Happy Birthday!
「何人殺せば気が済むんだ」聞き覚えのある声が響く。少年がふと意識をその世界に向けると、目の前にはいつも使っている自分のアバターがいた。
「……ジャック。なんだ、これ……」少年は喉を震わす。彼の立っているステージはいつも使用している決闘場だった。しかし状況はいつもとは一変していた。ジャックと少年を挟むディスプレイがそこには存在しなかったのだ。
「神判の日だ。俺を殺してみろ、順一」ジャックは双剣を構える。彼の発した名前は紛れも無く少年のものだった。順一は自分の名前を他人の口から聞くことに違和感を覚える。彼はずっと順一ではなくジャックだったのだ。
「殺してみろって……」言葉を発すると同時に、少年は自らの両手にジャックと同じ短剣がそれぞれ握られていることに気付いた。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
ギャラリーの声が決闘場を揺らす。観客席は暗く、彼らの姿は確認できなかった。
「いくぞ」ジャックはエンハンススキルを三つ発動させる。
「スピードアップ。パワーアップ。スキルバーサーク」電子音がそれらのスキル名を読み上げる。決闘開幕時のその発動パターンは、まさしく切り裂きジャックによるものだった。
ジャックは少年に急接近する。その速度はスキルレベルMAXのスピードアップの効果によって何倍にも跳ね上がる。
「ッ!」少年はジャックによる初手の斬撃を、両手に握られた双剣により辛うじて受け止めることに成功する。
「重ッ……」しかし受け止めたその斬撃にはスキルレベルMAXのパワーアップの効果が付加されている。
「どうだ順一。お前の創り上げた力は」鍔迫り合いの火花越しにジャックは少年に語り掛ける。
「お前は僕が作ったんだ。お前の力は僕が一番よく知ってる」
「いいや何も知らないね。俺がどれほど無力なのかお前は知らない。知らないふりをしている」
「何の話をしてる」
「お前の話をしてるんだよ。ずっとずっとお前だけの話を」その瞬間、ジャックの情報をバグのようなものが覆い始める。「順一、俺が分かるか?」バグが晴れると、順一はジャックの代わりに存在するキングの情報を視認する。少年の持つ双剣と接触していたジャックの双剣は、いつの間にかキングの愛用する武器である大剣へとその姿を変貌させていた。
「んん……、あぁ!」目の前に姿を現したキングの存在を少年は畏れ、その鍔迫り合いを強引に解除する。「なんでお前がSAOに居る!」少年は叫ぶ。
「お前がSAOに居るからだ」
「夢を諦めたのか……?」少年は笑う。「帰って来てくれたのか?」
「馬鹿を言うな。俺はお前の創り出したキングだ」
少年の表情は曇る。「そっか……」
「ならばどうする」
「ぶっ殺す」少年はギリギリと歯軋りを鳴らす。「僕はお前が大嫌いだ」「スピードアップ。パワーアップ。スキルバーサーク。レザジーミックス」少年の怒りに呼応するかのように電子音がエンハンススキルを読み上げる。彼は自らの体に力が宿るのを感じる。殺せる。彼は笑った。
「オラァ!」彼はキングの屈強な鎧目掛けて二つの刃を振り下ろす。その一閃をキングは防がなかった。「ローンチ。クロススラッシュ。ワイルドダンス。ドロップ。フラッシュステップ。ソードツイスト。サザンクロス。グランドクロス。アンデュレイトレーザー。エンシェントアーツ」電子音が途端に多種多様なアクティブスキルを読み上げ始める。発動したのは全て順一である。切り裂きジャックの攻撃を一度でも丸腰で受けてしまえば、十連続でのスキルの応酬は当然のことなのだ。
少年には手応えがあった。切り裂きジャックの十連コンボの火力では、キング程度であれば、例えHPが百倍であったとしてもオーバーキルである。少年は殺人の快感に震えた。
が、少年の十連スキルのエフェクトの残滓が晴れたその先に、キングは無傷で立っているではないか。
「なんで効かねえ……」再び少年は歯をギリギリと鳴らす。「例え死んでなくても、あれだけ僕の刃を喰らえばレザジーミックスの効果で睡眠状態にくらい堕ちていて当然の筈だ!」
「お前じゃ俺を殺せない」キングは言う。
「ふざけんな! こんなの道理に合わない! さっさと死んでくれよ……」
「俺はお前の鏡。お前が一番大事にしている鏡だ」
「それ以上言うんじゃねえええ!」「フラッシュステップ」電子音の読み上げたスキルは急接近と斬撃を兼ねたスキルである。
「なら逃げようよ」少年の放ったスキルの先、今度はバグがキングの情報を覆い、代わりにメイの情報を打ち出した。
「メイさんまで……」刃が彼女のアバターを貫く寸前で少年はスキルをキャンセルする。「なんで居るんです! 帰ってきても僕は貴方を助けられない……」無力の自覚に少年の刃は地面を向く。
「助けられるよ。君は私と一緒にいるだけでいいんだ。私を承認してくれる誰かが居てくれれば私は救われる」
「でも……」
メイは少年の右手を優しく握ると、それを自分の胸にそっと乗せてやった。「君が自分を破壊できない子だって知ってるよ。君が真面目な子だって。だからこんな中途半端な生き方は駄目だ。自分を大切にして?」
「大切にって……、一体どうすれば……」彼の眼から涙が落ちる。
「心に従うの。私が貴方の心に成ってあげる」その言葉を合図に少年の手は彼女の胸を貫通する。「んッ……!」
「なんですかこれ……」
「怖がらないで。貴方の心が元に戻るだけだから」メイの情報が彼の腕を軸として風車のように回転し始めたかと思えば、それらは彼の体に吸い込まれていった。
「……解った。少し解ったかもしれない」瞼を閉じ、刃の消えた右手を握りしめ、少年は呟く。
「そうか。なら次はこの俺だぜ」彼の背後でジャックの声が響く。少年は二つの瞳を力強く見開き、背後のジャックへと向き直った。
「神判の意味が解ったか?」
「解った。僕は歩かなきゃいけないんだな」
「その通り」「フラッシュステップ」ジャックの行動を電子音が読み上げる。接近だ。少年はそこからの彼の動きが手に取るように解った。
「クロススラッシュ。ワイルドダンス。ソードツイスト。サザンクロス。グランドクロス。アンデュレイトレーザー。エンシェントアーツ」電子音が続けてスキルを読み上げるが、少年はそれらを最短距離で回避する。そして少年はそのコンボ後に生じる僅かな隙も当然理解していた。
「ウッ……!」ジャックの胸を少年の左手が貫通すると、彼は少年の肩にそのまま頭を乗せた「やるじゃねえか……」消え入るような声でジャックは少年を称賛する。
「お前の力は僕が一番よく知ってる。どれだけ無力なのかもな」
「一人で歩けんのか?」
「歩くしかないだろ。こんなんになるくらいなら」
「あぁ……、俺はもっと前から知ってたけどな……」
「時間なんて関係ない」
「それも知ってる」
「そうか」ジャックの存在自分の左手に吸い込まれる最中、少年はジャックの声が自分の声だということに気付いた。
「さぁ、最後の儀式だ」彼の背後のキングがそう言う前に、彼は既にキングの方に向き直っていた。その両手にはもう何も握られてはいない「力も承認も失い、随分みすぼらしい姿になったものだな」
「これが僕の本当の姿だ。本来力も承認もお前を用いて手に入れるものだったんだ」
「気付いたところでもう遅い。お前が偽装の世界で呆けている間に、お前の周りの人間がどれだけ歩みを進めたと思う?」
「そんなことはどうだっていい。所詮僕は僕以上にはなれないんだ。ジャックがそれを教えてくれた」少年はキングに向かって真っすぐに歩き始める。
「夢を追いかけたところでそれは叶わなければ意味は無い。無理はしない方が良い。無駄に疲れるだけだ」
「疲れない人生よりは何倍もクレイジーで楽しい。それこそゲーム性があって興奮する」少年は歩く。その表情は笑顔だった。
「詐欺は止めにするのか?」
「そうさせて貰うよ。元々ここまで僕を連れて来たのはお前に対する狂気だ。狂気は僕じゃない。それにこれ以上僕は今の僕を認めてやることが出来ないらしい。メイがそう言ってた」
「他人の言葉に従うのか」
「悪いけど全部僕の言葉さ」
少年はキングの目の前でその歩みを止める。
「剣も持たずに俺を殺せるのか?」
「いいこと教えてやるよ」少年はポケットの中からペンタブレット用のペンを取り出した。それは、健二の絵を見るまで彼が自宅で毎日のように使用していたペンだった。「ペンは剣よりも強いんだ」
少年のペンがキングの鎧を貫く。
※
順一が奇妙な夢を見てから一週間が経った。
「順一、絵のタッチ変わったよな」高校の美術室。絵を描く順一の後ろで彰三は言う。
「幻想的な作風だね、とは先生に言われたよ」
「あぁ、どこかで見たかと思ったらSAOの世界観が出てるんだ。でも綺麗だし、前のお前の作風よりかこっちの方が俺好みかも」
「そりゃあ誘ってくれた人には感謝しないとな」
「……悪かったよ。あんなドハマりするとは思わなかったからさ」
「謝らなくていいよ。ほんとにキングには感謝してるんだ」
「……そうかい」彰三は腑に落ちないようだった。しかし順一が彼に感謝しているのは本心である。SAOに浸かる前から彼は夢を諦めていた。あれは彼に大きな一歩を彼に踏み出させるきっかけとなったのだ。
「世の中どこにヒントがあるか解ったもんじゃないな」順一は窓の外で揺れる緑葉を眺めながら言う。
「お前漫画は描かないのか? 夢だったろ」彰三は思い出したかのようにそう言う。
「描いてるよ。昨日一つ新人賞に送った」
「言えよ! てか行動早っ! スゲエな……」
「前に描きかけのヤツがあったからそれを完成させて送っただけだよ。そんなに凄くもないし、あんな出来じゃどうせ通らない。供養してやっただけだよ」
「でもスゲエよ……。俺なんてここ何日か全然進んでないんだぜ? 足引っ張り続けて、健二とも解散になるかもしんねえ……」
「ずっと逃げてた僕から見たら、お前だって相当凄いけどな」
「才能ねえと駄目だよ……」
「歩き続けられるのも才能だよ。僕の有様を忘れたか?」
「確かに。なんか元気出てきた」
「失礼な奴だな」順一は中学の頃のように彼と歯に衣着せない会話が出来ていることが堪らなく嬉しかった。少年は教室内を吹き抜けるそよ風をゆっくりと吸い込んだ。爽やかな秋風に混じる絵具の臭いが彼の胸をいっぱいにさせる。
「また一緒に頑張ろうな。俺は頑張ってる奴に囲まれていた方が嬉しい」彰三はガラにも無いようなことを言う。順一の気持ちは彼と同じだった。これからはしっかり、そしてそれなりに頑張っていきたいと彼は思った。
「きっと僕もそうだ」彼は力を求め続けることによって再びの生を得たような気がした。