[25]完全フリーズ!!
「お待たせ!」
手早いノックの後、はーいという浅見さんの言葉に控室のドアを半分開けて顔を出したのは井澤さんだった。こんな気遣いも女子力高めの委員長らしい。ボクだったらこんな時、何の前触れもなくドアを全開にして、ラッキースケベという名の顰蹙を思いっきり買っていただろう。香純ちゃん達は例外的にのほほんとした世間ズレした女子だから助かっているけど、ほんっと女の子って面倒くさい。
そんな井澤さんは勝気な笑顔で言う。
「リハ、やりましょう」
機材の準備が終わったのだろう。彼女に連れられ、ボクらはぞろぞろとステージの上に移動した。慣れないステージ衣装でボケっと突っ立ったままのボクらに、委員長は今日のおさらいを語って聞かせる。
「――今日、私達は前座だから演奏するのは3曲だけ。アンプもドラムセットも持ち込み無し、ここのを使わせてもらうから。セッティングも最小限で済ましちゃいましょう」
テキパキと指示する井澤さんの声を上の空で聞きながら、それぞれのベースポジションに立ったボクらは、思い思いにチューニングを始める。ドラムセット前の浅見さんが素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ペダル近すぎ、えー、マジかよー、スナッピーこんなにユルユル? どーすんだよー、ちょ、えー、なにこれ……シンバルの角度も……ねーねー? もち、変えてイイんだよねー?」
「無理のない範囲で調整して」
「わかったー」
ドラムセットは今回、借りる形だ。当然、セッティングは前に使ったドラマーの体格やスタイルに合わせてある訳で、浅見さんには合わないポジション。手早くシンバルのスタンドだけ調整した彼女は、もうこれでイイやって感じで演奏を始めた。
ズドズド、タンタン、シャカシャカ、パーン。潔くスティック2本だけをお供に、軽く調整しただけの浅見さんは、早速ドラムやシンバルを叩き出した。包丁一本だけで世界を渡り歩いて修行する料理人みたいで、無性にカッコいい。ドラマーの特権だ。
「さぁ、他のみんなも。アンプの電源はもう入ってるから。音を出してみて?」
「うわぁ……ちょ、緊張する」
それはボクだけではなく――みんな不安いっぱいの硬い表情で、お互いの顔を窺っている。その中には津島さんも入っていた。彼女でさえ余裕がないのだ。
足元のチューナーのペダルを踏み込みミュート解除。ベースのボリュームを半分くらいまで上げていって――音は出していないけど、キャビネットの辺りの空気のざわつきでアンプの回路が駆動しているのが何となくわかる。巨大な力が何かを待ち構えている予感だ。
覚悟を決め、弦を弾いた。瞬間、猛烈な音圧がこのだだっ広い空間の空気全体を震わせた。白梅会の小部屋や練習スタジオの密閉空間とはまるで違う。こんなの、ビビりまくるしかない。
「ちょっと、えー、こんなどデカい音出るのかよ!? 聞いてないぞ」
「何言ってるの? ほんのちょっと、控えめに音を出しただけじゃない。マスターボリュームだってまだ上げてないわよ。ほら、他の人達もちゃんと音を出して!」
真剣な表情の津島さんがジムダンロップのピックでダダリオの6弦を弾いた。刹那、ストラトキャスターの単音がホールに響く。ボクと同じように、彼女がビビりまくっているのがリアクションだけで良く分かる。思い切りのやたら良い彼女でさえそうなのだから、他の二人も推して知るべし。ちょっと鳴らしただけで固まってしまった。
そんな中、カッコイイフレーズがライブハウス全体を満たした。ランちゃんが手にしたギターのシールドを慣れた様子でジャックイン。そのまま無造作に弾き始めたのだ。
「うわー、なつかしー! マーシャルのスタックアンプ! フルテン! これだよねー!」
彼女の言葉ではたと我に返った。ビビっていても仕方がない。慣れていかないと――いや、こんな風にステージで演奏することを楽しまないと。ランちゃんに促されるように、ベースラインを爪弾き始めた。最初はぎこちなく、でも次第に、ギターとベース、二つのメロディラインとリズムが絡みつき始めた。
こうなっては浅見さんが放っておくはずも無く――ドラムが加わったのに時間はかからなかった。軽快な調子でビートを添え、一気にロックバンドの演奏っぽくなってきた。
次に津島さん、香純ちゃんのキーボードと、アヤメの音も次第に合わさっていく。
ひとしきり楽しみ、緊張も解けてきたところで今日のセットリストに合わせた演奏開始。メインアクトの面々もいつの間にか来ていたみたいで、興味津々覗き込んでいた。
一曲通しで演奏した後、委員長が駆け寄ってきてボクの背後にピタリと身を寄せた。ふぅっと鼻をつくいい香りに、まさか彼女、ボクに気があるとか? なんて束の間の勘違いした後、今更ながら女の子同士のボディタッチの多さを思い出した。
「ねぇ果無さん。もう一度音を出してみて? あ、ヒメサユリの君も何か演奏して」
「え?」
「モニタースピーカーの感じを確かめてみたいの」
何のことは無い、足元にあるモニタースピーカーの音の出方を調べておきたいということだった。
「お、オーケー。こんな感じ?」
「問題ないわね。そうそう、ハウリングが起きたらこっちで何とかするけど、ダメだったらとりあえず動いて。変にペダルを踏んでどうにかしようとは思わないでいいわ。慣れないうちに余計なことをするととっ散らかっちゃうから」
すでにとっ散らかってしまってる気もする。
「それじゃ、もう一度おさらい。私達の持ち曲は3曲。1曲目が終わったら津島さん、あなたがMCを入れてね。簡単なバンド紹介と、ランちゃんの紹介。他のメンバーの紹介は要らないわ。そして、このライブに来てくれてありがとうって感じのお礼を言って、2曲目のタイトルと、私達の曲も聞いて下さいって感じのこと、お願い」
「え、ええ……」
「で、私達のセットリストはカバー曲1つに、オリジナル2曲よ」
「1曲目がカバー曲よね」
「お姉さんたちのファーストアルバムにも入ってる曲だよねー」
「ええ。でも、私達はオリジナル・バージョンのテイクで入るから。間違えないでよ?」
メインアクトのファン向けサービスということで、こういう演出にしている。差し出がましくなく、それでいて自己主張アリという欲張りなやり方だ。
ステージの裏に戻った委員長がゴーサインを出す。浅見さんのフィルインを合図に、今度は3曲つないで演奏。その間、委員長と明野先輩が機材の調整なんかをしていたんだろうけど、そんなことに頭が行くほどの余裕も無かった。
最後に、委員長は全員を呼んでこう語った。
「アドバイスは一つ。難しいこと考えないで。ロックなんだからバカになりきって演奏を楽しんだ方がいいわ。リスナーは音楽よりむしろ、盛り上がりと爆音を愉しんでいる――間違っても、ヘタクソでも、誰も何も気にしない――その程度に思っていた方が気が楽」
まぁ、ありきたりなアドバイスだけど、合唱部の大会で色々と場数を踏んでいる委員長のアドバイスに対しては素直に耳を傾けるべきだろう。
「それじゃ、通しで演奏! 手早くやりましょう」
やることはいつもの練習通り。だけど、本番ではこのだたっぴろいフロアがたくさんの人で埋め尽くされると考えると、ちょっと興奮してくる。ノリノリの津島さんを横目で見ながら、本番もこんな感じですんなり終わればいいなと、漠然と思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後7時きっかり。特にトラブルも無く、開演は予定されていた時間通りだった。超満員。ひしめき合うオーディエンスのざわつきの中、真っ先にステージへと躍り出たのはランちゃんだった。スポットライトを浴びてギターを高々と掲げるランちゃん。会場のざわつきはクライマックスを迎えた。
『出たな幼女!』
『カワイィーッッ』
『誰、あの子?』
『ほら、動画サイトであるじゃん。やたらギターが上手い幼女』
『知ってる、お嬢様学校のJKに混じって演奏してる子でしょ』
『あの子、マジでかわいいよね』
『ああ、あれか。たまに聴くわ。けっこーイイ曲持ってんだよな』
『あれってオリジナル曲だっけ? すんげーキャッチーな曲』
『今日のオープニングアクト?』
『そうみたい』
そんな会話が歓声とコールの合間を縫って耳に飛び込んでくる。思っていた以上に知名度があるようだ。しかも好印象。ブーイングの嵐じゃなくて良かった。続いて他のメンバーもステージへ。スティックを持った浅見さんが手を振りながらドラムセットへと向かい、香純ちゃんとアヤメもそれに続く。緊張で心臓がバクバクする。
ボクも津島さんの後に続いて……って……え? 津島さんの背中、なんか震えている。まるで油が切れたロボットのようにぎこちない歩き方。
まさか……嫌な予感しかしない。
そうこうしつつも全員、ポジションについた。オープニング曲のイントロは津島さんのリードギターで始まる。ボクらは彼女に合わせるだけ。慣れないステージだと緊張して走り過ぎるケースがとても多い。だから最初は津島さんのテンポに合わせて、リズム隊はそれとなく修正するように誘導してちょうだいというのは、委員長の言葉。とにかく最初は全て彼女次第。フロントの一挙手一投足を見逃さないよう、じっと凝視。
じっと凝視。
じっと凝視。
じっと凝視。
じっと…………。
「ちょっと津島さん!?」
始まらない演奏。想定外の事態に動揺が走る。縋るように見つめた浅見さんとのアイコンタクトの末、津島さんの横にいたボクが駆け寄る。間違いなかった。クールで落ち着いた、何事にも動じないはずの我らがアイドル、ヒメサユリの君は完全にフリーズしていた。
「どしたの!」
「み……美彌子さん……」
「機材トラブル?」
「違う……」
「じゃあ」
「あ……頭の中……真っ白」
「ええっ!?」
「ど、どうやって弾くんだったかしら……あれ、キーは? コードは? 最初の音は? 何の曲だったかしら……」
そうだった……クールで落ち着いた、何事にも動じない才色兼備文武両道のヒメサユリの君は想像の産物、単なる偶像、完全にフェイクだということを、今この瞬間、最悪のタイミングで思い出した。津島さんの本質は想像を絶するポンコツ美少女。彼女自身のたゆまぬ努力で完璧美少女を演じているけど、肝心な場面で地金が出てしまう。
ミスるとか走り過ぎるとか以前の問題だった。観客もこの異常事態に気付き始めている感じ。妙な雰囲気が伝わってきた。
涙目の彼女の肩を、ボクは揺さぶる。
「もう何でもいいから! 覚えてる曲、適当に演奏して! こっちは合わせるから」
「無理! 本当に真っ白なの! 全然思いつかないの!」
「うわぁぁぁ……ありがち過ぎるアクシデント」




