れる秋馬の瞳を安心させるようにゆったり微笑む蛍が、秋馬の手を取った。
「う、うん……おじちゃん、いろいろありがとう」
冷や汗を流しながらも、慧はなんとか微笑む。
「また遊んでやっから、元気でな」
いつまでも後ろを振り向きながら手を振る秋馬の姿が見えなくなると、慧は震えが治らない自分の手をきつく握りしめた。
24
どれくらい時間が経っただろうか。
花火の音は消え、辺りには静けさが満ちている。
慧は地べたに胡座をかいたまま、顔面を両手で多い、自嘲気味に笑った。
こんなに遠くまで来たのに……何も変わっちゃいない。
あんな瑣末なことで、世界が揺らぐ。
はやる鼓動も浅くなる呼吸も、コントロールすらできない。
俺は無力だ……。
そんな時、声が聞こえた。
「おじさん……大丈夫? お水持って来たょ?」
心配して自分だけ戻ってきたのだろうか。
余裕のない慧は蛍の親切に苛ついた。
「秋馬は?」
「秋馬くんのお母さん、ちょうど仕事終わったところだったから、秋馬くんはお母さんと一緒にお家に帰ったよ」
「そうか……」
ーーこんなところ、見せたくないーー。
「お前も早く帰れ。親が心配すっぞ」
蛍の顔を見ず、突き放すように慧はそう言った。
「うちはまだへーき」
籠バッグとペットボトルを地面に置いて、慧の隣に蛍がしゃがんだ。
「あのなぁ!」
行き場のない感情を蛍にぶつけようとした慧は、蛍の次の行動に言葉を失った。
蛍は徐に慧をかき抱いた。
そしてそのまま慧の背中にポンポンとリズムよく触れる。
「……?」
驚いて咄嗟に反応できない。
ポンポンポンポンポンポンポンポン。
しかもそれは終わる気配がない。
「何してんだ……?」
いつの間にか慧の意識は蛍の手に集中していた。
「何だろうね。何となく……」
うーん……と蛍が唸る。
「おじさんのこと、甘やかしたくなったから」
……なんだ、それは。
「よく分かんないけどさ、きっと、大丈夫だょ」
蛍は今度は慧の背中を優しく撫でる。
「おじさんは、大丈夫」
馬鹿じゃないだろうか。
何を根拠に言ってるんだ?
よく分かんないけどって何なんだ。
お前に分かる訳ないじゃないか。
ふざけるな。
大人を揶揄うなよ。
喉まで出かかった言葉をのみこんだ慧は、自分の頬が濡れるのを感じ、雨が降ってきたのかと思った。
けれど、すぐにそれは自分の涙だと分かった。自分の意思とは裏腹に止め処なくそれは流れた。
泣くなんて行為、とっくの昔に忘れたと思っていた。それなのにーー
「おじさん?」
慧の変化に気づいたのだろうか、蛍が身体を離そうとする。
恥ずかしくて堪らない慧は蛍の背中に腕を回して、顔を見られないように密着する。
「くっ、苦しい、です……」
「悪い、あともう少しだけ」
慧の胸の内で蛍がフッと笑った。
「うん、あと少しだけ」
嬉しそうな蛍の声が聞こえてきて、それは慧をひどく安心させた。