毒消し(前編)
今回も三部作になります。
どうぞお楽しみください。
険しい山道を男が行く。
山道とは言うが道らしいものはなく、荒々しい岩場が男の行く手を阻んでいる。
だが、そんなことはお構いなしに男は歩き続けた。
男がこんな所を歩く理由はただ一つ。
約束を果たすためだ。
最初はこんなところに来る予定ではなかった。
だがどこで間違ったのか、気づけばこんな所を歩いている。
まぁ簡単に言えば迷子というやつだ。
「迷ってねぇ、ちょっと違う道を通ってみたいだけだ。」
時に人は過ちを認めたくないモノである。
彼もまたそういう・・・。
「だから迷ってねぇ。」
そういう事にしておこう。
道なき道をどれぐらい進んだだろうか。
男の顔に少しだけ焦りの表情が見える。
不機嫌そうに腰にぶら下げた袋に手を突っ込むと中をガサゴソと漁り始めた。
まず引っ張り出したのは木製の筒。
中には水が入っていたはずだが、振っても何も音はしない。
どうやら空のようだ。
次に引っ張り出したのは空のフラスコ。
もちろん空だけに何も入っていない。
そのまた次に出てきたのは鉄製の筒だった。
振ると少しだけ音がする。
「お、まだあったか。」
筒のふたを開けると中から爽やかな香りがフッと鼻をくすぐる。
どうやら香茶が入っているようだ。
男はそれを一気に流し込んだ。
「これが最後か、いよいよまずいな。」
男は名残惜しそうに筒を戻し大きくため息をつく。
「まぁ、何とかなるだろう。」
今までも何とかなって来た。
きっと、今回もそうなる。
そんな根拠のない自信だけで男は再び歩き出すのだった。
そもそも、なぜこんなことになったのか。
男の旅は順調だった。
痩身薬は思ったよりも高く売れたし、迷惑料もしっかり手に入れた。
いや、あれは成功報酬というのだろうか。
まさかあんなに効果がるとは思いもしなかった。
絶壁に丘ができた。
それだけでも十分驚きなのだが、その丘は日に日に大きくなっているらしい。
あまりの効果にこれ以上世に出してはならないと男は誓ったぐらいだ。
さすが世界樹の実。
効果は絶大だ。
ともかく、路銀は潤沢にあり久々の自由な旅を男は満喫していた。
その途中の事だった。
陽も暮れだした所で偶然発見した寂れた村で一泊する事を決める。
村唯一の宿はもちろんガラガラで主人は快く男を迎え入れた。
男としては寝床さえ借りれたらそれでよかったのだが、思っていた以上のもてなしを受け上機嫌で宿の主人と話の花を咲かせていた。
おそらくこれがそもそもの始まりなのだろう。
「それじゃあ、お客さんは錬金術師なのか。」
「まぁ一応な。」
「そうか・・・。」
突然主人が難しい顔をして俯いてしまった。
錬金術師を嫌う人間は少なからずいる。
もしかしたら巣人もそういうタイプの人間だったのかもしれない。
そう男が一人で納得していた時だった。
「客人にいきなりこんなことを頼むのは間違っていると思うんだが、うちの娘を見てやってくれないか?不思議な病にかかり手の施しようがないんだ。」
「俺は医者じゃないぞ。」
「わかっている、だがもう頼る当てがないんだ。遠くの街に店に行こうにも娘の体力じゃそこまで持たない。頼む、見てもらえたら今日の宿代はなしでも構わない。」
突然の申し出に男は一瞬悩んだが、あまりに宿の主人が頼むので仕方なくその話を受けることにした。
飯もうまかったし、部屋もなかなかだ。
治さなくても見るだけで宿代がタダになるのならやらない手はないだろう。
「とりあえず見るだけだ。」
「ありがとう!」
「まだ日暮れ過ぎだ、今からでも構わないだろ?」
「もちろん構わないが、いいのかい?」
「どうせ部屋に戻って寝るだけだ、暇つぶしぐらいにはなる。」
娼館があれば久々に楽しもうかとも思ったがこんな村にそのような場所など無い。
長い時間暇を持て余すのであれば何かをしている方が気がまぎれる。
たったそれだけの理由だった。
だが、主人に案内されて娘の部屋の扉を開けた瞬間に男の目が変わった。
「この部屋に入ったのは主人だけか?」
「俺と妻、それと通りかかりの呪術師だけだ。」
「そうか・・・。」
「どうかしたのか?」
「いや、俺の勘違いだろう。」
匂いが違った。
仄かに甘い匂いがする。
それに男は思わず反応してしまったようだ。
「カノン起きているかい?」
「お父様、こんな時間にどうされたんですか?」
「錬金術師様が宿に来られてね、ありがたい事にお前を見てくださるそうだ。」
「まぁ!どうぞ、お入りください。」
部屋はとても暗かった。
外が暗いからではない。
窓には幾重にも布がかけられ外からの光は入ってこない。
男は主人の用意した小さな魔灯の明かりを頼りに横たわる娘のそばまで向かった。
何故ランタンではないのだろうか。
その疑問はそののち確信へと変わる。
「俺はレンジだ、名前は?」
「横になったままで申し訳ありません、カノンと申します。」
「いつから起き上がれないんだ?」
「三日ほど前からでしょうか、うまく体に力が入らなくなりました。」
「すまないが服を脱がせるぞ。」
「その、まだ湯あみをしていなくて・・・。」
「病人が気にするな。」
レンジは躊躇することなく胸元を肌蹴る。
窮屈に押し込められていたふくよかな胸が自重に逆らえず左右に広がった。
この前の絶壁とは比べ物にならないぐらいに大きい。
肌は白く張りがある。
病人だと分かっていながらも思わず息を呑んだ。
歳は20になるかならないかぐらいだろう。
街の娘と違い純粋な目をしている。
こんな村じゃ汚れた世界を知らなくても致し方ない。
異性に胸を見られ恥ずかしがる女性とは対照的にレンジは黙々と診察を続けた。
首元から胸の谷間、そして臍の辺りまでをゆっくりと人差し指でなぞる。
時々指を止め、その部分を軽く叩き再び指を進める。
掌を見て首周りを触り、瞳に魔灯を当て、最後に口の中を覗く。
「やっぱりか。」
娘の乳房が隠れるように服を戻し、一言呟いた。
「何かわかったのか?」
「あぁ、これは病ではない。特殊な毒が原因で体が動かなくなったんだな。」
「毒?」
「体が重たく感じるようになったのはいつからだ?」
「一節前ぐらいでしょうか。」
「その前に森か沼地に行ったりしなかったか?」
「えっと・・・木の実を取りに森へはよく行きます。」
「その時紫色の花を見たんじゃないか?今まで見たこと無い様な棘のある小さな花だ。」
レンジは確信していた。
最初部屋に入った時に嗅いだ甘い匂い。
それと、胸元にあるしこり。
そして最後に口の中で見たモノが疑問を確信へと変えた。
「・・・そう言えば見たような気がします。」
「その花がどうかしたのか?森に行けば花なんていくらでもあるぞ。」
「その花は特別な花でな、魔物の体を苗床にしなければ生きていけないんだ。種は魔物の体を栄養にして成長し、いずれ命を奪う。最後に息絶えた魔物の体から芽を出し花を咲かせて次の獲物を待つんだ。そうやって近づいて来た魔物から魔物に移り変わりながら繁殖する過程で、極稀に人間に寄生することがある。体が動かなくなってきたのは体の中で芽が出て毒が体中に回り出したからだ。寄生されたのが一節前、二節もすれば毒が全身をむしばみ息絶えるだろう。」
「そんなバカな話があるか!」
「別に信じる必要はないさ。だが、胸元にあるしこりに動かなくなった身体、さらに明るさの拒絶。それだけじゃない口の中を見てみろ。」
レンジは魔灯を女の口元へと持っていく。
主人は恐々娘の口の中を覗き込んだ。
「そんな、そんな・・・。」
「お父様どうされたんですか?」
「お前の口の中に芽が出てきている。この花は心臓付近に寄生し少しずつ目を伸ばしていき最後に頭まで行くんだ。最近頭が痛くなったり急に意識が遠のいたりすることはないか?」
「たまにですけど、あります・・・。」
「口にまで来ているという事は頭まで行くのも時間の問題だろう。この部屋に入った時に感じた甘い匂い、それはこいつから出る独特の匂いだ。」
部屋に入った瞬間に感じた匂い。
あまりにも珍しいケースなので一度はあり得ないと思ったが、やはり間違いではなかった。
「どうにかならないのか!?私達の大切な一人娘なんだ!」
「そうはいってもこれが現実だ。こいつの命はもって一節いや二期だろう。」
「村から出る事も無く、世の中の楽しい事も知らずに死んでいくなんて、そんな、そんなむごい話があってたまるか!」
「まぁ落ち着け、治療法がないわけじゃない。」
「本当か!」
「あぁ、師匠が昔同じ症状の客を治療したことがある。その薬を飲めば治すことは可能だろう。」
「その薬をぜひ譲ってくれ!金ならいくらでも出す、頼む!」
主人はレンジの肩に手を置き、ガクガクと身体を揺さぶる。
レンジは主人の手に自分の手を重ね、ゆっくりと手を下ろさせた。
「残念だが俺は持っていない。街に行っても特殊過ぎておいている事はないだろう。」
「なんてことだ・・・やはり娘は・・・。」
床に膝をつきうなだれる主人。
そんな父親の頭を娘は優しく撫でた。
「錬金術師様、その薬はどうすれば手に入るのでしょうか。」
「無ければ作ればいい。幸い作り方は俺の頭の中にあるが、問題は材料だな。」
「近くの森にはないのですか?」
「薬草なら森で手に入るだろうがこの毒消しには特殊な香草が必要になる。それは高い山のしかも岩場にしか生えない特殊な奴で、しかも生息できるのはごくわずかな期間だけだ。それを逃せば1年待つことになる。」
「私は来年までは持たないんですよね?」
「そうだな、まず無理だろう。」
半期も持たないかもしれない。
そう思ったレンジだったが、それは口にしなかった。
目の前で死にゆく娘とそれを嘆く父親にわざわざ言う必要は無い。
「お父様顔を上げてください。何が原因でこうなったのかが分かっただけでもよかったではありませんか。」
「だがお前はもうすぐ死ぬんだぞ!?」
「動かなくなってからそれはわかっていました。でも不思議と怖くないんです、だってお父様とお母様が側にいてくれるんですもの。」
「カノン・・・。」
「ねぇお父様、私死ぬ前に外の話を聞いてみたいんです。錬金術師様から聞かせてもらってもいいでしょうか。」
レンジは驚いた。
まさか女からこんなお願いをされるとは思っていなかったからだ。
「おい。」
「お願いします、ご迷惑なのはわかっていますがどうかお許しいただけませんか?」
「私からもお願いいたします。死ぬ行く娘の最後の願いをどうか聞き届けていただけませんでしょうか。」
「見せてもらうだけという話じゃなかったのか?」
「そこをなんとか。」
「お願いいたします錬金術師様。」
話が違うと睨むも主人はただただ頭を下げるだけだった。
病弱な娘と悲しげな父親の二人に懇願され、レンジは大きくため息をついた。
「その調子じゃ長時間起きていることは無理だろう、お前が寝るまでなら話をしてやる。」
「ありがとうございます!」
「まったく、とんだ宿に泊まったもんだ。」
「明日の朝食はできる限りの物をご準備させていただきます!カノン、無理はするなよ。」
「はい、お父様。」
主人は何度も頭を下げながら静かに部屋を出て行った。
部屋に残されたのは男と女。
魔灯の優しい光が壁に二人分の影を描き続ける。
「それで、何を聞きたいんだ?」
男は娘の服を整えながらぶっきらぼうに尋ねた。
いくら女好きなレンジとはいえ、病床に伏している女に手をかける程飢えているわけではない。
だが、女はそんなレンジの手を弱弱しく掴むと自分の乳房にぐっと押しつけた。
「どういうつもりだ?」
「お父様が言っていました、私の体は男がほっとかないって。」
「まぁこの胸ならそうだろうな。」
「錬金術師様もそう思いますか?」
「レンジだ。」
「では私の事もカノンと・・・。」
「抱けない女に興味はない。」
病人にも容赦はしない。
それがレンジという男だ。
彼にとって女肌はは抱けるか抱けないかの二通りしかない。
そして後者の場合は全くと言っていいほど興味が無くなる。
「それは私が病気だからですか?」
「その通りだ。」
「では、病気でなかったら抱いてくださいますか?」
「そうなる頃にはお前は死んでいるだろう。だがそうだな、病気でないのなら確かにこの体はそそられる。」
そういいながらレンジは押し付けられた手をグッと握った。
胸がレンジの手の形にぐにゃりと変形する。
「あっ・・・。」
その声は快感からかそれとも痛みからか。
そんな事はレンジにとってどうでもよかった。
女の乳房を握っている。
レンジは自分の中に熱いなにかがこみあげて来るのを感じた。
しばらく好きに形を変えていたが、手を離すとそれはすぐに元の形に戻った。
張りのある良い胸だ、これで病気でなかったら。
「私はまだ男の人というのを知りません。この村では出会いもありませんし、そんなことをする暇もありませんでした。もし、レンジ様が私の体を欲しいと思ってくださるのであれば一つお願いしたいことがあります。」
「お願い?さっきも言ったが俺は抱けない女に興味は・・・。」
「私を抱けるようにしてください。錬金術師様にお願いをするのにはお金がかかると聞いた事がありますが、今の私にそんなお金を用意することができません。ですので、お願いを叶えてくださるのなら私自身を差し上げます。」
「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「このままではいずれ私は死んでしまいます。最後ぐらい自分の好きなようにしたいんです。私だって一度くらい男性に抱かれたいと思ったことはあります。」
「好きでもない男にか?」
「私の命を救ってくれた人なら、喜んで抱かれます。」
自分がどういう状況にあるのかわかっていながらこの女はレンジを挑発しているのだ。
自分の体が欲しくないか?
欲しいのなら命を救ってくれと。
そんな女の願いにレンジは少しだけ考えを巡らせた。
どうするべきか。
だがそれも本当に少しだけだ。
レンジは返事とばかりに女の服を荒々しくめくると、乳房の先にある小さな蕾に口をつける。
突然の事に声の出ない女。
だが、すぐにレンジの頭を慈しむように自分の胸に押し付けるのだった。
しばらく女の胸を堪能してレンジは口を離す。
女の顔が赤いのは羞恥からかそれとも快感からか。
そんな女の反応にレンジは満足そうに笑った。
「処女はあまり好きじゃないんだが、お前には負けたよ。」
「じゃあ・・・。」
「この体を抱けないと言われて悔しくない男はいないだろ、そして俺もそんな男の一人ってわけだ。いいだろう聞いてやる。」
「ありがとうございます!」
「ただし条件がある。」
喜ぶ女の口にレンジは人差し指を押し付けた。
その指を両手でしっかりと包み、女はレンジの目をまっすぐに見る。
「私に出来る事でしたら絶対にかなえて見せます。」
「俺が戻って来るまで絶対に死ぬな、わかったなカノン。」
「・・・はい!」
「女の喜びを教えてやるのも男の大切な仕事だ、楽しみにしておけ。」
「お待ちしています、レンジ様が戻って来られるまで絶対に死にません。約束です。」
「約束か、たまにはそういうのもいいかもしれんな。」
カノンの差し出す小指にレンジは自分の小指を絡める。
「「約束を叶えるのなら祝福を、約束を違えるのなら苦しみを、二人の間に信頼の架け橋を。」」
「えへへ、わたし初めて指切りしました。」
「世の中には初めての事だらけだ、そんなものすぐに飽きるだろ。」
「飽きません。」
「そうか。」
「私、絶対に信じています。」
「わかった、わかったからさっさと寝ろ。これだから病人は嫌いなんだ。」
まるで恋する乙女のような目でレンジを見るカノンの服を直しレンジは立ち上がった。
「レンジさん。」
「なんだ?」
「ありがとうございます。」
「その先は生きていたらまた聞いてやるよ。」
それだけ言うとレンジは部屋を後にする。
最初と違い大事な約束をその指に託されて。
とまぁ、そんな感じで約束を交わしお目当ての香草を探しに山までやってきたのがこの調子である。
幸運な事に香草が芽吹く時期はちょうど今と重なっている。
後は何処にあるか探すだけなのだが、最初に話したようにレンジは迷子である。
「だから迷子じゃ・・・。」
突然背後から強い殺気を当てられ、レンジは素早く後ろを振り返った。
はるか前方から高速で何かが飛んでくる。
レンジはそれを避けることもせず右手一本でそれを掴んでみせた。
間一髪だ。
ほんの一瞬判断が遅れていれば、それはレンジの頭を簡単に貫通していただろう。
一本の矢だった。
鋭い鏃に綺麗な羽。
冒険者が使うような安っぽい矢などではない。
丁寧に整備され何度も使われているであろうそれを、レンジは眺めていた。
「こんな山の中で俺を狙うとは良い度胸じゃないか。」
折ってやろうか。
いつものレンジであればすぐにその矢を折り持ち主を探しに行っただろう。
だが今日は違った。
疲れの為かそれとも何か感じる物があったのか、レンジはその矢を袋に入れると素早くその場から離れた。
目の前の岩場を急いで登り切る。
そしてその先に見えたのは。
「やれやれ、やっと一息つけるな。」
山々に囲まれるような小さな村を眼下に見つけ、めずらしく安堵の笑みを浮かべるのだった。
果たしてこの先に待ち受けるものとはいったい・・・。
「勝手に面倒な事期待するなよ。」
誰に言ったかわからないツッコミは強い風にかき消された。
お久しぶりになります。
今回も楽しんでいただければ幸いです。
今回はお馴染みの道具として毒消しを選んでみました。
はてさてどういう旅になるのでしょうか。
どうぞお付き合いください。