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錬金術師と道具と小話  作者: エルリア
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毒消し(後編)

「いくらなんでも多すぎだろ。」


何度目かわからないボヤキが出たのはそれからしばらく経っての事だった。


多少道らしかった道はとっくの昔になくなり、今は岩場にできた獣道のような小さな道を大岩を避けながら進んでいる。


おそらくここが目的の岩場だ。


あとは目的の香草を見つけるだけなのだが、それを拒むかのようにボヤキの元がレンジ行く手を遮っていた。


それは魔物の遺体を苗床にして大輪の花を咲かせている。


そう、これはカノンの体を蝕んでいるあの花。


普通は棘のない紫色の小さな花なのだが、ここにある花は鋭い棘を持ち掌ほどの大きな花を咲かせてた。


いたるところに魔物の遺体が転がり、大輪の花と棘が行く手を阻む。


「確かにこれだけの魔物がいれば栄養には困らないが、それでも育ち過ぎだ。」


口元で結んだ布がほどけないか何度も確認する。


布越しでも甘い匂いがわかるのだから布が無かったらどれほどの匂いなのだろうか。


呼吸をするだけでむせてしまいそうだ。


いや、むせるだけでは済まされない。


空気中にはあの花の種子が大量に含まれている。


匂いで獲物を呼ぶはずが、匂いそのものが毒になっているのだ。


吸い込んだが最後、カノンよりも強力な毒が短時間で回り始めるだろう。


彼らはもう寄生する必要なんてない。


毒で殺してからゆっくり吸い上げればいいだけなのだから。


どうしてこんな事になっているのか。


おそらく冒険者が来ない事で魔物の数が減らず、問題の花が入ってきた後爆発的に増えてこのような場所が生まれてしまったのだろう。


まるで魔物の墓場だなとレンジは思った。


それと同時にベルの身を案じる。


これだけの濃い毒だ、侵されれば1日と持たない。


ここに来たことは間違いないのだから今も毒に侵されて苦しんでいるはずだ。


だが探そうにも霧が邪魔で探しようがない。


万事休すだ。


「それでも行くしかないか。」


仮に見つけられたとしても毒消しが無ければ死んでしまう。


ならば先に目的の香草を見つけるのが得策だ。


一縷の望みをかけてレンジは先を急いだ。


花を避け、岩場をよじ登る。


時々辺りを見回し、黄色い花が無いか確認する。


あの香草は毒に対する特効薬だ。


あるとしたらそこだけ紫色の花が咲いていないはず。


それを目印にすれば・・・。


それだけを考え一歩、また一歩と先の見えない霧の中を進んでいく。


珍しくレンジは焦っていた。


人間焦れば焦るほど集中力が乱れてしまう。


いつものレンジならば慌てずに対応できただろう。


だが特殊な状況にレンジの集中力は限界を迎えようとしていた。


「しまった!」


岩場を超える為に右手を伸ばした先がまずかった。


掴んだはずの岩は掴んだ瞬間にもろくも砕け、バランスを崩したせいで体重をかけていた岩から足が離れてしまう。


こうなってしまえばもうなすすべはない。


一応受け身を取ろうとするもそのまま10m程下まで落下していった。


ドンという鈍い音が周りの岩に反響する。


痛みで呼吸ができない。


着地と同時に何かがへしゃげる音が聞こえたきがする。


起き上がろうと腕に力を入れると全身を貫く様な痛みが襲ってきた。


どうやら右腕が折れてしまい、両足の感覚もない。


動かせるのは左腕だけだった。


仰向けの状態でさっき自分が登ろうとしていた場所を見つめる。


その時レンジはある事に気付いた。


「くそ、俺としたことが。」


口を覆っていたはずの布が無くなっていたのだ。


こんな状況であの毒に侵されたらどうしようもない。


まずい。


まずいまずいまずい。


レンジの頭がパニックに陥り最悪の状況が頭をよぎる。


普通の人間ならそこで終わりだ。


だが、レンジはこんなことで潰れる男ではない。


そんな状況を打破すべくレンジは想像もできないようなことを考えだした。


唯一動く左腕を上に振りかぶると、あろうことか動かない足に思い切りたたきつけたのだ。


「いってぇぇぇぇぇ!!!!」


絶叫がこだまする。


だがその痛みのおかげでパニックになりそうな頭が一瞬でリセットされた。


冷静になると同時に今度は腰にぶら下げていた袋から何かを取り出す。


鮮やかな青色をしたそれはお馴染みのフラスコをなみなみと満たしていた。


ポーションだ。


しかもただのポーションなどではない。


精錬に精錬を重ねたレンジの持つ最上級のポーション。


それをゆっくりと口に含んだ。


みるみるうちにポーションが全身を駆け巡り、痛んでいた組織を修復していく。


レンジが大きく息を吐く頃には全ての傷はふさがっていた。


「自分で作っといてなんだがおかしな効果だな。」


ポーション。


飲んでよしかけてよしの回復剤。


病気を治癒することはできないが外傷性の怪我は治癒することができる。


上質な物になると今のように瞬時に回復してしまうのだから不思議なものだ。


「さてっと、どうする。」


レンジは改めて周辺を確認する。


上・・・登れば元の場所に戻れそうだ。


前・・・ぽっかりと口を開けた洞窟がある。


下・・・地面には何かを焼いた跡があった。


少し時間はたっているようだが誰かがここで火を起こしたのは間違いない。


魔物には不可能だ。


となると冒険者かもしくは山に入った村人だ。


いや、あの村の住人がわざわざ山に入るとは思えない。


となると残された可能性は一つか。


レンジはカバンからランタンを取り出すとぽっかりと口を開けた洞窟へと足を進めた。


ここには誰かがいた。


火を起こしていたということはその人物ここが魔物に襲われにくい場所だと知っていたのだろう。


上から降りてくるよりこの洞窟に入る手段はない。


心なしかあの甘い匂いも少ないように感じる。


おそらく近くにあの花はないのだろう。


助かった。


あの濃さの中で布なしで動き回ることは死を意味する。


レンジは自分の幸運に感謝しつつ洞窟の奥へと進んでいった。


どれぐらい進んだだろうか。


突然真正面から刺すような気配を感じた。


これは殺気だ。


これ以上近づけば殺す、そんな強い意志を感じる。


うかつに近づけば殺気の主に間違いなく攻撃されるだろう。


だが、レンジには覚えがあった。


これを感じるのは()()()だ。


「ベル、無事だったか。」


洞窟の奥にいる主に声をかける。


「レンジさん・・・?」


殺気が一瞬にしてなくなり、代わりに置くから弱弱しい声が返ってきた。


レンジは小走りで洞窟の奥へと急ぐ。


少し天井が高くなった一番奥に探していた人間が横たわっていた。


「俺だ、まさかこんなところにいるとは思わなかったぞ。」


「どうしてここが?」


「お前を探していていたんだが誤ってここに落ちたんだ。だがそれがよかったようだな、自分の庭だからって勝手に行くからこんなことになるんだ。」


「ごめんなさい。」


ランタンの光を近づけると真っ青な顔をしたベルの顔がよく見える。


だが、ベルはまぶしさに目を開けられないのか辛そうにランタンから体を遠ざけた。


「あの花の毒に侵されると光に弱くなる、よく無事にここまで来れたな。」


「前に来た時に見つけたんだ、ここなら休憩するのに困らないから。」


「あれからどうなった?」


「あの後先に見つけてやろうと岩場に向かったら大きな魔物に襲われたんだ。熊みたいな大きな奴、今まであんな魔物見たことないよ、小さい魔物には遭わなかったのにどうしてあんな奴が・・・。」


「獲物が少なくなったって言ってたな、それは小型の魔物が全て花の毒に侵されて死んだからだ。小さい魔物が死ねばそれを食べる魔物も減る、そしてさらにそれを食べていた魔物が獲物を求めてここまで降りてきたというわけだ。」


食物連鎖の法則が崩れたのだ。


捕食上位者がいなくなる分には何も問題はない。


二番手が上位に来るだけで済む話だか、底辺がいなくなるのは別だ。


食物連鎖の均衡は一気に崩れ、あたりを巻き込んで数々の問題を引き起こす。


今回は魔物の多い地域にあの花が侵入し爆発的に増えたことで引き起こされたのだろう。


「あんなのが村まで来たら大変な事になる。僕が、僕が行かないと。」


ベルは最後の力を振り絞って立ち上がろうとするが、毒の周りが早いのか体を起こすことすらできない。


カノンよりも状況は悪いといえるだろう。


「安心しろ大型の魔物にもあの花の毒は回っている。最後に残ったやつが死ねば後には何も残らねぇよ。」


「でも花は残るんでしょ?」


「寄生する魔物がいっぺんにいなくなれば後は枯れるだけだ。まぁ、この山に獲物が戻るのはだいぶ先になるだろうがな。」


「そっか、母さんが大丈夫ならいいや。」


ベルが安堵の息を吐く。


だがその後激しく咽てしまった。


口の中からあの甘い匂いがする。


おそらくもう口の中に芽が出ている頃だろう。


「ハッキリ言うぞ、このまま放っておけばお前は明日の朝までに死ぬ。だが、香草さえあればお前の命は助かる。わかるな?」


ベルは頷いてそれに返事をした。


「俺はそれを探しに行く。魔物除けを焚いて行くから襲われることはないだろうが、この霧と匂いの中じゃ気休め程度だがな。」


「・・・僕を置いて村に戻って。」


「馬鹿野郎、実の娘が死んで泣いている女を抱けるかよ。」


ここでベルを死なせるわけにはいかない。


死ねばヘルノを抱くことはできなくなる。


レンジにとってそれは何事にも耐えがたい事だ。


理由はどうであれ、レンジがベルを死なせたくないというのは間違いない。


「魔灯の光ならその状態でも眩しくない筈だ、真っ暗闇でいるよりも幾分かましだろう。」


ランタンの火を消し、代わりに魔灯をカバンから引っ張り出す。


魔石を利用した明かりだ。


直火のものよりも暗いが致し方ない。


「ありがとう。」


「なに死ぬまでにはまだ時間がある、俺が戻って来るまで安心して休んでいろ。」


「うん。」


ベルの頭を優しく撫でる。


くすぐったそうに目を細めて笑った後、ベルはそのまま気を失った。


よっぽど気を張っていたのだろう。


子供には過酷すぎる状況だ。


レンジは袋から毛布を引っ張り出すとそっとかけてやった。


「さて、行くか。」


日が暮れるまでに残された時間は残りあとわずかだ。


その短い間に香草を見つけなければベルは助からない。


口では簡単にいうがかなり厳しい状況と言えるだろう。


だがそんなことであきらめる男ではない。


二つ目の約束を果たすためにレンジは再び洞窟の外へと向かった。


一先ず焚き火跡に魔物除けを置き再び火をつける。


ここを出るには岩場を上るしかない。


だが上はあの毒で満ちている。


毒は空気よりも軽いのか下に溜まる感じはない様だが・・・。


「なんだよ、死ぬ気で見つけろってか?」


レンジが顔を上げた視線の先。


落ちてきたであろうその場所に見覚えのある布が引っ掛かっていた。


そう、レンジの口を覆っていたあの特別な布だ。


あれはには特殊な薬剤が塗られていて、外からの異物を防ぐことができるようになっている。


あれがあればもう一度探しに行ける。


珍しく気合の入った顔をしたレンジはひとまず布を確保するために岩に手を駆けのぼり始めた。



再び地上に戻ってからどれぐらい時間が経っただろうか。


空が暗くなってきた事はわかるが濃い霧のせいで太陽が沈んだかどうかすら分からない。


ベルのいる大穴を中心に探索を続けたレンジだったがいまだ成果はない。


見つからないという事は死ぬという事だ。


あれだけの啖呵を切った手前おいそれと戻ることも出来ず、レンジは焦りと戦いながら香草を探し続けた。


魔物とは出会っていない。


だが気になる物をいくつか見つけていた。


それは例の花が群生している場所を見つけたときだった。


「これで三つ目か。」


魔物の死骸が一箇所に散乱し、それを苗床に紫色の花が獣道を塞いでいる。


最初はたまたまかと思ったが、同じような状況が三つもあるとなると別の可能性が出てくる。


この死骸の山は偶然ではなく意図的に作られたのではないか。


小動物の中にはえさを一箇所に集める習性を持つ者もいる。


それと同じく獲物を集めようとした跡ではないかとレンジは考えたのだ。


その答えに辿りついたのにはもう一つ理由がある。


それが、近くの木々につけられた無数の爪痕。


大きさ的に熊か何かだと思うが、レンジには心当たりがあった。


そう、ここに来る途中に遭遇したあの大型の魔物だ。


ベルも遭遇したという熊の魔物。


それが獲物を集めたのではないか。


ただ、集めたそれは花の苗床になってしまい食べることが出来ず結果として獲物不足は解消できていない。


もしそんな奴と遭遇したらどうなるか。


間違いなく食い殺されるだろう。


だがそれは一般人の話であってレンジに適応されるわけではない。


彼なら食い殺される前に一矢報いるぐらいはする。


「それじゃ死んでるだろうか。」


どうやら冷静なつっこみが出来るぐらいには余裕があるらしい。


レンジは花を避けつつ岩場を進み続ける。


その時だった。


ベルとは比べ物にならない強烈な殺気を感じ、躊躇もなくその場に倒れこんだ。


その頭上を黒い何かが通り過ぎる。


もし後1秒でも判断が遅れていたら通り過ぎた黒い何かにレンジの命は刈り取られていただろう。


レンジの顔から余裕が消える。


身をかがめて拳を握り、相手の動きを全身で感じようとする。


「まさかそっちが残るとはな。」


冷や汗が頬を伝う。


霧の向こう、視界の及ばない所に確かにそれはいる。


そいつは間違いなく飢えており、エサであるレンジを逃すまいと狙っているようだ。


緊迫した空気が辺りを包む。


それと同時に少しずつ周りが暗くなってきた。


どうやら日はとっくの昔に落ちており、後は夜の帳が下りるだけだ。


そうなればレンジに勝ちはない。


いくらレンジとはいえ、これほどの相手と暗闇で戦えるほどの実力は無い。


卑怯な事に向こうにはこちらが見えている。


「こいよ、時間がないんだ。」


相手を挑発するも返事は無い。


緊張の為か喉が渇く。


レンジがつばを飲み込もうと喉を鳴らした次の瞬間。


再び黒い何かがレンジに襲い掛かった。


先程と違い今度は右側からレンジの首もとめがけてそれは飛びかかる。


霧の隙間からそれが見えたと同時にレンジは上半身をそらし、拳を叩きつける。


「ギャイン!」


手ごたえはあった。


が、ただ当っただけだ。


致命傷ではない。


「熊のほうだったら楽だったんだが、この状況で遠距離は卑怯だろ。」


レンジを襲う黒い魔物。


それは先程遭遇した狼の魔物のほうだっだ。


おそらく熊との死闘に勝ち残り次なる獲物であるレンジを見つけたのだろう。


先に見つかったのが俺でよかったと、その時レンジは思った。


もし弱ったベルが遭遇していれば一呼吸も持たないうちに食い殺されていただろう。


狼は再び霧に隠れ、次の機会を狙う。


狼からすれば時間をかければかけるほど有利になる。


そうなればレンジに勝ち目は無い。


だからこそ、レンジは次の機会に勝負をかけることにした。


辺りを警戒しながらレンジが突然走り出す。


狼からしたら驚いただろう。


自分を殺そうと殺気をぶつけ合った相手が突然背中を見せ逃げ出したのだから。


一瞬、ほんの一瞬だけ戸惑った狼だがすぐにレンジの背中めがけて走り出す。


無防備な背中に爪の一刺しでもすれば人間は死ぬ。


獲物の姿が見えている狼からすればそれは非常に容易い事だ。


レンジが突然右に曲がる。


もちろん狼も遅れる事無く右に曲がる。


今度は左だ。


ジグザグに動くようにレンジは逃げ続けた。


真っ直ぐ走らないのには理由がある。


そのままでは狼の突進力に適わず即座に殺されてしまうからだ。


できるだけ時間を稼ぐ為に走りにくい岩場で無理をする。


だが、それも限界を迎えた。。


ジグザグに走ることで足に負荷がかかりついに左右の足がもつれる。


勢いもそのままにレンジの身体が宙を舞った。


狼がその隙を逃すはずもなく、レンジの身体めがけて一気に地面を蹴る。


空中で交錯する一人と一匹。


そのまま行けばレンジは地面に投げ出されると同時に喉元を食い破られる。


はずだった。


何時まで経っても地面がやってこない。


それどころかお互いの身体が重力に引っ張られるようにドンドンと落下していく。


そう、レンジが足をもつれさせて飛び込んだのはあの大穴。


レンジが一度落ちたあの穴だった。


落下しながら狼とレンジが交差するも狼の爪はレンジには届かない。


むしろ勢いがつきすぎたせいで狼から先に地面に叩きつけられた。


鈍い音がする。


あの巨体が高速で落下して地面に叩きつけられたんだ。


自重に耐え切れず即死しただろう。


だがそれはレンジも同じだ。


このまま行けば無事ではすまない。


さっきはたまたま左腕が残ったが、次も無事でいられる保証はなかった。


だからこそレンジは賭けに出た。


落下速度はレンジのほうが若干遅い。


それを上手く利用して、くるりと身を翻しレンジは狼の死骸の上めがけて両足から着地した。


レンジの身体が狼の死骸を貫いていく。


もちろんそれで止まるはずもなくレンジは足から地面につっこむ形となったが、死骸がクッションになり全身を血だらけにしながらも何とか命だけは繋ぐ事ができた。


両足の骨は折れ、地面を転がりながら最後は壁に叩きつけられる。


足がもつれたのは本当に偶然だった。


後1歩もつれるのが早ければ穴の手前で死んでいた。


それぐらいシビアな状況だったのだ。


もちろん足以外も無事なわけがない。


だが命さえあればレンジにはあのポーションがあった。


肉片まみれの身体を無理やり起こし、ポーションを全身に降りかける。


本日二度目のポーションで中身は空っぽになってしまった。


「くそ、時間切れか。」


頭上は真っ暗だ。


行きに焚いてきた火が暗闇をオレンジ色に染め上げていた。


香草を見つけることはできなかった。


ベルになんていえばいいのだろうか。


レンジは重たい身体を引きずりながら洞窟の中へと戻っていく。


ベルはまだ気を失ったままのようだ。


その場にドスンと座り込み大きくため息をついた。


「ん・・・レンジ、さん?」


「すまない起こしたか。」


「大丈夫。香草は、あった?」


身体がだるいのか首を動かす事も出来ないようだ。


「見つけられなかった。」


「そっか、仕方ないよ。」


息も絶え絶えにベルが答える。


これから死んでいく女を前にしてレンジは今まで感じたことのない悔しさを味わっていた。


これまでは何とかやってきた。


そして今回も何とかなると思っていた。


だが、蓋を開ければ全身はボロボロで再びあの穴を登ることはできない。


登る事ができないという事は、明日の朝までに香草を手に入れることが出来ない。


つまりそれはベルの死を意味している。


初めての失敗だった。


いや、これまでにも何度か失敗はしてきているがそれは自分に対しての事だ。


自分のせいで他人が死んだ事は一度もない。


いつも強気なレンジが珍しく落ち込んでいた。


沈黙が辺りを支配する。


ベルの口から香る甘い死の匂いだけが、二人を包んでいた。


「レンジさん、お願いがあるんだ。」


「なんだ?」


「僕を、抱いて欲しい。」


「抱く?寒いのか?」


「違うよ。僕だって、こう見えても女の子なんだ。最後ぐらい、男の人と・・・。」


死に行く女は皆そうなのだろうか。


最後に女として死にたい。


だから、抱かれたいとベルは言う。


それはまるで死期を察したカノンのようだった。


向こうにはまだ時間がある。


だが、ベルにはもう時間は無い。


「血まみれだぞ?」


「いいよ、もう、においもわからないから。」


そう言ってベルははにかんだ。


死に行く者に生きている人間が出来る事は少ない。


その少ない事の中に含まれているのが、願いをかなえてやることだ。


少しでも未練がないように。


寂しくないように。


レンジは願いを聞き届けるべくベルの傍に近づいた。


「本当は、もっと綺麗な場所が、良かったんだけど。」


「諦めろ。」


「・・・脱がせて。」


身体を動かす事はもう出来ない。


レンジはベルの代わりにゆっくりと服を脱がせていった。


シャツの左側が何本かの紐で閉じられており、解くだけで胸元がはだける。


恥ずかしいのかそれとも目が開かないのか、ベルの目はギュッと閉じられていた。


「ねぇ、僕の身体変じゃない?」


「普通だ。」


「母さんよりも、胸は、あるんだよ。」


「そうみたいだな。」


「男の人って、そこばかり見るから。」


「それは仕方ない事だ。」


男は皆女の胸に弱い。


母親を連想するからだという奴も居るが、ただ単にセックスアピールの部分だからだという奴も居る。


だが言えるのは、胸が嫌いな男は居ないという事だ。


「ねぇ、触って?」


ベルに言われるがままレンジは胸に手を伸ばす。


カノンほど大きくは無いものの、片手で掴むには溢れるほどの大きさ。


少し強く握ると、双丘の根元にあのしこりを感じた。


根は心臓近くまで来ている。


「気持ち、いい?」


「なかなかの張りだな。」


「大きくなるのイヤだったけど、大きくてもいいことあるんだね。」


「そうだな。」


「ねぇ、下も、お願い。」


ベルに残された時間は少ない。


それが自分でも分かっているのか、ベルはその先を急いた。


レンジの指が胸から臍、そして腹部へと降りる。


ズボンを脱がす為に腰に手を回したその時だった。


指先にカサっと何かが引っかかる。


レンジはそれを摘むと目元まで持ってきた。


魔灯の明かりでは暗くてよく分からない。


「レンジ、さん?」


「その先はまた今度楽しませてもらうぞ。」


だが匂いだけはわかった。


紫の花とは違うあの匂いだ。


「待ってろすぐ戻る。」


レンジはその場から勢い良く立ち上がると、急いで入り口まで戻った。


失敗はできない。


機会は一回限りだ。


大量の機材を取り出し、毒消しの生成を始める。


まずは空のフラスコにみつけたそれを慎重に入れる。


次に水を加え、焚き火でゆっくりと過熱しながらフラスコを回転させる。


焦りは禁物だ。


急げば十分な成分を抽出でいない。


だが遅ければ熱ですべてが無くなってしまう。


ゆっくり、でもゆっくり過ぎないように。


全神経を集中してその瞬間を見極める。


水の色が黄色に変わるとすぐに火から離し中に毒消しの実を放り込む。


後は冷めれば完成だ。


レンジは大きく息を吐きフラスコの中の毒消しをじっと見つめた。


これが効くのが先か。


それともベルが死ぬのが先か。


いや、答えは当に出ている。


ベルは死なない。


念の為に魔除けをもう一つ放り込み再びベルの所に戻った。


上半身をはだけたままでレンジの帰りを待っているベルに、思わず笑みがこぼれるレンジ。


彼が笑う事は本当に珍しい。


「待たせたな。」


「女の子を待たせるなんて、ひどいよ。」


「なんだ死ぬ気か?」


「だって、見つからなかった。」


「あぁ、俺はな。」


「俺は?」


「お前が見つけたんだよ。」


「・・・僕が?」


「いいか、今から毒消しを飲ませる。薬よりも先に毒が回るか、それともお前が勝つか一度きりの勝負だ。」


フラスコから毒消しの実を取り出しベルの口元に近づける。


「もう、間に合わないかも・・・。」


「それを決めるのはお前じゃない、俺だ。」


レンジはベルの口に毒消しを押し込むとベルの体を抱きしめた。


ごくりとベルが毒消しをのみこむ。


レンジが抱きしめたのには理由があった。


別に欲情したわけじゃない。


これから起こることを以前見ているからだ。


ベルが薬を呑み込んですぐに、その変化は現れた。


突然抱きしめていたベルの体が跳ね上がる。


まるで毒消しから何かが逃げ回る様に体が激しく痙攣する。


いや、逃げ回っているのだろう。


特に胸の下で何かがうごめいているのがわかる。


叫び声は聞こえなかった。


呻き声も聞こえなかった。


ただ、身体の中で暴れまわる何かから自分を守ろうとベルは必死だった。


レンジは何も言わなかった。


ただ、暴れまわる身体をぎゅっと抱きしめ、ベルの頭を撫で続ける。


肌と肌だが触れ合いお互いの体温を感じる。


その感覚だけがベルの意識をつなぎとめていた。


それからどれぐらい経っただろうか。


レンジが目を覚ますと洞窟の入り口の方から光が差し込むのが見えた。


どうやら寝てしまったようだ。


レンジはそっと抱きしめていたベルを確認する。


肌蹴た胸元が上下しているのが分かった。


生きている。


それが分かった瞬間に思わず拳をぎゅっと握る。


一か八かの賭けに二人は勝ったのだ。


「おい、起きろ。」


返事はない。


「起きろ、朝だぞ。」


「んぅ~・・・もうちょっと寝かせて。」


「なに寝ぼけてる。起きろ、お前が香草を見つけたのはどこだ。」


「え・・・!?」


ガバっとベルが立ち上がった。


その動きは昨夜まで死にそうだった人間とは到底思えない。


立ち上がった瞬間にレンジの前で二つの果実が上下に揺れた。


「良い胸だな。」


「え、あ、ちょっと、見ちゃダメ!」


「昨日触らせておいてみるのはダメなのか?」


「昨日は死にそうだっただけで・・・、あっち向いてよ!」


「断る。」


「やだ、ちょっとまって、あっ・・・!」


目の前に胸があって触らない男がいるだろうか。


慌てて隠そうとするベルの腕を掴み、無理やり広げさせる。


ツンと上を向いた蕾に思わず吸い付いた。


甘い吐息がベルの口から洩れる。


それは毒のせいで香るあの甘さではない。


体中を駆け巡る歓喜の吐息だ。


それからしばらくベルの胸を堪能していたレンジだったが、いい加減飽きてきたのかそっと口を放した。


ベルは頬を上気させて目が移ろになっている。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫じゃない。」


「続きは帰ってからだ、親子そろって抱いてやる。」


「母さんも抱くの?」


「そう言う約束だからな。だが、今は別の約束を果たさなきゃならない。」


「そっか、そうだよね。」


ここに来た理由は一つ。


香草を見つけて持ち帰るためだ。


今もレンジの帰りを待つ女がいる。


女との約束は守る主義だ。


ベルの準備が整うまでレンジも自分の身支度を済ませる。


返り血まみれだった身体を清め、焚き火で簡単な食事を作る。


それが出来上がる頃にベルも入り口にやって来た。


「おまたせ。」


「食欲はあるか?」


「もちろん、ペコペコだよ。」


「さっさと食べて捜しに行くぞ。」


「行くって言っても上はあの花だらけなんでしょ?またあの苦しいのは嫌だよ。」


確かにベルの言う通りだ。


このまま上に戻ってもそこは花の毒で満ちている状態だ。


再び毒されればもう毒消しはない。


「俺の布を半分使え、これを使えば苦しまなくて済む。」


「そう言うのは先に言ってよ。」


「言う前に勝手に先へ行ったのはお前だろうが。それで、どこであれを見たのか覚えてないのか?」


「必死に逃げ回っていたから。でも、山側にはいってないよ。」


「となると東から来たから南か西だな。」


「岩場だったら西側だね。」


「あの霧さえなければ話は早いんだが・・・。」


毒と同じく霧も晴れる気配はない。


霧がある限り小さな花を探すのは難しいと言えるだろう。


「とりあえず行ってみようよ。」


「そうだな、悩んでいても時間の無駄だ。」


悩むぐらいなら行動に移す。


この原動力こそがレンジの強みだ。


朝食を済ませた二人は崖を上り目標の西側へと足を進める。


やはり山を知っている人間がいると楽だなと、レンジは改めて思った。


それでも目的の物は見つからず時間だけが過ぎていく。


病み上がりのベルにも疲れが見えだした。


ここが限界か。


レンジはそう決断した。


「これで見つからなければ帰るぞ。」


「でも・・・!」


「お前の体はまだ本調子じゃない、無理すれば二度と動けなくなる可能性もあるんだ。」


毒消しは飲んだが毒が全部消えた保証はない。


少しでも残っていれば再び体を蝕む可能性だってある。


もうすこし毒消しを飲み続ければ根治もできるだろうが、それも香草が見つかっての話だ。


「・・・わかった。」


「枯れた可能性だってある、これが俺達の限界だったんだ。」


レンジの言葉にうなだれるベル。


レンジもまた同じ気持ちだった。


また俺は見つけられないのか。


心の中で悔しさをにじませる。


とその時。


突然強い風が二人を吹き飛ばそうと吹き付けた。


咄嗟にベルの体を抱え風がやむのを待つ。


レンジの腕の中で風に耐えていたベルが何かを見つけ、大声を上げた。


「見て!」


強い風の中ベルが指さしたその先には・・・。


霧が吹き飛ばされ、黄色い花が一面に咲き乱れていた。


「あった、あったよ!」


腕の中でベルが歓声を上げる。


まさかこんなに近くにあったなんてどうして気付かなかったんだろうか。


「御隠れが終わったんだね。」


「あぁ、この風が吹くと霧が晴れるのか。」


「うん、これで明日までは山が開くんだ。」


「明日までいるつもりはねぇ、さっさと採って帰るぞ。」


「うん!」


目的の香草は手に入れた、あとは時間との戦いだ。


急ぎ山を下り、商店へと戻る。


「母さんただいま!」


「おかえりベルちゃん、レンジさん。」


商店では眠そうな顔のヘルノが二人を迎えてくれた。


「寝てないのか?」


「いつ帰ってくるかわからないですし、それに心配だったので・・・。」


「俺はすぐここを出る、お前の娘も毒に侵されたあとで弱っているはずだ。ひとまず寝てろ。」


「え、毒!?」


「母さんもう大丈夫だから。」


「抱くのは全部終わってからだ、二人そろって抱いてやる。」


「えぇ!本気だったの?」


「俺に抱けって言ったのはお前だろ?」


「あら、ベルちゃんも大胆ねぇ。」


ニヤニヤすうる母親に慌てる娘。


もしあの時香草がベルの服についていなかったらこの顔を見ることはできなかっただろう。


人は常に死と隣り合わせだ。


それを理解しているからこそ、死なせたくないと思う気持ちが強くなる。


笑顔を見たいと思う女がいる。


それが、疲れたレンジの体を突き動かした。


「それじゃあまたな。」


「ねぇいつ戻って来るの?」


「さぁ、とりあえず約束を果たしてからだ。」


「待っててもいいんだよね?」


「それまでに身体が直っていたらな。」


「うん、毒消しもちゃんと飲むよ。」


恋する乙女の目でレンジを見るベル。


つい昨日まで弓で眉間を狙う間柄だったというのに。


不思議なものだ。


「それじゃあな。」


二人に別れを告げ商店を後にするレンジ。


約束を果たす為、疲れた体に鞭打って重たい一歩を踏み出すのだった。



そして・・・。


レンジが再び村へと戻ると、ちょうど宿の主人が出てくる所だった。


「今戻った、娘の様子はどうだ?」


疲れ果てた顔をした主人はレンジの顔を見るなり大粒の涙を流した。


「・・・娘は・・・死んだ。」


「なんだって!」


「遅かった、何もかも遅かったんだ。昨夜急に苦しみだして、貴方の名前を最後まで呼び続けた・・・。」


「ふざけるな!」


レンジは主人を突き飛ばして家の中に上がり込む。


息を切らして階段を上がりカノンの部屋のドアを勢い良く開けた。


「錬金術師様・・・どうか、どうかこの子の最後の顔を見てあげてくださいませ。」


母親がカノンの側で泣き崩れていた。


ゆっくりと近づいていく。


暗闇の中魔灯照らされた顔は、まるで眠っているようだった。


「いつ死んだ?」


「ついさっき、息を引き取りました。」


「さっきだな?」


「まだ、身体は温かいんです。触ってあげてください。」


この毒は魔物の体を苗床にして成長し、宿主が死ぬとすぐに芽を出し次の寄生先を探す。


だが今のカノンはどうだ?


まだ芽は出ていないじゃないか。


と、いうことはまだ完全に死んだわけじゃない。


レンジは母親の体を押しのけ、この時の為に作り上げた毒消しを口に含んだ。


そして、静かに横たわるカノンに口付けをする。


温かな唇は応えない。


だが、レンジはあきらめなかった。


カノンは死なないと約束したのだ。


レンジはその約束を叶えるためにこうして戻って来た。


事実まだカノンの体は死んでいない。


いや、身体が死んでいたとしても心は死んでいない。


どちらかが生きているのなら、可能性はゼロではないはずだ。


唇を押し当てながら舌で毒消しをカノンの口の中へ押し込む。


本当は飲み込むのが一番だが、口の中まで芽が来ている今ならばそれだけで効果があるはずだ。


「生きろカレン、俺は約束を守ったぞ。次はお前の番じゃないのか?」


唇を放しレンジがカノンに向かって呟く。


母親には、自分の娘の死を悲しんで口づけをしているように見えただろう。


だが、そんな絵にかいたような悲恋はレンジには似合わない。


彼にお似合いなのは、もっと情熱的な物語だ。


レンジの問に答えるようにカノンの体が大きく跳ね上がる。


まるで死者が蘇ったかのようで母親が小さな悲鳴を上げた。


「そうだ、お前はまだ死んじゃいない。戻ってこい、カノン!」


ベルにもしたようにカノンの体を強く抱きしめ、毒消しが効くまでずっと抑え続ける。


ガクガクと震え暴れるカノンの瞳から一筋の涙が流れたのをレンジは見逃さなかった。


それを合図に体の震えがピタリと止む。


「ケホっケホ!」


そして二三回咳をしてカノン口の中から枯れ葉を吐き出した。


「カノン・・・?」


信じられないという顔で母親が名前を呼ぶ。


「何とか間に合ったか。」


「・・・声が聞こえました。」


「あぁ、呼びかけたからな。」


「約束、守ってくださったんですね。」


「お前も守ってくれたようだ。」


「信じてました、絶対に戻って来て下さるって。」


「遅くなったな。」


「いいんです、こうしてレンジ様が来てくださったから。」


カノンの目がゆっくりと開いていく。


その瞳に写ったのは、待ちわびた人の安堵の顔だった。


「指切りしたからな、破ると大変な事になる。」


「名前を呼んでくださったってことは、抱いてくださるんですよね?」


「その為に帰って来たんだ、覚悟しとけよ。」


「はい・・・。」


それだけ言うとカノンは再び目を閉じた。


規則正しい呼吸が聞こえる。


どうやら眠ってしまったようだ。


「あぁ、錬金術様、何とお礼を言えばいいのでしょう。あなた、あなた!」


母親がレンジに感謝の入りを捧げ旦那を呼びに部屋を飛び出す。


部屋に残されたのは男と女。


魔灯の優しい光が壁に二人分の影を描き続ける。


「よく頑張ったな。」


微笑むように眠るカノンにレンジはもう一度唇を重ねるのだった。


その後カノンは、そしてベルたちがどうなったのかは。


それはまた別のお話し。

いかがでしたでしょうか。

後半に行くに連れ分量がドンドンと増え、気付けば三部作ではなく四部作が作れる分量になっていました。

ですが折角三部作で来ているので今作も三部作でと思っていると気付けばこの状況です。

1万4千文字。

お付き合い頂きありがとうございます。


また時間があるときに次の話しを書き溜めておこうと思います。

とりあえずダンジョン商店の10章が始動して余裕が出来てからでしょうか。

またしばらくのお別れです。


ここまでお読み頂きありがとうございました。

よいお年をお迎え下さい。

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