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籠の姫  作者: 桃巴


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輿入れ

 朝靄がたつ。


 ラフトよりも濃い朝靄である。ヒャドはこの靄に守られた国だ。クツナが惑いの森で守られた国であるように、ヒャドもまた靄に守られた国である。しかし、靄はヒャドを守るとともに敵も靄に姿を隠せる。


「姫様、そろそろヒャド国です」


 エニシは振り返ってサラに告げる。


「ラフトよりも寒いのね」


 サラはマントの中で身を抱きしめる。


「デイル様のマントは暖かいでしょう? 俺のなんか、こんなペラッペラなのに」


 エニシは愚痴を溢した。サラはフフッと笑う。


「さてと、サラ姫様」


 エニシはばっと跳躍した。サラも同じく跳躍する。針葉樹の木の上に場を移した。


「デイル様から伝言です」


 エニシはデイルから頼まれたことをサラに告げた。


「……と。それから、言いづらいのですが」


 エニシは頭を垂れて大きく息を吐いた。


「何? エニシ、デイル様はそれから何と言ったの?」


 サラはエニシを急かせる。エニシはそーっと顔を上げて、


「元婚約者がいるそうです」


 と消え入りそうな小声で発したのだった。


「……ふーん、ふーん」


 サラは唇を尖らせて靄を睨んだ。


 その靄の向こうにヒャドがある。またたった独りでヒャドに入るのだ。エニシもいるが。いや、もしかしたらエニシは入国できても、入城はできないかもしれない。


「やっぱり空はどんよりしてる」


 サラは見上げて呟いた。


 ヒャドの関門は高くそびえ立っている。関門の前には兵士が十名ほど。関門から連なって兵士が立っている。その数壁沿いに等間隔に見える範囲はずっとである。サラとエニシは靄に隠れそれを確認すると、お互いに頷く。サラは跳躍し木の上に。エニシはサラから離れて走り出した。エニシの配下の軽やかなる者らに指示するためだ。サラは木の上で待機した。数刻経つとエニシが戻ってきた。


「準備ができました」


 ーーガラガラーー


 木の下に馬車が到着する。例の馬車である。ラフトに入ったものと同じで荷台に部屋が設えてある馬車である。サラはストンと地面に着地した。軽やかなる者、サラとエニシの配下の者。惑い葉の正体たちが五名立っている。エニシを含めて六名がサラの輿入れの随行者である。


 本来ならここに、クツナの護衛隊とシンシアら侍女が随行するはずであった。しかし、サラは先行した。シンシアらを巻き込みたくなかったから。クツナの兵士を国外に出したくなかったから。


「姫様、どうぞ」


 エニシが馬車の幌を開ける。荷台の部屋にサラは入った。中で輿入れの衣装に着替える。そうこうしていると……


「ヒャド入国です、姫様」


 外からそう声がかかった。馬車の周りでは六名が並んでいる。先頭のエニシが大きくクツナの旗を構えている。


 ーーガラガラゴトゴトーー


 ヒャドの門番が一行に気づいた。


「止まれえー!」


 エニシは大きく旗を振った後、地面に柄を突き刺す。


「クツナ国、サラ姫様ご到着にございます!」


 エニシ以下五名がバッと片膝を着いた。ヒャドの門番は焦る。何の報告も受けていない。関所をクツナの一行が通過したとの報告は受けていないのだ。使者も先ほど帰国したばかり。クツナの姫だという一行に訝しげな瞳を向けていた。


「しばし待たれよ」


 門番は急ぎ指示を仰ぎに向かった。


『姫様、ちょっと早すぎましたかね?』


 エニシはこそこそと馬車の中にささやく。


『だから、いいのよ』


 サラは含みを持たせて答える。と、そこに門番の声。


「さえずってみよ!」


 門番は無礼にも一国の姫に命じた。ヒャドに輿入れした姫に向かって。エニシらは眉をひそめた。しかし、サラは馬車の中でクスクスと笑い出す。門番にも聞こえるほどに。門番は馬車を睨み付けた。


「さえずらぬなら、お前は姫ではあるまい!」


 幌がぱさりと上がる。エニシはすぐに幌を持ち上げる。だが、サラは降りない。


「つまり、ヒャドにおいても私は小鳥なのですわね。ならば、さえずりましょう!」


 サラの凛とした通る声が関門に響いた。




******




青く晴れた空は胸の中にある

貴方とともに仰いだ空は

いつも青く咲いている


この胸の中でいつも咲いている

それを奪うことはできないわ



何も見えぬ靄の中にいるのは私

独りで見上げる空だって

きっと貴方と繋がっている


この胸の中には貴方がいるわ

それを奪うことはできないわ




******




 馬車は関門を通過する。サラ入国の許可はさえずりからしばらく経っておりた。そしてサラたちは今、関門を通った。


『この感覚……あのときと同じだわ』


 ラフトに入ったときと同じように、ヒャドの兵士らは馬車に対して侮蔑している。


『民も同じなのかしら?』


 サラはブルッと体が震えた。ギュッとマントを抱きしめる。


 ヒャドは関門から縦に長い国である。三方の関門は常に厳重な警備であり、侵入は容易ではない。そのヒャドに攻め入ろうとラフトやネザリアはしていたのだ。つい最近の出来事である。


 サラはラフトにいた頃を思い出していた。


『今頃離宮でユカリは淑女教育かしら?』


 と、その様子を思い浮かべサラは笑んだのだった。


 ーーガタゴトガタゴトーー


 馬車はまだ進む。やがて、賑わいが聞こえてくる。城下町に近くなったのだろう。


 ーーガタゴトガタゴトーー


 あんなに賑わいのあった音は、まったく聞こえない。サラが町に入ってからだ。


『何か……息苦しいわ』


 静けさがサラに不安をもたらす。町の気配はサラを迎えようとするものを感じなく、だからといって、ラフトのような侮蔑や非礼はない。何か……おかしい。幌を開けられないサラは、外の異様な気配を感じながら、浅くなった呼吸を正すように大きく深呼吸した。


 そして、さえずる。言葉のないハミングを。重苦しい雰囲気を払うように。サラの美しいハミングが、町の空気を少しだけ変えた。ラフトの王やザラキを癒したように、ここヒャドでもサラは皆の心を癒す。


 サラやエニシらはこの重苦しい空気が何であるのかはわからない。ただ、サラのハミングで町の重苦しい気配が緩和されたことに、サラは優しい微笑みを幌の中で浮かべたのだった。


 ヒソヒソ


 ヒソヒソ


『おかわいそうに……デイル様がさられてからヒャドは変わってしまった。王があのような方では……』


 町の影からはそうささやかれていた。城門の前、馬車は止まる。


「降りろ!」


 ヒャドの兵士から命じられ、サラは小さくため息を吐いた。エニシは命じられたことへの不満を顔には出さず、ただ淡々と幌越しにサラに伝える。


「サラ姫様、城に着きました。ベールをお願いします」


 サラは幌の中でベールを下ろす。


「できたわ」


 伝えると、エニシがゆっくり幌を上げた。


「……行きましょう」


 サラは馬車を降り、ヒャドの城を見上げた。クツナやラフトとは違う造りである。天に突き上げるような円すいの城だ。別塔はなく大きなその存在があるだけ。しかし、それよりもさらに険しく圧するように存在するもの。


「あれが……」


 氷の岩山。サラはデイルから聞いていた氷山を眺める。圧巻のその存在にしばし感嘆する。


「さっさとしろ!」


 その気持ちを破るように、ヒャドの兵士が声を荒げた。サラは淑やかに膝を少しおり一礼する。ヒャドの兵士はフンッと鼻であしらい視線を門に向ける。着いてこいと言わんばかりに。サラは一歩を踏み出した。それに続いてエニシら六人が連なる。


 しかし、


 ーーガシャンーー


「ここからは姫だけである。お前らはあっちだ」


 兵士が指差したのは、馬小屋だ。エニシはグッと唇を噛みしめる。


「エニシ、独りで行くわ」


 サラはそう言った。エニシが小さく頷く。サラが踵を返す。その背にエニシはハッと何かを気づき、


「侍女のユーカリが遅れて参ります!」


 そう叫んだ。サラはピタリと止まる。二三度瞬きをした。そして、兵士に向く。


「侍女も入城はできませんか? その……いろいろと女性にはありますので。急ぎヒャドに参りましたので、婚儀品と侍女は後から来るのですが」


 口をわざと濁す。


「許可がおりてからだ」


 兵士の一存では決められないのであろう。しかし、輿入れの侍女まで入城の許可が要るとは、何と厳重なことか。サラは辟易しながらも、


「そうですか。侍女が着くまでに許可をお願いします」


 さらりと言って、歩んだ。その突き上げる城に向かって。




***




 頂きの部屋、王間。


 突き刺さる視線もものともせず、サラは先を行く兵士を追い抜かんばかりにツカツカと進む。ラフトの時と同じように、玉座の前で兵士が剣を十字にふさいだ。


「……」


 サラは無言で玉座の者を見る。蔑んだ瞳のその者は、デイルの兄ザイールであろう。サラはプイッと横を向き挨拶もしない。しびれを切らしたのか、クツナに来た使者がサラに一喝した。


「ご挨拶せぬか!!」


 と。


 サラはベールの中で口元を尖らせる。全く淑女らしからぬ行いだ。ベール越しからも見えるその行いに、王間の者はサラを見下すように見ている。


『はしたないわ、やはり蛮国の姫ね』


 扇を口元にあてた貴婦人たちがヒソヒソと声に出した。その者たちは、ザイールの愛妃たちである。サラを、サラという新顔を一目見ようと王間で手ぐすねひいて待っていたのだろう。サラはその者らに一瞥もくれなかった。


 ただひと言……


「王様はどちらにおいでですか?」


 と、玉座に向かって吠えたのだ。


「今、何と申した?!」


 ザイールが声を荒げた。側近の者が慌ててザイールをいさめる。しかし、ザイールは全く聞く耳を持たない。


「父上クツナ王より親書を託されました! 王様は何処でございましょう?! 私しが最初にご挨拶するのは、ヒャドの王にございます!」


 サラは声を響かせた。王間はしーんと静まる。


「……フッハッハッハッハ!! 目の前の頂が見えぬのか?」


 ザイールは皆が止めるのも聞かず、サラへと進む。そして、サラのベールをはぎ取った。サラは怯まない。キッとザイールを睨み付ける。


「小生意気な目だ。屈伏させるのが楽しみだ。よく聞け! 王はこの私だ!」

「クツナにヒャドの王の崩御の報せはないわ! あなた、父王より座を奪ったの?!」


 サラは間髪入れずザイールに言い放った。ザイールはハッとし、喉をグッと詰まらせる。


「王様は体調不良のため、ザイール王子様がヒャドの全権を担っておられます。ヒャドの頂は、すでにザイール王子様……いえ、ザイール王となりましょう!」


 そう発したのは、あのバレットである。愛妃ローザの父であり、兵部から今や宰相に成り上がったバレットは、ザイールを援護するように声を張り上げた。


 しかし、サラも黙ってはいない。


「代行の王になど親書は渡せないわ! 父上クツナ王からは、ヒャドの王様にと託されたのですから」


 サラの発言にザイールの怒りが頂点に達する。サラの手首を掴むと、


「このうるさい鳥を檻に……いや、私の寝室に閉じ込めよ! 今宵はこの鳥を飼い慣らせようぞ!」


 王子とは思えぬ素行である。いや、国を背負う者とは思えぬ器のなさ。サラは締め上げられた手首を大きく振り払った。体がフラりとよろめく。


 ーードンッーー


 サラの背を押す兵士ら。床に伏せる形となったサラに、ヒャドの者らは蔑みの失笑を与えた。


「さっさと立て!」


 サラは兵士らに連行されて王間を出ていく。愛妃たちが、サラを睨み付けている。今宵、ザイールは愛妃の所には行かないのだから。


 王間には、サラの真っ白のベールが落ちている。今のヒャドは、そこだけが真っ白であるように。

次話更新本日午後予定です。

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