コーヒーは冷たくなっても
受験勉強中
辛くなったので一日勉強頑張ったあとその辛さを創作に変えて。
ちょっと加筆済み。
朝、6時50分頃。
私は普段通り慣れた手つきで、寝起きで少しぼんやりとした頭でトーストを焼き上げた。
一人暮らしを始めた頃はどれだけうまい具合に焼けるかとトースターの調節器をいじったものだったが、今の私はそんな日常の些細な喜びを感じる心の余裕―(あるいはエネルギッシュな若さと言い換えられるだろうか)―などなくしてしまった(いつの間にか)。
やはりどこか味気なく感じるトーストをブラックのコーヒーで流し込み、朝のニュースを仕入れようとTVをつけた。
某朝の番組で何が放送されていたかなんて覚えてやしない。私が確認するのは今日の天気が雨かどうかくらいなものである。
ただ、いつもなにも感じないはずであるのに、その日はその番組の中で映された輝いている人々―(少なくともその当時の私にはそう映ったためこのように表現するが、彼ら彼女らにもこのように冷めた思いの一つや二つあるかもしれない)―を見るたび、私の心の奥に根を張った悲嘆の念がその根を広げ、地上で暮らす私を捕食せんと迫ってくるのを感じた。
ここで少し自分語りをさせて頂きたい。というのも、私の心の内を伝えるのには、これを作り上げた私の過去そのものに触れておく必要があると感じたからである―(多くの人はこの種の悲しみや絶望を感じるとは聞くが、私の絶望はやはり私の絶望であり…、いや、このような蛇足は辞めておこう。)―――。
私は少年時代周囲の子供に比べ明るい学生であった(それは私が呑気でありこの憂き世の現実を直視していなかったからであるのだが。)
ただし、私が本当に(完全に)明るかったのは小学校2年生のあの日までだった。
当時私には密かに想いを寄せる人がいた。当時私にとって初恋であったその想いは、少年時代の純真さも手伝って、何よりも大切に保存したい想いであった。告白するような勇気も無かった少年だったが、その気持ちを感じること自体が大切であり、そのように誰かを想うという感情は私の心を静かに、しかし温かく―(まるで春の陽向ボッコのように)―包み込んだ。
また、同時に私には幼稚園に入学する以前からの親友がいた。彼は私にとって無条件に安心出来る場所、すなわち仲間であった。彼と私の友情は子供心に不変であると考えていたし、自分と友がいつまでも子供時代を語らい、懐かしさに浸れることに嬉しさがあった。
ただ、その親友に私は裏切られた。
いや、彼にそんなつもりはなかったかもしれない(むしろ小学校低学年時代のことであるからそんな意図はなかったと考えるのが自然だろう)。
当時わたしたちは同じプール教室に通っていた。
自分たちが泳ぐ順番を待っているときであったのだが、彼がふと私に好きな人は居るか尋ねてきたのである。
私はその問いに何の警戒もなく私の当時好きであった人の名を耳打ちしてしまった。
あれは間違いなく私の人生の大きな過ちだった。
それを伝えることがどんな結果をもたらすのか何も考慮しなかった。その場の空気に従って軽々と話してよいものではなかったのに。
翌朝、学校へ着くと私の秘めていたはずの想いがクラス中に広まっており、私はクラスメートから笑われ、からかわれた。私は信頼できるはずの親友にしか話していなかったのに。そんなふうに思った。すぐに分かることだ。あの親友が周囲に言いふらしたのだと。当時そんな嘲笑と好奇の視線を経験したことのなかった私は頭がフリーズし、何も言い返すことができなかった。
そして私は自らの想いが否定されたような気になり、私の本体は今まで私を守ってくれていた恋のベールが脆く砕け散り、かわりに何も守ってくれない、独り雨に打たれるしかない過酷な世界ににわかに放り出された。
そのような絶望から私はいつの間にか回復していたが、それからというもの私は恋愛恐怖症になり、親友に自分の大切なもの弱みになり得そうなものを見せてはならないと胸に刻み込み、他者に一定の距離を取るようにして生きている(そうせざるを得ないように感じた)。
自分が悪かったのだろう。彼に話した時点で周りに広まることは考慮してしかるべきであったし、いつまでも一時の感情を引きずるのも大人として未熟である。
ただ、あの時親友が話を広げなければ、と考えてしまうときが少なからずある。
染み付いた生き方はもう治るまい。
一度大切な存在に裏切られたと感じると、もう大切な存在を作ることが難しくなり、仮に親しい関係が生まれたとしても、心が通じ合う関係には一生届かないのだ。
そして、積極的に踏み込めないことは、すなわち臆病の証拠である。そうか、私は臆病になったのだ。
臆病というものは厄介なもので、私のとろうとする行動すべてに先回りしそこで待ち構えているのだ。すると私は途端に怖くなってそのことが手につかなくなる。
幸い、私は生来から生真面目な性格も持ち合わせていたようで、多少怖かったとしてもしなくてはならないことはこなし、周囲と遜色ないくらいいろんなことに挑戦(努力)した。そのおかげで私のこの憂鬱な気は誰にも知られず、私は普通の人として、他者から奇異の視線にさらされることなく生活を送ることが出来ている。
勿論後悔のあるところはないではないが、過去は変えられまい。だからこんなことを考えるのも本来やめるべきなのだ。もし自分の人生がこうだったら―とか、このまま何もなく終わっていくのか―とか。
私という個人の限界はきっとここなのであって、ここからさらに自分の殻を破るのはきっと辛い痛みを伴う。だから、この痛みを紛らわすことに集中しよう。
そう話を切って、すっかり冷えてしまったコーヒーを胃に流し込んだ。
もうそろそろ出社の準備をしなくてはならない。
この作品が50%フィクションであることを皆様にお伝えいたします。




