『白い手』-1
いかにも、僕だ、芥川だ!!
僕は、現代に転生した。僕の冷徹なペンでラノベ風に仕立ててみようじゃないか。
第一章 空虚なる午睡
ある平日の午後、僕は渋谷のスクランブル交差点で、現代の河童を見かけた――などと云うのは、単なる比喩に過ぎない。しかし、その日の佐々木君(仮にそう呼んでおこう)の心象風景は、正にその多色の奔流に呑み込まれる河童の如く、混濁し、且つ冷え切っていたに相違ない。
彼女の住まう家には、一人の老人が棲みついていた。かつては彼女を慈しんだ祖父である。が、今の彼は、記憶という名の糸を一本ずつ断ち切られた、生ける亡骸も同然であった。認知症――現代の医学が名付けたその病は、人間の尊厳を、あたかも古びた書物の頁を破るように、無造作に奪い去ってゆく。
「おじいちゃん」と呼びかけても、返るものは空虚な視線のみである。その瞳は、深淵を湛えた沼の如く、光を吸い込み、何も返さない。佐々木君にとって、それは愛する者の死を毎日少しずつ見せつけられる拷問に等しかった。彼女の自尊心は、その無反応な肉体と対峙するたびに、薄氷を履むような危うさを露呈させていたのである。
その日は、稀に見る平日の休暇であった。銀鼠色の空からは、今にも雨が降り出しそうな湿った風が吹き込んでいる。両親は仕事へ、祖父は「デイサアビス」と称する、老いた魂の収容所へ連れ去られたはずであった。
彼女は昼前まで、泥のような眠りに沈んでいた。目が覚めると、胃の腑を掻き毟るような空腹を感じ、階下へ降りた。食卓に転がっていた安価な菓子パンを、まるで罪悪感を咀嚼するように噛み締める。それから、掌中の硝子板――いわゆる「スマアトフォン」――に目を落とし、流行りの遊戯に没頭し始めた。画面の中で踊る色彩は、現実の彩度の低さを嘲笑うかの如く、毒々しく輝いている。
カラカラ、カラカラ。
不意に、背後の襖が鳴った。現代的なリビングには不釣り合いな、古びた木材が擦れる音である。彼女は振り返った。そこには、薄暗い廊下から伸びる、一本の手があった。
その手は、壁にピタリと張り付いている。
「ああ、またお祖父様の徘徊が始まったのだわ」 彼女はそう確信した。デイサアビスの迎えを忘れたのか、或いは途中で逃げ出したのか。彼女の心に湧いたのは、心配よりも先に、平穏を乱されたことへの「どす黒い不快」であった。彼女は再び硝子板の光に逃避した。背後で蠢く「老い」という恐怖から、目を背けるために。




