籠の塔②
風がそよぐ。
蔦が揺れる。
塔は静かだ。
デイルの声はサラに届いているだろう。しかし、籠からは何の反応もない。
「デイル様、登らないのですか?」
キールは問う。
「いち早く森は抜けた。後は見届けるだけだ」
デイルは塔を見たまま答えた。その佇まいにキールはため息をつき、背後の隊の者に肩をすくめて見せた。
「一旦休憩だ。仮眠をとれ」
深夜に進行した隊の者らは腰をおろす。皆気を緩めて肩を寄せあった。しかし、デイルは休まない。後は見届けるだけ、とは言ったものの、デイルは籠の塔に思案をめぐらす。
「キール、少し巡回してくる」
デイルはそう言うと、キールの返事も聞かず歩みだした。着いていかぬはずはない。キールはデイルの側近であるから。
「森への警戒二名だ」
キールは隊の者に命令し、すぐさま先を行くデイルの元に走った。
デイルは塔の入口であっただろう場所にたどり着く。レンガで固められたそこに触れた。
「びくともしませんか?」
追い付いたキールは訊いた。
「ああ」
デイルはそう答え、また歩む。石造りの土台をぐるりと一周した。籠の中にいるであろうクツナの姫の気配を探りながら。時折風が蔦を揺らす。元の位置に戻ったデイルとキールを見た隊の者らは、ホッとした表情になった。
「どうした?」
そんな表情を見せる者らにデイルは問うた。
「森の様子が騒がしく……」
言い終わらぬうちに、森のざわめきが風にのり聞こえてきた。
「何かあったようですね」
キールは森の奥に目を凝らした。が、見えるはずもなく。ただざわめきが遠退くのを感じていた。
「七か国が一斉に集うことは出来ないだろうな」
デイルはそう告げ、森へ向いていた意識を再度塔に向けた。その塔の上に、籠の部屋にサラはいる。すでに最初に隊が到着したことは、デイルの声でサラにもわかっていた。
***
窓から遠い位置にサラは身を屈めている。しかし、塔を回る足音に気づく。デイルが塔を巡回している足音だ。
『籠の部屋では人影がすぐにバレてしまうわ。……ううん、バレたっていい。私は拐われるのだから。だけど……』
サラは言い知れぬ不安を感じていた。到着があまりにも早すぎる。
『煙は六つだった。早すぎる……七つめの隊はいつから動いていたの?』
デイルらは深夜に進行している。天読みが出来たからだ。それに……
『惑いの森をなぜこうも早くに抜けられたの?』
不安は増大する。さらに追い込むように、森からざわめきが届く。サラは不安と恐怖の中、本を抱え立ち上がった。唯一開かれている窓へと進む。足元は拙く、それでもサラは窓辺へと歩んだ。窓からは、深い緑が今日も空と対比し鮮やかだ。鳥が飛翔している。遠くに城が見える。その前に広がる市場もいつものように賑やかそうに見える。少し離れた草原には、きっとイザナがいるであろう。一層大きなテントが見える。サラは息を吸い込んだ。知らず知らずに息が止まっていた。ハーッと、薄く開いた唇から息を漏らした。そして、意を決して下へと視線を移す。
重なった瞳。デイルとサラは互いに存在を確認した。
「我が名はデイル! 北方ヒャド国の第二王子だ!」
デイルが名乗った。サラはそれには応えない。デイルに向けていた視線を森へと移した。サラの目に映るは、森の中で暴挙に出ている二つの隊。
『鉢合わせにしたのね、お兄様は』
惑い葉は、クツナの隣国同士を戦わせていた。元々戦の火種があった二か国である。森の中で鉢合わせれば、そうなることは明らかだ。サラの目に素早く移動する惑い葉の正体が見える。
『お兄様、これで二か国は脱落ね』
デイルのことなど見向きもせず、サラは森を見つめている。
『残り五か国にうち、すでに到着が一か国。四か国は……』
「姫!!」
サラの瞳が森を探そうとした時、ひときわ大きく声がかかった。サラは一度瞳を閉じた。ゆっくり開きながら下方デイルに向ける。
「もう一度名のる! ヒャド国王子デイルだ」
少し乱暴になった口調に、サラは冷ややかな視線を向けた。
「惑わずに進み、惑わずに登る勇気のある者のみとしか言葉は交わしません」
サラは言い切った。登らぬ者になど声はかけぬと。
「俺は登らぬ! この競い合いの行く末を見届けるためにきた。俺の発言がどう終わるかを! どう決着するかを!」
サラはギュッと本を掴む。
「俺が大国の戦をここに移した張本人だ!」
ドクン。サラの心が躍動する。しかし、サラはデイルに応えない。登らぬ者になど声はかけぬと宣言したのだ。サラは足に力を入れて大きく呼吸した。その瞳は森を探る。惑い迷った隊が二つ。残るは……
『三か国が残っている。すでに到着がヒャド……後は……』
森を進む隊はどこの国だろうか? そう考えたものの、サラは頭を振る。
『いいえ、どこだっていいわ』
サラは踵を返し籠の部屋に戻る。デイルに一瞥もくれずに。それを憤怒の顔で睨んでいたのはキール以下ヒャドの部隊である。
「デイル様! 登りましょう! あの小生意気な小娘にわからせてやりましょう」
キールはそう鼻息荒く発言した。以下部隊の者も同じ思いなのか、塔に向かって今にも走りそうな勢いだ。
「留まれ。いいか、この塔を登れば女を拐う輩に成り下がるのだ。そう見越して、姫は発言したのだろう。俺が塔の前で言ったことを返したのだ」
デイルは籠の塔を睨み付けて確かに言った。『南国一のさえずりは籠の中……か弱き小鳥に精鋭隊が群がる。……さぞ、見物であろうな』と。
大声で発したデイルの声はサラに届いていた。だからこそサラはあえて言ったのだ。『登ってこい』と。この競い合いの見物になれと。デイルは隊の者らと同様に、心に燻る沸々とした感情をなんとか押さえ込み塔を見つめた。
『籠の塔』
蔦がデイルを誘う。
姫がデイルを挑発する。
惑わずに登る勇気……
見物になる勇気、
失笑される勇気、
女を拐う下衆な輩に成り下がる勇気、
勝国だと名乗る勇気……
か弱き姫を拐うため、大の男が血眼になって競い合い、失笑を受けながら勝国だと名乗る勇気があるのかと、
『籠の塔』は笑っていた。
次話更新本日午後予定です。