ギフト
4
少女はこちらを興味深そうに見ている。
慧は驚いて、固まった。
確かにさっきまでは、誰もいなかったと思うんだけど……?
慧は瞬きを五回してみたが状況は変わらなかった。
「あのっっ、昨日はありがとう!」
慧が漸く少女に向かって言葉を投げかけると、今度は少女が驚いた顔をして、後ろを振り返っている。
「僕はあなたに言ったんだけど……」
岩から勢いよく降りて、少女の目の前に立つ。
「えっ」
少女はこれでもかと言うくらい、目を大きく見開いた。
「えっ?」
慧は首を傾げて真似をする。
「えっっ〜〜〜〜〜〜!!!!!」
あまりの声の大きさに慧は両耳を塞ぐ。
「なんなんだよ! 僕はただお礼を!」
「あなた、あたしが見えるの?」
その少女の言葉に慧の思考は一瞬停止した。
もしかして……もしかしなくてもこれって……
この子って……。
「幽霊?!!」
本当なら走って逃げるところだ。
けれど慧はなぜだか少女が怖くはなかった。自分を助けてくれたからかも知れないが、少女がちっとも幽霊らしく見えなかったせいもあるだろう。
少女は慧の言葉に不服そうに目を吊り上げて、頬を膨らませる。
そんな表情もちっとも怖くなかった。
「その呼び方、ほんとに嫌い! やめてくれない?」
「う……うん、分かった」
「なんであなたには私が見えるんだろう?」
「で、でも僕たち、昨日も話をしたよね?」
「あの時は特別よ。あなたはこっち側に近い位置にいたから。私が助けちゃったから、そっち側に留まったけど」
その話を聞いた時ばかりは、鳥肌が立った。
「僕、死にそうだったってこと?」
「……私が助けなければね。でもあなたのおかげで周りのお化けに怒られちゃった。私たちは生きている人には関わっちゃダメらしいから」
言ってから彼女は右手を口に当てた。
「やっばい! また口が軽いって怒られちゃう!」
慌てる彼女に慧は言う。
「ぼ、僕、誰にも言わないよ! 僕のこと、助けてくれて……ほんとに、本当にありがとう」
ペコリと丁寧にお辞儀をする慧に彼女は笑った。
慧はその笑顔をとても可愛いな、と思った。
「あっ、これ! この笛、あなたのでしょう? 僕、間違えて持って行っちゃって……ごめんなさい」
「あ〜〜! そっかそっか、あなたが持ってたんだね。失くしたんだと思ってた」
慧は返そうと手を伸ばした。
「お気に入りだったんだけど、いいよ。あなたにあげる」
「えっ」
「実はね、一度そっちに行ったものは、私達はもう触れないんだ。残念だけどね」
少女の残念そうな表情に慧は申し訳なくなる。
「ごめんなさい!」
「私たちもね、本来は別世界に生きるものだから、もうこんな風に話しかけちゃダメだょ?」
慧はそう言われると、ひどく悲しい気がした。
もうこんなこと、二度とないだろう……。
せっかく遊び相手の少ないこの田舎で、友達になれそうな人を見つけたのに……。
しょんぼりと肩を落とした慧を見て、少女は慌てた。
「……ほんとはね、嬉しかったよ。あなたが話しかけてくれて。ここいらには子どものお化けはいないからね」
その言葉に勇気付けられて慧は言う。
「……何か、お礼を!」
慧は知らないうちに両手を握りしめていた。
「これ、笛、僕大切にするから! 君にも何か考えるから!」
必死になっている慧を少女は見つめる。
「だから、また会って!……ください」
少女は困ったような表情を作ったが、嬉しさを隠しきれていないようだった。
「でも、あなたの世界の物は、私には触れないんだけどね」
慧はぐるぐる頭を働かせる。
「それでも何か考えるから! ダメ?」
「……いいよ」彼女はニコッと笑った。
「どうやったらあなたを見つけられる?」
うーん、と彼女は言い、岩から岩へとぴょんぴょん跳ねる。
「……あなたがその笛を吹いたら。少し遠くにいても、あなたの元にいくから。いい?」
「うん!」
慧は嬉しくてワクワクして、飛び跳ねたい気分だった。
「あなた、名前は?」
「慧。滝川 慧だよ! あなたは?」
「遥だよ、よろしくねっ!」
「よろしくっ!」
握手をしようとしたら、彼女の姿が消えた。
耳元で「だからそれはできないんだってば」とクスクス笑う声がした。
5
その日から慧は毎日頭を悩ませた。
触れないけど見て嬉しいプレゼント……しかも女の子が喜ぶものとは一体なんなのか、と。
まず最初に花が思いついた。
でも育てられないのに切花をあげても枯れてしまい可哀想だから、この案はボツになった。
お金がないときに父母にあげていた肩たたき券なんてのももちろんダメだ。
触れないとほとんどのプレゼントは意味がないんだな、と慧は思う。
素敵な音楽を聴かせてあげる、ということも考えた。かと言って慧が弾ける楽器はない。
小学校で習うリコーダーは、東京の自宅にあり、祖母の家には置いてない。
何か良いアイディアが見つかるかも知れないと図書館に行った。いろんな本を片っ端から手に取って見てみた。
家では普段見ないテレビも、祖母の家ではチャンネルをガチャガチャと回していろいろ見てみた。
どこかに良いヒントはないかと必死だった。
あまりにテレビに齧り付き、母に叱られたこともあった。
そんな風にしてある日、慧はそれを見つけた。
しかしそれは自分一人の力では実現しそうになかったので、物知りの祖父母の力を借りることにしたのである。
6
慧は、こちらで出来た友達と花火をする約束があると母に嘘をつき、家を出た。
祖父母は影の協力者で、今日慧が花火に行くのではないことを知っている。
二人に約束したことは、9時までに戻ること。
大丈夫。タイムリミットまでには充分な時間がある。
祖父母に感謝して懐中電灯を片手に暗い夜道を歩いた。お昼にも一人歩いて確認した道だ。
大丈夫、間違いようがない。
ドキドキしながら、慧は笛を吹いた。
「こんばんは」
慧が今から進もうとしている斜面のある道に遥は現れた。
本当にすぐ現れてくれたことに、慧は感激する。
「こんばんは。準備はいい?」
少しいつもより背伸びをして、格好をつけた言い方をした慧を見て、遥は言った。
「バッチリ!」
「少し歩くからね、足元気をつけて」
と慧が言うと、「気をつけなきゃいけないのはあなただよ?」と笑われた。
そうだった。遥は幽霊なんだから怪我をする訳がない。
どうも自分は浮かれてる、と慧は恥ずかしかった。
今が暗くて良かった。
懐中電灯は小径を照らしているだけなので、慧の頬の赤さは分からないだろうと心を落ち着かせる。
「ねぇ」
慧は尋ねる。
「遥…さんは、こっちの方、来たことある?」
「遥でいいよ。私も慧って呼んでいい?」
女の子に名前を呼び捨てにされるのは初めてだ。慧はドキドキした。
「うん、いいよ」
「こっちの方は…ないかな? ここら辺は山と田んぼばかりで、正直そんな違いが分からないかも」
遥がこれから先の風景を見たことがありませんように、と慧は願う。
「近くなってきたからね、僕が誘導するから、遥…は目を瞑って」
遥は興味津々で慧に確認する。
「目を瞑るの?」
「そう。僕の声だけでついて来られる?」
「大丈夫!」
弾む声が慧の心もウキウキさせる。
慧の声によって導かれた遥は、「ストップ! ここで止まって」という言葉に素直に従う。
「目を開けていいよ」
遥はゆっくりと両手を離し、目を開けた。
「わぁ!!!」
遥は歓声を上げた。
そこは、闇夜に紛れた蛍の大群が見られるベストスポットだった。
様々な虫の音が聞こえる。
その声に呼応するかの様に、あちらでゆらゆら、こちらでゆらゆらと蛍が乱舞する様子は夢のようだった。
明滅を繰り返しながら浮遊する蛍を見て、遥ははしゃいだ。
「見てみて! あの飛んでる三匹の蛍たち、こっちに来るよ! 家族かな?」
「ほんとだ。あの三匹、おんなじタイミングで光ったり消えたりしてるね!」
「きっとすごぉく仲良しなのよ」
今度は慧が一番高い位置にいる蛍を指差した。
「見て! あの蛍はあんな所にいるよ!」
「かなり高いところまで飛べるんだね。知らなかった!」
点滅しているため、まるで蛍が瞬間移動してるみたいだ、と慧は思った。
いなくなったと思ったら、すぐ近くに来ている。手品よりずっと神秘的で面白い。
休んでいるばかりの蛍も、活発に動き回っている蛍もいて、白っぽく見えるのも、濃い黄色に見えるのもいる。
儚いはずなのに、蛍の群れに希望を感じる。
夏が終わらなければいい。
東京に帰らなければいけない日は目の前だ。
自分はもう少しここにいて、いろんなことを感じていたい、と慧は思った。
慧は遥の横顔を見て、「どぅお?」と聞いた。
遥は幸せそうな顔で「最高だね!」と言った。
「実は、もう一つだけ、遥にプレゼントがあるんだ。待ってて!」
小走りになって、茂みに隠していた物を取って来て、遥の頭上に掲げる。
遥はビックリした顔をして、それに触れるような仕草をする。
「綺麗……これ、なぁに?」
「これはね、灯籠って言うんだ。見てて」
慧はスイッチを押し、それをそっと離した。
淡いオレンジ色の優しい光が灯籠を浮かび上がらせたと同時に、ふんわりとそれは空を舞った。
ゆっくりとけれど着実に、上へと飛んでいく。
慧は思わず「成功だ!!!」と歓喜して、飛び跳ねた。
自分が先に喜んでしまったと少し反省しながら遥を見ると、彼女は泣いていた。
「ど、どーしたの?! 大丈夫?」
遥は右手で目元の涙を拭い、左手を左右に振る。
「違う、違うの!! なんか感動しちゃって……すごい、コレ。ほんとに。灯籠、すごい!」
慧はホッとした。そうしたら身体の内側から喜びが湧き上がってきた。
「あの灯籠、山火事とかが起きないように火を使ってないんだ! うちのおじいちゃんが知恵を出してくれて、ヘリウムガスと発光ダイオード、それから、ボタン電池で動いてるんだ!!」
興奮して一息に捲したてる慧を見て、遥はこれ以上ないくらい嬉しそうな顔をする。
「ヘリウムガスと発光ダイオード、あの量を用意するのが大変だったんだ! それがおばあちゃんのおかげで見つかったんだ!」
遥は熱心に耳を傾けている。
「ほんとにすごいよ!」
「あれは、遥の、空飛ぶ灯籠だよ!」
遥がそれを聞いて両腕を大空高く上げ、大声を出す。
「やった〜〜〜!!!」
慧も思わず叫ぶ。
「やった〜〜〜〜〜〜!!!」
「飛んでけ〜〜!」
「もっと遠くに飛んでけ〜〜〜〜!!!」
一頻り二人で叫んだ後、同じタイミングで爆笑した。
散々ひーひー笑った後、遥が心のこもった瞳で慧を見つめて言った。
「ありがとう」
慧は照れて、こんな時だけ何も言い返せなかった。
7
慧はまたあの川原に来ていた。
明日東京に戻る前にどうしても遥に一目会いたかった。
また来年の夏、遊びに来るからと伝えたかった。そうしたらお別れも寂しくない。
慧は紐を付けて首から下げた笛を手にとって、思い切り吹いた。
するとーー
遥は確かに現れた。
けれどそれはいつもと違う遥だった。
慧は言葉なく、瞠目した。
なぜなら遥の下半身は、消えて見えなくなっていたから。
今までは普通に見えていたものがなくなった。
これじゃまるで……。
「ごめんね、気持ち悪いでしょう?」
慧は遥が慧の反応に傷ついたことを知って、慌てて否定した。
「そんなことない! でも、どうしたの?」
「私、もう、ここにはいられないみたい。呼ばれちゃってるのが、分かるんだ」
慧はショックを受けた。
「ぼ、僕としゃべったから?」
遥は首を振る。
「そんなことないよ、大丈夫。心配しないで」
笑いかける遥に笑顔が返せない慧。
「ほら、笑って? これが最後になるんだから」
慧は俯き、涙を堪えた。
「私、楽しかった。慧と出会えて嬉しかった。慧は大丈夫、これからもきっと大丈夫だよ」
慧は辛うじて顔を上げた。
「僕も…遥と会えて楽しかった。いろいろ……ありがとう」
そう述べる僅かな時間にも、遥の身体はどんどん消えかかっている。
けれど遥はとても穏やかに微笑していた。
「もしっ、もし、いつか、どこかでまた会えたらーー」
慧は思わず叫ぶ。
しかしその叫びは、遥に届くことはなかった。
ーーその時はずっと一緒にいようーー
慧の悲痛な願いは蒼い空の中へと消失し、後に虚しさだけが残った。