第5章
1
久しぶりに持ったバットの感触に懐かしさで震えた。
自分の野球への未練を忌々しく思いながら、ヘルメットをかぶりマウンドで投球練習を行っている一輝を見た。
体のバネを最大限に使い、目一杯しならせた左腕から剛速球が放たれる。
パァン!! という音を立てて白球はミットに収まった。
――左の本格派ってところか。自分から勝負持ちかけただけあって相当自信があるみたいだな。
平太はそう考えながらバットのグリップにロージンをつけてバッターボックスに入る。
ベースの上にバットを乗せて自分の立つ位置を調節。
振り子のようにバットを二回振り三回目で肩に担いで構えた。
「プレイ」
審判の声がかかり一輝はワインドアップ。投球練習の時と同じように体のバネを目一杯使った剛速球をキャッチャーミットに叩き込む。
「ストライク!」
初球は内角低め。ストライクゾーンギリギリの球を平太は見るに徹した。
制球重視のストレートは130キロ後半ってところか。
この急速でコーナーを突かれたらそうそう打てる奴なんていないだろうな。
バットを構えたのを確認して一輝は第二球を投げた。
同じコースに決まったシンカーに手が出なかった。
抜群の制球力。確かにこりゃ逸材だ。
一輝の実力を心の中で称賛すると同時にイライラしてきた。
才能――野球を始めたのはオレが先だったのに。
才能――監督も。コーチも。チームメイトも。知美も。誰も、オレを見てはくれない。
才能――司1人いればよかったんだ。司さえいれば、オレは要らないんだ。
なあ、斎藤。何だってお前はオレを引っ張り込もうとするんだよ?
お前程の実力があれば、オレなんかいらねえだろ?
やっと諦めがついたってのに……これ以上オレを惨めにすんじゃねえよ。
第三球。一輝の投球モーションに合わせてステイバック。
投げると同時に測ったタイミングフルスイングした。
ボッ!! と空気を切り裂く風切り音の後、乾いた音がグラウンドに響いた。
「ストライク! バッターアウト!」
球速は約140キロ後半。球種はストレート。コースはストライクゾーンから少し外れた高め。三球三振。
「1アウトー!」
一輝は後ろを振り返り人差し指を立てて高らかに宣言する。
その声に合わせてバックから気合の入った声が聞こえてきた。
2
「なんだ、全然大した事ないじゃない」
佳奈は呆れたように溜息をついた。
一輝の目標とするチームに藤堂平太が必要なのかどうかは疑問なのだ。
今の彼にはあの時の輝きなど欠片も感じない。
『何が何でも勝つ』という実現させる為の強い意志がないのだ。
「全然……、大した事……」
佳奈は下を向き唇を噛み締める。
悔しい。
あの時自分が立ち直るきっかけになった彼がこんな風に落ちぶれてしまっているところなんて、見たくは無かった。
もういい。帰ろう。
平太の言う通り、自分は部外者なのだ。
これ以上失望させられる前にここを離れよう。
そう思って踵を返そうとしたときだった。
金属バット特有の高い音と同時に鋭い打球がフェンスにぶつかった。
佳奈は驚いて振り向く。
平太の顔つきが真剣なものに変わっていた。
絶対に勝つという強い意志。
心臓が早鐘を打ち――引き込まれていく。
バッターボックスに立っていたのは、グータラ学生と呼ばれた『藤堂平太』ではなく、かつて長倉佳奈が憧れた『藤堂平太』という1人の選手だった。
3
目測約140キロ後半。左の本格派。武器は右バッターの中を抉るシンカー。
シンカーはあの鋭さでは前に飛ばせない。
けど、打てないならファールにしてしまえばいい。
恐らくだが最低でも、もう一種くらい変化球を隠し持ってるだろう。
そいつを――、引き出してやる!
二打席目。平太はひたすら一輝の投げる球をカットした。
甘い球が来たら弾き飛ばしてやる。
元々平太は変化球打ちよりも速球打ちが得意な打者だ。
緩急を交えたストレートを捉えるのには時間がかからなかった。
鋭い打球がサード側のファウルグラウンドに飛ぶ。次第に一輝は追い詰められていった。
まさか……、ここまでとは……!
一輝は平太の打者としての技量の高さに舌を巻いていた。
斎藤一輝の投手としての実力は頭一つ分抜けている。
高校時代、彼の球をまともに捉えられるのは大会でもベスト4に名を連ねる程の強豪の中でもクリーンナップとして君臨する強打者だけだった。
その一輝が一年以上ブランクのある打者に追い詰められている。
しかも平太のスイングは一球ごとに更に鋭くなっていく。一輝は思わず笑みを浮かべた。
これだ。この高揚感。やっぱり俺にはあの人が必要だ。
意地でも勝って入部して貰う。
一輝は自分の切り札を投げる為にボールを握り直す。
カウントは2-2.セットポジションをとり、全力の球をキャッチャーミットをめがけて投げ込んだ。
ッシャ! 速いストレート、ドンピシャ!
一瞬で球筋を見極めてステイバック。腰を回転させてフルスイング。
タイミング、バットの軌道共に完璧。完全に捉えたと思った。しかし、
キンッ!
芯で捉えた筈のボールは僅かに、それでいて鋭く内側に食い込んできて詰まった打球がサードに高く飛びあがる。
サードは浅いフライを難なくキャッチ。いよいよ残す所あと1打席となった。
「……なるほど。カットボールか。いい球持ってやがる」平太が独り言のように呟くと、「ふふふ。降参するなら今のうちですよー」と冗談交じりの軽口を叩く。
平太はそれを無視して再びバッターボックスに入ると、ベースにバットを置き立ち位置を測る。そして、振り子のようにバットを二回振り三回目で肩に担いで構えた。
この動作は平太が打席に入る前のジンクスなのだ。
平太の集中はいささかも乱れていない。
それを感じ取り一輝もすぐに引き締まった表情に戻り、力の限り投げる。
一球目はシンカー。打者から見て左斜めに抉り込んでくる打球を平太は見逃した。
審判のストライクのコールが不気味なほど静まり返ったグラウンドに響いた。
最初は一輝の球が打たれる筈がない、とタカを括っていた部員達の表情も真剣なものに変わっている。
皆、平太の本気に引き込まれていた。
二球目は速球。これも平太は見逃しツーナッシング。
一輝には平太が何を狙っているのかわからなかったが、追い込んだのは大きい。
ラストは絶対の自信を持つ決め球、ファストカットボール。
曲がる直前まで速球と区別のつけにくい非常に厄介な球種である。
狙いは内角高め。大きく振りかぶった。
投球フォームは安定している。肘も肩もスムーズだ。リリースポイントも正確。
最高の球だ。一輝はそう確信した。だが、
キンッ!!
一輝の耳朶を打ったのは期待したキャッチャーミットの音ではなく、金属バットが硬球を芯で捉えた音だった。
打者の内角を抉った球は右中間を切り裂いたのだ。
変化の瞬間。平太は左足を外にステップし、脇を絞め柔軟且つ強い手首を十二分に使いライト方向へと流していた。
バッターランナーである平太は難なく一塁に到達してヘルメットを脱ぐ。
「オレの勝ちだ。もう二度と、勧誘してくんなよ」
「…………、なんで、なんでそこまで野球を嫌うんですか!? あんたの積み重ねてきたモンはそう簡単に捨てられるようなもんじゃないだろ!!」
藤堂平太は才能という一点においては斎藤一輝を遥かに下回る。
彼が野球を愛しても、野球は彼を愛さなかった。
だが。
だからこそ、努力し続けてきたのだろう。
我武者羅に。遮二無二に。無我夢中に。
野球に愛されない者が、野球を愛するが故に持つハングリー精神に従いひたすら努力をし続けてきたのだろう。そしてその『誰よりも強い勝利への渇望』こそが『藤堂平太』という選手の最高の持ち味でもある。
その彼が、こんなにも野球を拒むのは何故?
「お前には関係ない」
一刀両断にする拒絶の言葉に一輝はそれ以上踏み込んでは行けなかった。
用具をグラウンドに置き、去っていく。
もうそれ以上、誰も何も言えなかった。