アオキホシ
「ヒャドを見捨てるのですか?!」
キールはデイルに詰め寄っていた。
地下墓から城外へ出てすぐに、デイルはキールに告げた。『俺は、ヒャドを出ていくよ』と。
キールの顔は怒りと悲しみを宿していた。それだけでなく、ああやっぱりとの気持ちも。
「ヒャドを見捨てるか……そうだな、見捨てるさ。俺が今、助けるはヒャドではない。俺が先に見捨てたものを、助けに行く。そうせねば、俺にヒャドを救う資格はないはずだ」
デイルは空を仰ぎ見た。鳥が翔んでいる。あの青い空を思い出す。
「まさか……」
キールはその続きを発しない。
「ああ、そうだ。俺は勝者になりに行く」
デイルの視線は、空からキールへと移った。
「着いていきますぞ」
キールは答えを出す。デイルと共にヒャドを出ると。
「そうか。礼は言わんぞ。……すまぬな」
礼ではなく、詫びる。
「ええ、まったくです。私を置いていこうなど、決してせぬように願いますぞ」
キールは笑ったのだった。
翌朝、デイルはキールと共にすでにヒャドに背を向けていた。その足が進む先は……
「で、なぜネザリアなのです?」
キールはデイルに問う。キールは勇んでラフトに乗り込もうとしていた。あの小生意気な抗い続けた小娘を、デイルが奪還するものだと思っていたし、そう言っていたのだから。
デイルとて、サラを助けたい。しかし、やみくもにラフトに乗り込んだとしても、到底無理なことである。配下はキールだけ。たった二人でサラを助け出すことは不可能に近いのだ。
「もう一度だ。『悲劇の姫を助け出す物語』といったところか。勝負は決まっていないからな。イザナ殿が唯一残した逃げ道だ」
キールは首を傾げる。
「ですから、なぜネザリアなのです?」
デイルの言っていることはわかっている。しかし、なぜネザリアなのか? デイルはニッと笑った。
「もう一度はヒャドにだけ、いや俺にだけあっては不公平だろ」
キールは『あーなるほど』と頷いたものの、
「ミヤビでなくネザリアなんですか? いえ、もう一度とは、また七か国に……いえラフトを除く六か国がラフトに侵入する?」
と呟きながら、頭を横に振る。そんなことはさらに無理だろう。それをラフトは許容しない。姫を奪いに城に侵入していいなどとは。
「キール、確かめたくはないか?」
デイルの指が空を指す。キールはその空を見て、はて? との顔になった。
「何をですか?」
「惑いの森をなぜ抜けられなかったのかだ? 我ら北方の国は天を読める知識を持っている。
ラフトは巫女を連れては行けない。政変で巫女制度は廃止されているからな。
ネザリアは神官を連れて行った。もちろん天を読める者をだ。
おかしいと思わぬか?」
キールは口を開けた。『あっ』と小さく漏らして。
「ええ、そうですな。確かに神官がおりました。それも七神官のうちの一人です」
ネザリアが一番天文の知識がある。ラフトは巫女制度を廃止し、ヒャドは王妃が巫女の儀式を兼任するようになり、実質天文の知識を有する者は神官であるが、その神官も政治に関わることはなくなった。農業に関する時期を見極めるのみの役割となっていた。キールとて、十九年前のように天からの予見はできない。
「ネザリアは、いち早く森を抜けられたはずだ。神官まで連れていてなぜ導かなかったのか? 確かめたくはないか?」
デイルはネザリアを目指す。そこに姫を助け出す一光の筋があるような気がして。
「確かに。ですが、それを確かめたとて姫の救出に何の役にたちましょうか?」
キールの言い分ももっともである。
「ああ、そうだな。なあキール、もう一度姫を目指すなら、権利があるのはヒャドとミヤビだ。そして、守るはラフト。審判は誰が行う?」
デイルは指先をネザリアに向けた。惑いの森の競い合いは、クツナ国イザナが審判を行った。しかし、今一度姫を目指すなら、公平に審判を下せる者が必要である。
「ネザリアに……ですか?」
ラフトと共にヒャドに攻めいろうとした国に、審判を願い出るのか? とキールは眉をしかめた。
「ああ、ネザリアの神官にだ。と言っても、担ぎ上げるは我々ではない。願い出るなんてしないぞ。頭を下げる必要などない。『悲劇の姫の物語』は民が語りあげていく。民が動かすのだ、我々を」
デイルは力強く言い放った。そうである、民がデイルらを動かす。物語が進むのだ。
「もしや! 流布ですか?」
キールが問う。
「ああ、そうだ。姫の抗う姿に俺は心が……」
デイルは胸をトントンと叩く。
「俺は胸が苦しくなった。きっと民とて同じだろう。あの歌声は閉じ込めたらいけないだろ?」
その顔は、サラを見ているようだ。キールはデイルの気持ちを汲む。声にはしない。デイル自身が気づいていないことだから。
「はい、そうですね」
と、ただ空を見上げて答えた。
ネザリアに潜入して、すぐに向かったのは酒場である。デイルとキールは酒を飲みながら、皆の声に耳を傾けた。
『……でな、その姫さんの歌声は、天の国にいるような気分になるそうな。王子らは天の歌声に導かれ向かったそうだ……』
やはり、語られている。これほどに、民の好奇心を煽る競い合いの物語はない。あの場にいた兵士から兵士へ、兵士から民へ、民から民へと語られている。真実は誇張され、美しいものはより美しく。勇ましいものはより勇ましく。醜きはより醜く……悲劇はより鮮明な悲劇に。
『……でよ、姫は塔から自ら身を放った。青ーい青ーい空に向かって……』
デイルはまたあの青い空を思い出していた。しかし、物語は止まらない。
『ここで姫さんが青い鳥になって翔んでいったなら、空物語で終わるってもんだ。だが、現実は無情だよな……』
デイルの胸が締め付けられる。
『……姫さんは羽ばたけなかったさ。で、その身は地面へと落ちていく……』
デイルは思い出していた。あの瞬間を。落ちてくるサラと一瞬目が合い、その瞳が穏やかに笑んでいたことを。そうである、サラはあの瞬間、デイルの姿を確認しこんな結末もいいわねと、穏やかに笑んでいたのだ。
『……姫さんは落ちていく。ああ、神に召される……ってときに、青きマントが翻った! そうさね、ソウトウノアオキホシが颯爽と現れたのさ!』
デイルとキールは首を傾げた。
『ソウトウノアオキホシ』とは? と、疑問が生じる。その疑問をよそに、物語は紡がれていく。
『……バッと手を広げたアオキホシは、姫さんを包み込むように受け止めた! ……だがな』
その語り部は、立ち上り目を閉じた。
『……だが、姫さんは目を閉じたまま。森の外へと、南国の外へと、連れられていく』
酒場の一角は固唾を飲んで語り部に、耳を預けた。
『やさしく包み受け止めたアオキホシの国でなく、一番に求婚した王子でもなく、……姫さんの髪をむしりとったあの暴国に、残酷にも姫さんは拐われていったのだ』
デイルはキールと小声で話す。
「アオキホシとは、俺のことか?」
デイルは自身を指差した。
「ええ、あの内容からしてそうでしょうな。アオキホシ……、いえソウトウノアオキホシでしたな。捕まえて訊いてみますか?」
キールは腰を上げようとした。デイルはそれを制した。語りはまだ続いていたから。語り部は目を開けた。
『ここはどこ? どこなの?』
と、女の声色で呟いた。サラを演じているようだ。
ーーガタンーー
語り部の横の者も立ち上がる。
『歌え! お前はさえずりだ! 飼われた(買われた)鳥だ! 歌わねば、首を跳ねるぞ!』
デイルは続く語りの内容に息が止まった。それはデイルらが知らぬ事だから。いくら誇張され伝わっていようと、語りの本質は真実をとらえているはずだ。ザラキは姫をそのように扱ったというのか! とデイルの顔が険しくなる。
『……姫さんは、朝靄に歌声を流した。
……私に羽があるのなら~
自由に空を翔べるのに~
青い空まで翔べるのに~
緑の森まで翔べるのに~
とな。なんだって? チッ俺の歌が下手なのは勘弁してくれよ』
語り部に、チャチャをいれたのは横の者だ。これが筋書きなのだろう。
『言い度胸だ、姫よ! 我が国に行きたくないとは、その首我が国で繋がっていられるかな?』
ザラキ役の者が、語り部の首を掴みグッヘッヘッヘと笑う。
『ああ、ああ、私はどうなるの? もう青い空を見れないの? 深い緑を見れないの?』
語り部は机に突っ伏した。
……物語はそこで止まった。しかし、皆がまだ語り部を見ている。この続きを聞きたいのだ。
「おい! 姫さんは助けられねえのかよ?!」
堪らず誰かが叫んだ。
ーーバタンーー
そのとき、酒場の扉が開いた。酒場の皆の目がそこに注目している。それも驚きの顔で。
「ソラド様だ……」
誰かがポツリと呟く。
『七神官の長官です』
キールがデイルに囁いた。デイルは頷く。
「主、儂にも酒をくれんかの?」
長官ソラドはカウンターにつとつと歩く。黒の縁取りの真っ白な法衣を身に纏い、小さな歩幅でカウンターに着くと、
「ほれ、さっさと続きを話さんか」
語り部に視線を投げた。
「うへっ、続きって言われましても、聞いた話はここまででして……」
語り部はゴニョゴニョと言って、頭を掻いた。が、ハッとした表情になり威勢よく語り出す。
「ああ、姫の運命はどうなるのか? 天を仰ぐ……知るは天のみ! 天を知るは、ソラド様にございまするぅ」
と、語り部はソラドの前で膝を着いた。ソラドは語り部の頭をペチンと叩いた。顔は笑っているが。
「これ、逃げたな。全く儂を良いように使いおって。……しかたないのぉ」
ソラドは酒をチビりと飲んだ。
「かの国に着いた姫は、抗った」
ソラドは一言告げ、また酒をチビりと飲む。
「だが、その抗いもどこまで続くのやら……」
法衣の中から、水晶を取りだしろうそくの灯りに近づけた。フムフムと頷いて、ん? と険しい表情になる。
「なんと……」
頭を横に振り、ため息をついた。
「ソラド様、姫さんは……もう……」
語り部はその続きを言おうか言わまいか、迷っている。
「ソウトウノアオキホシは何をやってんです? 姫さんを奪われたままじゃないですか!」
どこからか発せられ、そうだそうだと皆が言った。ソラドはそれを確認した後、水晶をまた覗き込む。
「どれどれ、アオキホシはな……ん? ありゃ、なんとまあ……わっはっは」
ソラドは愉快に笑った。皆がその言動を待つ。
「羽ばたいたは、アオキホシじゃ! 予言は覆っておる! いいか、皆聞くがいい。
ソウトウは牙を隣国に向けぬ、
ソウトウは互いに噛み合わぬ、
ソウトウノアオキホシは羽ばたいたようだ。
新しい時代となるだろう!
姫はアオキホシが救うじゃろうて」
ソラドは一気に酒を飲み干して、またつとつと歩き出口に向かう。デイルとキールは顔を伏せて酒を飲んだ。その横をソラドが通る。
『んっ』
ソラドがデイルらのテーブルの横で、小さく喉を鳴らし止まった。デイルは平静を保つ。キールは手酌をして、ソラドを気にしない雰囲気を醸し出している。
「ソラド様?」
語り部がどうしたのかと問う。
「いや、なに、ちと酔うたようじゃ。そうじゃ、皆語ってくれぬか? そうじゃなぁ『拐われた姫を救いに王子が立ち上がる。まだ勝負は決まっていない。かの国に立ち向かうはどの王子か?』なんてのはどうじゃ?」
ソラドは語り部にウィンクした。語り部は立ち上がる。
「姫さんは、抗い続けた! だが、暴国の悪魔の手が姫に忍び寄る……姫は、姫は、籠の中」
語り部が、相棒の横の者に視線を投げた。
「さあ、我のモノになってもらおうぞ!」
語り部ににじり寄った。
「『姫よ!』 颯爽と現れたはどこの王子か? 姫を抱え暴国を去る。二人はどこに向かうのか……」
語り部の話をソラドはうんうんと頷き出口から出ていった。
デイルとキールはホッとした。しかし、ここで留まらない。神官に会うためにネザリアに侵入しているのだ。その長官ソラドを追うように、デイルらは酒場を後にした。
次話更新本日午後予定です。




