援護の星
「ハァハァ……」
女は懸命に登っている。背に赤子を背負い、額には大粒の汗だ。女の出で立ちからして、この国の者でないことは明らかである。身分を示すものもなく、女は関所を通れない。闇夜に紛れ、山を登っている。関所を迂回し、険しい山を越えるため。
「ぉぎゃぁ、ぁ……」
背の赤子が目を覚ましそうだ。
「よぉし、よぉし」
女は一旦止まり、赤子をあやす。あやしながら、女の視線は夜空へと向いた。
「転じればいいのよ。何故気づかなかったのかしら……」
女は悔しそうに唇噛んだ。
『必ずや、彼の地に!』
女はまた登る。赤子の首には双葉柄の指輪。ザラキとブランカの娘である。
「あなたは吉の子になるわ。きっと、きっと」
赤子に優しく語りかけている。
ーーガサガサーー
女の背後で音がした。女は警戒する。そっと、そっと、音から離れるように動いた。その動きに小さくカサカサと枯れ葉が音をたてた。
ぼぉ……
闇夜に灯りが浮かぶ。女は息を殺す。
『音は、こっちからだ。見つけ出せ!』
号令がとんだ。万事休す。女は悲壮感に襲われた。その時、女の口に大きな手が……女は塞がった口から、音のない悲鳴を上げた。
『静かに』
男が耳元で囁く。女はポロポロと涙を流した。恐怖と緊張、何故か安堵感。
『関所破りだろ?』
女は頷く。
『金目の物はあるか?』
頷く。
『助けてほしいか?』
頷く。
『赤子は置いていけ』
女は男の手を噛んだ。男はウグッと喉を鳴らす。女は頷かない。首を横に振り続ける。
『赤子を助けたいのか?』
男は訊いた。女は激しく頷いた。
『わかった。いいだろう。二人ともに助けよう。しかし、代償は貰うぞ』
女は……頷いた。獣の血まみれの布袋に、女と赤子は押し込まれる。男はそれを背負い、悠々と歩いた。
「おい! 待て!」
関所の兵士たちだろう。男を取り囲んだ。
「ちょ、なんです?」
男はヒィと声を上げた。ビクビクとした演技だ。
「何者だ?!」
「ふへっ? おいらですかい?」
男は袋を無造作にポイと投げ地面に落とす。懐から何やら取りだした。
「ラフトの新王様に、猪の肉を贈るからって頼まれたんですぜ」
男は木札を見せた。兵士はそれを確認する。
「女を見なかったか? 荷物を持った女だ」
「そんなん、町にゴロゴロいますぜ」
「いや、身なりが違う女だ」
男は顎を擦り、考えている。
「あー、いましたな。随分派手な衣装でありゃ、ミヤビの者だと思いますが」
兵士はイライラし出す。
「そうじゃない。その一行は正式な許可を得ている。言っているのは、密輸疑いの怪しき女だ。森にいなかったか?!」
「はて、この山を女の足では無理ですな。せいぜい、ほれ、あの尾根の山小屋までじゃないですかい? あそこならのんびり出来ますよ」
男は遥か下方に指をさした。兵士らは目を凝らす。こんな闇夜に見えるはずもない。その時、地面の袋がグニャリと動いた。
「おい! この中身は何だ?! 女を匿っているのか?」
兵士は袋に近寄った。男は鼻をほじりながら、ふとから、腰にかけているなたを手に持った。
「どいてくだせい。折角生きた獲物を献上できたってのに、時間がかかっちまって気絶が解かれたんだ」
男は兵士に構わず、なたを振り上げた。兵士は後ずさる。
「死なせたのはあんたらだって報告するからな」
男はなたを振り下ろした。
「待て!」
兵士は男を止めた。
「献上品なのだな?」
男はめんどくさそうに『ヘイ』と答え、またなたを振り上げる。
「ま、待て! わかったゆえ」
男は『そうですかい?』と言って、袋を蹴り上げた。
「ま、これでまた気を失ったはず……早く小屋に持っていかねえと、また起きちまいます」
男は袋を背負った。
「尾根の小屋は町から南西に登った所です。関所からなら……真西かな」
男はそうぶつぶつ言いながら、兵士らから離れた。兵士は男を追わなかった。それでも男は袋を解かない。中では女が腹をおさえ、丸まっている。口からは吐血。男の一撃を受けたのだ。
『おい、大丈夫か?』
返事はない。
『おい、……』
男は急ぎ山を下った。
***
女は目覚めた。身体が悲鳴を上げる。全身が痛くて声も出ない。
「お、気づいたか?」
男の大きな手が女の頭を撫でた。
「あ、あ、ふた……赤子は?」
その第一声に男は顔をしかめる。
「代償だ。貰った。もうここにいない」
女は目を大きく見開き、男に向かって叫ぶ。
「なんて、なんてことを!!」
痛みをはねのけ、男に食って掛かった。男は、女の両腕を掴むとベッドに押さえつけた。
「両方助けた。赤子の運命は天に委ねろ。ラフトの巫女なら、わかるだろ?」
女は驚く。ラフトから遠く離れたこの地で、自分を巫女だと見破ったのだ。
「あなた……何者?」
男はニヤリと笑った。
「俺に興味があるってことか?」
巫女はキッと男を睨む。
「離しなさい!」
巫女はまだベッドに押さえつけられたままだ。
「嫌だね」
男は巫女の手首を離さない。巫女は暴れようにも、手首を取られ身体を男の両足で押さえられていて、どうにも動けない。
「安静にしてろ。動かねえ身体になっちまうぞ」
男は、ふんっと笑って優しく退いた。退いたが、巫女が動かぬように横で見張っている。巫女の心は乱れた。
「お願いします。赤子をどうか、どうか……」
巫女の頬から涙が流れる。男は優しく拭った。
「よく聞きな。天の預言は知るためにあるんじゃねえ。従順するためにあるんじゃねえ。ラフトの不吉は受け入れるんじゃねえ。天が教えてくれたってことだ、つまり、対処することに意味があるってことさ」
巫女は瞬きをした。巫女の記憶によみがえる会話があった。
『ヒャドの神官が追放されたって、ねえ、聞いた? 預言に楯突いたらしいのよ』
赤き星、はヒャドでは吉凶どちらにも解釈していた。赤き星は、北方の国々で意味が違う。ラフトの巫女である女は、口伝えに聞いていた。
『神官なのにね、天に逆らって未来を変えようなんて、おかしな神官よね』
女は男をまじまじと見た。男は巫女に頭を優しく撫でている。
「あんたが持参していた金で何とか段取りはした。あの子は、……不吉な子だろ?」
巫女は迷ったが、コクンと頷いた。
「あんたの後を俺が受け継いだ。転じて吉となろうて。あの国なら安全だ」
巫女は涙を溢れさせた。
「全く、女独りで彼の地に行こうなんざ、できっこねえ。……だが、よくここまで来たな。頑張ったな」
巫女はうわんうわんと泣き出した。
「俺って罪な男。こんなに女を泣かせるなんてな」
……
……
「ねえ、なぜあの時赤子を置いていけと言ったの?」
巫女はなんとか立って歩けるようになっていた。元神官の薪割りを眺めながら言ったのだ。
「んー、……ほんとは赤子を助けるつもりでいた。その時は、あんたが人さらいだと思ってたし。あんたを助けるふりして赤子を助ける算段だった」
巫女は驚く。
「巫女だってわかってたじゃない? 不吉な子だってわかってたじゃない?」
それはそうだろう。巫女は話のつじつまが合わず驚いている。元神官は『あーなるほど』と言ってから、斧を地面にくい込ませた。それから、巫女の隣に座る。
「星が震えてたんだ、あの日。何があるんだろうって山に入った。震える星は、何と読む?」
元神官らしい発言だ。巫女は思わず笑んだ。
「ラフトでは、見守りの星と呼ばれておりますわ、シェード様」
元神官シェードは優しく笑って応える。
「ヒャドでは援護の星、ラフトと同じような意味合いもあるが、俺は星の援護でなく、援護に向かえと読んでいる」
老神官たちに歯向かったシェードらしい。
「そしたら、不審な女が赤子を背負って、必死の形相で山登りだ。俺は、人さらいだと思った。天は赤子の援護を瞬いていると読んだ。どうせ、自分の身が危険になれば、女は赤子を捨てるだろうと思ってな。まあ、今となっちゃあ……完全に読み間違えだ」
シェードは巫女に優しく笑いかける。
「赤子を助けるために、赤子を置いていけと言ったのね。私をおとりに、役人の目を私に向ける」
シェードはうんうんと頷いた。
「だが、近くで確認したら、お前の服に見覚えがあったのだ。ラフトの巫女の外服だってな。で、お前は赤子も助けろと訴えた。……瞬きを読んだ。ラフトと赤子だ。俺にとってはヒャドを追放されたあの赤き星のこったって思った。ラフトの不吉な子だろうとな」
巫女はうっすらと涙をためている。
「リザ、まだだ。まだ終わっちゃいねえ。あの子を守り続けるためには、俺らが稼がなきゃならねえんだ」
リザと呼ばれた巫女は、ためた涙を溢れさせ、力強く頷いた。
ーーザザザッーー
音が近づいてくる。シェードは立ち上り、音の方に目を向けた。ここは森の一軒家だ。ここを訪れる者は少ない。音は、彷徨くことなくここに向かっていた。
「だんなぁー」
森からだ。シェードはニッコリ笑ってリザに伝える。
「知り合いだ」
シェードは手をリザに出す。リザはシェードの手を取り立ち上がった。
「信頼のおける者だ」
「お! 元気になったんですかい?」
男がリザを見て嬉しそうに言った。
「あいつはああ見えて、薬師だ」
薄汚いその様からして、薬師と予想できる者はいないだろう。リザは訝しげに薬師を見る。その薬師の後ろにもう一人。こちらの方が薬師に見えるのだが……リザはシェードを見上げた。もう一人は誰と問うように。
「……おい、そいつか?」
シェードももう一人を知らぬようで、薬師の後ろにいる者を鋭く観察している。その者は薬師に背中を押され、シェードの前に出た。
「いやあ、全く大変でしたぜ。仕事は何十年にも及ぶし、そうと知って引き受ける奴もそうそういねえ。大半は前金欲しさの奴らばかりでさ。ぐったりですぜ」
リザはシェードの前にいる男を見る。シェードは薬師をチラリと見た後、その者と対峙した。
「……」
「……」
その者は一礼したものの、無言である。
「あ!」
シェードはいきなり大声を出した。
「……」
男はシェードと同じく口を開けるも声は聞こえない。薬師はうんうんと頷き、男の肩を叩いた。
「声が出ぬのか?」
「へい、だんな。こいつは、三年前高熱を出しまして、死に際までいったもんだ。なんとか薬で一命は取り止めたが、喉をやられてな。だが、耳は大丈夫だ。しかし、仕事は出来ねえ、いや断られる。俺と一緒に時々山で薬草取りをしてもらっていたんだ」
男は薬師に大きく頭を下げた。薬師はぽんぽんとまた肩を叩く。
「一昨日、こいつが俺の店に来た。で、俺は閃いた。こいつだ、こいつしかいねえってな! こいつは、声を失っても腐らねえ奴なんだ。仕事がなく金がなくったって、犯罪に手を染めたりしねえ。な、シェード。すげえ奴なんだ」
薬師は必死だ。シェードに訴えている。その薬師の頭をゴツンとシェードは叩いた。
「いってぇ! だんな、そりゃさ……声を失った者を大金で雇うのは納得いかん、っ」
薬師の言葉を途中で止める。シェードはまた一発お見舞いしていた。そして、薬師の首に腕を回しがっちりと組んで、
「いい奴見つけてきたな!」
と答えた。
「!」
男がビックリした。
「おい、断られると思ったのか? お前みたいな奴を捜してたんだ! リザ、安心しろ。赤子はこいつが見守る。だから、こいつを雇う金を稼ぐのは俺らだ!」
シェードは薬師を放ると、男の肩に腕をおいた。
「頼んだぜ。必ず、毎月報告に来るようにな!」
男は頷く。
「だんなぁ、俺の手間賃は?」
薬師は口を尖らせた。
「あ……働けるようになったら、必ず」
リザは薬師に頭を下げた。慌てたのは薬師だ。
「いやいやいや、いいんです」
と恐縮しきりである。
「そうだ、こいつにはたーんと稀少な薬草をわけてるんだから、リザは気にするな。さて、名は?」
シェードは、男に向かって訊く。薬師が答えようとしたが、シェードは制した。
「……」
男はまっすぐに自分の口を見るシェードに、喉をゴクンと動かし口を開ける。
「……」
もちろん、声は出ない。しかし、シェードは男の口を読む。
「……ルド、オルド? コルド」
男は頷く。
「コルドか、よろしく頼む。あの赤子はまだ定めを持っている。天が決めた定めだ。そこを通過しなきゃならねえ」
コルドは丁寧に頭を下げた。そして、懐から紙とペンを出す。何やら書いてシェードに渡した。
『雇ってくれてありがとうございます。行きます』
シェードが読み終わるのを確認すると、コルドは森へと消えた。向かうのは、赤子のところだ。
「おい、薬師。飯食っていくか?」
「へい!」
薬師は嬉しそうだ。次の言葉を聞くまでだったが。
「じゃあ、準備をしろ。俺はリザを運ぶ」
シェードは、リザを抱き抱える。リザは恥ずかしそうに顔を伏せた。
「あーあ、やってらんねえ」
そう言う声は、笑みを含んだ穏やかなものだった。
……
……
「懐かしいか?」
シェードはリザに問う。
「……ぇえ」
リザは不安な瞳を見せた。
「リザ姉さん、大丈夫ですって。二十年もたちゃあ、顔も忘れちまってるし、それにもう王は違うって言うじゃねえっすか」
この口ぶりは薬師である。
「瞬きは、誰の援護をうたってるんだろうな?」
シェードは夜空を見上げた。震える星は見守りの星、援護の星、二十年ぶりに星は援護を瞬いている。
「あの子も……フタバも、ラフトに向かっているのよね?」
リザはまだ不安げだ。
「ああ、コルドから連絡があった。コルドにはそのままフタバを追ってもらっている」
三人は、今ラフトにいる。二十年前に手放し、二十年間見守ってきたフタバもまたラフトに向かっていた。
サラのいるラフトに。
次話更新本日午後予定です。




