プロローグ
「銀河戦國史」として3作目です。
戦國史って名前からは想像できないほど、ドタバタ喜劇に仕上がっている・・かも。
未来の技術を描写するとこなんか、理屈っぽくて退屈かもしれませんが、面倒な人はそういうところをすっ飛ばして読んで頂いても、ストーリイーの理解には差し支えないと思います。
外出先から帰り、自宅内の一室に入って来たエリス少年は、のどの渇きを覚えて右手を前方にかざした。エウロパ星系第3惑星の海上にある、エリスの自宅の一室での事だ。
その部屋は、フィールド オブ ナノボットと呼ばれており、人の目では到底見られないくらいの超微小ロボットが、静電的な力で空気中を漂っている。それがナノボットと呼ばれているものなのだが、それは、少年の体内にも大量にいる。
体内にいるナノボットと、室内に充満し、空気中を漂っているナノボットが連動すると、様々な特殊能力のような事が出来る。
少年がかざした手の先には、冷蔵庫があり、その中に良く冷えたジュースがある。その冷蔵庫の扉が、誰に触れられる事も無くひとりでに開き、中のジュースがふわりと浮き上がり、空中をふらふらと漂うように進んでいき、少年がかざしている手に、すっぽりと収まった。
それは、表面的な現象だけを見ると、超能力とか魔法とか思えるような出来事だ。念力を少年が使ったという風に、思えるだろう。
だがその現象は、全く非科学的なものでは無く、空気中のナノボットが、冷蔵庫の扉やジュースの周囲の気圧等をコントロールする事で、引き起こされた現象だったのだ。この時代-銀河標準歴3216年には普遍的な、誰でも知っているような技術だ。
少年の体内、特に脳内のナノボットが少年の意思を検出し、電波信号で空気中のナノボットに伝え、空気中のナノボットは、少年が思った通りに冷蔵庫の扉やジュースを動かしたのだ。
「うーん、美味しい!生き返ったぁー。」
「まあ、エリスったら、横着して無いで、ジュースくらい自分の手で取りに行きなさい。むやみにナノボットを使うんじゃありませんよ。」
「はぁーい。」
と、母が注意するように、その技術の乱用は、あまり周囲に良い顔はされ無い事なのだが、エリスの返事でも分かるように、それほど深刻に咎められるような事でもない。
「あら、もう玉子が無かったわね。注文しておかなくちゃ。・・・・・・・・よし。」
「あー!人には、むやみに使うなって言っておいて、ママも使ってるじゃないか。」
と言うエリスだが、笑いながらの発言であり、不満気な様子は見えない。母が、冷蔵庫の中の確認も、玉子の注文も、ナノボットを使って実行した事を見て取ったからの発言ではあったが。
冷蔵庫の中に入り込んだ空中を漂うナノボットが、冷蔵庫内の映像を捕えて電波で送信し、母の脳内のナノボットがそれを受信する事で、母は離れた位置から、扉が閉ざされた冷蔵庫の中を“視認”したのだ。母の体内のナノボットから出た電波が、ハウスコンピュータに中継されて近くの店に届けられ、玉子の注文も完了した。
透視やテレパシーと見える事をやってのけたのだが、ナノボットを用いた科学技術に基づく現象だ。この時代には普通の事だが、極めて利便性の高い技術だと言えるだろう。
だが、この母子の会話からも分かる通り、あまりそれを乱用しない方が良いとの社会通念もあり、法律上でも、その使用はかなり制限されている。エリスの家でも、今彼らのいる10㎡程度の部屋だけが、フィールド オヴ ナノボットになっており、一世帯にはこれくらいの一室のみが、それの利用を認められているのだ。
空気中のナノボットは、エネルギーチャージやメンテナンス等の必要から、フィールド オブ ナノボットの外には出ないように設定されているので、そこ以外では使えない“特殊能力”がたくさんある。
しかしその一方で、フィールド オヴ ナノボットの外であっても、体内のナノボットだけで出来る事も多くあり、特に医療上の機能はとても重宝されている。常に体の隅々にまで行き渡っていて、些細な病巣でも検出してくれるし、病原菌もすぐに退治してくれるし、栄養のバランスも常時調べて報告してくれるのだ。だからこの時代の人々は、このナノボットのおかげで、ほとんど病気をする事が無い。たとえ首を切断されても、頭と胴の位置関係だけ保持しておけば、5分程度で、傷跡を残す事も無く完全回復させられるくらいの外傷治療機能も有している。
テレパシーもナノボット所有者間でなら、どこでも可能だ。体内のナノボットだけで出来るから。だが、念力や透視は、フィールド オブ ナノボットの中でしか使えない。空気中のナノボットとの連携が必要になるので。
法律上、医療用以外のナノボット機能は、フィールド オブ ナノボットの外では、その使用はなるべく控えなければいけない事になっているが、緊急の場合など、幾つか例外的に使用が認められているケースもある。事故に遭遇した人が、ナノボットで筋力強化をして難を逃れたエピソードなどは、銀河のどこかで日常的に発生している。
体内のナノボットは体内物質を使って自己複製され、尚且つ、母から子へと伝承されて行くので、ナノボットを持つ母の子は、みな、生まれながらにナノボットを持っている。科学技術を先天的に体得しているという事が、この時代には起きていた。
注文した玉子は、百㎞程上空にある衛星軌道上の店から10分後には配達され、母は父ともに、それを使って夕食の為の料理を始めた。
ナノボットやハウスコンピューターを使えば、料理などしなくても、自らの手で包丁や鍋を持たなくても、上出来の料理を好きなだけ食べられるのだが、エリスの両親は手作りの料理にこだわる。エリスも両親の手作り料理が大好きだ。
夕食が始まると、エッグタルトを頬張った口をもぐもぐさせながら、エリスは父に、大好きな歴史談義を仕掛けて行った。
「最初にナノボット技術を発明した人たちの事って、何か分かったの?」
問われた父の表情が緩む。彼も、愛息との歴史談義が大好きなのだ。
「6000年以上も昔の、太古の出来事だからなぁ、ほとんど資料が残されていなくて、解明は進んでいないんだ。」
と父も、口をもぐもぐさせながら答えた。
「2人とも、飲み込んでからしゃべりなさい。」
と母は、口をもぐもぐさせながら注意した。
「ごくり」とエッグタルト飲み込んで、エリスは続けた。
「こんなに広く使われている技術なのに、いつどこで発明されたかわからないなんて、不思議だねぇ。」
「ごくり」とカルボナーラパスタ飲み込んで、父は応じた。
「うん、太古の歴史に関しては、不思議な事が多いんだよ。現在知られている、光速を超えた移動法の、どれも使われた形跡の無い文明の遺跡が、百光年以上の範囲に散らばって見つかったりもするしね。」
「古代に発明されたナノボットの技術が、中世においては忘れ去られてしまって、その原理を知る人がいなくなってしまったっていうのも、不思議な話だよね。こんな便利な技術を、なんで忘れてしまったんだろ?なんで、伝承され無くなっちゃったんだろ?」
「ああ、そうだね。それに、知識や技術は忘れ去られたのに、ナノボット自体は母から子へと自動的に伝承されて行くものだから、ナノボットそのものは、使用され続けるという状況も発生していたしね、ごく一部の人達にではあるが。」
「そうそう、ナノボットによって引き起こされる現象が、個人の能力によるものだと考えられていた時代があるのよねぇ。」
と母が、フリッタータで満たされた口をもぐもぐさせながら、父子の会話に割り込んで来た。
父と子は、じろりと母を見る。が、その視線に全く棘は無く、笑顔だ。
「あら、おほほ、飲み込んでからしゃべらないとね。ほほ。」
と母は笑って言い、
「へへへっ」
「あっはっは」
と、父子も笑った。
「超能力だと思われていたんだよね。本当はナノボットが引き起こしている、念力やテレパシーが。ナノボットの事を知らない人が、手も触れずに物を動かすところを見たりしたら、超能力だと思っちゃうよね。」
「ああ、それに、ナノボットは、太古においても一部の高貴な身分の人のみが、その体内に保有していた訳だが、二千年以上を経た中世においては、それを伝承しているのは、更に極僅かの家系の人だけだった。母子間で伝承されるナノボットだから、それを持つ家系にはずっと伝承されるけど、その家系と血の繋がりの無い者には、決して伝承されない。そういうところから、それを持つ家系の人々は、特別な超能力を使う家系だと思われて、人々の畏怖や尊敬を集め、権力の座に就く事も多かったようだね。ほんの一部の国だけの話ではあるけど、ナノボット保有者が国王や皇帝として君臨するという事も、中世にはあったのだね。」
父の話の間に、カルボナーラパスタを口に啜り入れ、噛み終わり、飲み込む事が出来たエリスが言った。
「その代表が、リムラーノ帝国だよね。銀河史の中世にあって、数百年に渡って、安定した平和な国家を維持した事で有名な帝国なんだよね。王家の人達がナノボットを受け継いでいたし、帝国領内の、太古からの遺産である建造物に、フィールド オブ ナノボットがたくさんあった事から、王家の人達は超能力者として、国民から絶大な尊敬と信頼を集めたんだよね。でもそれよりも、王家の人達が、国民の事を真剣に考えた良い政治をした事が、国が安定的に長続きした理由だとも言われているけどね。」
父も息子の話の間に、エッグタルトの口への投入から嚥下までを完了し、話を引き継いだ。
「そうだなぁ。ナノボットの能力で尊敬を集めていた王族が善政を行ったら、国民は迷うことなく、王家の指導に従うだろうからね。その辺が、安定的に長期の国家運営が出来た理由かな。」
「ナノボットと善政と、両方が理由になるんだね。」
と今度は、エリスは思わず、フリッタータを飲み込む前に口を挟んでしまった。
「それに、きっとハンサムだったのよ、リムラーノ帝国の皇帝達って。」
と母が、エッグタルトを口内でもぐもぐさせながら言ったので、エリスが口にモノを入れて話した事は、不問に付されることになった。
「えー!? そんな理由?」
「大事な事よ。ねえあなた?」
「うーん、どうかな・・。」
父も母も子も、カルボナーラを啜りながら言った。口にモノを入れて話す事は、解禁されたようだ。
「リムラーノ帝国では、安定した国だっただけあって、多くの紙媒体の文献を残していたので、面白いエピソードがいっぱい伝えられているんだよね。」
とエリスが言った。その表情が急激に明るさを増す。心に、何か、新しい灯がともったようだ。
「ああ、そうだよ。たくさんある。第一次銀河連邦の加盟国でもあったから、そちらからの資料でも、色んな逸話が見つかっているんだ。」
ちなみに、第一次銀河連邦樹立から後の年代が、銀河史における中世と、エリス達の時代では称されている。
「ねえねえ、何か話してよ!リムラーノ帝国にまつわる、面白いエピソード!」
歴史への探求心が、少年の中で、呼び覚まされたようだ。好奇心に、灯がともったのだ、エリスの中で。歴史学者の父から歴史の話を聞くことが、歴史好きのエリスにはたまらなく楽しい時間なのだ。一度それに灯がともると、もう、居ても立ってもいられないくらいだ。
「ああぁ、うずうずしてきたぁ!本当にどれも面白い話なんだもの。リムラーノ帝国のエピソードは!神力とか神域とかって呼ばれていたんだよね。ナノボットやフィールド オブ ナノボットの機能が。皇帝の一族にだけ使える特別な力とか、その力を倍増させる神聖な場所とか、そんな風に考えられていたんでしょ。そしてその、皇帝一族の神力にまつわるエピソードがたくさん、たくさん、今日に伝えられているんだよねぇ。早く聞きたいよ!まだ知らないエピソードを!」
「食事が済んでからにしなさい。そういう話をし出すと、食べる事も忘れて夢中になっちゃうんだから、あなた達は。冷めちゃったらもったいないでしょ。」
説経っぽく言った母だったが、嬉しそうな笑顔をたたえていた。少年の輝いた表情を見て、母が嬉しくないはずは、無かった。
「うん、じゃあ食べ終わったらね。」
そう言うと少年は、これまで以上に、大量にフリッタータを頬張り、懸命にもぐもぐ、もぐもぐとやった。ぷっくりと膨らんだ頬と同じく、遥か中世のエピソードへの彼の想像は、むくむくと膨らみ続けていた。点火された好奇心の灯は、今や彼の胸中でめらめらと燃え上がり、無垢な心をグツグツと沸騰させ、その圧力が彼の想像を、どこまでも、どこまでも膨らませているのだ。それを必死で抑え込んで、少年は、目の前の夕食に挑み続ける。
ぎゅーっと圧縮された想像力というエネルギーは、夕食が終わると同時に一気に噴出し、少年は遥か中世への時を、一目散に駆け抜ける事になるだろう。
エリス少年の好奇心の前では、数千年の時ですら、障壁にはなり得ないのだった。