表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

追憶

その部屋には、甘い香りの陽光が満ちていた。熱いと思わせるほどでもない熱量で、眩しいと感じさせる事も無い光量で、穏やかに、たおやかに、室内を隈なく照射している。

 その温かな陽光から生成された女がひとり、白壁の住居の窓枠に持たれて外を見つめている姿勢で、忽然と姿を現して来た。と言うのは嘘で、最初からエヴァはそこにいた。農夫の住まう白壁の四角い住居の一室でエヴァは、ここ数か月寝起きしていたのだ。もちろん、ラウロも。

 故郷の記憶は自分には残っていないと思っていたエヴァだったが、数か月間のこの村での経験の中で、心の奥底に閉じ込められていた記憶を、故郷での思い出を、いくつも発見していた。故郷に帰って来たという実感が、安心感が、日に日にその胸中に膨らんでいたのだった。今、窓から見える風景の中にも、彼女はたくさんの思い出を描く事ができた。

 白壁の住居群を抜ける、急斜面の小道でころんで、大泣きした思い出や、人工海の砂浜に描いた絵を波に消されてカンカンに怒った思い出などの、幼少の頃の記憶は、ここへ戻って来てから思い出したものなのだが、今のエヴァには、窓からの景色の中に鮮明に思い描く事が出来るのだった。

「ああ、なんて懐かしい・・」

 そう言うエヴァは、しかし、もう一つの懐かしい記憶も呼び覚ましていた。

「お前は私を、暗殺しに来たのだろう?」

 初めて伯爵に声をかけられた時の事を、エヴァは思い出していた。

 交代で各邦領の領主が、皇帝警護の任に当たることになっているリムラーノ帝国において、パエラ伯爵はその任務に就くために、首都であるセッソリ星系に向かおうとしていた。首都での領主の新たな生活の為に、大勢の側係が募集され、その中に紛れたエヴァは、その色香で伯爵を篭絡し、ベッドに誘い込み、寝首を掻こうと画策していたのだ。

 が、なかなか伯爵は、彼女に触手を伸ばしては来なかった。他の男達は次々にエヴァの虜となり、僕となり、彼女の暗殺に命がけで協力する事を誓う者まで現れたのだが、肝心の伯爵は、彼女の色香の前にも涼しい顔をしていた。そんな伯爵から、セッソリ星系に到着した数日後、突如の呼び出しがかかり、人目を忍んで2人だけで逢う機会が訪れたのだ。

 エヴァは隠し持っていた短剣を、丁寧に丁寧に磨き上げ、それを下着の更に下に潜ませ、逢瀬の場に出た。セッソリ星系第3惑星の軌道上建造物内に造成された、深緑の香りと流水の音に包まれた庭園の池のほとりで、エヴァは伯爵を待った。伯爵の懐にさえ這入り込めば、磨き上げた短剣と、鍛え上げたエヴァの剣技で、瞬時にその喉首を掻き切り、即死させる自信があった。ベッドに連れ込む必要も無いかもしれない。

そして暗殺が成功すれば、彼女は自由になれるはずだった。盗賊団の者は、幼少の頃に彼女を連れ去り、暗殺者に仕立てあげた盗賊団の者は、そう約束したのだ。伯爵の暗殺に成功すれば、自由の身にしてやると。

「もうすぐだ。もうすぐ自由になれる。幼いころに生き別れた両親にも会いに行ける。」

 伯爵を殺害し、その手を血に染めた上で両親に会うという事も、幼少より暗殺者として特訓されたエヴァには、罪悪感も嫌悪感も与えなかった。ただ、早く自由になり、両親に会いたいという思いだけがあった。

「もうすぐ、夢がかなう。思いを果たす事が出来る。」

 そう思って待ち構えたエヴァの前に現れた伯爵は、しかし、傍に寄って来る前に機先を制するように言ったのだ。

「お前は私を、暗殺しに来たのだろう?」

 鍛え抜かれたエヴァの技は、この先制攻撃で封じられてしまった。暗殺者と知ったなら、警備の者に逮捕させるのが普通なのに、危険を冒してまで2人で逢おうとした事への驚きが、エヴァを金縛りにかけていた。

「幼いころに盗賊団に誘拐され、暗殺者に仕立てあげられたのだと聞いた。何と悲劇的な出来事であろうか。幸せに包まれて然るべき若い娘が、両親と引き離され、暗殺者にされてしまうとは。私の所領統治が不十分な為に起こった悲劇だ。私がもっとしっかりと、領内の治安や警備に目を配っていれば、こんなことは起きなかった。それに、盗賊団の黒幕は私の弟プイロらしいとも聞いた。とすれば、兄としても監督不十分だ。私が領主としても、兄としても、失格であったが為に、今おまえは、その身に忍ばせた刃で私の喉首を掻き切らねば、両親にも会えぬ境遇にあるのだ。そうであろう?」

 悲しみを称えたその目の色に、嘘は無いとエヴァは感じた。彼女の身の上を心から悲しみ、憐れんでいる。彼女の苦しみを、自分の苦しみのように感じている。それが痛いほどに伝わった。幼いころに両親から引き離されて以来、初めて接する、人の優しさだと言っても良いだろう。

彼女の色香に惑わされ、彼女の僕となった男達は、とても都合の良い存在だとは思ったが、優しさを感じた事は無かった。だから、今目の前の伯爵から感じる優しさに、エヴァの心は、未体験の温もりを味わっていたのだ。

「初めてお前を見た時から、おまえに付きまとう不思議な闇のようなものを、私は感じていた。周りの側近たちは、おまえの色気にばかり気を取られていたようだが、私はそれよりも、おまえに付きまとう闇が気になって仕方が無かった。だから、おまえについて、詳しく調べさせた。それで知る事が出来たんだ。お前の素性と境遇を。」

 問われもせぬのに伯爵は、彼がエヴァの素性に気付いた経緯を語った。

「それを聞いた時、暗殺されようとしている事への、怒りや恐怖は微塵も無く、ただ、おまえが哀れで、可愛そうで、悲しかった。苦しかった。そして気付いたんだ。私はお前を、愛していると。」

 衝撃的な言葉だった。エヴァは、その体が求められることはあっても、愛される事があるなどとは考えた事も無かった。暗殺者として仕立てられた自分が、愛されるなどという事があろうとは。その体に溺れさせ、僕とする事はあっても、彼女という存在が愛されるとは。

 続けて伯爵は言った。

「お前には、私を殺す権利がある。お前の境遇は私の責任で、私を殺す事でしかその境遇から逃れられぬのなら。」

 そう言って伯爵は、カードキーのような物をエヴァの足元に放り投げた。

「そのカードを使えば、この建造物内では自由に、誰に何を問われる事も無く、移動できる。私を殺害した後には、それでシャトルベイまで行き、すぐに逃げなさい。が、決して盗賊団のもとに戻ってはいけない。私を殺せば自由にしてやる、などという約束が、守られるとは思えない。ここは皇帝のおひざ元だから、盗賊団が手を出せぬ安全な場所くらい、すぐに見つかるはずだ。そこへ行きなさい。」

 そう言って伯爵は、初めてエヴァの近くに寄って来た。エヴァにとっては射程圏内だ。その身に忍ばせた刃で、確実に彼の喉首を掻き切れる距離になったのだ。

「だがエヴァ、私を殺さず、私の側にいてくれれば、私が全力でお前を守る。両親にも会えるようにする。私を殺す以外にも、おまえの望みが適う道がある事を考えて欲しい。」

 どんどん近寄って来る伯爵に、エヴァの身は竦んだ。

「だけど、おまえには私を信用する根拠など無い。私の言葉が信じられぬなら、私を殺して逃げれば良い。だが、私を殺すとしても、5分だけ待ってほしい。5分だけ猶予が欲しい。5分だけ、おまえを抱きしめさせてほしい。死ぬ前に5分でいいから、お前を愛したい。」

 それを言い切ると同時に、伯爵は最後に残った距離をも詰め寄り、エヴァをその腕の中に招き入れた。抱きしめられるというのも、誘拐されて以来、初めての経験だった。殺される事を覚悟してでも、ただ愛しているという理由だけで、伯爵はエヴァを抱きしめたのだ。

 それはまさしく、無償の愛だった。命を長らえたいという欲求さえも踏み越えた愛がそこにあった。死を覚悟してさえ彼女を抱きしめた腕の温もりは、彼女の胸を打った。

 エヴァの刃が伯爵の喉首を切り裂く前に、伯爵の愛がエヴァの心を貫いた。その瞬間に、暗殺者は消滅した。エヴァは暗殺者から、一人の女になった。その時からエヴァは、伯爵の望むものは全て差し出した。全てを受け入れた。狂おしい程に求められ、迷いも無く応じた。そしてラウロが生まれたのだ。

 伯爵の子を産んだ女が、元は彼の命を狙っていた暗殺者である事は、伯爵の側近の間に知れ渡っていた。彼らは危惧した。そのような素性の者との間に子を成したとあっては、伯爵の名に傷がつくのではないかと。領民の信頼を失うのではないかと。それに彼の子という事は、伯爵家の跡取りという事になり、次期領主という事にもなるのだ。領主の母親が元暗殺者などとあっては、領民が付いて来てくれなくなるのではないかと思った。

 側近たちは、エヴァとその子の事を秘匿するように、伯爵に進言した。伯爵はそれを渋っていた。どんな素性であろうと、私の愛した女なのだから、隠す必要などないと。だが側近たちは、執拗に、粘り強く説得した。彼らも、ラツェオリア伯領の将来を真剣に案じての行動なのだった。伯爵にそれが分からぬはずは無かった。

 一方で側近たちは、エヴァへの説得も試みていた。伯爵の名誉の為に、身を引いて欲しいと。そして最後は、エヴァから伯爵に告げた。自分とラウロの事は公表しないで欲しいという事と、彼女達が伯爵のもとを去るという事を。その体を半分失う程の痛みを伴った、エヴァの苦渋の決断だった。そうなっては伯爵も、別れを受け入れるしか無かった。

 エヴァは幼いラウロの手を引いて、故郷を目指すことになった。伯爵が調べてくれた、記憶には残っていない故郷を訪れ、そこに身を預ける事を決心したのだ。そんなエヴァの心は、悲しみと不安でいっぱいだった。愛する伯爵と離れて、やっていけるのだろうか?故郷とはいえ、記憶にない土地で、生きて行けるのだろうか?恒星セッソリの陽光が満ちる、タキオントンネルのターミナル外周部の待合室で、エヴァはそんな不安と戦っていたのだった。老人に尻を見られることなどに、構っていられる状況では無かったのだ。

 今、恒星プサの陽光を浴びるエヴァには、もはや何の不安も残っていなかった。故郷は優しかった。全ての村人が温かな笑顔で彼女を迎えてくれた。父親も自分を覚えていてくれたし、母親にも会えたのだ。第2惑星の別の軌道上集落に働きに出ていたエヴァの母は、プイロの城から救出された翌日に、知らせを受けて帰って来て、愛娘との再会を果たす事が出来たのだ。

 それからの数か月エヴァは、家族水入らずの時を過ごす事が出来たのだった。もちろん老人も邪魔には入れなかったし、尻を見る事など、許されようはずは無かった。“王家の守護者”達が、ばっちりとその任務を果たしたのだから。

 全ての不安と助平な視線から解放されたエヴァの胸中には、しかし、伯爵への想いが募って行った。不安を抱えて故郷を目指している間は、返って伯爵への想いは抑えられていたのだが、平和で穏やかな時間を手にしてみると、伯爵に逢いたい思いが、会えない寂しさが、エヴァの心を埋め尽くして行くのだった。

 そんなエヴァのいる白壁の住居の一室には、相変わらず恒星プサからやって来る温かく柔らかい陽光が満ちている。“直射”の陽光では無かったが。

ここ第2惑星に届くプサの陽光は、生命にとってはかなり弱々しく、頼りないものなのだが、軌道上施設に取り付けられた鏡で集められることで、人にとって心地よい温度と光度を回復しているのだ。

 軌道上施設の軸方向に開けられた窓から、その反射光は、白壁の住居群に届けられていた。  

 白壁に映える陽光の中で、窓枠の中に浮かぶエヴァの顔も、朗らかで穏やかなものなのだったが、やはり何か、闇のようなものの存在を感じさせていた。それは暗殺者としての素養によってもたらされるのか、伯爵への寂寞によってもたらされるのか、分からないが。

 エヴァの朗らかな顔に誘き寄せられ、その闇に心を捕らわれた者が、白壁の住居の隙間から、ぼんやりと彼女を見つめていた。その者の存在に気付いたエヴァが、明るく声を掛けた。

「あら、ミスターコーナー。こんにちは。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ