潜入②
「ねえ、こんなものじゃない?」
「そう……ね。うん、これでいいわ」
離宮の一番端の邸で、巫女であった侍女二人が部屋を雑然とさせていた。整然ではない、雑然と。ここは、サラとシンシアらが秘密で使っていた場所である。サラとユーカリは、最初ここをラフトから逃げ出すための秘密の場として考えていた。しかし、全てを知ってからは、内密に会う場として活用してきた。ゆえに、マヌーサらはサラとシンシアらが繋がっていると知らないのである。サラ邸で会えば、すぐに関係が知られてしまっていただろう。サラは、明日には籠の宮に移される。この会合の邸も元に戻しておかねばと、巫女であった侍女らが邸を雑然とした様相に戻していた。
その気配をバギは感じたのだろうか?
いや、気配はまだあった。
離宮の背後に。
離宮全体を見渡せるその場に……
***
離宮、宮殿の西の建物、紅宮の奥にある宮である。離宮の裏は絶壁となっていて、紅宮以外からの浸入は不可能である。その不可能に近い離宮から、ネザリアが赤子を……ルカニを救いだした事実がある。ネザリアはどのようにしてルカニを救いだしたのか?
「ここを?」
絶壁の頂きに立っているのは、デイルやフェラールたちだ。レミドは尻込みしている。
「はぃ、ソラド様からここから下りたと聞いております」
この絶壁の上から下り宮に侵入し、赤子をさらったのだ。絶壁ゆえに、月あかりがあたらぬ時間帯がある。その刻に事を成した。
「ソラド様いわく、その日宮にいた赤子は二名だったそうです。他のお子はいなかったようで、巫女が何故か赤子を二名抱え呆然としていたそうで」
ネザリアがルカニを救った日、その日が巫女らが逃亡を図った日である。しかし、ネザリアはその事を知らない。たまたま赤子を見つけてルカニを救いだしたのだ。いや、……生け贄の事実を知らぬネザリアは、ただただ予言に抗うために、赤子を奪ったと言っていい。
「二名?」
デイルは疑問を口にした。
「あ、はい。ルカニは我々ネザリアが。後一名を巫女が抱え宮から逃げたのです。巫女がなぜ我々に賛同したのかはわかりませんが、『双葉と揚羽蝶』が証しになりますと、ルカニには腕輪を託したのです」
ルカニは右の手首を上げて腕輪を見せた。揚羽蝶が刻まれている。
「これは、これは、見事な」
フェラールはじっと腕輪を見つめる。ルカニの手を取る行為を抜かりなく行って。もちろん、ルカニはフェラールの手を振り払う。
「ではもう一人逃げた赤子がいる?」
デイルは頭を傾げた。先王時代、ラフトとは友好であったが、不吉な子の話はソラドから聞くまで知らなかった。キールは予言を少し知っていたようだが。
「何やら、ラフトでも何かあったやもしれませんな」
とキールは発した。
「何かあったではないだろ? 政変が起きただろう。暴君はヒャドも狙っている。不吉な子の予言はここラフトでも実を成したってことだ」
風がブオンと吹いた。
「さて、下りる時間まであと少しか」
絶壁が影に入る。デイルとフェラールは準備をはじめた。レミドとルカニは町へ戻る。フェラールの従者と合流し、来るべき時に備える。キールは下る二人の補助だ。フェラールの隠れ家で鍛練したことで、絶壁を下るのは容易であった。デイルとフェラールは離宮の一角に足を着けた。絶壁の頂きにはキールが待機している。ここからは、デイルとフェラールのみの行動だ。まずは、隠れ家の確保である。二人は息を潜め辺りを見渡す。
『ずいぶん荒れていますね』
フェラールは小声で言った。デイルは頷き、なおも辺りに注意した。
ーーサラサラーー
伸びた雑草が風で揺れた。
『使用されていない邸を探しましょう』
デイルはそう発して、草影に隠れながら動いた。
離宮にある邸はサラ邸以外に使用されていない。内密に使用していた邸以外は廃虚であった。
「ひっどい有様ですな」
フェラールは埃まみれの椅子に座った。デイルは、マントで大きく風を送り埃を振り払う。
「ゴッホ、コホコホ。デイル殿やるなら一言言ってくださいって!」
埃を直にうけ、フェラールは咳き込んだ。
「この宮は、使われていないらしいな。ほとんど人の気配を感じない」
デイルは窓から宮を見渡す。遠く、別の建物には灯りが灯っているが、この宮にあった灯りはただひとつだけであった。それがサラ邸であるが。
「あそこの唯一の灯りは、この宮の一応の管理者ってところか?」
と、デイルは目をこらす。
「さてとっ、デイル殿一旦飯にしましょう」
フェラールはテーブルに息を吹き掛けた。埃が舞う。
「ハア、なんか雅びではないですね。せっかくのルカニの飯なのに」
布をひろげながらフェラールは呟いた。確かにフェラールに、この状況は似つかわしくない。
「これぞ隠密行動でしょう」
デイルも椅子に座り、ルカニの飯に手を伸ばした。
「隠密……うわっ、いい響きだ」
フェラールは目を輝かせた。
「決行までは、隠密……」
危険な状況下でもフェラールはフェラールである。
さて、
何の制約もなく、フェラールはラフトに来てはいない。ミヤビの王は、『ラフトとヒャドに行き、先の対戦の互いの名誉を称えてこい』とフェラールに命じたのだ。正式な訪問である。ミヤビの王の耳にも、噂は届いていた。その状況でフェラールを送り出すことがいかに危険であるかは、十分に理解していた。が、王は言ったのだ。
『よいか、正式な訪問である。雅楽奏者を連れていけ。さえずりに合わせて奏でられるようにだ。よい口実になろう?』
と。ニヤリと笑って。
名誉を称え、ミヤビからの手土産として、さえずりに合わせて奏でられる奏者を連れていく。ミヤビの王からの贈り物を、フェラールが届ける。ラフトは断れないだろう。
『ヒャドには、好きなようにすればいい』
すでにデイルとフェラールが手を組んだことを王は知っている。フェラールは満面の笑みで応えたのだった。
暗闇を動くはデイルとフェラール。皆が寝静まった闇夜、二人は邸から出て籠の宮に向かっていた。絶壁の上から見た宮殿の町に近い建物に、見事な塔が建っていた。それを目指して。紅宮の壁を登る。さすがに杭や鉄の爪は使えない。大きな音で気づかれてしまうだろう。デイルとフェラール二人で力を合わせて登っている。デイルの組んだ手に勢いよく足をかけフェラールが二階へ跳び移る。フェラールは、窓から中を見て、人がいないのを確認した。そして、二階からフェラールは縄を投げた。その縄でデイルは登る。次に屋根を目指す。デイルは不安定な手摺りに足を置いた。図体の大きいデイルはそれだけで屋根に手が届く。だが、足場が不安定なので、力を入れて這い上がれない。
『デイル殿、私の肩に足を』
フェラールの提案にデイルは躊躇した。一国の王子の肩に足をかける行為を躊躇しない者などいないであろう。
『さっさとしてくださいって』
あろうことか、フェラールはデイルの足をくすぐった。デイルは堪らず足を上げた。待ってましたと言わんばかりに、フェラールは肩を入れる。
『フェラール殿感謝します』
『なんの! 私だってデイル殿の手を思いっきり踏みましたしね』
フェラールはニッと笑った。デイルはフッと笑い、フェラールの肩をける。屋根に登ったデイルは、手を伸ばす。フェラールはデイルの手を取り屋根へと登った。四角の紅宮の屋根は平らだ。デイルとフェラールはホッとする。しかし、対面の黒宮の櫓に人影を確認し二人して伏せた。
『あの宮は、ヒャドに対してあるものです。こちらへの警戒はあまりありません』
デイルはフェラールに説明した。ラフトの東はヒャドにあたる。黒宮が兵士中心の宮になったのは、東にあったからだ。黒宮から常にヒャドに向かって警戒がされている。
『なぜ、ラフトはヒャドを狙っているのです?』
フェラールは訊いた。
『それが……わからないのです。先王時代は友好でした。現王はヒャドを目の敵にしてるのです。天の予言と関わりがあるのではと、ネザリアの神官が言ってました』
生け贄の身代わりが、ヒャドの孤児であることをデイルは知らない。いや、生け贄とて知らぬのだ。ラフトで起こった惨劇を知っているのは、王とザラキ、マヌーサ……幾人かの者たちだけである。王がヒャドを狙う理由は……憎しみと、真実の行方だ。フェラールは少し考え込んだが、頭を切り替えたのか、
『水盤に現れるのですよね?』
と、発する。
『ネザリアは、協力者を三名ラフトに潜らせています。今日水盤に現れるのは、あっ』
夜更けに水盤に人影が現れる。黒宮の方からだ。その者は、水盤の南東の角にしゃがみこんでいる。
『さて、どうしましょうか?』
フェラールは辺りを伺いながら発した。
『警備が巡回しています。あの者も機会を待っているのでしょう』
水盤の角にしゃがみこんだ者は、警備の視線から逃れるように、這っている。物語の流布のせいか、宮殿は警備が厳しくなっていた。立ち番ではなく、常に巡回している。こんな夜更けだというのにだ。
『戻ったようですね』
フェラールは宮に素早く動く者を目で追った。デイルは巡回兵を目で追う。
『フェラール殿、外通路に降りましょう。影で死角になっています』
二人は、紅宮と籠の宮を繋ぐ外通路に降りた。影の中に身を潜める。巡回兵の隙をつき、水盤に行かねばならない。
『デイル殿は、ここに居てください。細身の俺の方が身を隠せます』
フェラールは言うやいなやサッと走っていった。デイルは辺りを警戒する。フェラールが水盤まで到達した。巡回兵がまたもやってくる。フェラールは這っている。水盤に石枠に身を隠して。しかし、赤はやはり目立つ。デイルの目でも遠くフェラールの赤が際立っていた。
『ちっ』
別の巡回兵が水盤に近づいている。デイルは舌打ちし、身を翻した。
ーーギシギシーー
デイルは、外通路の梁を思いっきり蹴った。夜更けに響く木の悲鳴に、巡回兵は一斉に外通路に目を向けた。その間に、フェラールは水盤の南東の石枠の隙間から紙を引き出す。
「どこだ?! どこの音だ?!」
巡回兵は一斉に外通路へと走っている。デイルは繋げていた縄で、紅宮の屋根に登った。縄をひとまず回収する。次にフェラールを目で追う。フェラールは真っ赤なそれを水盤に投げ入れた。そして、巡回兵が向かわなかった王宮殿へと移動していた。巡回兵は、籠の宮周辺を探っている。何故なら、侵入者なら籠の宮に行くだろうと予測して。サラを奪うなら、籠の宮であるから。しかし、まだサラは離宮である。奥の院のような離宮は、入り口は紅宮しかなく軟禁状態だ。巡回兵は暗闇に目を凝らした。
「隊長! この梁に亀裂があります!」
デイルの蹴った梁は、大きな痛手を負っていたようだ。巡回兵がその梁に集まった。すかさず、デイルは王宮殿に繋がる外通路へと縄を下ろす。下ではフェラールがニンマリ笑って待っていた。フェラールが登り終えると、
「し、侵入者です!」
大声が響く。水盤の赤に気づいたのだろう。宮殿は慌ただしくなった。紅宮以外から兵士が出てくる。騒然としていた。それに反応するように、紅宮の灯りも灯る。
『よし、今のうちに邸に戻りましょう。皆、水盤に目が向かっていますから』
フェラールはフフンと鼻を鳴らす。赤は王族の証、それを脱ぎ捨てたフェラールは、いっそう男らしい。デイルはクックッと笑った。これでまた警戒は強まるだろう。しかし、いいのだ、それで。
『見せ物になってやる』
デイルは心で呟いた。
『ああ、そうさ。俺は姫をかっさらいたい。あの青き空を一緒に見たいんだ』
と。
次話更新本日午後予定です。




