はじまり
少女は、両の手のひらで優しく小鳥を包みこむ。ゆっくりと、籠から出して開けっ放しの窓に歩んだ。
眼下には、綺麗な街並みが広がっている。南国ならではの色とりどりの果物が並ぶテントの市場。青き空に映える白い壁の建物。対面に見える城からは、八方に伸びる橙褐色の石畳の筋。そして、点在する色鮮やかな草花。城下町の向こうには、深い緑が生命力の強さを空へと伸ばしている。
「さあ、お行き」
少女は空へと小鳥を放した。小さな羽をパタパタと、小鳥は深い緑へと翔んでいく。
「鳥を愛でるは籠の中なんて嘘ね。羽ばたいてこそ、美しさを愛でられるもの」
少女は部屋に戻り、鳥籠の内側に触れた。
「私も、放たれたいわ」
声は小さく床に落ちた……
小さな、小さな南の国。大国ひしめき合う大陸の南の端。競いあう大国から目を向けられることがないほど、その国に力はない。あるのは、穏和な民と温和な気候。
脅威にならぬほどの小さな南国に、攻めいる大国はなかった。それは、深い深い緑に囲まれていたため。方位を惑わす森が、小さな国を守っていたのだ。
大軍率いて攻めいっても、小さな領土を得られるだけ。運が悪ければ、惑いの森で大軍は散り散りになるだろう。その絶好の機会に他国が乗らぬはずはない。小国を得るために、自国が危機に陥るのだ。そうした状況から、この小さな南国は平穏な日々を送ってきた。
そう……送ってきた。送ってきたのであるが……平穏な均衡は崩されようとしていた。
大国の小競り合いは、やがて大きな亀裂を生み出し、大戦へと進んでいく。
大戦へ……しかし、それを一国の王子が覆した。
「戦の場は、自国である必要はなし。敵国である必要もなし。戦うは惑いの森だ! いち早く抜けた国に戦勝国の名誉が与えられればよい!」
そんな宣言が、大陸を駆け巡る。自国を戦いの場としないこの宣言は、各国の王を唸らせる。
勝っても負けても自国の被害は出ない。大軍でなく精鋭隊だけの競争のようなもの。賭事にも似たこの提案は、各国の民にも支持される。何故なら、徴兵されずにすむからだ。民は戦わずにすむのだ。
小さな、小さな南国は、正に大国の生けにえにさせられた。
「さあ、始めよう! 惑いの森を進め! 姫を拐った国が勝国であるぞ!」
と。
当初、惑いの森を抜けるだけであった宣言は、各国を巡るにつれ変化していった。より競争性を高めて、姫が祭り上げられたのだ。
南国の王は苦虫を潰す。惑いの森だけでなく、娘まで差し出せというのかと。しかし、受け入れねば……小さな国は大国に飲まれるだろう。それも、惑いの森をいち早く抜けた最強な国に。
王は穏和な民を思う。国の頂きにある者として、民を守る役目は王たる者が担う。そのためには、娘を差し出す以外にない。変化していった宣言が、この南国に向かないうちに。この南国を落とした国が勝国だとならぬうちに。大国の戦が、この南国で行われないように。王は宣言するしかなかった。
「あの籠の中にサラ姫が待っている! 各国の王子たちよ! いち早くたどり着いた者がサラ姫を手に出来るのだ!」
王はあえて王子たちを名指しした。せめて、差し出すなら王子である。姫を手に入れる者が、一介の兵士であっては、国の姫たる誇りを失ってしまいかねない。運が良ければ、正室として迎えられよう。
王は急遽城の対面の離れた地に塔を築いた。名を『籠の塔』と呼んだ。大国を皮肉るための命名である。
「籠の中には、南国一のさえずりが入っています。欲しい者には差し上げましょう。大陸一の嗜好品です。最強な王子方、是非見せてください、惑わぬ姿を。あの籠の塔を登る勇気を」
王が築いた塔は、石造りの土台の上に竹を編んだ大きな部屋が載っている。鳥籠のようなその部屋に、王の娘サラ姫が入った。そうして王は、小鳥を奪い合うため競う大国を皮肉ったのだ。
ーーパーンーー
遠くで鳴らされた始まりの合図。サラは、惑いの森の彼方に視線を向けた。
「始まったのね」
サラの視線は空へと移る。
「放たれたい……」
空には優雅に羽を広げた鳥たちが見える。サラは、手を握りしめた。窓の横のテーブルに一冊の本。サラはそれを見つめる。表紙には青き薔薇が一輪、荒野に華やいでいる。
「……ううん! 違うわ」
サラの声に力がこもる。つかつかと開け放たれた籠の窓へと進んだ。そこからの景色は、王子率いる大国の精鋭が、惑いの森を進む動きが一目瞭然である。サラはスゥーと息を吸い込んだ。
さえずり
サラは歌い出す。小鳥であるなら、さえずらないと。サラの美声は人の心を惹き付ける。
『さあ、ここまで来るがいい』
サラは競う王子たちに導の歌をさえずった。
『惑わず来るがいい』
次話更新4/2(日)予定