エーテル(後編)
大樹の先で二人が見つけるものとは・・・
地平線が少しずつ明るくなる。
何ものにも邪魔されることのないその場所では、昇ってくる太陽の動きが良くわかった。
もうすぐ日が昇る。
明るくなる前に食事の準備を済ませて出発しなければならない。
となれば、やることは一つ。
レンジは火に薪をくべると大きく伸びをした。
「おい、起きろ。」
後ろで寝息を立てる女に向かって声をかける。
反応は無い。
「おい、起きろナージャ。」
名前を呼ぶも返答は無い。
というか身じろぎすらしない。
やれやれとため息をつき次なる一手を考え出す。
「おい、起きろ貧乳女。」
「だれが貧乳ですか!」
レンジの単語にいち早く反応したナージャがガバっと音を立てて体を起こした。
「お前だよ。ほら、さっさと準備しろ。今日中に目的の場所まで行くんだろうが。」
「あと半刻たったら起こしてください。」
再び寝袋に戻るナージャ。
そんな事をレンジが許すはずが無い。
「お前だけ飯抜きな。それとここの片付け全部自分でしろよ。」
「そんな!せめてパンぐらいは食べさせてくださいよぅ。」
「働かないやつに食わせる飯はねぇ。」
「じゃあせめてお肉だけでも。」
「それは昨日たらふく食わせてやっただろうが。」
レンジは昨夜の食事を思い出す。
焼いても焼いても消えていく肉の塊。
それこそレンジのカバンのように何処に入るのかわからない量の肉がナージャの胃の中に消えていった。
結局自分が食べれたのはほんの少しで、満足したり無いナージャを無理やり黙らせる形になった。
物理的な方法で。
昨夜あれだけ食べたというのにまだ肉を所望するナージャの気が知れない。
「あれっぽっちじゃ全然足りませんよ。」
「それだけ食って何で小さいままなのか俺に教えてくれ。」
「魔力を使うのってとってもおなかが空くんですよね。だから食べれる時にしっかり食べておかないと。」
「少しは足りない部分に栄養送ってやれよ。」
何処に、とはあえて言わない。
言えばどうなるかは火を見るより明らかだ。
「なにか仰いました?」
「なんでもねぇよ、さっさと起きろ。」
「・・・着替えるの見ないでくださいね。」
「誰が見るか。」
「ちょっとぐらい見たいって思ってくれてもいいじゃないですかぁぁぁ!」
「マジで飯抜きにすんぞ!」
朝からにぎやかなものである。
朝食後、寝床の撤収を済ませて二人は再びユグドラシルの上方へ向けて進みだしだ。
中層と呼ばれる部分を越えると魔物の襲撃がぐっと増えた。
増えたといっても二人にとっては雑魚同然なので特に苦労するわけではないのだが、常に気を張り続けなければならない分どうしても歩みが遅くなる。
特にナージャは元々の体力も無いのでかなりの疲労が蓄積していった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいレンジさん。」
「待つのは構わないが、その分目的地に着くのは遅くなるぞ。」
「でも、さすがにちょっと、限界です。」
そう言うと道半ばで座り込んでしまった。
「俺一人なら置いていく所だが・・・今回はお前がいないと見つけるものも見つからないからな。」
「そうなんです、私がいないとダメなんです。だから休みましょ?」
「いや、そんな暇はない」
「じゃあおんぶしてください。」
「何でおれがお前を背負って登らないといけないんだよ。」
「じゃないと一歩も動けません。」
「別に歩かなくても結構だ、紐でくくって引っ張れば問題ないだろ。」
「問題大ありです!そこはおとなしく背負ってあげるのが男の人だと思うんですけど!」
完全に押し問答だ。
ああ言えばこう言う。
ナージャも魔術師だけに多少頭は回る。
こうやって話をしながら実は体力を回復している・・・。
「多少頭は回るって何よ!」
いや、そんな頭もないようだ。
「余計なお世話!」
「なんだ疲れて頭までイカレたか?」
「そう思うならおぶってくださいよぉ・・・。」
「ったく仕方ねぇ。」
なんだかんだ言いながらも面倒見のいい男、それがレンジだ。
レンジがしゃがむと、待ってましたと言わんばかりにナージャが背中に乗る。
「・・・思ったよりも重たいな。」
「女性に体重の話をするとかレンジさん最低です。」
「じゃあ降りろ。」
「降りません。」
「なら静かにしてろ、それと襲って来る魔物は全部お前の担当だからな。」
「それはもう大船に乗ったつもりで任せてください。」
ナージャがドンと胸を叩く。
「乗ってるのは俺だがな。」
レンジの小さな呟きは吹き付ける強い風に飛んで行ってしまうのだった。
それから数刻。
ナージャを背負ったままのレンジはペースを落とすことなくユグドラシルを上り続ける。
襲って来る魔物はすべてナージャ任せだが、肉体的疲労がなくなったナージャからしてみれば朝飯前だ。
たった今もナージャの稲妻に魔物が撃ち落とされたところだった。
「その魔術、便利なんだが近くで聞くとうるさいな。」
「できるだけ響かないようにしているつもりなんですけど、すみません。」
「他の魔術じゃダメなのか?」
「炎だとレンジさん火傷しちゃいますよ。」
「氷はどうだ?」
「すみません、使えないんです。」
「土は・・・それも同じか。」
「はい、火と風なら使えるんですけど。」
魔術も万能ではない。
一応極めれば四属性と呼ばれる主要な魔法を使えるようになるのだが、それも全てセンスがあってこそだ。
通常は一属性、優秀な魔術師で二属性が限界と言われている。
ナージャ自身も三属性目に挑戦したことはあるが、習得出来ずにいた。
「俺にはよくわからないが随分と大変なんだな。」
「これはもう生まれ持ったものみたいなものなので仕方ないんです。」
「『エーテル』ってやつがあってもダメなのか?」
「私が読んだ文献によれば、魔力の塊である『エーテル』から力を抽出できれば不可能ではないそうなんですけどそれも仮説にすぎないので実証されたわけではありません。」
「そもそも『エーテル』が何なのかすらわからないんじゃ仕方ないな。」
ここまでの登り続けている二人だが(主に登っているのは一人だ)、探し求めている物の形すらわからない状況だ。
そもそも本当にある保証すらない。
にもかかわらずレンジが登るのをやめないのには理由があるのだが・・・。
「レンジさん、どうしてレンジさんは私の依頼を受けてくださったんですか?」
「言っただろ荷物を取りに行くついでだよ。」
「でもあの家で荷物何て取らなかったじゃないですか。」
確かにその通りだ。
魔物に蹂躙された家で持ち出せるものなんて皆無だ。
仮にあったとしてもそれを探さずにここまで来てしまっている。
レンジの発言には確かに矛盾があった。
「誰もあの家に荷物があるなんて言ってないぞ。」
「確かにそうですけど。」
「俺が取りに来たのはこの先にあるんだよ。」
「わざわざこんなところまで登らないと手に入らない物・・・、まさかレンジさんも『エーテル』を!?」
「いや、俺はそれじゃない。」
「いい加減教えてくださいよぉ。」
「そんなに元気ならもう歩けるだろ、ほらさっさと降りろ。」
ナージャを振り落とすとレンジは大きく伸びをする。
無理やり降ろされたナージャはというと不満たっぷりの目でそれを睨んでいた。
「俺の目的の場所はもうすぐだ。そこにエーテルが無かったらあきらめて帰るぞ。」
「詳しい場所がわからない以上仕方ないです。」
「なんだ随分と聞き分けが良いな。」
「ここまで一緒に来てくれただけでも十分です。あ、依頼料はちゃんとお支払いするので安心してください。」
「迷惑料も忘れるなよ。」
「う、忘れてなかった・・・。」
「当然だろうが。」
銀貨10枚。
日本とかいう国の通貨で換算するのならば10万円ほど。
それを支払えるかはナージャ次第という所か。
「体で分割払いとか、駄目ですかね。」
「俺が抱きたいと思うようになれば考えてやるよ。」
「うぅ、せめて胸がもう少しでもあれば・・・。」
小さなナージャの大きな悩み。
それは胸が小さい事。
胸の大きな女性からしてみれば小さい人が羨ましいと良い、小さい人はその逆になる。
無い物ねだり、隣の芝は青い、言い方は様々だ。
この問題に関しては男であるレンジには全く意味が分からなかった。
レンジが思うのはただ一つ。
抱きたいと思う女かどうかだけだ。
「とりあえずそれは全部終わってからだな、おい行くぞ。」
「銀貨10枚・・・ジーナは持ってなさそうだからサーラなら貸してくれるかなぁ。」
「俺が言うのもなんだが、ジーナの方が持っているぞ。」
「えぇ!あの子すぐにお金使っていつもないない言っているのに!」
「口ではそう言っているが堅実に貯金しているから無いだけだ。サーラは自己投資に使っているから案外ないかもな。」
「どうしてレンジさんがそんなこと知っているんですか?」
「抱いた女の事ぐらい知っていて当然だろ。」
抱いた女をないがしろにしない男。
それがレンジだ。
「うぅ、サーラはともかくジーナまで遠い存在になっちゃった。」
「処女はあまり好みじゃないがあいつはなかなか抱き心地が良かったな。」
「そんな生々しい感想聞きたくありません!」
耳をふさいでしまったナージャを見てレンジは思わず笑ってしまった。
二つ名を持つ魔術師も中身はただの乙女。
少々やり過ぎたかと反省するレンジであった。
「っと、そろそろ目的地だ。」
レンジが立ち止まったその先には巨大な花の蕾がはるか上方から垂れ下がっていた。
一つや二つではない十を超える数の蕾が木々の隙間から垂れ下がり、開花の瞬間を今か今かと待ちわびていた。
「これはユグドラシルの蕾?」
「正確にはユグドラシルに寄生した花の蕾だな。」
「この樹に寄生する花があったなんて初めて知りました!」
「俺の目的はこいつを持って帰る事。だがそれがちょっと厄介なんだ。」
「どうしてですか?」
「見ればわかる。」
レンジはゆっくりと蕾に向かって進んでいく。
身をかがめ、どんな状況にもすぐに対応できるよう神経を研ぎ澄ませて辺りを伺う。
そして蕾に手がかかる距離までくると、腰にぶら下げたカバンから短剣を一本取り出したその時だった。
蕾の周りにぶら下がっていた蔦がレンジめがけて襲いかかる。
それを予知していたレンジは最初の一撃こそ楽に避けるものの、何度も襲い来る蔦の波状攻撃に後退を余儀なくされるのだった。
「と、いうわけだ。近づけば周りに垂れる全ての蔓が襲って来るもんだから俺一人じゃ手が出ないんだよ。」
「それで私を一緒に連れてきたんですね。」
「お前の詠唱ならあの速度にも対応できるし、いざとなれば焼き尽くすこともできるだろ。」
「最初の報酬でどうしてレンジさんが手を上げてくれたのか、理由がやっとわかりました。」
「お前の依頼を手伝っているんだ、俺の方もしっかり頼むぞ。」
「私への依頼料は慰謝料から減額でもちろんいいですよね?」
「上手くいったら考えてやるさ。」
かつてレンジはここまで来たことがあった。
その時もこの蔓に阻まれ目的を達することができなかった。
レンジがここに来た本当の目的。
この蕾の回収こそがナージャの依頼を引き受けた理由だった。
「それで、どうしましょうか。」
「お前の稲妻であの蕾を打ち落とすことは可能か?」
「そんなのお昼ご飯食べながらでもできますよ。」
時刻は昼頃、ちょうど昼飯時だ。
「飯はいいからとりあえずやってくれ。」
「むぅ、後で美味しいご飯期待してますからね。」
「ちゃんとできたら考えてやるよ。」
渋々ながら引き受けたナージャだったが、依頼となれば仕事はきっちりとこなすタイプだ。
レンジのようにゆっくりと前進して、狙撃に最適な場所を探していく。
蕾のぶら下がる蔓だけを狙える場所。
目標を定めたナージャは指先に魔力を集中させ始めた。
稲妻が走り、蔓を打ち抜くさまをイメージする。
具体的にイメージすればするほど魔力は思い通りの力を発揮する。
指先と標的までに一本の線が引かれたその刹那。
迸る魔力が稲妻に変換され、蕾をつけた蔓を打ち抜いた。
「やった!」
落下を始める蕾。
だが、それが地面に落ちるほんの少し前に別の蔓によって絡め取られてしまった。
「何が昼飯前だって?」
「でもでもちゃんと撃ち落としましたよ?」
「撃ち落としても回収できなかったら意味ないだろうが。」
「撃ち落とすだけでいいって言ったのはレンジさんなのに~。」
「いいから次だ。今度は俺も行く。」
回収されてしまうのならばそれよりも先に捕まえればいい。
レンジは先ほど自分が襲われた場所の少し手前まで進み、意識を集中させる。
狙うはレンジの真上になっている蕾。
お互いに何を狙っているかは言わなくても伝わっていた。
「・・・いまだ!」
ナージャに合図したと同時に自分も真上に跳躍する。
それに反応するように蔓がレンジを襲い始めた。
その真上を一本の稲妻が駆け抜けていく。
稲妻に焼き切られた蕾はまっすぐに落下して、下から狙うレンジの手の中へと・・・入る前にレンジを狙う蔓によって回収されてしまった。
「くそ、思ったよりも動きが早いな。」
安全地帯へと下がりレンジが悪態をついた。
タイミングは完ぺきだった。
少しでも早ければすぐに回収されてしまう。
逆に少しでも遅ければレンジが攻撃されてしまっただろう。
その後、何度も挑戦するものの二人は蕾を手に入れることができないでいた。
「うーん、ふぉうすればいいふぇすかねぇ。」
「食べるかしゃべるかどちらかにしろ。」
「ふぁってふぃかんふぉったいないふぁふぁいですか。」
「次しゃべったらおかわり抜きな。」
「んーー、んーーーー!」
レンジの言葉に慌てて飲み込もうとしたナージャだったが今度は喉につっかえて苦しんでいる。
レンジはやれやれと首を振りながら自前の『エーテル』をナージャに向けて差し出した。
「ッケホ、エホ、あーびっくりした。」
「もうちょっと落ち着いて食べたらどうなんだ?」
「だってレンジさんがあんなこと言うから。」
「礼儀作法の問題だろ、そんなんだから男が寄り付かないんだよ。」
「べ、別にそれは関係ないんじゃないですか!」
「食事が汚い女とは一緒に食べたくないと思うがな。」
「私だって普段は綺麗に食べています!」
「俺だったらいいのかよ。」
「レンジさんはほら、私の事気にしてないみたいですし。」
「それで女捨ててたら完全に終わりだな。」
誰の前でも食事は綺麗に。
良い子はマネするんじゃないぞ!
「むぅ、レンジさんが冷たい。」
「別に冷たくないんだが。」
「じゃあ、次で成功したら優しくしてくれますか?」
「どうしてそうなるんだよ。」
「誰しもご褒美があると頑張れるっていいますから。」
「むしろ次で失敗したら後がないんだが。」
あれから何度も挑戦を試みているうちにぶら下がっていた蕾は残すところ2個になってしまった。
回収に失敗した蕾は蔓によって厳重に回収され、手が出ないようになっている。
「あの蔓だけ焼くとかムリだよな。」
「間違いなく一緒に燃えちゃいますね。」
「となると、やはり次で成功させるしかないか。」
残る二つのうち一つは蔓に覆われていた。
まるでそれだけは守り抜くと言わんばかりに、最初の攻撃の時にぐるぐる巻きにされたようだ。
「角度はまぁ何とか狙える位置にあります。問題はレンジさんが取りに行くにはちょっと距離が離れているんですよね。」
「せめて真下に行くまで邪魔されなければ最高なんだが。」
「そこはレンジさんの腕にお任せということで。」
「それでご褒美をよこせとか最低だな。」
「使えるのは誰でも使う、これってレンジさんの十八番でしたよね。」
その通り、使える物は親でも使う。
それが誰であれ結果を出す為には手段を選ばない。
それがレンジという男だ。
「仕方ない、やるだけやるか。」
「真下まで行けば打ち落としますから頑張ってください!」
ナージャに励まされレンジが一歩前に進む。
狙うは最奥の蕾ただ一つ。
そこにたどり着けさえすれば後はナージャが何とかする。
それだけを信じてレンジは走り出した。
最初の数歩は特に反応しなかった蔓だったが、見えない境界線を越えた瞬間、突然レンジに向かって襲い掛かかる。
上から来る蔓は避け、横から襲ってくる蔓は拳で流す。
足を止めれば一発アウトの状況でレンジは走り続けた。
あと3歩。
蕾をしっかりと見据える。
あと2歩。
飛び上がるために歩幅をあわせる。
「いっけぇぇぇ!」
後ろからナージャの叫び声が聞こえてきた。
あと1歩。
思い切り地面を蹴り蕾の真下に向かって跳躍する。
そしてあと0歩。
ナージャの稲妻が蕾を支える蔓を貫き、重力に逆らうことなく真っ直ぐに蕾がレンジへと落下していった。
ここまでは完璧だ。
だが、それを許すまいとレンジに向かっていた蔓が蕾めがけて向きを変える。
このままではさっきと一緒になってしまうだろう。
レンジの伸ばした手が蕾に届く前に蔓が蕾を捉える。
蕾を守る様に蔓でぐるぐる巻きにしてしまった。
だが、ここで終わる二人ではない。
さっきの失敗を糧にナージャは次の手を用意していた。
待ってましたと言わんばかりにナージャの指から稲妻が放たれる。
蕾を捕らえた蔓の根元が二発目の稲妻によってはじけ飛んだ。
その反動で再び軌道を変えつつ落下を始める蕾。
それを狙いすましたかのように跳躍していたレンジが空中で体勢を変え、まるでボレーシュートのように蹴り飛ばした。
腕で届かないなら足を伸ばせばいい。
そんな簡単な考えが咄嗟の判断につながった。
蹴り飛ばされた蕾は綺麗な放物線を描きナージャの胸元へと飛んでいく。
地面に着地しながらレンジは小さくガッツポーズをするのだった。
ちなみに皆さん忘れていると思うが、彼の本職は錬金術師である。
決してサッカー選手でも武闘家でもない。
バリバリ理系の錬金術師、のはずだ。
「やりましたねレンジさん!」
「俺はいいからこのまま蔓を焼き尽くせ!」
「でも・・・。」
「いいから!」
これで終わるようなら苦労はしない。
蕾を返せといわんばかりにその場に生えている蔓がレンジとナージャに襲い掛かった。
全方向から襲い来る蔓はまるで津波のようにもみえる。
「どうなっても知りませんからね!」
襲い来る蔓を前にナージャは冷静だった。
レンジの言葉を信じ、今自分にできる最高の魔法の詠唱を始める。
通常魔術師の詠唱には時間がかかる。
今すぐ打てといわれて早々放てるものではない。
だが、ここにいるのは『音速』の二つ名を持つ魔術師。
レンジがナージャの元に到着するのを待たずにその魔法は完成した。
「燃えよ灰燼に帰すまで!」
レンジとすれ違うように炎の塊が蔦へと放たれる。
ただ燃えるだけではない。
燃えるそばから灰となり、襲い来る蔓は一つ残らず焼き尽くされるのだ。
取り込まれた他の蕾と共に全ての蔓が燃え尽きる。
その場に残ったのはレンジとナージャそして蹴り飛ばした蕾だけとなった。
「相変らず規格外の魔術だな。」
「なんだかレンジさんの『エーテル』を飲んでから調子がいいんですよね。」
「俺の特別製だからな当たり前だ。」
「目的の蕾も手に入りましたし、これでご褒美いただけるんですよね?」
「何がほしいか知らないが俺に出来るものならいいぞ。」
ナージャから蕾を受け取り、大事そうにカバンにしまった。
「じゃあ、胸の大きくなる薬を一つ。」
「あるか馬鹿。」
「うぅ、レンジさんみたいな錬金術師でもダメかぁ。」
「そこまでして胸を大きくしたいのか?」
「当たり前です!これまで何度苦汁を舐めてきたことか。胸さえ、胸さえ大きければ彼は私に振り向いてくれたんです・・・。」
胸の大きさで敗北した過去を持つ女。
彼女の苦悩は計り知れない。
「とりあえず帰ってからだが・・・おいあれを見ろ。」
その場を離れようとしたその時だった。
先ほどナージャが焼き尽くした蔓の山。
その奥に光る塊があるのをレンジは見つけた。
「あれってもしかして!」
ユグドラシルの遥か上方に光る塊アリ、人はソレを『エーテル』とヨブ。
ナージャが読んだ書物の一説。
それと全く同じものが二人の目の前に現れた。
レンジはゆっくりと光の塊へ近づき、恐る恐る塊に指を伸ばす。
指先が少し触れた瞬間まばゆい光が当たり一面に広がり、光が収まった後レンジの手には真っ赤な果実が残されていた。
「・・・これはユグドラシルの実、か。」
「ユグドラシルの実って成木にしか成らないんじゃ。」
「何言ってるんだ?ここが成木に決まってるだろ。」
「えぇ!でも私達が登っているのは幼木のはずですよ。」
「普通に考えてあんな小さな樹がこんな上方まで伸びると思うか?」
「じゃああの地下の道は?」
「幼木の中を通じてと成木をつなぐ地下道だ。」
そう、この樹は聖なる大樹ユグドラシル。
母なる大地を支える世界一高い大樹そのはるか上に二人はいる。
「私、登っちゃいけないって言われている樹に登っちゃった・・・。」
「なんだ魔術師はユグドラシルに登れないのか?」
「登ったら良くない事が起こるってずっと言われてたんです。」
「それは、恐らくこいつを隠す為だな。」
レンジの手に転がっているユグドラシルの実。
これ一つでどれほどの価値があるのか見当もつかない。
「じゃあ誰かが独り占めするために登らないように噂を流したってことですか?」
「もしくはあの蔓に対処できなくて封印したのか、まぁ今となってはどうでもいい。蕾だけじゃなくいい土産ができたな。」
「あの。私はよく知らないんですけどこの実があると何ができるんですか?」
「この実の部分でさっきの『エーテル』よりすごい奴が100本は作れるな。万物の根源たる魔素の塊だ、魔術師なら喉から手が出るほど欲しがるだろうよ。」
実は豊穣、種は繁栄を約束する捨てるところのない果実。
その実力は計り知れない。
「胸が大きくなるなら一本欲しいなぁ・・・。」
「お前まだそれを言うか。」
「だって、万物の根源なんですよね?そんなすごい物なら胸を大きくすることだって簡単そうじゃないですか。」
「そこまで言うなら、まぁ出来なくも無い。」
「本当ですか!」
「絶対じゃないがその効果が出る可能性はある。」
「もしあるならいくらでも出します!」
胸のためになら破産する覚悟がある女。
それがナージャという乙女だ。
「とりあえずは下に降りてからの話だ、下りぐらいは歩けよ。」
「はい!」
先ほどまでの疲れはどこへやら。
元気よく道を戻り始めるナージャをレンジは笑って追いかけるのだった。
その後、彼女の願いが成就したかどうか。
それはまた別のお話し。
「そういえばレンジさんが探してたあの蕾、あれは何だったんですか?」
「あれか?あれは痩身薬の材料だ。」
「えぇぇ!私それ欲しいです!」
「ただし全身がごっそり痩せるから胸と尻も減るぞ。おれからしたら最悪の道具だが、女ってやつはどうしてそんな痩せたがるかね。」
「胸を取るか、細身を取るか、永遠難題ですね。」
誰の為に取りに来たのか。
それもまた、別のお話し。
今回はRPGでおなじみMP回復材エーテルのお話でした。
世界を支える程の大樹ってどういう大きなんでしょうね。
ゲームによって大きさがまちまちですが、私は天を突くドリル、じゃなかった天を突く大きさが好きです。
それではまた別のお話でお会いしましょう。
お読みいただきありがとうございました。