Wonder Song
彼女の名前は『Wonder Song』
精妙な人形師によって作られ
聡明な魔法使いによって命を吹き込まれた
生ける人形の少女。
病むこともなく、老けることもなく、朽ちることもない。永久に歌い続けることの出来る…幸せな人形なのです。
花のトンネルを抜けて森の奥。小川に架かる橋を越え、桜並木の道の向こう。
そこにひっそりとたたずむ素敵な家にWonder Songは住んでいます。
「私もケーキが食べたいです」
暖かい昼下がりのこと。
Wonder Songと魔法使いはいつものように窓の側でお茶会を開いていました。
「……Wonder Songはさっきプリンを食べたじゃないか」
「人形用プリンはあんまり美味しくありません!私はその甘い甘いショートケーキが食べたいです!」
「Wonder Songは人の食べ物は食べれないよ」
「じゃあ人形用の美味しいケーキを作ってください」
「…………Wonder Song。人にはね、向き不向きというものがあってね…」
「要は作れないのですか?」
「……」
「魔法使いなのに作れないのですか?」
「魔法使いが何でも出来ると思ったら大間違いなんだよWonder Song」
「逃げに走りましたね」
魔法使いは聡明ではあれど、Wonder Songの質問攻めから逃れる術は持ち合わせていなかったのでした。
「分かった、考えておくよ」
パァアアとわかりやすいくらいにWonder Songの顔がほころんだ。
暖かい昼下がりのお茶会はとても気持ちよくて、魔法使いはいつもちゃんと優しくて、この時間は心地よくて、幸せな時間なのです。
でも、Wonder Songはいつも頭の片隅で考えていた。
今見つめているこの窓の向こう側、あの木々のその先に、この空の果て何があるのかを。その小さな好奇心は毎日次第と大きくなりWonder Songの強い願いとなりました。
「……」
「どうしたの?Wonder Songu、ぼーっと外を見て?」
「……なんでもないです…」
「そう……おいで、Wonder Songu。また新しい歌を書いたんだ」
だからきっと、Wonder Songがその家を飛び出したのは必然だったのです。
Wonder Songが魔法使いの家を飛び出したのは月の明るい綺麗な夜明け前の頃。
お気に入りのワンピースに着替えて、長い長い金色の髪をたなびかせながら月灯りの照らす道を進んでく。小さな鞄の中には少しのおやつと肌身離さず持っている、魔法使いが教えてくれた歌の楽譜を詰めて。
魔法使いは…自分の残した手紙を見たらなんて思うのだろうと少しだけの後ろめたさに戸惑うWonder Song。それでも彼女は歩き続ける。
この冒険の果てに、自分にとって何か素晴らしいものが得られると強く信じて。
「草も木もこんなに大きくて…いろんな匂いがするんだ……」
魔法使いの話の中や本の中でしか知らなかった。私は人形だけど…心が弾む、今がとってもとっても楽しいんです。
Wonder Songは溢れそうな感情を感じて草むらを抜けだした。
そして、Wonder Songは出会ったのです。不思議な不思議な方達に。
「人形だぁ」
「魔法の人形ダネ」
「不思議な人形ダ」
「……」
「こんな時間に…君はいったい何者だい?」
思い思いに喋った彼らを見て、Wonder Songはまばたきを繰り返していた。
そこにいたのは不思議な動物たちだった。
「私はWonder Songだけど……あなた達の方が何者なのか私には分からないわ」
「おかしな人形だね君は。私の姿は誰が見ても『世話焼き鹿』と答えるだろさ」
「あたし達うさぎダヨ」
「『双子うさぎ』に決まってるでショ?」
「Wonder Songはぁ『カワガメ』を知らないんだねぇ。名前もだけど変な女の子だなぁ」
彼らは少しだけ可笑しそうに笑っていた。ただ、Wonder Songが不思議だったのは動物たちの名前ではありません。
すると、木の上で退屈そうにまぶたを伏せていた黒猫が振り向きざまにWonder Songを見つめました。
「素っ頓狂な顔をして…何をしに来たのかは知らないが早く帰った方がいいんじゃないか?」
「『気まぐれネコ』…君はまたそんな事を言って……」
「ねぇ…『気まぐれネコ』さん?私が知ってる猫は…確かにゃあと鳴くはずなんだけど……」
「やれやれ、一体何百年前の話をしてるんだか…俺たち動物は人間と同じくらい長く種として生きてるんだ。人間の言葉を喋らなかっただけさ」
「そうだったのね」
Wonder Songはいとも簡単に納得しました。というより、Wonder Songにはそれが可笑しいと言う事に気付くための知識が無かったのです。
「あのね、私この世界が見たくて旅に出たの。とりあえず森を抜けたいのだけど…どっちにいけばいいのかしら?」
「可笑しなコ」
「こんな世界の何を知りたいノ?」
「全部。知らない事を知るのはとてもわくわくするの」
にっこり笑って見せたWonder Song。そんな彼女を見て、『気まぐれネコ』は垂れ下がっていた尻尾で森の奥を指し示します。
「森を抜けるにはこの奥の道を進めばいいが……でも、この先は人間の世界だ。戻るなら今のうちさ」
「…?人間の何がいけないの?私と一緒に住んでいる魔法使いはとても素敵な人よ?」
「魔法使いはぁ、魔法使い。人間はぁ人間さぁ」
「彼らは蛇のように狡猾デ」
「虎のように獰猛ヨ」
「そしてとても欲深い」
「俺たちはただ気ままに、気まぐれに生きていきたいだけさ。でも人間は違う。頭でっかちで悩んで、一人一人違って、感情なんてもんで俺たちを振り回すのさ」
動物たちは一カ所に集まって、そのまま森の奥へとゆっくり消えていくように歩き出す。
「お気をつケ」
「人間たちハ」
「いつの世だってぇ」
「ちぐはぐな奴ら」
「好奇心は猫をも殺すのさ」
夜の闇に、彼らの目だけが光ってた。
Wonder Songは少しだけその場に立っていた。それでも、彼女は歩き出す。
動物たちの忠告を胸に、まだ見ぬものを見に。
森を抜けると、そこには大きな人間たちの街が広がっていた。石畳の道に鳴る足音にWonder Songは楽しくなる。でも、街を歩くWonder Songはある事に気がついた。
人間の街に人間が一人もいなかったのです。
「みんなでお出掛けかしら?」
すると、Wonder Songは人間を探し始めました。
家の中も、橋の下も、ゴミ箱の中も。
しかし、ちょっとドジなWonder Song、あろうことかそのゴミ箱の中に誤って落ちてしまったのです。
ゴミ箱の下は長い長い滑り台のようで、Wonder Songはどんどん下まで落ちていったのです。
ガチャンッ!
「……?」
「痛い…痛いわ。ここはどこ?」
起き上がったWonder Songが見たものは、見渡す限りの壊れた人形の山だった。
腕のないもの、腕だけのもの、古いものも新しいものも…総じて皆壊れ果てていた。
「壊れてない人形が落ちてきたのは初めてだ」
その声に振り返ったWonder Song。そこには、大きなスパナを持って、ノコギリを背をった兵隊人形が立っていた。
「あなたは壊れてないのね」
「君も壊れてないね…どう仕事をしたらいいんだろう?」
「仕事?」
「ボクの仕事はね、ここに落ちてくる壊れた人形を分解して土に埋める事なんだ」
「土に埋めてどうするの?」
「さぁ?ボクはただ…人間にそう言われて魔法をかけられたんだ。かれこれ八十年壊し続けて埋め続けてる」
Wonder Songは素直に驚きました。彼女からしてみてもこんな暗くて汚い場所で八十年も自分と同じ人形を壊し続けるなんてごめんだったからです。
「止めたいと思わないの?」
「キミは可笑しな人形だね。人形に感情なんてないじゃないか。それに…ボクには家族の人形がいるんだ」
「家族の人形?」
「もともとそう言うシリーズで作られた人形だからね。その家族の為にも働かなくちゃ」
「ふーん…」
それからしばらくWonder Songは兵隊人形とお話をしました。
ほとんど兵隊人形の家族の話だったけど、魔法使い以外の家族を知らないWonder Songにはとても楽しい時間だった。
「キミはいい人形。壊れてもないし、出口を教えてあげるよ」
「本当!ありがとう兵隊さん」
「あっちの人形の山の向こうに昔人間たちが使ってた出口がある。ボクはまだこの辺りの人形を埋め終えてないから行ったことはないんだけどね。超えれば多分直ぐに分かるよ」
「分かったわ。じゃあね、兵隊さん」
「さよならWonder Song。キミの冒険が良いものになるよう願ってるよ」
兵隊人形に大きく手を振って別れを告げた彼女は、人形の山を越えて行きました。
兵隊人形の言うとおり、そこには人間用の大きな螺旋階段があったのです。
早速上がろとWonder Songが足下を見た時、彼女は思わず息を飲みました。
そこには…あの兵隊人形の家族が壊れていたのです。
彼の話しの通り、彼と同じシリーズの、奥さん人形と息子人形。
「どうして…あなたたちは壊れてしまったの?」
壊れた人形からはWonder Songの質問に対する答えは返ってきません。
「あなたたちがいなかったら…兵隊さんはどうして生きているの?彼の……幸せはどこ?」
誰にも答えられない質問。もちろん誰も答えてはくれません。
しばらく立ちすくんでいたWonder Songは少し戸惑いながらその二つの人形を人形の山の遥か下。深い土の中に埋めました。
「兵隊さんの…幸せの終わりが…どうか、見つかりませんように……」
螺旋階段を上がり、地上に出たWonder Song。少し汚れた足で、また人間のいない街を歩き出しました。
ウィーン、ガシャンッ。ガシャンッ。ガッシャン。
不意に、Wonder Songの耳に聞こえてきた可笑しな音。彼女は不思議そうに辺りを見渡しました。
すると、道の奥から一台のロボットが現れた。真っ黒に煤けたロボットはWonder Songに気がつくと、ウィイインとゆっくり首を回して…そのままじっくりWonder Songを見つめたのです。
「対象ヲ発見シマシタ」
「対象?対象って私の事?」
「ワタシハ回収ロボット。人間ヨリ『人形ノ廃棄』ヲ命ジラレテマス」
「ロボットさん…あなたが兵隊さんの家族を回収したの?」
「該当スルデータガ有リマセン。他機体ニヨル事項ト推測イタシマス」
「そう……」
「ナニヨリ、ワタシ…ココ五十年ホド生キタ人形ヲ回収シテイマセン」
「つまり…生きた人形はもういないってこと?」
「魔法使イニヨッテ作ラレタ魔法ノ人形…シカシ、モウ必要ナイノデス。人形ハ所詮子供ノオモチャ、増エスギレバ迷惑デアルノミ」
「……」
Wonder Songは呆然としました。
彼女は知っていたからです。魔法使いが人形に命を与えたのは、それがとっても素敵な事だと思ったから。なのに、その人形たちが人間の都合で壊されてる。使われている……Wonder Songは、なんだか悲しい気持ちになりました。
当たり前だけれど、人間たちの考えや都合に、壊される人形たち自身の意志や言葉は全くないのです。ウィーン…と、小さな電子音。ロボットからそんな音が聞こえてきました。そして……
「……メインサーバーヨリ人形ノ廃棄命令ヲ更新イタシマシタ。人形ノ分解、廃棄ヲ最優先トイタシマス」
「!?」
ロボットの体から突如として長いアームが飛び出した。奇妙に動くアームは真っ直ぐにWonder Songの方に延びてきて、彼女を掴もうと襲いかかる。
「きゃぁああ!?」
「!?」
Wonder Songが悲鳴を上げたその瞬間。ピタッ!と、アームの動きが、Wonder Songの目の前で止まったのです。
Wonder Songが恐る恐るロボットの方をうかがうと、ロボットは機械の瞳にくっきりとWonder Songを映しながら突然機械の怪しい音を立てて激しく動き出した。
「廃棄…廃棄イタシ…マ…ガガガガガ…!」
「ロボット…さん…?」
「……………………………………嫌……でス……」
目の前で止まったアームがギリギリと震えているような、ためらっているような…そんな風にWonder Songには見えました。
「ワタシは…もう…壊しタくナイ。人形たちガ、壊れて落ちていく姿を見たクないノデス。」
「……………ロボットさん……あなたは…本当に人形を捨てるために生まれたの?最初から?」
「……どうデシタのカ…ワタシも忘れてシマイました。思い出そうにモ、ワタシは人形を壊しスギたノです。人形たちノ壊レていく顔ばかリ浮かんで…ワタシの生まれタ意味などカキ消されテしまいましタ」
そしてそれは…何か大切なものだったはずなのに……ロボットはそう呟いて、その長く黒ずんだアームを静かに地面に下します。
ロボットはまたウィーン…と静かな音を鳴らしたかと思うと、だんだんとロボットの動きも遅く、静かなものになっていったのです。
「ワタシは生き方ばかリで生まレタ意味を考えナカった。Wonder Song、アナタはそうハならナイように……タとえアナタたチが飽キたら捨てラレてしまう人形でモ、ワタシのヨウな罪深きロボットに気づク機会をクレタ……その生まレてきた命ハ…きっと素晴らしイカラ……」
そして…そのままロボットは動かなくなってしまいました。長い間、生きた人形を回収しなかったロボット。長い時間によって彼はようやく自分の意志を見つけられたのかもしれない。
命令を無視したいと思った彼は、最後に自分の意志を、自分の言葉を…Wonder Songに残していったのだから。
「……助けてくれてありがとう…私にはそれしか言えないけど…あなたの言葉は忘れない。ロボットのあなたが見つけたかったもの…人形の私も探してみる」
Wonder Songは、最後に動かなくなったロボットに深く頭を下げて、また…歩き出しました。
夜の闇を見上げながら、Wonder Songは思いました。
「この世界は…どうしてこんなに悲しいことばか起こるんだろう……?」
人間を見下しながら、怯え、逃げ続けていた動物たち。
偽りの幸せを感じながら働き続ける兵隊人形。
悲しみの中でようやく自分を見つけ、壊れてしまったロボット。
皆…ただただ自分の生き方をしていただけ。なのに…どうしてこんなにも悲しいのか……わからない。でも、悲しみに包まれたこの世界を…精一杯生きていた彼らを…Wonder Songは心から凄いと…素晴らしいと思ったのです。
「私の…生まれてきた意味……」
ロボットとの約束をWonder Songは考えてみました。
けど、Wonder Songにはその答えはもうわかっていたのです。
Wonder Songが命を吹き込まれたあの日。目覚めた彼女の瞳に映った、魔法使いの笑顔。まだ子供っぽいその笑顔で…彼女は生きたいと思ったのです。
『Wonder Song……?』
『そう、君の名前はWonder Song。可愛い名前でしょ?君は歌うことのできる人形だし』
『うた…』
『歌ってよWonder Song。僕は、ずっと昔から君の歌が好きなんだ』
「…………帰ろう。私の生まれた意味も生きる目的も最初からあったんだ…」
外の世界に惹かれていたWonder Song。でも、彼女は最初から幸せは内側にあった事にようやく気づいたのです。
Wonder Songは夜の道をまた歩き出しました。今度は帰るために、冒険を…終わらせるために。
花のトンネルを抜けて森の奥。小川に架かる橋を越え、桜並木の道の向こう。
そこにひっそりとたたずむ素敵な家に戻ってきたWonder Song。
しかし、そこには家など無かったのです。
何もない。
窓も、屋根も、煙突も、扉も、庭も……Wonder Songと魔法使いが住んでいた家は跡形もなく。そこにはただ、地面が広がるばかりだった。
「……」
声も出せないWonder Song。そんな彼女のもとに現れたのは…一匹の『気まぐれ猫』だった。
「やぁ、お帰りWonder Song。といっても、どうやら君の帰るはずの家は…もう無いみたいだね」
「『気まぐれ猫』さん……なんで…?魔法使いは…どこに行ってしまったの?」
「さぁ?今ごろは、死んでるんじゃないか?」
死んでいる。
その言葉にWonder Songの瞳は大きく見開きました。そして、彼女の心がきつく、苦しく締まる。
「この家は魔法使いが魔法で作った家だから…消えたって事は……まぁ、そういう事なんだろうさ」
「なんで…死んじゃったって…なんでそんな事……」
「なんでなんでと君は質問ばかりだね…俺が知る限り、君のせいであることは否めないのさWonder Song」
「………………え…?」
「人間たちにはお気をつけと、あれほど言ったのに。君は好奇心に駆られて街に行ってしまったね。だから魔法使いは人間たちに見つかった、そうして彼らに連れていかれた所までが俺の知る限りさ。どうして連れてかれたのかだとかは…あの街を見た君ならわかるだろうWonder Song」
「……わからない。私には…そんな事…」
「嘘を言っちゃぁいけないよ。まぁ…嘘が嫌なら俺から真実をあげようか」
耳を塞ぐWonder Song。けど…人形の彼女では『気まぐれ猫』の言葉を完全に塞ぐ事は出来なかったのです。
「君たちが…君たち人形が人間にとっていらなくなったからだよ」
『人々の様々な思惑から増えすぎた人形は問題ばかり。もういっそ捨ててしまおう。全くこんな事になったのも全ては……あの魔法使いと始めの人形のせいだ』
「……と…まぁ、そんなとこさ。やれやれ人間たちはどうしてこうも愚かで自分勝手なんだか……」
そしうて『気まぐれ猫』は一通り話し終えると、気まぐれに森への帰路を辿って行きました。
「さよならWonder Song。結局、君の冒険は…失ってばかりで何の意味があったんだろうね…………」
『気まぐれ猫』の気まぐれは…気まぐれな優しさなのか、気まぐれな残酷さなのか……
Wonder Songにはわからないどころか、考える余裕すらありませんでした。
魔法使いとの家があった場所に唯一残っていた庭の桜。その木の下でWonder Songは泣きました。溢れる涙を何度拭っても、悲しみが費えることはありません。魔法使いが帰ってくることもありません。
それでも彼女は泣きました。そして、歌いました。
彼女は『Wonder Song』魔法使いの笑顔と…歌を奏でる為に生まれてきたのだから。
彼女が冒険で見つけられたもの。
それは生きる目的でも、生まれてきた意味でも、世界の悲しみでもありません。
そこにあったのは『死ぬ』ということ。
病むこともなく、老けることもなく、朽ちることもない。永久に歌い続けることの出来る彼女が…世界を通して見つけられた。
悲しい悲しい不条理だけなのです。
幸せな時間は終わる