ドレス
丁重にもてなす。そんな状況にないことは、サラにもわかっている。しかし、入国したラフトでサラは侮蔑な目に晒されていた。一国の姫に対する扱いではない。
城下町では馬車は一時置き去りにされ、ユーカリはほろのすき間から外を覗いた。目に入ってきたのは、立て看板。
『南国一のさえずり。大陸一の嗜好品をザラキ王子様が手に入れた! これはラフトの物である! ラフトの勝利である!』
ユーカリはあまりの衝撃に一瞬思考が止まる。しかし、その後は心の底から怒りが込み上げてきた。
「サラ姫様、見せ物にされております」
そう伝える。
「そう。仕返しでしょう、宿場町の一件の」
サラは膝を抱え踞る。寒さが体をさす。南国のドレスではラフトで生きていけない。
「サラ姫様、寒いですね。俺、縫い物できないからなぁ」
ユーカリの突然の呟きに、サラはパチクリとまばたきし、盛大に笑った。
「ねえ、どうして? 縫い物って……フフフフ」
「いや、だって、このドレスじゃあ寒いし。この寒さに耐えるようなドレスを縫わなきゃいけないと思って」
ユーカリは頭を掻いた。その目は泳いでいる。
「あーなるほど。そう、そうよね……ラフトは私たちにドレスなど贈ってはくれないでしょうし。ええ、縫わなきゃね」
サラはクスクスと笑った。
『おいっ! 何を笑っている?! フンッ、南国の村では淑女の礼儀などないのだろうが、このラフトではわきまえろ! 声を出して笑うは、淑女にあるまじき行為だ!』
外から声がかかる。
ーーガツンッーー
馬車が揺れた。蹴られたようだ。
『下品な姫様ね』
今度は女の声。ラフトの住人は、サラを歓迎していない。サラとユーカリは顔を見合わせる。眉間にしわがよる。
「ねえ、ユーカリ。私は、あきらめないわ。羽はないけれど、青い空まで戻ってみせる。深い緑を目に映してみせるわ」
サラの瞳に強い意志が現れる。ユーカリもまた。
「はい、そのために俺が潜り込んだんですって」
ユーカリはニッシッシと笑った。その笑い声に、またも馬車は蹴られた。
『静かにしろ!』
と。
散々見せ物にされてから、馬車は動きだし入城する。見せ物であった時間は、どうやら入城の準備であったのかもしれない。サラは馬車から降りると、大国の城に圧倒される。
「おや、興味を示されましたか姫?」
ザラキは城内であるべき言葉遣いでサラに接する。サラはそれに応えるように、
「ええ、さすがはラフトですわね。南国の村娘ですから、『まあ、素敵なお城! 嬉しいわ』と声を出して笑いたいところです」
と返す。ザラキはピクリとこめかみを動かした。
「私も笑いたいところですよ、南国の姫を貞操な淑女に教育できるのですから」
サラとザラキは笑顔を向けあった。
「さあ、行きましょうか姫。私の父上、ラフトの王に挨拶ねがいましょう。口を慎んだほうがいいですよ。父上は私と違って我慢強くありませんから」
舐めるような視線をサラの首に向け、ザラキの手は自身の首を擦る。
「首、繋げていたいでしょう?」
サラは息を止めた。静まったサラに気分を良くしたのか、ザラキは優雅に手を流し、こちらへと促した。サラはザラキの後に着いていく。城内の豪華さ、威厳の強さ、隙のない造り、それらを瞳に焼き付ける。頭に刻み込む。
『いつか、ここを抜け出すわ』
と。
案内された部屋は質素であった。サラは首を傾げる。
「そのような粗末なドレスで謁見するおつもりか? 着替えていただこう」
バタンと扉が閉まった。ザラキは近くの椅子にドカッと座った。口角を上げ、サラを見ている。
「着替えろ。何も隠し持たぬように私が確認する」
サラは唇を噛みしめ、目を見開いている。
「退室くださいませ。どうか、どうかお願い致します。確認でしたら、ラフトの侍女を」
ユーカリは懇願した。ここは楯突いても良い結果は生まれぬと判断したからだ。
しかし、サラは……
「着替えたくても、着替えるドレスはありませんわ。南国のドレスは薄手の物ばかり。北の国ラフトでは」
そう言って、体を抱きしめた。
「唯一この着ているドレスが最も暖かいんですもの」
ザラキはユーカリの持っている荷物を奪う。荷物を乱暴に解き、その中をザラキは確認した。サラは眉を思いっきりしかめた。女性の荷物を暴く行為に。
「チッ、待っていろ!」
確認したザラキは、舌打ちし出ていく。外で『逃げ出さぬようしっかり監視しろ』と命じ。サラはすぐに行動に出た。
「ユーカリ着替えるわよ!」
サラはマントを解いた。
「え? サラ姫様?」
ユーカリは戸惑っている。
「いいから、すぐに違うドレスに着替えなさい! 向こうを向いて! 急いで!」
サラの気迫に押され、ユーカリは急ぎ背を向けた。背後ではサラが着替えている。
「クツナの衣装を見せてあげましょう!」
サラの声は強い。
『あんな男に着替えを見せるなんて!』
サラは憤怒していた。負けるものかと、潤んだ瞳に力を込める。サラの心に芽吹いた一輪は、勢いよく育っている。塔の上で震えていたサラはどこへいったのであろうか。
「寒くはないわ!」
体のラインが艶やかに見えるドレスを、サラはまとった。薄手の生地から覗く肌は官能的だ。右足のスリッドは太もも上部まである。
「ユーカリ、準備はできた?」
「はい! ですがこの着方であってます?」
サラは振り返る。クツナの侍女服は動きやすいように膝丈のドレスである。ユーカリはがに股だ。
「ユーカリ、足……アッハッハ」
サラは笑いだした。
「姫様ぁ、あーもう! 最悪だ」
サラはユーカリの背後に回り、ドレスのリボンを結んだ。ユーカリは足に力を入れ真っ直ぐに立ってみせる。
「きついっす」
「じゃあ、ユカリと交代する? って言っても、クツナは遥か彼方よ」
サラは少し落ちた声で発した。その声に重なるように、靴音が近づく。サラとユーカリはサッと動いた。扉がバタンと開く。
「おいっ! これを……」
ザラキは声を失った。サラの姿に見惚れている。
「ザラキ様、申し訳ありません。最初のご挨拶ぐらいクツナの衣装が好ましいですわね」
サラは優雅に頭を下げた。
「ユーカリ、ザラキ様がご用意してくださったドレスを預かって」
ユーカリに指示し、ザラキの手にあるドレスをユーカリは預かった。呆けていたザラキがハッとする。
「いいだろう。着いてこい」
ザラキの後をサラ、サラの後を荷物を大量に持ったユーカリと続く。城は広く、サラはどこをどう歩んだのかわからなくなった。しかし、できる限り頭に叩き込む。しばらくザラキの後を着いていくと、中庭が現れた。中央には四角い水盤。その奥にそびえ立つ塔。その側面から左右コの字に外通路。通路は今通ってきた建物へと続いている。建物は、今通ってきた建物と目の前の塔、そして左右の外通路から続くそれぞれの建物。左右対称の造りであるが、左右の様相は違っていた。
「姫、怖じけづきましたか?」
ザラキはサラを見下した。ただその視線は、ねっとりとサラを見る。
「まあ、そんなことはありませんわ。ただこれほどの建物を築き上げた歴代の王様に、感嘆するばかりです」
サラは笑顔を返す。ザラキのねっとりした視線もものともせずに。ザラキは険しい顔へと変わった。現王より、歴代の王を称えたのだ。
「言ったはずだ。その物言いでは、父上の逆鱗に触れよう。死にたいのか?」
「クツナの姫はもう死にましたわ。クツナにいなければ、私は姫ではありませんもの。このラフトにいる私は、単なるさえずりの一羽に過ぎませんわ」
町での看板のことである。サラはザラキの脅しにそう答えた。ザラキは何でも言い返す姫に、怒りを通り越す。ただ蔑んだ瞳でサラを一瞥した。
『俺には、単なる屈服させるべき女にしか見えんがな。そうだとも、姫にあらず。その小生意気な減らず口を、懇願へと変えてみせようぞ』
ザラキは心の中で言い放つ。屈服とは……その瞳はサラのスリッドへ。それを阻むようにユーカリがザラキとサラの間に入り込んだ。
「すみません。荷物をどこかに置きたいのですが」
ユーカリは申し訳なさそうに、ザラキにへつらった。
「ちょうど良い。あっちが紅宮だ。お前はそっちに行っておけ」
ザラキは顎を上げた。あっちとは左右の左側である。
「こちらからは左、つまり西側が紅宮だ。右の東側が黒宮になる。女は皆、紅宮に住まう」
ザラキは部下にユーカリの案内をするよう命じた。ユーカリはサラへと無言の視線を送る。独りで大丈夫かと。
「ユーカリ、部屋を確認しておいて」
サラの言葉にユーカリは頷いた。気丈に言ってはみたが、ユーカリが離れ独りとなると小さな不安がむくむくと起き上がってくる。サラは小さく深呼吸した。
「さあ、姫、行きましょう。あの塔が王宮殿になります」
目の前にそびえ立つ塔が、威圧感たっぷりにサラを追い込む。四角い塔は底辺から大きく、空に向かって剣を突き刺す如く鋭意になっている。
「王の住まうは宮殿。さあ私の獲物を父上に披露しなければ」
ザラキは愉快そうに言った。サラは無言のまま、ザラキに着いていく。大きな扉がギィィィと音をたて開く。黒に金刺繍の絨毯がサラを出迎えた。左右に並んだ兵士がギロリと瞳を動かす。
「さあ、歩いてください。この黒絨毯が父上までの道しるべです」
次話更新4/7(金)予定です。




