[19]リズム感皆無!
ベースギターがこんなに難しいとは思ってもいなかった。
フレットを押さえられないとか指が動かないとか、そういった感じの問題じゃない。むしろそれ以前の根本的な問題。音は出せる。音符も追っかけられる。
だけど――アンサンブルの中で、ボクの演奏だけひたすら浮いているのだ。
自宅練習の時からそうなんじゃないかとは思っていた。思ってはいたけど、それはパート練習だからそう感じるだけで、音合わせをすれば回りに引っ張ってもらって少しはマシになるんじゃないかって――そんな淡い希望を持っていた。
しかし、そんな希望はあっさり打ち砕かれた。この演奏のダメさ具合が想像以上なことを思い知らされる。
とにかくリズムが壊滅的。前ノリとか後ノリとか、それ以前にただひたすら“たどたどしい”演奏。違和感を感じながらひたすら修正を試みるけど、意識すれば意識するほど酷くなる。ますます自信がなくなり萎縮していく一方で、良くなるどころかむしろ悪化していみたい。アンプから出てくるこの酷い音から耳を塞ぎたい。
湧き上がる自己嫌悪と羞恥心などお構いなしに曲は続く。アンプから出てくるこの酷い音から耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいのまま頭の中は空回り状態――泣きたくなってきた。
演奏が終わるのがどんなに待ち遠しかったことか。フリーになってから気になったフレーズをいくつか確認するけど、何度試してみてもやっぱり同じ。しょんぼりと肩を落とすと、津島さんが声をかけてきた。
「どうしたの、美彌子さん?」
「うん……どうにもこうにも、思ったように弾けなくて」
「そうかしら?」
「そうだよ……ね、浅見さん」
「うーん……」
やけっぱちで浅見さんに話を振ると、しばし弱った顔を見せた彼女は、だけど言い辛そうに答える。
「まー、リズム感は人それぞれってねー。いや、ぜんっぜん下手じゃないよー。ただあれかなー、ヴァイヴとかノリとかってゆーやつ? チョッチ弱いかもねー」
見え透いた慰めは時として割れたガラスのように鋭く、いとも簡単に人を傷つける。
「あああっ、中途半端にフォロー入れるのは止めてっ! 下手なら下手ってはっきり言ってよ。リズム感の無さは昔っから認識してたんだから」
「いや、だから下手って訳じゃないって。それにしてもさー。完全無欠の美彌子っちにも苦手ってあるんだねー。そっちのが意外だよー」
言ってくれる。完全無欠だなんて、どっからそのイメージが湧いてくるんだよ。むしろ欠点だらけのどうしようもない人間だって。
「そうだよすっかり忘れてた……リズム感無いんだよ。ほんっとダンスとか大嫌いだったし! そうさボクはのろまでぐずでとろい人間さ……」
自己嫌悪に陥り、ひたすら指先で『の』の字を床に描き続けるボクの背中はよっぽど暗かったのだろう。アヤメがおろおろした声をかけてくるのに、そう時間はかからなかった。
「ああっ姫様! ひょっとしてワタシがパートを奪ってしまったせい!?」
「関係ないって。別に君が気にすることじゃ」
「しかし……やっぱり姫様とワタシ、変わりますか? その方が……」
「いいよ」
「でも……」
「いいって」
「ねーねー、みゃーこー?」
割り込んできたランちゃんの無邪気な声に顔を上げると、おもちゃを欲しそうにしている子供のような目でボクのことをじっと見ている。
「ちょっとだけ。ベースかしてー?」
「え? ……うん」
突然のリクエストに、訳も分からずフライングVベースを手渡す。手渡すというか、立てかけたままのベースのネックを彼女に預けるといった感じ。手渡ししたら華奢で小さいランちゃんは、ベースごと後ろに倒れこんでしまいそうだ。
ランちゃんは明らかに不釣り合いな大きさの楽器に、抱き付くような体勢で身を寄せると、嬉しそうに弦の張り具合を確かめ始めた。
本当にこの子、音楽や楽器が好きなんだ――そう思った瞬間。
圧倒的な音圧が周囲を満たした。彼女の小さくて華奢な指がベース弦を大きく弾く。無造作に見える両手の動き。しかしその指が生み出したメロディとリズムは、瞬く間に心を掴み、容赦なく揺さぶる。この小さな身体の、一体どこからこれだけのエネルギーが生み出されるのだろう? ――そんなことをぼんやりと考えながら、ボクは彼女の演奏に、無心で聞き入った。
衝撃を喰らったのはボクだけじゃない。呆けたような浅見さんの声が漏れる。
「す、すげー……ちょっと何この子……!? このベースライン……カッコ良すぎ」
ネット動画でプロアマ問わずベース演奏の動画はいくつも見た。その中には物凄い数のPVと化け物じみた評価ポイントの動画もあり、世間様が評価するだけあってさすがにスゲェェと度肝を抜かれたものもある。けど、ランちゃんが今、目の前で実演しているのは、そのどの動画でさえ霞んでしまう程の、見たことの無いうねりとド迫力の演奏だった。
気が済んだのだろうか、いつの間にかランちゃんは満面の笑みでボクの前に立っていた。彼女はヨイショとフライングVベースを持ち上げ、ボクに返そうとする。
「みゃーこありがとう。たのしかったぁー!」
「う、うん。ランちゃん、ギターだけじゃなくベースも上手なんだ」
「そりゃそうだよ! ギターだけじゃなくベースだって教えてたんだから!」
いつの間にかランちゃんの前でしゃがんでいる浅見さんが、感心したように尋ねる。
「完璧にスラッピングを極めてるじゃんー、どこで覚えたのさー」
「すらっぴんぐ? なに、それ」
首を捻るランちゃんに、ベースを受け取ったボクがスラップ奏法の真似事をしてみせる。
「あー、それー? かっこいいおとがでるよね。へー、『すらっぴんぐ』ってゆーんだ。はじめてしったー!」
「知らない……い……の?」
「うん!」
「……ねぇ浅見さん?」
「なに美彌子っちー」
「今のランちゃんの演奏、とっても今っぽかったよね」
「うん。多分、最先端行ってると思う」
浅見さんとボクは頷き合う。それは間違いない。だけどランちゃんはポカンとしたまま。
「そんなすごいこと? そうかなぁ……」
「凄い凄い。度肝抜かれた」
「こーゆーの、よきょうとか、あそびでやらないー?」
「遊びって……そんなレベルじゃないって。ほら、ネット動画を見てみてよ」
超絶テクニックが絶賛されている最新の映像をいくつか見せると、さすがのランちゃんも少し驚いたようだ。
「へー、ベースのえんそうって、はでになってるんだねー」
「これなんか狂ったような速弾きだよね」
「ほんとだー。ぼくらのときとは、ぜんぜんちがうー!」
「違うって?」
「ベーシスト、すごいテクニックのひといっぱいいたよ! でも、バンドのアンサンブルがあるからねー、あまりみせないんだー。いまってさ? こういうのやってもいいんだね。びっくりしたよー」
驚きのポイントは予想していたのとちょっと違ったようだけど。この程度の演奏、簡単に真似できるよ程度の余裕が、満面の笑顔にありありと現れていた。
この音楽の神様どんなバケモノなんだ……そう思いながら、ドヤ顔も愛くるしくてたまらない妖精のような姿を漠然と見ていた時。
「そんじゃあ」
ランちゃんは思いがけないことを言い出した。
「みゃーこにベース、おしえるね!」
「え?」
「どんとまかせて!」
「え? え?」
ボクの動揺をよそに、津島さんへと視線を送るランちゃんに了承の意味だろうか、ヒメサユリの君が小さく頷く。
「じょうずになるの、すぐだよ! なにしろ、おしえるのは、ぼくなんだから!」
「すごい自信だね」
「そりゃそうだよ、いったでしょ? ぼくのクリニック、なんねんもさきまで、よやくでいっぱい! それくらい、にんきあったんだしさ!」
「でもそれって、ギターの話でしょ?」
「ううん。ピアノもドラムもベースもおしえてたよ! ルディもそうだよ! ぼくがおしえて、あっというまにじょうずになったんだから!」
「ルディ?」
その後ランちゃんは手取り足取り、理論を交えてベースギターのイロハを教えてくれた。そう言えばギターもベースも、完全に独学だった。目の鱗が取れたというか、今まで自分が基本をおろそかにした、いかに自己流で滅茶苦茶なプレイをしてきたのか、はっきりと思い知らされたという感じだった。
「――はい、今日の活動はそろそろおしまいにしましょうか」
いつもの通り、終わりの合図はリーダーの津島さんの役割だ。そして彼女は続けた。
「美彌子さん、どう? いい感じかしら?」
「とてもいい! さっきまでのボクとは、別人になった気分。いい先生が付くと、こんなにも違うもんなんだ……」
「良かったわ。それじゃぁ、ランちゃんをレンタルするわ」
「ちょっと待った津島さん……ランちゃんをレンタル……って、どゆこと?」
「申し訳ないんだけど、しばらくランちゃんを預かってくれないかしら」
ランちゃんは津島さんと生活している。魔法で召喚されて帰る場所の無いランちゃんに対して、それなりの責任を感じているのだろう、自分で面倒を見ると、津島さんが早々に手を上げた格好だ。諸悪の根源は召喚した当人である津島さんにあるのは明々白々だし、だれも異論を挟まなかった。どんな共同生活なのかあまり詳しくは聞いてないけど、様子を見る限りお互いまんざらでもないらしい。
「ちょっと待った、そんな急な話……」
「悪いわね。今日から親戚の叔母様が泊りにいらっしゃるのよ。ちょっと面倒くさい人で……その人に、ランちゃんのこと知られたくないのよ。それでどうしようか、実は悩んでいたの」
「そうなんだ。でも大丈夫かな、いきなり幼女を連れ込んだりして……どうかなぁアヤメ?」
絶対にこれ、事案ってやつだ。
「姫様が良ければ良いのじゃないでしょうか? 国王陛下や王妃殿下的には恐らくノープロブレムかと」
「うーん。まぁ一応、母さんに聞いてみるけど。で、ランちゃんはいいの?」
「うん、いいよ! みゃーこと一緒、楽しみ!」
「じゃあ、これで決まり。良かったわ……自宅でもランちゃんに教えてもらいなさいな、美彌子さん?」
「まかせて! きっとすぐに、さいこうのプレイヤーになれるよ」
「最高って、誰レベルー?」
横から茶々を入れる浅見さんに、ランちゃんは元気よく答える。
「ボブとおなじくらいかな」
「ボブってどのボブ?」
「ボブ・ディズリー!」
「おいおいー、そいつぁすげーなー」
伝説のベーシストの名をサラッと持ち出すランちゃんのことを、呆れ声と一緒に見つめる浅見さんは、同情交じりの視線をボクに向けた。
「大変だねー。すんごい高いハードルだわー」
「あはは……」
そんなこんなをやりつつ片付けも終わり、ボクらは学校を後にする。
「それじゃよろしくね、美彌子さん、菖蒲さん」
「じゃぁねー、みおー」
「ええ、ランちゃんも。また明日」
「そんじゃ行こっか」
「ううん、こっちー!」
ボクとアヤメとで片手ずつ引かれたランちゃんはしかし、自宅とは反対方向に行こうとしていた。
「そっちって……駅の方じゃん」
「うん! しんかんせん、みにいくー!」
ランちゃんは電車が大好きだった。津島さんによると、毎日のように駅に通い、目を輝かせて飽きもせずずっと眺めているそうだ。そして今日は、ボクやアヤメと一緒に連絡通路の上から新幹線や在来線、貨物列車が通るのを、嬉しそうに目で追っかけている。
「みゃーこー、かたぐるまー」
「はいはい。気を付けてね? 落っこちないでね?」
幼女を肩車するなんて未体験のボクは、おっかなびっくりランちゃんを肩に載せる。そんなボクの心配なんて頭の片隅にも浮かばないであろう彼女は、新幹線が通過するたび、脚をばたばたさせて喜ぶ。幼女サイズにオーダーメイドした白梅女学院のセーラー服のスカートがまくれ、いつパンツがまる出しにならないかと、そっちの心配もしながらボクは彼女が望むまま、新幹線の向かう方向へとあっち向いたりこっち向いたりしていた。
「びゅーん、びゅーん、はしれー、しんかんせんー!」
ボクとアヤメは顔を見合わせ、苦笑いの混ざった笑みを交わす。はしゃぐランちゃんは、思いっきり普通の幼児だった。音楽の神様にはとても見えない。
「ねーねー、みゃーこー」
「何?」
「きいてー! いまねー、しんきょく、つくってるのー!」
「へぇ、どんな曲?」
「しんかんせん の うた!」
「…………」
「ちょうクールでカッコいいんだから!」
ランちゃんをセンターに添え、ランちゃんズが童謡を演奏する姿が頭を駆け巡る。
「あはは……そうなんだ」
「どーしたの、みゃーこ?」
「ちょっと動揺してるところ」
「はい! ワタシも同様です!」
「ねーねー! こんどはNゲージみにいこー?」
「Nゲージ?」
「うん! デパートのおもちゃうりばー」
「Nゲージって、鉄道模型の?」
「うん! もちろん!」
「鉄道模型なんて、今時展示してるところあるんだ。デパートって、メイン通りのあそこかな?」
「そうですね! 確かジオラマが展示してあったはずです」
「ほんとうは、おもちゃうりばなんて、こどもっぽくていやなんだけどさー」
「子供っぽいって……思いっきり幼女じゃん」
「でも、にほんのNゲージってさいこうだよね! みてるだけでうれしくなっちゃう!」
結局、アヤメとボクとランちゃんは連れ立って、幼児の無限に湧き出るエネルギーに圧倒されつつ、ちょっと寂れた老舗デパート7階の特設エリアへと向かった。
Nゲージというのが小さいクセにやたら高価なのを知ったボクは、こんなもんおねだりされませんようにとドギマギしながら、テンションMAXではしゃぐランちゃんを見守っていた。
結局彼女はおねだりすることもなく、ジオラマを見るだけで満足してデパートを後にした。本当は、とても欲しそうにしていたけど、それは口に出さずに。わがままいっぱいに見えるけど、思った以上に良く出来た子だ。
そしてそのまま、真っ直ぐボクの自宅へと帰った。




