[09]布教活動
津島さんは重々しいリフを奏で始めた。
それは70年代の名曲。印象的なリフで始まるその曲は、自動車のコマーシャルで使われたこともある、ヘヴィメタルを代表する曲の一つだった。
ヘヴィメタルと呼ばれる音楽ジャンルの始まりについては諸説ある。だけど、いわゆる今で言うところの『ヘヴィメタル』という様式を確立したのは、その曲が収録されたアルバムだと言われている。ダークで耽美。おどろおどろしくて、でも、とても美しい世界が詰まった一枚。
演奏を始めた津島さんはその曲の歌メロパートをすっ飛ばし、いきなりギターソロに入った。今のメタルと比べると、ずいぶんゆっくりとした演奏。でもそれは、とても情緒のある美しいメロディだった。彼女の流れるような指遣いと軽くかけたディストーションは至高の旋律を紡ぎ、ボクの心に染み渡った。
そしてそれは多分、井澤さんの心にも。
「……綺麗なメロディ」
そう呟いた井澤さんの声に促されるかのように、津島さんは70年代のHR/HMの曲をいくつかメドレーし、演奏の手を止めることなく言った。
「メタルを含めてロックというジャンルは元々、ブルースから始まったとされているわ。ペンタトニックスケールを基調とした、キャッチーで親しみやすい音階。初期のメタルはそれにミクソディリアを加えて、おどろおどろしさを付け加えていったりしたけれども、基本は同じブルーノートなの――」
その間もメロディは続く。ヴィヴラートやトリル、ベンドといった奏法を交え、そんな津島さんの演奏は変化に富んで飽きさせないものだった。そして彼女は問いかけた。
「――井澤さんが好きなのは、クラシック音楽かしら?」
「え? ええ。もちろん今の音楽も聞くけど」
「そう。なら聞くけど、クラシックは昔の音楽かしら?」
「そりゃクラシックって言う位だし……いえ、現代音楽というクラシックのジャンルがあるのは知っているわ。でもあまり一般的では無いわよね?」
「そしてメタルとは違い、クラシックには美しいメロディと、様々な技法や音楽理論に裏付けされた奥深さがある――と?」
「え、ええ……」
しどろもどろとなる委員長。津島さんが何でこんな事を聞いたのか、彼女は見当もつかないはずだ。津島さんはクラシックとロックの話をさらに続けた。
「ロックにクラシック音楽の要素を取り入れたのはプログレッシブ・ロックの人達……例えば、エマーソン・レイク&パーマーが始まりと言われているわね。そして、その流れはプログレに留まらなかった――それでね?」
津島さんは再び足元のペダルを踏んだ。ストラトキャスターは軽くオーヴァードライブとリヴァーヴ、コーラスをかけただけのクリーントーンに変わる。
彼女の演奏も変わった。手にしたピックをピックガードの隙間に挟み、フィンガーピッキングに切り替えた彼女の指が弾くのは、とある楽曲のイントロのフレーズ。それはまるで、宮廷の弦楽器団が厳かに奏でるバロック音楽のメロディだった。
イントロが終わると津島さんの美しい唇が、つややかな歌声を紡ぎ出した。穏やかで、静かで、心にしみる歌声。彼女は弾き語りで、あのメタル・バラードを歌っていた。
「――な、なに!? この綺麗な曲?」
心の底から驚いたような――そんな委員長の声。そりゃそうだろう。ヘヴィメタルを知らない人間からしたら、これがメタルとは信じられない――むしろ真逆の音楽と思うだろう。ボクは無意識のうちに口を開いていた。
「有名なバラード曲のひとつ。ハードロック系のミュージシャンが、口を揃えてヘヴィメタル・バラードの最高峰と言う曲だね」
かなりの個人的主観を交え、津島さんの代わりに応えたボクに井澤さんは目を丸くした。
「え――? これがヘビメタ? まるでバッハやモーツァルトが作曲した室内音楽みたいな、そんな感じがするわ……」
「そう、でもこれもメタルだよ。でね? 津島さんのさっきの言葉の続き。ロックというジャンル全体で、最もクラシックに影響され、そのエッセンスを取り入れたのはヘヴィメタルだと言われているんだ――」
間奏。津島さんの指が流れるようなアルペジオを爪弾く。ドラマチックで、心揺さぶる旋律。井澤さんは既に言葉を忘れ、感傷に惹かれた様子だった。
「――もちろんその形は様々。勝手に『バロックンロール』なんて造語を作っちゃったり、『ヘヴィメタルこそ、現代に甦ったバロック様式の室内音楽そのもの』なんて極端なことを言う人も中にはいるけどね。それでこの曲はさ? メタルの帝王と呼ばれた人が、メンバーと喧嘩して前のバンドを飛び出しちゃった後に、ずっと一緒にやってきた仲間達とのロマンスの終わりを歌ったものだと言われてるんだけど――」
しかしボクの言葉は続かなかった。
津島さんのエレキと、もう一本、生ギターの音が重なったからだ。
音の方に振り返ると、ランちゃんが津島さんの演奏に合わせるように、クラシックギターを爪弾いていた。
その小さな身体から想像もつかない位、明瞭でくっきりとした音が部屋に響き渡る。津島さんもランちゃんの伴奏に気付いたようだ。目をまん丸にしつつも、歌を止めることなく続けている。
二人の演奏は、競い合うように、愛を確かめ合うように。まるで波打ち際の白波のように大きくなり小さくなり、うねりを伴いながら押し寄せる音色。ある時はハモり、またある時はユニゾンで追いかけるランちゃんのギター。その響きは、とても楽しそうだった。
ほどなくしてギターソロ。いや、二人のデュオだった。
津島さんの演奏は、アルバムバージョンにかなり忠実なコピーだったけど、ランちゃんはアルバムともライブ盤とも違うアレンジで音を重ね合わせていた。でも、その演奏は完全に溶け込み、芳しい美しさを放っていた。
それは対位法の技法、もっと言えばフーガ、あるいはカノンの様式を思わせる演奏だった。主旋律は崩さないままテーマとなるメロディを分解し、組み立て、リードする津島さんの演奏を追いかける。そのモチーフは一刻一刻表情を変え、上下する音に厚みを持たせる。
やがて演奏が終わった時、大切なものが手の間からするりと逃げてしまったような、そんな寂しさの錯覚にとらわれた。二人の演奏を、歌を、永遠に聴き続けていたいと思った。
井澤さんの目尻には涙がちょっと滲んでいた。
「素敵だったわ」
言葉はそれだけだったが、そう語る委員長の目には津島さんとランちゃんに対する、言葉にならない尊敬の色が混じっているように感じた。
「――ランちゃん!?」
「みお、ギターとってもじょうず! うたもじょうず!」
津島さんとランちゃんの交わした言葉はこれだけだったが、言葉以上のものを二人は音楽でかわしたはずだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「私、ヘビメタを見直したわ! 素敵な曲もたくさんあるのね!」
「ヘビメタじゃなくて、ヘヴィメタル。あるいはメタルよ」
井澤さんの言葉をしっかり訂正する津島さん。メタラー特有のこだわりらしい。
「少し興味が出てきたかも。メタルって、どんなアルバムがあるの?」
「そうね。やっぱり最初はこのアルバムからかしら。ヘヴィだけどとてもキャッチーで、初心者にもおススメよ。そうそう、さっきの曲もこのアルバムに入っているの」
彼女が差し出したのは、くぐもった部屋で十字架を掲げる赤いマントの男性が写った邪悪なジャケット。それを差し出す津島さんの、そのニヒリとした笑顔をボクは見逃さなかった。
★かいせつ☆
メタルの様式美を確立した元祖ヘビメタなアルバムの話云々につきましてはどうなんでしょう、個人的には『GUN』のファーストアルバム説を取りたいところですが。でも、お話に盛り込むとしたら、やはりエポックメイキングなこちらのアルバムでしょうねぇ。




