二十六章(裏)
二十六章(裏)
白い紙の上で、血は消せる。シャーロットは、書斎の机に向かいながら、ようやく深く息を吐いた。あの忌み子の顔は、すでに思考の端から切り離されている。感情は不要だ。必要なのは、順序と手順だけ。彼女は羽根ペンと白い紙を取る。何も書かれていない紙ほど、安心できるものはない。ここには、まだ誰の名前も存在していないのだから。
「血というものは、時に厄介ね」独り言は、誰にも聞かれない。もはや、聞かせる必要もない。彼女は、宛名を書いた。
ルーカス・テューダー 様
その名に、ほんの一瞬だけ、眉が動く。ラファエルの姉ジェーンの息子。そして、仕立て屋。
グレイ家の本流から見れば、取るに足らない存在。だが、だからこそ使える。彼は「血」を持っている。だが、「家」を知らない。
「あなたなら、きっと理解するでしょう」
ペン先が、音もなく走る。
親愛なるルーカス・テューダー様
突然の手紙をお許しください。
あなたが今も変わらず、誠実に仕事をしていると聞き、それだけで私は安心しました。
言葉は柔らかく、礼儀正しい。まるで、善意から書かれたかのように。
さて、少し込み入った話になります。
グレイ家において、近く「整理」が必要となりました。
整理。その語は、血を流さずに首を落とすための、もっとも便利な刃だ。
家というものは、余分な枝を残したままでは、美しく育ちません。
シャーロットは、そこで一度、ペンを止めた。脳裡に泛かぶのは、広間に立っていた忌み子の影。怯えながらも、前を向こうとした、あの真っ直ぐな眼差し。
極めて不快だった。
そのため、限嗣相続という形を、検討しています。
言葉を書いた瞬間、空気が澄んだ。これは宣告ではない。あくまで検討である。だが、理解する者には十分すぎる。
あなたは、血縁者としてそして何より、外にいるからこそ冷静に判断できる立場にあります。
微笑が、自然に泛かんだ。ルーカスはまだ知らない。この手紙が、誰を【消す】ためのものかを。だが、それでいい。駒は、盤の全体像を知る必要はない。
近いうちに、直接お話しできれば幸いです。
敬具
シャーロット・グレイ
封を閉じ、蝋を垂らす。指先に熱を感じながら、彼女は静かに思う。存在しないものは、傷つかない。消された名は、叫ばない。
あの忌み子は、自分が舞台の中心に立つと言ったつもりだろう。だが、舞台を設計しているのはシャーロットだ。
「さあ、次は誰の番かしら」
窓の外では、屋敷の鐘が低く鳴っていた。それは、歓迎の音ではない。彼女が知る由のない本当の悲劇の始まりを告げる音だった。




