裏切り
「デイル様!!」
ヒャド一行の前に現れたのは、早馬。血相を変えたその顔が、何らかの緊急事態を物語っているのは明らかだ。森の入口まで案内してくれたクツナの者も、何事かと驚いている。ヒャド一行が、これから帰国の途につく時であった。早馬の者は、馬を降りデイルの元に駆け寄る。
「ハアハア、お耳を」
デイルはちらりとクツナの者を見る。耳に告げるは、秘密の伝達であろう。辺りを見渡してからデイルは耳を傾ける。
『王様崩御、ザイール様即位にございます』
デイルは目を見開いた。それも一瞬で平静を装う。
「ご苦労。耳を貸せ」
『ラフトとネザリアの動きは?』
伝達兵は頭を横に振る。
『崩御及び即位はまだ内密にございます』
と。
「急ぎ帰国すると伝えよ。勝者なし。森を惑わずに一番に進んだ名誉はヒャド。塔を一番に登る勇気の名誉はミヤビ。姫の一束の髪を得たラフトが姫を与えられた。取り急ぎ結果を伝えてくれ」
早馬は休む間もなく駆け出す。デイルはそれを確認したのち、キールに伝達内容を伝える。キールは眉間にしわを寄せた。
『国境を越えるまで内密に。他国に知られてはまずい』
キールは頷く。デイルは空を見上げた。夜が降りてきている。辺りでは、この競い合いの結末が面白おかしく語られはじめていた。それを耳にしているヒャド一行の表情は晴れない。
『姫様、目覚めたら暴国に。悲劇の姫の物語……』
そんな声が聞こえてくるのだ。デイルは一行の肩をトントンと叩いて回る。
「急ぎ帰国するぞ。国境の馬小屋まで走ってくれ。さあ、名誉を掲げて戻ろう」
と優しく言って。
乗馬しクツナを離れる。空は星が瞬いていた。国境を越え、さらに進んだ辺りだ。
「皆、聞いてくれ。王様が崩御された。我が兄ザイールが即位したと伝達があった。疲れているところすまないが、帰国を急ぐぞ。
なお、崩御及び即位は内密である。ラフトとネザリアに気づかれぬよう、一行とは別ルートで進む。感ずかれてはならない」
深夜に駆ける馬の一行は、ラフトの一行が立ち寄っている町を遠目に過ぎる。サラとユーカリが休憩を申し出た町である。ザラキらは町で一泊したが、その間にデイルらは帰国を急いだ。崩御の情報がラフトに漏れれば、その不安定な情勢につけこまれるかもしれない。軍を掌握するザラキがいなければ、暴君はその刃を制御なく振り回すであろう。ラフトの要はザラキであるのだ。デイルは不安にかられながら帰路を進んだ。その不安は、別な形で帰国したデイルを襲うのだ。デイルは考えも及ばなかった、裏切りで。
***
「デイル様、ご帰還にございます!」
門兵が声をあげる。北方ヒャド国の城門から城の中央へと伝達が回っていく。デイルを先頭に城内に入った一行に、困惑な眼差しが向けられていた。その困惑は、デイルらも持っている。崩御後であるというのに、城内は祝いの様相で飾られている。さらに喪に服す者もおらず、皆着飾っている。即位に対してとしても、ここまで華美であるはおかしいのだ。
「デイル! ご苦労であった」
デイルを呼び捨てにできるは……
「兄上、ただいま帰還しました」
バッと膝を付き、一行は頭を下げた。兄ザイールは顎を擦る。デイルの頭を見下ろすその視線は満足げだ。
「頭を上げよ」
デイルはスッと立ち上がる。
「……」
何と訊けばいいのかと、デイルは考える。
「父上の御身は何処にございましょうか?」
そう訊くにいたった。ザイールはピクリと眉を反応させた。くるりと後ろに返り、天を仰ぐように呟く。
「すでに墓標だ。すまないな、デイル……」
デイルは拳を強く握った。この兄は、デイルに父の最後の御身を見せず事を進めたのだ。わざとらしく天を仰ぎ見るその姿に、デイルは怒りを隠せない。
『デイル様』
キールが小さく呼ぶ。冷静にと言っているのだ。デイルは未だ天を仰ぎ見るザイールに、
「では、墓標はどちらに?」
と訊く。くるりと振り返ったザイールは、大袈裟に顔を手で覆って言った。
「王墓にはまだだ。父上の死は内密であるゆえな。我とて心苦しいが、地下墓にある」
デイルは最大限に眉間のしわを深くした。
『地下墓だと?!』
声には出さなかったが、デイルの表情からして不服があるは明らかだ。しかし、ザイールはそれすらも認めず、さらに哀しみを現すが如く胸の前で拳を叩いて見せる。
「我が未熟ゆえ、このような不甲斐ないことになってしまったのだ」
と。そして、決められたように台詞が参入する。
「王様、そのようなことをおっしゃらずに。ラフトとネザリアに警戒が必要な時です。王様の懸命なご判断でヒャドの民は安全に過ごせているのです」
ザイールの横で、文官が流れるように発言した。あまりの茶番劇に、デイルは言葉が出ない。白けた顔で二人を見る。
「では、地下墓に参りますので」
と、退室を申し出た。が、ザイールは『まあ待て』と引き留める。充分に間を持たせて、ザイールは告げた。
「即位に対して祝いの言葉がないぞ、デイル」
と。デイルは開いた口が塞がらない。
「父上の死が悲しいのはわかるが、今目前にいるは兄である前に王であるのだ」
さらにデイルは言葉を失う。王である前に兄ではないのかと。思わず、ハッと乾いた笑いが溢れた。ザイールはギロリとデイルを睨む。その睨みに、真っ直ぐに見据えデイルは発した。
「兄上! ご即位おめでとうございます! 父上の死よりなんと喜ばしいことでございます」
踵を返す。地下墓へと行くために。
「待て! デイル」
その怒った声を無視し歩む。
「王命であるぞ!」
デイルはピタリと足を止める。王命だからではない。目の前に婚約者が現れた。デイルはその姿に、留まるしかなかった。
「ローザ、よく来たね」
デイルの背後の声はザイール。ザイールがローザを呼ぶ。
「ローザ、いつにも増して今日は綺麗だ」
そう言いながら、デイルの横を通りすぎローザの手を取った。
「今日は我々の婚礼である。デイル、すまないな」
再び対峙したザイールは、誇らしげに、いや見下したようにデイルを見ていた。無言のデイルに対して、饒舌に語り出す。
「デイルが出立して、ローザは悲しんだのだよ。小国と言えど姫だ、その姫を拐って凱旋するであろうデイル。
『一貴族のローザは側妻に格下げになる』
『いやいや、正室姫と側妻の同時婚礼なんて聞いたことはない。ローザは捨てられる』
なんて噂が流れてな」
ニヤニヤとザイールは続ける。芝居じみたそれを。
「時に、父上の崩御だ。我は色々と考えたのだ。
『ならば、我の五番目の妃、正五品の愛妃にならぬかと。王の妃だ』
とね」
気味の悪い笑顔でザイールはデイルを見ている。
「すまないな、デイル。まさか、姫を拐えぬとは思っていなかったのだ!」
高らかにザイールは発した。
「……」
デイルは無言を貫く。まだ、耳にしていないローザの声を聞くまではと。
「何か言うことはないのか?」
ザイールは無言のデイルに問いかけた。その時、コツコツと近づく足音。
「おお! バレットよ」
嬉しそうにザイールは声をあげた。ローザの父バレットが現れる。デイルに一瞥もくれず、王の元へと。
「王様、このような計らいに感謝いたします」
と、華美に装飾された室内を見渡して言った。
「ああ、いいのだよ。喪に服すは心の中だけで。ローザとの婚礼だ、華やかであらねばな。バレット家に恥はかかせんよ」
デイルはドクドクと胸打つ。このヒャドで唯一の味方であった婚約者は、ザイールの側妻を選び、その父はデイルを裏切り、ザイールにすがったのだ。デイルの視線はローザへ。その口から聞かせろと。裏切りの言葉を吐けと。ローザは冷ややかにデイルを見て言った。
「王様、私しこんな晴れやかな日に、瞳を汚してしまいましたわ」
と、ザイールにしなだれた。ザイールはローザとピタリと寄り添い、
「何を言うか、ローザには何の気の淀みもなく、我に仕えればいいのだ。お前の瞳は常に我にあるだろ?」
とデイルに見せつけた。
「フッ、フッハッハッハ……何とお似合いな。お祝い申し上げます! ですが、唯一俺だけは! 心の中だけで喪に服すことはしません! 父上の御身を唯一送れなかった俺だけは!」
デイルはそれから辺りを見渡した。
「許されましょう?」
と睨みを効かせる。
「デイル!!」
ザイールは声を荒げた。それを遮り言い放つ。華美に着飾った者たちへ。
「俺は父上の喪に服したい。お前らは、派手に婚礼を崇めればいいさ。その着飾った服を父上は何と見るだろうな、天上で……」
デイルは天を仰ぎ見る。ザイールと同じ天を仰ぎ見る行為。
「デイル! 貴様! 王を侮辱するか?!」
デイルはずいと前に出た。図体のでかいデイルはザイールを見下ろす。同時にローザもバレットも見下ろす形になった。
「王様、さあ私を侮辱罪で退けてください。さすれば、この茶番劇を下りることができますから」
デイルは、バッと膝をついた。ザイールは歯をキリリと噛む。デイルの言葉通りに退けては面目がたたない。だからといって、この侮辱を無視することもできない。ザイールの視線に、キール以下精鋭隊が映る。ザイールはニヤリと笑った。
「いいだろう、デイル。ここから失せろ! ただし失せるはお前だけだ。精鋭隊は我が指揮下に置く。さっさと失せろ!」
デイルはスッと立ち上がる。悔しさを出したらザイールの思うままだ。デイルは隊に命じる。
「胸を張れ! 森を惑わずに一番に進んだ名誉はお前たちのものだ! か弱き姫に群がって拐うは、誇りなき下衆な行為。我らが大陸一の精鋭である。その精鋭隊は王に仕えるもの!」
デイルはフッと笑った。
「元気でな」
清々とした表情をデイルは見せた。流れるような所作でザイールに一礼し、カツカツとその場を去る。その背にまたも茶番劇。
「おー痛い痛い……王様、このキール、競い合いにて負傷いたしました。ああ、目もヤられているようで、キラキラが目に染みて激痛が……このような体では、王様にお仕えできますまい。おいとまいたします……」
デイルはクックッと笑った。キラキラが目に染みて……とはこの華美な装飾のことであろう。
「あー、酷い主ですなあ。王様、このキール誠心誠意お仕えしたデイル様に、放ったらかしにされております。あー、痛い痛い」
キールはよろよろと立ち上がり、ザイールにふらつきながら一礼した。目を押さえ、腹を押さえと抜かりない茶番劇だ。デイルはフッと息を吐いた。その顔は笑っている。キールの元に戻り、そのよろめきを支えながらザイールに一言告げる。
「この負傷兵も同じく罰を受けるようです、侮辱罪で」
憤怒するザイールに余裕のウィンクを送り、デイルは退室した。
「おもっ」
デイルはキールを投げる。キールは『おっとっ』と言いながらバランスを取った。そのまま屈伸し伸びをする。
「デイル様、おかしいですな。治ったようにございます」
キールはニッシッシと笑った。その頭をゴツンとやったのはデイル。
「茶番劇は飽きた。まったくお前は……あの場で切られても文句は言えない立場だぞ」
王を臣下が侮辱したのだ、捕らえられ、首を切られても反論する者はいない。
「はて、私は侮辱などしましたか? 負傷したので、仕えられぬ体になったと報告しただけですぞ」
まあ、確かにあの言葉のままでは、罪に問われまい。
「いい度胸だよ、ったく」
デイルはもう一度キールの肩を抱く。
「さて、どうする? 我々はもう用済みの身だ。どこぞに隠居でもするか?」
「やめてくださいよぉ」
キールはデイルの腕をぽんと投げる。肩をコキコキ鳴らして呆れたようにデイルを見た。
「あの王にこの国は守れますまいに。デイル様はヒャドを見捨てるおつもりか?」
キールは先程退室した扉を一瞥した。
「行くぞ」
こんな所に用はない。デイルはキールと連れだって歩んだ。向かうは地下墓標である。すれ違う者は、皆ひそひそと困惑し、遠巻きにしている。ヒャドでデイルは孤立無援に陥っていた。その状況で……
「見捨てるもなにも、我々が捨てられたのだ。この状況でどう救える?」
デイルは少しだけ悲しげに言った。
「あの王では……」
キールは言葉を止め、渋い顔になる。
「ラフトはきっと動きましょう、あの王ならばと」
そう続けた。あの王と言わしめるザイール……戦火が近づいた時、ザイールは公言していた。
『我は、次の王ぞ! 戦には出ぬ! 我は、病床の父上に代わり指揮するが役目ぞ』
太子たるザイールが先陣を切り、ヒャド軍を鼓舞しなければならぬ状況で、太子は尻込みしたのだ。
「城にいて、安穏と指揮すれば自分に危害が及ばず、勝ちのみが転がってくるとでも思っているのだろうな。王という立場に溺れているのだ、あの王は」
その時、派手にラッパが吹き鳴らされた。婚礼が始まったのだ。冷ややかな目をしたローザがデイルの頭をかすめた。
「バレット家は、工部の中級役職を代々担ってきたのです。デイル様との縁談で、高望みしたのでしょうな。王妃も夢ではないと」
デイルはフンと鼻を鳴らす。
「思惑が外れたってことか。兄上がクツナに行っていれば、俺が権力を掌握できると思っていたってことだろ?」
キールは頷く。
「デイル様のクツナ行きが決まり、バレットは色々と考えたのでしょうな。そのおりに王様は崩御されました。いよいよ、バレットは行き詰まる。ゆえに、デイル様を手放した。王の妃なら側妻でもいいと。結果を待たずして、あの王にすがったのでしょう」
この裏切りは、バレットの生き残りの最終手段であったのだ。デイルが姫を拐おうが、拐わず戻ってこようが、安泰の地位を手に入れる。
「キール、俺は良かったと思っている。このまま、兄上と対立しながらヒャドを守るより、隠密で動いた方が俺にはあってるし。何より、自由に動けるだろ?」
キールは愉快そうだ。
「窮屈で肩身の狭い城暮らしはおさらばですな。さて、先の王様にご挨拶せねば。私をデイル様付きに任命したのは、先の王様です」
地下墓標にたどり着く。デイルとキールは神妙な面持ちで墓標を眺める。そして、両の膝をつき祈った。
『父上、許してください。ヒャドはどんどん破滅に向かっています。止められぬ無力な俺を許してください』
デイルは自嘲した。本当なら、己の誇りに蓋をしてでもザイールに従うべきである。王が泥水を真水だと言えば、そうであると従うのが忠臣である。ヒャドを守るには、そうやって政治の中枢にいなければならない。そして、裏で暗躍し王を飾りに国を動かしていくのだ……無能な王の時代は。しかし、デイルは真っ直ぐで剛直な性格だ。あの王ザイールは、デイルのその揺るぎない芯を折ってまで仕えるべき王ではない。それを心が許さないのだ。
『父上、俺は……』
デイルは隣のキールを見る。
『父上、許してください。キールすまない。俺は……ヒャドを離れる』
次話更新4/6(木)予定です。
本日多忙につき午後の更新はありません。