目覚めて
馬車はガタゴトと音を出し進む。
「姫は我がラフトがいただいた! さあ道を開けろ!」
勝者とは名乗れない。しかし、姫を手に入れたと言い回れば、自然に勝者はラフトと印象づけることができる。ヒャドやミヤビがどんなに名誉をうたって凱旋しても、姫はいないのだ。既成の事実としてラフトが勝者を手に入れる。しかし、ラフトの一行の面持ちは苦虫を潰したような面持ちだ。イザナの発言がそうさせていた。『名実ともに』の結末ではない。ヒャドやミヤビの者たちは伝えるだろう。一番に進まず、登らずの者が勝者を気取っていると。可哀想な姫は、目覚めて気付くのだと尾ヒレは付き、競い合いの物語は伝えられていく。さぞ面白い物語となろう。民にとって正に極上な嗜好品である。
ガタゴト、ガタゴトと進む。姫はそろそろ目覚める。その時、姫は……
馬車の中、侍女はサラに寄り添う。
「なんか、落ち着かない」
侍女はスカートの裾をパタパタと動かす。手持ちぶさたなのだろう。サラはまだ眠ったままだ。森の入口に移動する際、サラは意識を戻したが、エニシから結末を聞いて一筋の涙を流した。デイルに受け止めてもらったものの、サラの体の負担も大きい。体というよりも心が。
「サラ姫様、到着までお眠りください。道中はユカリが付きます。安心してお眠りください。敵陣まで、鋭気を養ってください」
エニシの言葉にサラは笑った。頬を濡らしながらであるが。そして、眠りについた。そうよ、鋭気を養うのよと心で歌いながら。
***
時はさかのぼる。
ユカリは森から出てきた一行に駆け寄る。
「エニシ! どうなったの?!」
そう問わずにはいられない。しかし、エニシは口に人差し指を当てた。
「静かに。サラ姫様は眠っている」
そう言うと、サラが乗っているかごを指差した。
「どうなった?」
ユカリは小声でエニシに再度問うた。
「勝者はいない。森を惑わずに一番に進んだ名誉をヒャドが、塔を一番に登った勇気の名誉をミヤビが、サラ姫様の一束の髪を掴んだラフトが、姫様を……」
ユカリはエニシ同様に驚く。エニシもイザナから聞いた時に驚いたように。
「ラフトなの?」
ユカリは眉を寄せた。ここクツナにおいても、ラフト政変の事情は伝わっている。力でねじ伏せる王のあのラフトなのかと。
「ああ、だからな」
エニシはニヤリと笑って、ユカリの背後に合図した。
「え?」
ユカリはエニシの配下に囲まれた。
「ちょ! っう」
エニシはユカリの鳩尾に一撃した。ユカリの意識がとぶ。囲まれた一瞬の間で、エニシは事を終える。
「すまないな、皆。イザナ様に怒られてくれ。まあ、俺が一番怒られるんだろうが、その俺がラフトに行っちゃったら無理か」
エニシ以下配下はニヤーリと笑った。
「だいたい、イザナ様はどうかしてるって。大事なユカリを手離すなんてさ。こういうの、やせ我慢って言うんだぜ。だいたいさ、瓜二つの俺がいるっての忘れてんのかな。あのラフトなら俺でしょ」
エニシは饒舌だ。そして、それを皆がうんうんと頷いて聞いている。
「つうわけで、すまないなユカリ。その髪貰うぜ」
気を失っているユカリの髪をエニシはバサリと切った。
「エニシ様、さあ準備しましょう。ラフトの奴らが来ますぜ。ほらほら」
そう言った配下の者は、ユカリの荷物の中からドレスを引っ張り出す。ニヤニヤと笑いながらエニシに付き出した。
「きっと、お似合いですぜ」
エニシはボカンとその配下の頭を叩いてドレスを受け取る。
「ほれ、さっさと髪もしてくれ」
エニシは少し伸ばした髪を一くくりにした。そこに、配下がユカリの髪を付け足した。ドレスを着たエニシは、見事ユカリになる。
「いやあ、俺が言うのもなんだけど、イケてね?」
エニシは笑った。
「ええ、そうっすね」
なぜか皆が無言になる。
「ばーかめ、しんみりするなって。いいか、イザナ様を支えてくれよ。俺はサラ姫様を守る。皆、元気でな。ユカリを頼んだぞ。んで、しこたま怒られろ」
エニシはワッハッハと笑う。
「エニシ様、その姿でワッハッハはないでしょう。うふふっすよ」
エニシは腰をくねらせ、うふふと笑う。皆が顔をひきつらせた。と、その時……
「姫はどこだ!!」
ラフト一行が森から現れた。エニシはサッと前へ出る。
「ザラキ様、こちらにございます」
サラのかごへと案内した。と同時に、皆に合図を送る。エニシの横に二名、他の者は気を失っているユカリを引き連れて森へと入った。
『頼んだぞ』
エニシは皆と視線を交わした。
「さて、姫にご挨拶といきましょうかな」
エニシはかごを少しだけ覗き、サラが眠っていることを確認する。
「ザラキ様、申し訳ありません。サラ姫様は、落下の影響か未だ意識を回復しておりません。お身体に異常はありませんが、休息が必要なようです」
一気にまくし立てた。そして、
「もし、ご挨拶今すぐにとのようでしたら、気付けを使いますが……」
と、二名に指示を出そうとする。
「ふん、まあいい。逃げられぬよう、ラフトまで目覚めねばいいかもな」
ザラキはわざとそう言った。
「では、クツナの国境に馬車を用意しております。そこまでは、この二名がかごを運びます。後続ももうここに来ましょう。すぐに出立いたしますか?」
エニシはちらりと森に視線を移した。微かにざわめきが聞こえる。ミヤビ一行である。
「すぐに出る。お前、名は何という?」
エニシは軽く膝をおり、頭を下げて発する。
「ユーカリと申します」
「言っておく。要らぬことは考えるなよ。姫さんに何かしら吹き込まれようが流されぬように。逃げられはせぬからな」
頭を下げたエニシの頭上に、ザラキは威圧的に放った。エニシは心の中で毒づく。しかし、顔を上げたエニシは『滅相もありません』と怯えるように応えてみせた。
「ユーカリ、さあ案内しろ」
ザラキはエニシの、いやユーカリの背をドンと押す。ユーカリはよろけながら案内を始めた。その横暴さをかご持ちの二人が見ている。心底思ったであろう、エニシがユカリの身代わりになって良かったと。
国境近くに用意された馬車を見て、ザラキは声を上げる。
「何だ、この馬車は? このような荷運びの馬車で姫を連れていくのか?!」
用意された馬車は荷運びの馬車。雨避けのホロのついた一般的な庶民馬車であった。王族貴族が使うきらびやかな馬車とは違うもの。ザラキはギロリとユーカリを睨む。ユーカリは畏まりながら頷く。
「ほお、小国と言っても国の体面もあろうものが、何と貧相な」
ザラキは嘲笑った。配下の兵も隠さず鼻で笑っている。しかし、ユーカリはそんなラフト一行を心の中でほくそ笑む。かご持ちの二人に合図を送った。
「準備を」
と。二人は素早く動く。簡易的につけられたホロを外す。そこに現れたのは光沢のある布に、刺繍が施された気品あるホロであった。唖然とするラフト一行の前で、さらにユーカリは指示を出す。二頭の馬には、見事なまでに豪華な目隠しや鞍、手綱がつけられた。馬の引手台には座り心地のよさそうな座面。質素な様相は消える。そして、ユーカリはホロの入口を開けた。荷馬車の中には、部屋が設えてあった。幾重にもなる薄手もカーテンを開ける。部屋は姫仕様のものだ。
「申し訳ありません。大国ラフトの馬車からすれば見劣りしますでしょうが、クツナの最上級のもので設えました」
ほくそ笑んだのは、これがあったからだ。ユーカリは胸の内で高らかに笑う。現実は申し訳なさそうな態度であるが。
「本当に、庶民馬車であいすみません」
かご持ちもほくそ笑んでいるだろう。そう言いながら、かごを馬車に近づける。ユーカリは最初につけていたホロを広げた。ホロは馬車後部とかごをすっぽり包む。
「サラ姫様を部屋にお運びします。少々お待ちください」
手際よく進んだ行為に、ザラキは口を挟めずにいた。しかし、ここで不信が生まれる。
「おい、姫は本当にいるんだろうな」
と、ホロに入ろうとするユーカリの腕を捕まえた。ユーカリはあえて、「キャ、ィヤッァ」と声を出す。かご運びの二人はうつむき耐えた。
「す、すみません。殿方にそのように……」
とうぶな小娘を演じている。
「ご、ご覧になられますか? 寝姿を殿方に見せぬものと思っておりましたが、ラフトは違うのですか?」
と、ラフト一行の兵士の視線にユーカリは頬を染めながら見つめる。そのユーカリの視線に、兵士らは慌てたように目を伏せた。ザラキはフンと鼻を鳴らせ、ユーカリの腕を解放した。
「後ほど、サラ姫様が意識を回復しましたら、歌っていただきます」
「いいだろう」
ザラキは兵士らの方へと歩いていった。ザラキらも馬の用意がある。ここからまだ少し離れた場所に。ザラキは指示を出している。ユーカリはホッと胸を撫で下ろした。
「エニシ、早くしろよ」
二人が小声で呼び掛けた。
「ああ。一人は外で見張ってくれ」
ユーカリと他一人で、ホロに入る。かごの中ではサラがうっすら瞳を開けていた。
「ユ、カリ?」
「ええ、そうですわ。かごから馬車に移動します」
「え、ええ……」
サラはまだはっきり目覚めていないのか、虚ろである。ユーカリはサッとサラを抱き上げた。これを見せないためのホロでもある。
「ユカリ?」
サラはぽつりと呟いた。
「はい、ユーカリですよ。安心してお休みください。まだ長き道のりです、鋭気を養ってください」
ユーカリは楽しそうに告げた。
***
そうして侍女は馬車の中にいる。着なれないドレスをパタパタさせて。エニシことユーカリは未だ眠る姫の寝顔を眺める。
「疲れてるよな。数日あまり寝てないだろうし。うーん、だけど飯……腹へったな」
と、溢す。ユーカリは考える。飯だけでない。ラフトでどうやって過ごすかと。
「バレたら姫様連れて逃げよう。何とかなるさ」
ユーカリはブルッと震え、
「小便してえ」
とも付け加えた。
馬車はガタゴトと進む。南国から離れたのは肌が感じている。サラは無意識にそれを引っ張った。暖かなマントである。
『姫!』
大きく腕を広げたその顔を、落ちるサラの瞳は焼き付けた。
(こんな結末もいいわね)
そんなことをサラは思っていたのだ。
「……め、さま? 姫、さま? 姫様?」
呼ぶ声にサラは応えるように瞳を開けた。ユカリが目前で何度も呼んでいる。
「ん、ユカリ?」
サラは体にかかるマントを無意識に抱く。肌寒さを感じている。
「良かった、目覚めが遅いのでもう限界でして」
ユカリを見ると、なぜか股をしきりに押さえていた。
「何、してるの?」
「し、小便が」
ここでサラは気づく。おかしいと。
「ちょ、っと待って。……あなた!」
「ひ、姫様、静かに。外に聞こえてしまいますって」
サラは驚いた。
「エニシ、何しているの?」
こそこそと問う。
「決まってますって。姫様の付きの侍女のユーカリです」
「だ、だから、おかしいでしょ。何で……はあ」
サラはここでやっとハッキリと頭が冴え、エニシもといユーカリの行動を推測できた。
「あなた、ユカリに化けたのね」
エニシの思考回路に追い付いたサラは、
「お兄様にも内緒でしょ?」
と呆れた顔で言った。
「えへへ、まあいいじゃないですか。……じゃなくて、小便がしたいんですよ」
ユーカリはもぞもぞ動く。
「もおっ、どうすればいいの?」
「歌ってください。サラ姫様が目覚めたら歌っていただきますと、ザラキ様に伝えてあるんです。そしたら、俺が外に顔を出しますんで」
サラはザラキの名を聞いて、伏し目がちになる。その目がマントを映した。サラは『あっ』と声を出し気づく。
「これ……」
「サラ姫様はそれを離されませんでしたので」
ユーカリは言いながらもぞもぞしている。
「そう……、あっ、歌えばいいのよね」
サラはマントを抱きしめ歌い出す。
『目覚めの歌』
ユーカリはホロから少し顔を出した。歌に気づいたザラキがユーカリに頷く。
「すみません。少し休憩願います」
ユーカリはそう言ったが、ザラキは
「急ぐ道のりだ。そんな暇はない」
と退けた。
「ザラキ様、少々お耳を」
ザラキは眉間にしわを寄せた。一行を止まらせユーカリの元に行く。
「何だ? 遠くラフトまで帰るのだ、のんびりしていられない」
不機嫌そうに言い放った。
『あの、私たちは立って出来ませんので。察してくださいまし。お花積みですわ』
ユーカリはドレスの裾をギュッと掴み、上目使いにザラキを見つめた。お花積みは隠語だ。つまりトイレに行きたいとの。
「わかった。しかしここは何もない山路だ。町まで待て。立っては出来ないか、女は大変だな」
ザラキは察したようだ。
「急ぎ町まで行く。馬車も揺れるぞ。姫に舌を噛まぬよう言っておけ」
ザラキは一行に急ぎ町へ向かうよう命じた。馬車が大きく揺れる。ユーカリは馬車の中に戻り、サラにザラキの言伝てを伝える。サラは舌を噛まぬよう歌を止めた。
「姫様、このドレスで小をするって……俺出来るかな」
そんなことを言うユーカリにサラは笑った。
「フフッ、お兄様には悪いけど、ユーカリで良かったわ」
目覚めて、笑うサラにユーカリは安堵したのだった。
次話更新4/5(水)予定です。




