一輪
エニシらは、イザナへの報告を出した後にサラを追った。クツナに向かう幾つかの道のうち、一番人気のない道を行く。大陸を突っ切るのが一番早い道である。ザラキがサラをラフトに連れてきた道だ。しかし、その道は大街道であり、サラがそこを通るには関所が難関となる。サラは、数日かかる山野を回る道を選ぶはずだ。いや、そう計画を変更したのはサラである。エニシからシェードらの話を聞いたときに。
エニシはのんびりと行く。先には行かれてしまったが、行き先がわかっているのだから。さらに、エニシらを追い抜かし、ザラキが馬に乗って駆けていったのを見ている。
「あのデッカイ王子は、サラ姫様を捕まえられると思うか?」
皆はそれぞれにあーでもない、こーでもないと、最終的には賭けになる。意見が分かれるかと思いきや、皆がサラのお転婆ぶりを知っているので、王子は降参するだろうと予測する。で、皆がじっとエニシを見た。無言の圧力である。
「ちぇっ、わかったって。じゃあ、俺はデッカイ王子に賭けるさ!」
悔しそうに言ったエニシだが、心の中でニヤリと笑った。
***
目覚めるとまた夕暮れの刻となっていた。サラはムクッと起き上がる。まだエニシらは来ていない。
「まあ……せっかくの料理が冷めちゃったじゃない。全く、皆たるんでるわ。やっぱり私がクツナにいなくちゃだめなのよ」
サラはブツブツ言いながら立ちあがり、料理を作り直す。またテーブルに並べ、『よし!』と言った。
「行きますか!」
サラはまたも進む。今度はエニシも知らぬ場所へ。小屋を出る。空を見上げると、夜寸前の空が広がっていた。いくつかの瞬きも見える。ここは、天を仰ぐには良い場所だ。サラは手を伸ばした。広げた手の指の間に星が瞬く。
「綺麗な青い星だわ」
きらきら光る青い星がサラに微笑んでいた。
サラはある場所に向かっている。クツナに向かう前に寄ってみたい場所がある。西に進む。そう決めていた。
「荒野に咲く一輪」
『本当にあるのかしら?』
沸き上がる好奇心を解放する。外の世界をしばし味わうのだ。
☆☆☆
荒野に咲く青き一輪。
その青き薔薇を目にした者は、心奪われると云う。
イチリン姫のような、
青き薔薇。
☆☆☆
あの本の最初の一文である。何もない荒野に現れる青い薔薇。イチリン姫のような青い薔薇。西方の荒れた地に荒野がある。サラは見てみたいと思った。足どり軽くでなく、強い意思をもって進むのだ。
遠くにミヤビが見える。闇の時間なのに、ミヤビはいつだって灯火を消さない。サラは優しく微笑んだ。
「夜空の星と変わらないわ。大国であろうと、小国であろうと、この地を瞬かせるには小さな存在。だけど、小さいのにその存在がないと夜空は虚しいものだもの」
声は闇夜に消える。人気の全くない荒野が広がる。
「……怖くないわ!」
つまり怖いらしい。サラは声を出して勇気をふりしぼる。そんな時にいつも心に沸き起こる青の奇跡。サラはイチリン姫を心に描く。貴女ならどうする? 貴女なら……
「行くわ」
サラは一歩を踏み出した。荒れた地面を踏む度に、乾いた土が舞い上がる。サラは一輪を目指した。どこにあるかはわからない。ただ真っ直ぐに歩んだ。ミヤビを背後に真っ直ぐと。迷わぬように真っ直ぐに。心に青い薔薇を描いて。
***
エニシらが小屋に到着した時には、もうサラは発った後である。
「いない……」
皆が『どうする?』と顔に出す。心配ではなく、テーブルに並べられた食事をするか、サラを捜すかのどうするである。
「ちょっと散歩に行ってるんだろ。飯にしようぜ」
エニシはどかっと座り食べはじめた。皆も顔を明るくしエニシに続く。腹が減っていたから。皆が和気あいあいと食べるなか、エニシだけは深刻な顔である。そして、誰よりも早く食事を終えると、
「俺もちょっと散歩に行く。出発は明日にする。ゆっくり休んでてくれ」
できるだけ明るく言って小屋を出た。小屋からはいつもと変わらぬ仲間の楽しげな声が聞こえる。エニシはホッとした。そして、辺りを見渡す。
「ちっ」
エニシは手がかりを探す。まずは足跡。その足跡が向かった先に目を凝らした。
「何もない方に行ったのか? まさかな。……クツナに単独で向かった?」
エニシは小屋周辺を歩いた。見つかる痕跡はやはり何もない方にある。
「マジかよ」
エニシは大きくため息をついた。
「っとに、お転婆も程々にしてほしいって」
エニシは頭をガシガシと掻き、フッと思い立った。ニヤーリと笑う。
「やっぱり賭けは俺の勝ち」
そう言って、エニシはサラが向かった方角とは違う方へと走っていった。
***
真っ暗な惑いの森の入り口に到着してしまった。デイルはどうしたものかと思案する。
「どこかで追い抜かしたか、違う道であったか? まさかもう到着しているはずもない」
いくら先に向かったとはいえ、サラが馬より早く到着しているはずはない。デイルは馬を回転させて、もと来た道に目を凝らした。
「参ったな」
呟いて夜空を見上げた。空を見上げるとき、なぜ人は空っぽになるのだろう。青き空であっても、瞬く星の夜であっても、見上げると、世界が空と自分しか存在しないのではないかと。虚無の空っぽではない。だからと言って充たされるわけでもない。洗い流されるという表現のしっくりこない。デイルはしばし夜空を見上げていた。
「……誰だ?」
空と自分の世界に別の気配を感じデイルは顔を戻した。ストンとどこからか現れる者。デイルは警戒する。
「お前は……」
対峙したその顔に見覚えがあった。
……
……
遠くの灯火をデイルもまた笑んで眺めた。デイルはフェラールを思い出した。
「華のような雅な男に、揚羽蝶は翔んでいくだろうか?」
デイルはフッと笑った。
「では、私はここで」
軽やかなる者はニヤリと笑っている。
「待て、馬を頼む」
デイルは軽やかなる者エニシに馬を託した。エニシは馬を撫でる。そうである、エニシが向かったのはデイルの所だ。デイルを見つけ出し、サラの向かった場所へと案内したのだ。
「お二人をクツナで、いえ、惑いの森の入り口でお待ちしています。どうかお気をつけください。姫様をお願い致します」
「ああ、わかった。ありがとう」
デイルはエニシの背を見送り、荒野に足を踏み入れる。乾いた土が舞った。
見上げる。デイルはまた夜空を見上げた。
「……」
空っぽではなく、その瞳は気づいた。デイルははじめて天を読めた。背負った袋に中からそれを出して、掲げた。
「ならば、キザな台詞を言わねばな」
それに宣言する。デイルは真っ直ぐに進み出した。それを持って。
***
サラはポスンと地面に腰を下ろした。
「やっぱりないのかしら?」
大きく息を吐く。それから勢いよく両足を投げ出した。だけでなく、サラは背も地面につけ、両手を広げて寝そべった。大の字になり夜空を瞳に映している。
「気持ちいい」
暑くもなく寒くもなく、ここがなぜ荒野であるのか? こんな素敵な場所であるのに。サラは心の中で思っている。
自分と空だけの世界。
手を伸ばした先には瞬く星たち。
「天は何と言ってるのかしら?」
星たちを眺めて呟く。
ゆっくり
ゆっくり
瞳を閉じた。
「……」
デイルは一瞬固まった。
目前に大の字で寝ている者がいる。まさか、自分が追っている姫であろうか? あの大の字の者が? 思わずデイルはクックックと笑った。こんな姫がいるのか? と。その声に反応して、サラはバッと起き上がった。勢いよく立ちあがり、声の主を確認した。
「ヒャッ」
大きな影にサラは短い悲鳴をあげる。数歩後退り警戒する。
「……」
「……」
月明かりがゆっくりと二人を照らしていく。
「あなたは……」
「荒野に咲く一輪ですね」
「え?」
デイルはザッと一歩踏み出した。サラは反射的に一歩下がる。
「……俺が怖いですか?」
デイルの声が少しだけ下がる。その声色にサラは胸が締め付けられた。なぜだろう、そうは思われたくないと。
「いいえ! いいえ、違いますわ。ただ、ただ……なぜここにいるのですか?」
サラは口に手をあてる。何かとても繋がりのない言葉を紡いだようで、恥ずかしく感じて。
「一輪を捜してここに来ました」
デイルがそう言ってまた一歩踏み出す。サラは体がビクンと反応したが、後退りはしなかった。しかし、すぐに後悔する。一歩、一歩デイルはサラに近づいてくる。
『どうしよう……』
サラの胸がトクトクと主張しだす。
「やっぱり怖いですか?」
サラに大きな影が重なった。サラは上目遣いにデイルを見上げる。
「あ、あの」
「はい?」
「えっと、あ! 一輪! 一輪を探しているのですか?」
サラはデイルの発した言葉を問うた。サラも一輪を目指してここにいるのだから。
「はい、一輪を捜してここに来ました。……心を奪われました」
サラは少し考えて答えにたどり着く。
「えーー! 見つけたのですか?! どこにどこにあるのです?」
サラが勢いよくデイルに詰め寄る。デイルはサラの勢いに思わず一歩下がった。そのデイルの反応に気づき、サラは『あっ』と小さく声を出すと顔を伏した。
「すみません。淑やかな者でなくて。私、全然駄目で、っ」
サラはなぜか涙が溢れた。どうしてなのかわからない。デイルが後退ったことがなぜこんなに悲しいのだろう?……と。
「姫、ご無礼お許しを」
サラの体が包まれる。
サラは固まった。
涙もひく。
デイルの胸がサラの目前にある。
パチパチと瞬きをした。
「姫、二度目です。こうして抱きしめるのは」
サラの体温が上昇する。言葉で聞くと、この状況が恥ずかしい。
「一度目は、塔から身を投げた姫を受け止めた。二度目は、今です。姫を追いかけてここまで来ました」
サラはビックリした。自分を追っていたなんてと。
「なぜです?」
やっと声を出せた。トクトクと主張していた胸は、ドクドクと大きく打っている。
「誓わせていただけませんか?」
ふわりと包まれていたサラの体は、デイルの力強い腕に引き込まれる。密着した体が熱をもつ。
「見せ物になるつもりで、ラフトに潜入したんです。今度こそ、貴女を拐おうと」
サラの頭にデイルの息がかかる。
「拐ってヒャドに連れて行くのですか?」
サラはデイルの胸を押す。デイルの腕から逃れようと。デイルはそれに従った。サラの伸ばした腕の距離で二人は立っている。しかし、サラは顔を伏したままだ。
「そんなに名誉がほしいですか?」
非難の声……いや、悲しみを伴っている。
「いいえ、ほしいのは貴女です。一輪の青き奇跡の貴女です」
デイルは云うや否や、サラの腕を掴み自身に引き寄せた。その行為にサラは咄嗟に抗う。逃れようとするもデイルの腕はサラを包んで離さない。
「なぜです? なぜ?! こんなこと!」
サラはデイルの言葉が耳に入っていない。デイルの腕の中で、ドンドンとデイルの胸を叩く。デイルはそれでも離さない。
「荒野に咲く青き一輪。
その青き薔薇を目にした者は、心奪われると云う。
イチリン姫のような、
青き薔薇」
デイルは暴れるサラに囁いた。サラの動きが止まる。
「なぜ、貴方がそれを知っているのです? ううん、待って……一輪を知ってるのはなぜです?」
サラは顔を上げた。そこには、優しく微笑んだデイルがいる。サラの顔が熱くなる。なぜか、わからない。サラは視線を横にずらした。デイルはサラの体をソッと解き、背の袋から何かを取り出した。それをサラに向ける。
「え?」
『青の奇跡』である。サラはゆっくりと手を伸ばした。表紙には、籠の塔で見た時と同じ一輪が咲いていた。
次話更新本日午後予定です。




