結末
デイルは崩れていく籠の塔を見ている。ザラキが塔を壊し、フェラールは籠を壊している。当の姫は……
「……歌うものかか。その価値もない存在なのだろうな俺たちは」
姫は、ザラキとフェラールに立ち向かっている。その抗う姿はとても痛々しく、とても正しきありようで、デイルの心を締め付けた。
そして、結末が訪れようとしていた。籠の塔にいち早く登ったのは、フェラール。デイルはホッと息をつき、姫がフェラールの手を掴むのだろうと安心した。しかし、様子は一変する。ザラキも寸の遅れで到着し、一悶着の様相の中、姫の姿があの窓に現れる。
「な、何をしているんだ?!」
デイルは驚く。姫はまだ抗っていた。いや、そうではない。
「勝者などいないわ!」
その言葉の意味にデイルはガツンと頭を叩かれる。思わず駆け出す。
「姫!」
と叫んで。
そして、自身のマントをひるがえす。サラを受け止めようとマントを持った両手を広げた。
イザナはサラの強行に思わず声を失った。まさか、塔から飛び降りるなどとは思いもよらなかったのだ。
「イザナ様!」
先着していたエニシがイザナを呼ぶ。イザナはハッとし、デイルらの元へと駆けていく。
「サラ! サラ!」
デイルの腕に抱かれたサラは意識がない。そして、デイルも苦痛に顔を歪めている。人一人を受け止めたのだ。
「デイル様!」
キールがデイルの様子を診た。デイルの右腕は脱臼しているようだ。
「すみません、姫を」
デイルはイザナにサラを託す。苦痛に耐えながら、サラを渡したデイルはキールによって脱臼を治してもらった。しかし、デイルの体の痛みは脱臼だけではない。全身を強く打ったようなものだ。
「……デイル様」
キールは心配そうにデイルをうかがう。
「大丈夫、だ。っう……肩を貸せ」
デイルはキールの肩を借りて立ち上がった。見上げた籠の塔では、ザラキの鋭いまなざしとフェラールの青ざめた顔。デイルは天を仰ぎ見た。
『追い込んだんだ、俺が』
デイルは悲痛な面持ちだ。
「水を持って来い」
イザナが命令する。しかし、それを遮るように、
「勝者を決めてもらおうか!」
塔から降りてきたザラキが発した。その後ろにはフェラール。各隊の者らもそれが当然だとばかりにイザナを見ている。
「……いいでしょう」
イザナは冷淡な瞳をザラキに返す。サラをエニシに託す。
「森の入口へ。ユカリが待っている。勝者は……」
エニシの耳にイザナは告げた。それを聞いたエニシは驚愕した。信じられないといった表情だ。
「行け!」
イザナの命にエニシは従う。エニシら数名は森へと入っていった。それを見届けたイザナは王子らに向かう。
「さあ、勝者を決めてもらおう」
ザラキはサラの髪をイザナに付き出す。デイルに一睨みして。イザナは告げる。
「勝者などいない」
と。
「な、んだとぉ!」
ザラキは怒声を上げた。
「森を抜け、塔を登り、姫に触れたはこの私だ!」
サラの髪の毛をザラキは投げた。ふわりと風に流れる髪をイザナは苦々しげに見る。
「森を惑わずに進み、あの塔を登る勇気のある者……それが勝者だ!
この中の誰が勝者だというのだ?」
イザナは鼻で笑う。ザラキはさらに憤怒した。その憤怒にもイザナは冷淡に睨むだけ。そして、続ける。
「森を惑わず一番に進んだ名誉は『ヒャド』
塔を一番に登った勇気ある名誉を『ミヤビ』
に与える!
そして、一束の髪を得た『ラフト』に姫を与えよう……煮るなり焼くなり好きにすればいい」
ザラキの顔は今にも噴火しそうな様相である。あまりの怒りに言葉が出てこないのだろう。イザナはフンと鼻を鳴らす。流れるように次の言葉を発した。
「先ほど、サラ姫を連れていった者と同じ顔の女を森の入口に行かせている。唯一姫についていく侍女です。さあ、お膳立てはしました。拐っていけばいい!」
ザラキは歪んだ顔をさらに歪ませ告げる。
「煮るなり焼くなり好きにしていいのだな! アッハッハ、ではお望み通りにしてしんぜよう!」
「ええどうぞ!!」
ザラキの言葉にイザナは被せるように応えた。そして、ニヤリと笑い、ヒャド国の隊とミヤビ国の隊に視線を移す。
「皆さん! この結末を伝えるでしょう?!
一番の名誉を掴んだ争いですからな。ええ、凱旋し伝えてください。自国の一番の名誉と、ラフトが拐った姫をどうするのかを! いや、どうしたのかを。
大陸の民は面白がって伝えていくでしょう。
……三年前、政変によって玉座を手にした王は、か弱き姫の首も全力で折ったと。見境なく力を行使する誇りなき国であると。
自国と肩を並べるべき国か……きっと伝えてくれるでしょう」
勢いよく言葉が紡がれ、そして最後の一文は冷ややかに流れた。ザラキは肩を怒らせ今にもイザナに襲いかかりそうな気配である。しかし、それを配下が止める。ヒャドとミヤビの者らの冷ややかな視線が、ザラキに向けられていた。それを配下が教えたのだ。ザラキはグッフと喉をつまらせた。なんとか自身の怒りを抑えているようだ。
「……姫に一番に触れた名誉をもらって帰ろうぞ」
苦々しげに、ザラキはなんとかイザナに応えた。一束でなく一番と言い変える。否、先ほどの失言を無いものとし、そうしてヒャドとミヤビに大国としての建前を見せたのだ。残忍なラフト……かの国とは距離をおけ。一国の姫であっても首をへし折るぞ。そんなことが流れてしまっては、ラフトは孤立する。故に、ザラキは耐えた。
「か弱き小鳥ゆえ、どうぞ丁重に扱いください、ザラキ殿」
イザナは言い終わると配下に指示を出す。
「ザラキ殿を森の入口へ案内しろ!」
ザラキは悔しげに頭をイザナに下げた。
「失礼する!」
森へとザラキらは消えた。
「さて、フェラール殿もどうぞお帰りください。森の入口までご案内します」
イザナはそう言って促した。フェラールはまだ放心しているようだ。
「あ、はい。……姫はラフトに?」
と、確認する。
「ええ、勝者はおりません。これが各国の体面を保つ唯一の結末と言えましょう。フェラール殿は、塔を一番に登った勇気ある名誉を掲げ凱旋ください」
淀みなく、有無を言わさず、イザナは発する。フェラールは『ああ、そうですなあ』と緩んだ返事を返すのみ。イザナの配下と共にミヤビ一行は森へと消えた。ラフト一行から時間差を持って。そして最後にデイルらヒャド一行である。
「さて、デイル殿。まずは手当てをしましょう。我が本陣へお迎えします」
それに答えたのはキールだ。
「いえ、我らも帰国いたします。お心遣い感謝します」
デイルの前へと庇うように。キールの警戒はもっともなこと。クツナを犠牲にしたデイルを捕らえるのではと危惧しているのだ。
「そう構えないでください。サラを助けていただいたお礼がしたいのです」
イザナは少し眉を下げた。
「キール下がれ。イザナ殿申し訳ありません。お言葉に甘えます」
キールは頷き、体を引く。イザナにも頭を下げた。デイルらはイザナの後を着いていった。デイルは全身を強く打っている。時折苦痛に顔を歪めた。
「デイル殿、もう少しで着きます。今しばらくご辛抱を」
イザナがそう言って間もなくすると、草原の本陣が見えてきた。イザナは警備の者に侍医を来させるように命じる。ヒャドにない大きなテントの中に通される。
侍医の治療の後、イザナとデイルはテントで二人きりとなる。
「こんな結末を望んでいたわけではないのです」
イザナはデイルにそう溢した。
「ええ、俺もです」
デイルもそう返す。
「デイル殿、これを」
イザナが差し出したのは、あの青きイチリンの本。
「サラが最後まで手にしていた本です。森を惑わず一番に進んだ名誉と、この本を持ってお帰りください」
デイルは腰を上げる。イザナから本を受け取った。二人はテントの入口へと歩む。つとデイルは立ち止まった。
「ラフトで……ザラキで良かったのですか?」
と、イザナに問う。最後の機会で……テントを出てしまっては訊けない問いを口にした。訊く資格はない。しかし、ずっとこの結末の惑いをデイルの心が訴えている。
「良くありません。ですが、他にどんな結末を導けましょうか?」
デイルはイザナの視線に無言となる。イザナはそう問うのなら、なぜ登らなかった? と思っているに違いない。デイルは首を横に振る。
「すみません、要らぬことを訊いてしまいました」
と謝った。やはり登らなかったデイルには、そう問う資格はないのだ。
「サラを助けた貴方に託したいと思う気持ちを、これ以上掻き立てないでいただきたい。
せっかく戦を遠ざけたのでしょう。ヒャドが勝者になったら、またも戦の種を掴むことになりましょう。そんなヒャドにサラは渡せません。
……せめて、フェラール殿がサラに先に触れていたらと悔いてなりませんがね」
イザナは弱々しく笑った。デイルはすみませんと返した。クツナはわかっていたのだ。デイルの発信の意図を。
「もうよしましょう。結末は変わりませんから」
イザナはそう言うと、テントの入口を開けた。ヒャドの一行が並んでいる。デイルはテントを出た。
「お気を付けてお帰りください。森の入口までご案内します。必要ないとは思いますがね」
イザナは明るく告げる。デイルは少しびっくりした。思わず、えっ? と声が出る。
「デイル殿、胸の中にお収めください」
イザナは足元の葉を拾い、くるりと回した。デイルは微笑んだ。
「ええ、そうですね」
二人だけにしかわからぬ会話である。惑い葉……デイルとて本当の正体は知らない。しかし、方位を惑わす森の正体は見破っている。
「イザナ殿、もし今度会えるならば、酒でも飲みたいですな」
「デイル殿、もし今度会えるならば、……勝者になってから、ぜひとも」
イザナは強い眼差しでデイルを見送ったのだった。
次話更新本日午後予定です。




