26話
やばい。
めちゃくちゃ高い。
風が唸る。竜の翼が一度羽ばたくたび、空気の塊が叩きつけられる。オレは守護竜アウルディオンの後ろ脚にしがみつきながら、必死に爪を立てていた。
鱗は硬く、冷たく、そしてとんでもなく大きい。少しでも気を抜けば、すぐに振り落とされる。下を見ると王城の中庭はもう掌ほどの大きさしかない。落ちたら確実に終わりだ。
「クロ!!」
下からアレンの声が響いた。次の瞬間、風が爆ぜる。ドンッ!! アレンが一気に高度を上げてくる。背中の翼を大きく広げ、風を踏み台にして竜へ迫る。その横から、翼を広げたダリオも追い上げてきた。
「猫ぉぉぉ!!何やってんだお前!!」
怒鳴り声。だけど声の端に焦りが混じっている。
オレだって好きでここにいるわけじゃない。……いや、ちょっと違うか。好きではないけど、自分で来た。だって――足環を外さないと、この竜は止まらない。
竜が咆哮する。「ガアアアアア!!」その声だけで空気が震えた。翼が強く振られる。ドォォン!! 突風が広がり、雲の破片みたいな白い霧が引き裂かれる。次の瞬間、竜の尾が横薙ぎに振られた。ブォン!! 空気が裂ける。
「ちっ!」
アレンが風を操って軌道を変える。尾が通り過ぎ、衝撃波が遅れて広がる。ダリオも空中で体をひねって回避した。
「完全に空中戦だな!」
「クロ落ちるなよ!」
分かってる!
竜はさらに高度を上げた。巨体とは思えないほどの速さで空を駆ける。だがアレンも負けていない。風を束ねて加速し、竜の側面へ回り込む。剣が閃いた。キィィン!! 鱗に火花が散る。だが斬撃は浅い。
「あまり激しくするなよ!クロが落ちる!」
「分かってらぁ!」
ダリオが竜の胸へ軽く拳を叩き込む。ドォン!!鈍い衝撃が空中で弾け、竜の体がわずかに傾く。だが次の瞬間、竜が炎を吐いた。ゴォォォォ!!灼熱の奔流が空を焼く。アレンが風を巻き上げ、軌道を曲げる。
「クロ!こっちに跳べるか!」
アレンが腕を伸ばしてオレに声をかける。
でも、まだダメだ。オレの目の前には黒い金属の輪、あの足環がある。竜の魔石から流れたマナが、全部ここへ吸い込まれている。暴走の原因はこれで、間違いない。
……外れてくれ
オレは爪を引っ掛けた。ぐっ、と引っ張る。だがびくともしない。竜が体を振る。うわっ!! オレの体がぶら下がる形になる。腕がきしむ。落ちる! 必死で爪を立て直す。
「クロ!」
アレンが叫ぶ。だが近づけない。竜が暴れているせいで、少しでも距離を詰めれば尾や爪が飛んでくる。剣や風でいなす間にまた竜が動いてしまう。
「くそ、あの位置じゃ手が出せねぇ!」
ダリオが舌打ちする。竜がさらに暴れる。空中で旋回する。視界がぐるぐる回る。雲、空、城、また空。オレは歯を食いしばった。
でも。
やるしかない。
足環を見る。よく見ると、継ぎ目みたいな部分がある。普通の輪じゃない。どこかに留め具があるはずだ。オレは爪をそこへ差し込む。
「……ここか」
ぐっと押す。動かない。もう一度。竜が激しく脚を振った。うわああ!! 体が振り回される。爪が外れそうになる。落ちる――いや、まだだ。
(外れろおおお!!)
全力で引っ張った。
カチッ。
小さな音。
次の瞬間。
足環が外れた。
黒い輪が宙へ弾かれ、くるくる回りながら落ちていく。そして同時に、竜の体から溢れていた魔力の流れが一気に変わった。さっきまで荒れ狂っていたマナが、突然、静かに広がっていく。まるで堰を切られた川が元の流れへ戻るみたいに。
竜が大きく息を吐いた。「グォォ……」それはさっきまでの狂った咆哮じゃない。苦しみから解放されたような、深い吐息だった。
そして。
オレの手が滑った。
(……あ)
鱗から爪が外れる。
体が宙へ投げ出された。
落ちる。
空へ。
「クロ!!」
アレンの声。風が爆ぜる。ドンッ!! 空気が歪むほどの加速。オレの体が落ちていく。地面は遥か下。雲が横を流れる。やばい。これ普通に死ぬやつだ。
その瞬間。
ガシッ!!
お腹を掴まれた。
……っ!
体が引き寄せられる。視界が揺れる。気づけば、アレンの腕の中だった。アレンが風の翼を広げ、落下を止めている。
「無茶しすぎだ、バカ猫!」
「……にゃ」
反論できない。心臓がまだバクバクしてる。ダリオもすぐ横へ来た。
「お前なぁ! 普通、竜の足にぶら下がる猫がいるか!?」
怒鳴りながらも、どこか笑っている。オレは息を整えながら上を見る。
守護竜アウルディオン。
巨大な体が空に浮かんでいる。さっきまで暴れていたのが嘘みたいに静かだ。黄金の瞳が、ゆっくりこちらを向く。
その瞬間だった。
声が響いた。
頭の中に。
『小さきものよ』
低く、深い声。
まるで遠い山が語りかけてくるみたいな重い響き。
『礼を言う』
オレは固まった。
「……え?」
今の、誰?
周りを見る。アレンもダリオも同じ顔をしている。完全に驚いている。
「今の……」
「聞こえたな」
二人の視線が同時に竜へ向く。アウルディオンは静かに翼を広げたまま、こちらを見下ろしている。その黄金の瞳が、まっすぐオレを見ていた。
オレの背中の毛が、ぶわっと逆立った。
(……えっ)
まさか。
(今の声って……)
竜?
空には静かな風だけが流れていた。




