八章
八章
やや不機嫌そうなカッスルは、巻煙草を口に咥えながら、箪笥を開けて大変質の良い外套、背広、艶やかで軽いシルク製のシャツ、黒いシルクハット、深い深い葡萄色のネクタイを取り出して着替え始める。何故ならば、紳士の憩いの場と呼ばれる紳士クラブに足を運ぶからだ。紳士クラブとは、着飾っただけの醜い紳士たちが家内と愚民の愚痴を溢れている者たちもいるが、互いに有意義な会話を広げ、充実した食事の時間を過ごす者もいれば、酒を嗜み、ポーカーやビリヤードなどと娯楽に更けて、純粋に憩いの場として利用している者もいる――だが、窮屈な家庭や女主人から逃げたり、あるいは皆が愛して病まぬ噂を聞きに訪れ、クラブを利用するのが大半だ。だからこそ、上流階級者ならではの噂を確実に入手するには欠かせない場でもあるのだ――今回は「ふたりのグレイ」及び「色のない髪に紅い眼を持つ男女の双子が営む『テューダー・リジー』」についての情報を収集することが目的である。
鏡を眺めながら、ネクタイをきっちりと締めてシルクハットを被ると、アーネスト・オールドカッスルは咥えていた巻煙草に火を付け、貴族としての姿で甘美なひと時を味わう。それを、味わい終えると、黒いステッキを持ち、鏡で自身の姿を見ると、自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。質素な寝室から豪華絢爛な居間にある玄関から出て、扉を閉めて鍵を外套のポケットにしまった。細い階段を下り、小さな扉を開けると、立派な馬車がカッスルを待ち構えていた。御者にコヴェント・ガーデンの紳士クラブへ向かうように伝え、馬車に動き出すと相変わらず、汚い街ロンドンに愛しさを抱きながら、外を眺める。クラブに行くことに対して、憂鬱な情が湧いているわけでは決してないが、あの場では貴族らしく振る舞わねば、一つでも身なりを気にするそぶりを見せれば成金貴族と嘲笑の的となる。何ひとつ油断が許されないのだ。しかし、カッスルは、クラブが近づくにつれて、初めは募っていた負の情は次第に胸の高鳴りへと代わり抑えてられなくなっている。探偵としての性が騒いでいるのであろう。いつものように自信に満ち溢れた顔で巻煙草とマッチ入れをポケットから取り出して、再び甘美なる毒で肺をゆっくりと満たす。阿片入りの巻煙草ほど手頃に味わえる快楽などない。そして、身体を快楽が蝕む頃には、目的地の紳士クラブ『ブライア・ローズ』に着き、御者にしばらく百十ヤードほどの場所で待機するように命じた。
扉を開けて、荘厳な建物に入ると、そこには豪華絢爛たる空間が広がっていた。アーネスト・オールドカッスル侯爵として威風堂々たる様子で、階段を上がり、ますは図書館に向って朝刊を手に取り、噂や他愛もないビジネスの話を繰り広げるダイニングへ向かって、有力な情報を席を確保しようと中をを見渡す。すると、眉間に深い皺を寄せた長く整えられた美しい色のない髪を持つ麗しい男と、対照的に艶を失くした色のない髪の痩せ萎びた男が窓際の席に座っていた。遠くからよくよく眺めると、男たちの顔の造形が非常に似ていた。恐らく、どちらかが二人のグレイの父にあたる人物であろう――カッスルは二人の会話に聞き耳を立てるため、ゆっくりと隣の席に座り、朝刊を読むフリを始めた。そこには探偵としての探究心を擽る会話内容が繰り出されているのだった。
「兄上、嫡男イアンは我々のような美しい白い髪を持たぬ呪われた忌み子であり、兄上が運営している孤児院で隠していたのであろう? 孤児院で育った子供など嫡男として相応しくなく、故に存在していないようなものだ」
「ウリエル、そうは言うが大切な大切なエリスは見つかったのか? 私にとって、息子がどんなに疎まれようが大切な我が愛しき天使だ。子を持つ親として、お前にも分かるであろう」
「ああ、分かるとも! しかし、私は無能な警察どもに対し、娘をまだ見つけらずにいることに対し、私は激しい憤りを感じているのだ! ああ、私のエリス――お前は、我が作品の人形として最高傑作なのだ! 何がなんでも傷なしで見つけて貰わねば困る! 兄上も精々忌み子の無事を大人しく神に祈りを捧げて待つが良い。兄上もよく理解しているだろうが、この世の神は無慈悲だ! 見つかった際、既に屍として見つかるであろう――まあ、家系図上存在していないのだから、死んだも同然だ」
「そうか。なら、私もエリスが見世物小屋で見つからぬ事を願おう」
ウリエルと呼ばれる男は、黒いステッキで兄に威嚇するかこように床を強く叩いた。隣にいたカッスルは驚いたフリをし、そして、色のない髪の男はそのまま立ち上がると烏色のマントを靡かせクラブを足早にブライア・ローズを出た。
アーネスト卿はやや戸惑った様子でウリエルを見届けると、艶を無くした色のない髪の痩せ萎びた男が歎息混じりに声を掛けた。「私は、ラファエル・グレイだ――先程は、我が弟ウリエル・グレイの無礼をどうか許してほしい」
ラファエル・グレイ――それは待ちに待った人物のだった。様々な階級層に変装し、様々な形で情報を得ようとしたが、皆口を揃えて「恵まれない子供のために慈善活動をしている」以外の情報を得ることはできなかった。だが、しかし、ここではどうだろうか? 圧倒的な階級の違いを証明し、有意義な情報を二つも入手することが出来たではないか! 彼は、喜びの情を殺し、不意に眉毛を曲げ、静かに穏やかな声質で囁いた。「ラファエル卿、構いませんよ。私はアーネスト・オールドカッスルと申します。以後、お見知り置きを。しかし、随分とお疲れのようですね。先程、話されたご子息のことで頭をお抱えでしょうか?」
「アーネスト卿、外部のあなたには関係のない話だ。ウリエルの言う通り、息子はもう……」
「死体が発見されていない以上まだ諦めるのは、まだ早いと思います」
「どこから話を聞いていた?」と、不機嫌そうに言う。
「弟君があなたのご子息の存在を否定していたとこらです」
ラファエル卿は、額に手を当て、大きな、大きな溜息をついた。
「ラファエル卿、大変申し上げにくいのですが、あなたのご子息から手紙を預かっているのですがいかがなさいますか?」と、アーネスト卿はポケットから一枚の便箋を取り出し、まるで挑発するかのようにひらひらと揺らした。
卿は、驚きを禁じえなかった。何故ならば、差し出された便箋の文字が見慣れた文字であったからだ。ラファエルは、すぐにこちらへ渡してくれないかと懇願するが、彼は断り、こう提案した。「これは、機密情報になります。等価交換として仕立て屋『テューダー・リジー』について何か知っていることがあれば教えて頂けませんか? もし、承諾するので、あれば私の馬車までついてきて下さい。そこで卿宛の手紙をお渡し致します」
ラファエル卿は、血走った眼ですぐに頷き言った。「分かった。ついて行こう」
「ご協力に感謝致します。では、私についてきて下さい」
二人は速やかに席を立ち、クラブを後にした。クラブから百十ヤードほど離れたアーネスト卿の馬車に着くと、御者が扉を開けて、二人を密室へ導く。どこか疑心暗鬼な卿から信頼を得るために、かれは「一刻も早く心の枷を外して下さい」と言いながら、便箋を渡した。卿は彼の眼を見て、読んで良いかと尋ねると、アーネスト卿は微笑を泛べて頷いた。
ラファエル卿は、便箋の中から手紙を取り出して読み始めた。
お父さんへ
お元気にしていますか? 僕は元気にしていま僕は、ロンドン橋の欄干から落ちそうになった時に、レオンハルト・ハワードと言うお医者様に助けて貰いました。僕は今、カンタべリーにいます。言葉が通じなくて苦労したこともありましたが、お父さんと再会できるまで身を置く事を許されました。
この手紙を読んだらどうか会いに来て下さい。御者に元ジョン・ハワードの診療所と伝れば案内してくれるそうです。
お父さんと一日で早く再会できる事を心よりお待ちしております。
イアンより
思わず微笑と涙を浮かべた卿は安堵し、しばらく手紙を愛しそうに見つめてからポケットへしまった。一つ息をついてからアーネスト卿は喋り始める。「非常に好奇心旺盛で聡明なご子息ですね。しかし、彼を保護した者たちとの件ですが、数日間、かれらが持つ訛りが原因でしばらくは文筆でコミュニケーションを取られ、苦労させたそうです。何よりも、自身の言葉が通じるのか不安だったそうですよ」
「会話相手は主に、私と上流出身の家庭教師のみだったからな。あの子に、言葉の壁で苦労は掛けた事は恥じるべき事だが、まさか古い友の元で保護されていたとはな……アーネスト卿よ、イアンに無事で良かったと伝えてくれ――では、テューダー・リジーの件だが馬車を出て左にしばらく歩けば見える。馬車で数分だ――両親を早くに亡くし、若くして二人で仕立て屋を営んでいる。店主のルーカスは控えめな性格でその妹は、気が強くお喋り好きだ――ひとつ注意するが、あまり詮索するな。特に、兄が疲れ果てている。以上だ。では、またどこかで」と、卿は馬車から出ようとした。「お待ちください! 何か深い事情により、話したくないように多々見受けられます。ですが、これ以上詮索するつもりはありません。ただ、もしお困りの場合、胸の内に秘めるものを話したい等あれば、一度ウォータールーのウィットルジー・ストリートにあるコッテージ・デライトまでお越しください」と、元警部補兼探偵としての名刺をラファエル卿に手渡した。
ラファエル卿は、「探偵? アーネスト卿は貴族ではないのか?」と、カードを受け取りながらいった。
「私は貴族ではありません。元警部補のしがないの探偵です。訛りは貴族の友人から叩き込むように治され、服も提供していただいたのです。様々な階級の人間と触れる機会の多い探偵をするなら、様々な姿に化けなければならないと言われ、今に至ります」
「それにしては、自然すぎる。本当は貴族ではないのか?」
「それは、秘密です。近日中にイアンに会いに行ってあげて下さい」
卿はその言葉を聞くと、悲しそうに「古い友が許してくれるのならな……では、またどこかで会おう」と言い放ち、逃げるように馬車を出た。カッスルはどこか物憂げ背中を見届けてから、御者にテューダー・リジーに向かうように伝えた。場所が動き出すとブライア・ローズでの出来事を纏める時間をまるで与えんとばかりにあっという間に着き、探偵は小さなため息を漏らし、馬車を出てテューダー・リジーへ入った。すると、青白い肌に紅い眼長い色のない髪を束ね、眼鏡を掛けた中性的な顔立ちの主人が真新しい背広を整理していた。探偵は声を掛けるもまるでその声は届いていないようだった。カッスルは周りを見渡すと、テーブルに置いてあり、メモ帳を開き、何かを書いた後、ベルを思いっきり鳴らした。すると、色のない髪の男は慌てて向かって、声高にこう言った。「今まで気づかなくてすまない。ここの店主のルーカス・テューダーだ。初めて見るお方だね」
探偵は微笑を泛べて、【初めまして、私はアーネスト・オールドカッスルと申します。深い事情があり、今は貴族に扮している探偵です。以後、お見知り置きを! 聴力と視力が衰えているのは、騒音や刺繍が影響しておりますでしょうか?】とでかでかと書かれた手帳を手渡した。
ルーカスは驚いた様子で言った。「この店に探偵が来るだなんて初めてだよ! しかし、耳や眼が悪いだなんてよく分かったね――流石と言うべきだろうか」
「恐縮です。しかし、特殊な理由があって、やむを得ずなったように感じます」
「まさかお客さんで見抜く人がいるとは思わなかったよ。たまに、上手く聞き取れなくてお客様に怒られることがしばしばあるんだ。幼い頃、母が働いていた工場で女性に扮して長年、働いていたこともあり、耳と目を悪くなってしまったんだ」
「それはお気の毒に」
ルーカスはどこか悲しそうに言った。「仕方がないさ、技術を得るには大きな代償を伴うものなのだから……」
「そうですか――少し話題を変えますが、エリス・グレイについて何かご存知ではないでしょうか?」
「確か二十代前後の白い髪と菫色の髪の男性だったかな? 僕が言うと説得力に欠けるが、そんな人実在するのかな?」とルーカス。
「警察が動いているので、確かに実在しているのでしょう」
「見世物小屋以外で見つかることを願うばかりだ」と仕立て屋は事態に憂慮した。
「見つかってしまっては無事に済むどころか人権なんてありませんからね。最後に、ご無礼を承知で申し上げますが、お伺い致します。あなたたちは色のない髪を持つグレイ家と関わりはお待ちではないでしょうか? 例えば、ラファエル卿又はウリエルとか……」その瞬間、ルーカスは目の色を変え、咄嗟に鼻を覆い隠しながらため怒り混じりな声で答えた。「ありません! 両親とも金髪で僕たちは突然変異だったのです」
カッスルは、仕立て屋の咄嗟に嘘を見破りながら、大胆に、そして、挑発的にに言った。「なるほど――突然変異ですか? これはこれは、実に興味深いですね」とカッスル。
「まるで、僕が見世物小屋にいないことが信じられないと言いたげな様子だね。生まれた時からあなたがおっしゃる色のない髪を持つグレイ家と同じだった。ちなみに、何が目的か分からないけど、この髪は売る気は全くない! 既に取引先のお客様のものだから……これで満足かい?」
カッスルは、仕立て屋が嘘をついている事を見抜いたと同時に、ある話題に食いついた。
「髪を売る気はないとは一体どういうことでしょうか? まるで、やっていることが人身売買ですね」
苛立ちを覚えた様子のルーカスは、カッスルを追い返そうとした。すると、「ルーカス! そんなに苛立ってはお客様に失礼じゃない。私たちのことが純粋に知りたいのでしょう」と、奥からシルクのシャツに胸元には深紅の蝶リボンを二つ施し、背広の丈夫とまるで人魚の尾鰭を彷彿とさせるスカートを組み合わせたロイヤルブルーのドレスを着た見目麗しい淑女が現れて言った。
「ルーナ、僕は好奇な眼を向けられる事に疲れたのだよ。同じ人なのに幼い頃からあまりにも不平等だ。それに、彼は、まるで僕たちを詮索しているようであまり良い気分ではないのだよ」
「あらあら、お客様の前で愚痴を漏らすなんてらしくないじゃない。良いわ! あたしはルーナ。不快な思いをさせる気は無かったのでしょう? 兄ルーカスの代わりにあたし達のことを教えてあげる――あたしたちの髪は鬘として利用する為に高値で売買されてるのよ。ある程度まで伸びたら、髪を切り渡すってビジネスをしているの。それと、グレイ家だけど、この手の話題に神経質なルカの言う通り、私たちと一切関係ないわ。父は数年前に病死し、母は後を追うように亡くなったわ。他に知りたいことはあるかしら? 探偵さん」
「ルーナ嬢と申しましたか? お話し好きな方で光栄です。他に知りたいことを申し上げますと、あなたたちのような方にどなたか経営を手助けするお得意さまでもいらっしゃるのですか?」
「そうね、ここの貴族たちが財政支援をして下さってるの。私達の服は革新的だと評判良く、気に入ってくださってるのよ」
「そうですか。確かにルーナ嬢を一目瞭然ですね。最後にお尋ねしますが、エリス・グレイについて何かご存知ありませんか?」
ルーナは残念そうに微笑を浮かべて、首を横に振って言った。「そんなの知らないわ」
「そうですか……とても残念です。そろそろお暇します。お二人のお仕事の邪魔にもなりますし、色々と詮索するようなことをしてしまい、大変申し訳ございませんでした。もし、お困りのようでしたらウォータールーにあるコッテージ・デライトまでお越しください。それでは、失礼致します。一つだけ、申し上げますが、私が興味あるのは情報であり、あなた方の美しい髪には興味はありません。いつか取引されない日が訪れる事を願います」と、探偵のカードを渡した。
すると、ルーナは驚きで眼を見張った。「あなた、本当に探偵だったの?」
「はい。元警部補のしがないの探偵です。この衣服は友人から借りたのですよ。驚かせてしまって申し訳ございません」
「良いのよ。けれど、貴族特有の訛りを使いこなせるだなんてあなたって凄いのね! それで、もし兄や私に何かあれば、ウィットルジー・ストリートのコッテージ・デライトまで行けば良いってことね」
「おっしゃる通りです」
「元警部補の探偵だなんて頼もしいに違いないわ、警察よりきっと役に立つと期待しているわ。アーネスト元警部補」とルーナ。
「では、私はここでお暇しますよ。ルーカスもお困りであればいつでもお越しください」
「ルーナに何かあった際、頼らせてもらうよ」と、どこかぎこちない微笑を浮かべて言った。二人はカッスルを見届けると仕事に戻る。しばらくして、ルーナは部屋に戻り、静かに呟き始める。「菫色の瞳――まるで、アメジストのように美しかったあの子はエリス・グレイだったのね。だけど、亡き母は私のことを特別な美しさを持つ唯一無二な存在だと! あの子は何なの? 私は一体……」




