新たなる
「……でよ、姫さんが歌ったんだ。不吉なお子は生きてるって歌をさ」
語り部はそこで皆を見渡す。皆は固唾を飲んで語り部の話に耳を傾けている。
「暴君は飛び起きた! 真相を確かめに籠の塔に向かう……」
キールはその語りを離れた所から見ている。
「ああも毎日同じ話が出来るものですか? いや、聞けるものなのですか?」
キールは酒をグビッと飲んだ。
「ははっ、皆が待ち望んだ結末だからね。それに奇跡の青き瞬きですし、皆が熱狂するのも仕方ないでしょう」
レミドが酒に酔ったキールの肩をポンポンと叩いた。
「……行かれたらどうです?」
レミドはキールに優しく微笑んだ。キールはその視線に目を反らす。
「大人気ないですよ、キール。さっさとデイル様の所に行きなさい」
レミドはポンポンと叩いた手をコツンとさせた。
「……」
キールはブスッとした顔で頭を撫でる。
「側近が近くにいないとは、デイル様も心もとないでしょうな」
キールはレミドをチラリと見るも、また酒に手を伸ばした。レミドはサッと酒を取り上げる。
「ヒャド、ラフト、ネザリアはこのまま安泰ではいられますまい。いや、問題はヒャドです。デイル様のお力がきっと必要になりましょう」
キールとてわかっている。ヒャドが安泰でいるにはデイルが必要であると。あのザイールでは、ヒャドは成り立たない。
「しかし、デイル様はクツナに行かれた。ヒャドには戻らないおつもりで」
酒もなく、キールはその手を埋めるものがなくなって、ただ項垂れている。
「いずれ王の崩御が知れわたりましょう。ラフトもネザリアももうヒャドを敵視していません。しかし」
レミドは小声で話す。
「しかし、ヒャドは……ザイール様が王となったヒャドは、隣国を恐れ剣を振り回すでしょう」
「だから、私はヒャドに戻らないのです。そんなヒャドの臣下にはなりたくない」
ここはネザリアである。ラフトで、デイルにヒャドのことを頼まれたにもかかわらず、キールはヒャドには戻らなかった。レミドとともにネザリアに足を踏み入れた。
「ヒャドには戻りたくないのです。デイル様のいないヒャドには……」
「だから、デイル様の所に行きなさい」
「行ったって、ヒャドには戻られないはず」
「それはどうかな?」
レミドとは違う声にキールは声の主を捜す。
「ソラド様」
レミドがソラドの姿を確認すると、一礼し一歩下がった。キールは立ち上がる。しかし、フラりと体がふらついた。
「座っておれ。レミドや、わしにも一杯くれんかの?」
レミドははいと答え、酒を貰いに行った。
「ずいぶんと酔っておるな」
座ってもなお、体がふらつくキールにソラドはホッホッホと笑っている。
「酔わずには毎日を過ごせませんので」
キールはズズッと鼻をすすった。
「ホッホッホ、ずいぶんと惚れておるのだな、デイル様を」
ソラドはニコニコとキールに発した。キールはブスッとしたままだ。
「さて、ここ数日天が示された。頂が変わるとな」
キールは眉をひそめる。
「どういうことです?」
「おっ、さっきまでの木偶の坊が一気に去ったのお」
キールはすでに酔いを彼方へと葬った。頂が変わる……つまり、国の頂が変わるということ。
「すでにヒャドは頂が変わっておりますが?」
キールはそう言って、唇を噛んだ。
「それはすでに読んでいる」
ソラドとキールらが出会った時に、ソラドは読んでいたことだ。そこにレミドが酒を持って戻ってきた。その隣には見慣れぬ者。
「ソラド様」
その者がソラドに耳打ちをした。ソラドの表情ががらりと変わる。ソラドには珍しく険しくなった。
「キールや、すぐにデイル様の所へ。ヒャドの使者よりも早く行かねばならん!」
ソラドはレミドから酒を奪うと一気に飲み干した。そして、有無を言わさず行くぞと席を立った。キールやレミドも慌てて席を立つ。
「何があったのです?」
キールは歩きながら、いや小走りになりながらソラドに問うた。
「レミド、馬を調達せよ。国境で待ち合わせるぞ。お前は、ネザリア王に。キール来い」
ソラドは矢継ぎ早にレミドと先程の者に告げると、小走りから走り出す。その歳に似つかわしくないほどに早い。
「噂が、いや奇跡が事を引き寄せたのじゃろうて。ふんっ、いつの世もおるのじゃな。無能な王は」
ソラドはそう吐き捨てた。
「ザイール様のことですか?」
キールの発言にソラドは頷く。
「最後の孝行じゃ、わしもクツナに行こう。ヒャドの現王ザイールは、クツナに使者を出した。『天の声を手にいれたヒャドに、姫を寄越せ』とな」
キールは、怒気をはらんだ顔に変化した。
「『王の妃として姫を迎えよう。ヒャドの王子デイルが姫を連れてくるように』だそうだ」
「っざけんなぁぁ!」
キールは思わず叫んだ。ザイールはサラの奇跡の話を聞き、その名誉をヒャドが掴もうと、いやデイルから奪おうとクツナに使者を送ったのだ。
『姫を拐った者が勝国である』
最初の競い合いでのルールである。ザイールはサラの奇跡を聞き、デイルが姫を追ったのを聞き、その名誉をヒャドのものにしようと画策したのだろう。それは、北方の覇権をヒャドが手にいれたと示す、そうザイールは描いたようだ。ラフトから姫を拐ったのは、ヒャドである! と。ザイールの虚栄心がそうさせたのだ。デイルから奪ってやるとも。王の命令に逆らえぬと。ザイールはふんでいた。
「ラフトにネザリアの者を仕込ませたように、ヒャドにも潜入させているのだ。その者からの報せだ。すでに使者は出発しているじゃろう。寝ずに走るぞ」
キールはソラドに従った。レミドが馬を準備する間に、クツナ行きの準備をした。ソラドの顔で、準備にはそう時間がかからなかった。馬にまたがる。
「行くぞ!」
ソラドとキールは闇に向かって駆け出したのだった。
ヒャドで燻っていた火種がもう一度クツナに飛び火した。優しい時間を過ごしているサラやデイルは、まだ知らない。
『双頭の牙がやはり噛み合うのか?』
ソラドは駆けながら、思いを馳せる。
「ソラド様!」
背後のレミドである。
「なんじゃ?」
駆けるのは止めない。
「私はシェード様の所へ向かいます!」
「おおっ! そうじゃ! それはよい考えじゃ。キールとわしはクツナ。レミドは神官シェードと……巫女リザの所へ。再度落ち合うは、例の宿だ」
レミドの馬が離れていく。キールは、気を付けてと声をかけた。レミドは軽く手を上げ応えた。
「キール、飛ばすぞ」
「はっ」
もう一度事が起こるのだ。キールは酒を飲んだくれていたちょっと前の自分を羨んだ。飲んだくれていた方が幸せなのだ。事が起こることは、デイルを苦しませるのだから。
『だが、望んでもいた』
キールは自嘲する。デイルはきっと決着をつけるだろう。サラ姫との穏やかな時間を奪うのは自分である。いや、ザイールが火を放ったが、それを望んでいたのだ。
『結局、デイル様に重荷を背負わせるのだな、俺は』
キールは心の矛盾を押し込める。次第に明ける空が、キールの願望と自責の念を心の奥底に追いやったのだった。
次話更新本日午後予定です。




