十一章
十一章
「おはようございます。アーサートン、朝食と紅茶を頂けませんか?」と、二階から現れた生地の厚い濃い緑かかった灰色の背広をきっちりと、着こなすカッスルが帽子と外套を持ちながら言った。
「少し待っていろ。しかし、今回の依頼だが、調査期間が長引きそうだな」
「依頼人があれやこれやとご注文が多いのですよ。まるで酒場のようにやりがいがあります」
主人は楽しそうに笑いながら、言った。「そうか。そういえば、最近紳士クラブに潜り込んだそうだが、一体どんな場所だったのだ?」
「そうですね――例えるならば、規模はこちらを十軒ほど広くし、図書室もあれば、ビリヤードもある貴族たちの豪華絢爛な憩い場と言ったところでしょう。意外なことにクラブでも噂話で盛り上がっていたので、人間が噂話が好きなのは階級問わず万国共通なのだと思いましたよ」
アーサートンは茶葉が入った質素なティーカップとポットを渡しながら言う。「なるほどな、つまりここをお貴族様仕様にしただけか」
カッスルは、微笑を泛べながら頷き、早速、紅茶をティーカップに淹れて飲みながら喋り始める。「おっしゃる通りです。実に、退屈な場所です。私のような泥臭い人間には、このような場所がピッタリですよ――クラブのように気取る必要など無ければ、相手のご機嫌取りする必要もありませんから――アーサートン、砂糖とミルクをください」
主人は、ふた返事をして砂糖とミルクを渡すと、まもなくして出来上がった朝食を渡した。大きな一枚の皿に4枚のベーコンとソーセージ、トマトで煮込んだ柔らかなベーコンベイクドビーンズ、焼いたマッシュルーム、食パンとシンプルな朝食だ。探偵は、紅茶を啜りながら、アーサートンとの会話を楽しみつつゆっくりと朝食を食す。
すると、ドアをノックする音が酒場内に響き、主人は扉を開けると、小汚い少年が小包を持っていた。少年は、カッスル宛の小包だと伝えるとアーサートンはそれを受け取って礼を言い、扉を閉めて小包をカッスルに投げて渡した。
「おや、随分と乱暴な渡し方ですね。嫌いではないですよ」
「なら、さっさとこじ開けるのだな」
「分かりました。では、ナイフをお借りしますよ」と、厨房へ入り、ナイフを取り出すと硬く結った紐を切り、中身を丁寧に取り出した。中には、数枚の便箋と一冊の手記が入っていた。探偵は早速、レオンからの手紙を開き、読んでみることにした。
親愛なるオールドカッスルへ
父が残した手記を見つけた。内容を読む限りでは深い交友関係があったらしい。が、何か事情があり、グレイ家によって強引に合流が断たれたそうだ。それについて卿はどのように思っているか確認をして欲しい。あと、イアンがラファエル卿に何通か手紙を用意してくれたが、恐らく、ラファエル卿は長い間、父と疎遠になり、こちらに来ることに対して強い抵抗を持っているに違いない! その為、何がなんでも愛しき息子イアンの元に来させる為に手紙を数枚用意した――手紙を順番は便箋の裏の隅に書かれている。几帳面なお前のことだから間違えることはないと思うが、注意して渡すようにしてくれ。
追伸 エリスが白い髪と緋い眼の女と会ったらしい。何か知っているようなら教えてくれると助かる――それと、エリスの父に会った際、ポリーと言う乳母についてどうなったか安否の確認を頼むぞ
レオンハルト・ハワードより
「やれやれ、色のない髪に紅い眼の女ね……」
「テューダー・リジーのルーナがどうかしたのか?」
「あの女性について、何か知っているのなら情報を提供してくれとの事です。私はとても親切ですので、彼女のことだけではなく、必要であればその兄の情報も提供しますがね」
不敵な微笑を浮かべながら、手記を開き読み始めるカッスルに対し、アーサートンは肩を竦め、両手を上に向けて脣をへの字に歪めた。探偵は気にもせず、喜びと怒りに悲哀が書かれた手記を読み、しばらく考え込む仕草を見せて、すぐに外套を着て帽子を被った。郵便物を持ち一度、自室のある二階に戻り、イアンの手紙を一通と手記だけを持って、再び一階へ降りた。主人にブライア・ローズに行く事を告げ、外に出て、慣れた足取りで汚い路地を避けて歩き、自家馬車に乗ると、御者に行き先を伝えた。馬車は走り出し、心地よく揺られながら、グレイ家と言う一族について考え始める。代々続くであろうで透き通るような青白い肌、色のない髪、そして、紅い眼――手記では濡羽色の髪と碧い眼を持つイアンが呪われた忌み子として扱われ、エリス・グレイは世にも珍しい菫色の瞳を持ち、実父から歪んだ愛を注がれている。この対照的な二人が一族の運命を狂わせているとでも言うのだろうか? 彼らにとって様式美とも呼べる色のない髪、青白い肌、紅い眼が青い血の象徴だとするのならば、呪いの象徴と呼ばれし、イアンはまるで一族から青い血の終焉と破滅を意味しているようだ。だが、貴族とは滅ぶべきあるに等しい――故に、遠き未来にて鮮血を流し滅ぶであろう――だが、そんなことは私には関係のないことだ。私は、私の役目を果たすだけのだから――相変わらず、探偵は汚い街を眺めつつ、ガタガタと揺られながらブライア・ローズまでの到着を待ち、しばらくの間、思想に深く耽ていると、いつのにか荒々しい揺れが収まる。ゆっくりと扉を開けて、外に出ると紳士の憩いの場と複数人の紳士たちがいた。探偵は、紳士たちに紛れてブライア・ローズの中へ潜り込み、ある人物を探し始める。色のない髪、痩せ萎びた死を待つ老人のような虚な眼をした男ラファエル・グレイだ。慈善活動には貢献的な男とは聞くが、恐らく、家内に嫌気を差し、慈善活動以外の時間はここで費やしているのだろう。何か卿について噂話をしていないかと、適当に新聞を取り、椅子に座って聞き耳を立てる。
すると、身なりをきちんと整えた紳士が「ラファエル・グレイ伯爵には、隠し子がいる噂を知っているか?」
「隠し子?」
「孤児院で一人の子供が失踪したらしい。その子供がグレイ伯爵の隠し子疑惑と言う噂が浮上しているのさ」
綺麗に髭を整えた紳士は眉を顰めて、訊ねた。「何を根拠に隠し子がいると申すのだ?」
「グレイ伯爵が営んでる孤児院をたまたま通り掛かったのだが、妙にざわついていたのだよ。失踪した子供の名前は確かイアンだったような――そこで私は見てしまったのだよ――その時の伯爵の顔を! まるで死人を見たかのように青白かったのさ」
「ほう――ただでさえ死人のような顔をしているもののそれを上回るともはや幽霊だな――しかし、これはまたイアンとは平凡な名だ。だが、肝心の隠し子なら髪は白いはずなのでは? 今頃、見世物小屋にいるのだろう」
「そう言うと思い、私は確かめに行った。が、どの見世物小屋にはいなかった。勿論、エリス・グレイもな」髭の紳士は驚きで目を見はった「何っ!?十数週間以上経過しているのに、未だエリス・グレイも見つからないだと!? なんてことだ!」
「もう皆、エリス・グレイの話題には飽きているさ。今は、子無しで有名なグレイ伯爵に隠し子がいる疑惑の話で持ち越しさ」
「ふむ、とても興味深いがこの話はここまでにしよう。心労のせいか痩せ萎びた卿がお出ましだ」
騒つくクラブ内が一瞬にして不気味なほどの静寂に包まれる。それこそ、まるで見世物を見るかのような好奇な眼をグレイ伯爵に向けていた。卿は、気にも留めずに、深い溜め息をつきながらダイニングのソファにどっかりと座った。そこで、偶然を装うかのようにカッスルはそっとグレイ伯爵に声を掛けた。
「おや、ラファエル卿ではありませんか。お元気にしておりましたか?」
「元気にしていたか――そうだと、どれほど良いものか……」
「左様でございますか。それより、あなたは今、噂の根源となっておりますが、お気付きでしょうか?」
光の届かない深海のような暗い眼を向けて、卿は静かに頷くと共に囁いた。
「私に隠し子がいる噂であろう。全くくだらない。エリス・グレイの次に飽きたら、次は私の番だ。実に愚かで暇な者たちだ――放っておけば良い」
「放っておけない理由があるのでしょう。あなた方は生を授けている間は、目立ち続けるでしょうから――それより、場所を場所を変えませんか? あなたのご子息から二通目の手紙を預かっております」
ラファエル伯爵は、一筋の光を見つけたかのように暗かった眼がまるで焔かのように燃えるかのに輝いていた。卿は立ち上がって案内するように申すと、探偵はブライア・ローズを出て、馬車へ向かい、コヴェント・ガーデンまで向かうように御者に指示する。二人は馬車に乗り、例の手紙を卿に渡した。グレイ伯爵は偽物ではないかと確認をしてから封を開けた。
お父さんへ
慈善活動で忙しいと思いますが、お元気にしておりますでしょうか? 僕は、レオンの元で自由にのんびりと過ごしています。早くお父さんに会いたいですが、いつ会えますか? 僕は、お父さんに会えるまでいつまでも待ってます。お父さんに会えたら、時間が許す限り、のどかなカンタベリーを一緒に歩き回ったり、大聖堂の中に入って一緒にお祈りしたいです。お返事待ってます。
イアンより
ラファエル卿は愛しき我が子からを大切そうに抱きしめながら、大粒の涙を流すと同時に、葛藤をし始める。我が息子は会いたがっているが、私は父親として迎えに行くべきなのだろうか? いや、私は立派は父親なのだろうか? 失意によって、愛しき我が子を一度、見捨てたようなものだ。そんな自分にイアンを顔を合わせるような顔があるのだろうか。胸が張り裂けそうで痛む。そして、古き友は私を許してくれるのだろうか? そんな卿に慈しみに満ちた言葉をカッスルが言った。
「あなたは、良き父ですよ。そして、会いに行く資格があります。近々、会いに行きましょう」
卿は沈黙をした。父親として、一度子を見捨ててしまったことと古き友を裏切った計り知れない罪悪感に煩悶しているに違いないとカッスルは推測している。
「あなたにもう一つ、見せたいものがあるのですが、もう少しだけお待ち頂けないでしょう?」
ハンカチーフで涙を拭いながら、グレイ伯爵は訊ねた。「構わないが、一体どのようなものだ?」
「あなたにとって、とても有意義なものです。ただし、今こちらにはございません。それと、提案ですが、今後あなたにお会いする際、クラブではなく、私が拠点にしているコッテージ・デライトにしませんか? ここであれば、少々窮屈かもしれませんが、下には酒場がありますし、食事だって提供できます」
「名案だ。その有意義な物とやらは、コッテージ・デライトにあるのだな?」
「左様でございます。もう少しで到着すると思いますので、今暫くお待ち下さい」
「やれやれ、気の早い男だ」
探偵は微笑を浮かべながら言った。「よく言われます」
卿はため息をついた。そんなラファエル卿にカッスルは真剣な眼差しを向けて問う。「一つ、気になっていたのですが、ウリエルについてです。彼は、エリスをどうするおつもりでしょう?」
卿は、どうしてそれを知っていると言わんばかりに驚きで眼を見張った。そして、ゆっくり重たい口を開き深刻そうに喋った。
「弟ウリエルは美に病的なまでに執着している。愛娘であるエリスを己の美と理想像を反映させ、生きた人形にしようとしている」
「生きた人形? 彼は人形愛好家なのですか?」カッスルは眉を顰めて、巻煙草を吸いながら訊ねる。
「人形愛好家でもあり、作家でもある。このようなことを言うのも何だが、かのじょが古い友の元に保護されて良かったと私は思っている。ウリエルには三人の娘がいるが、菫色の瞳を持つエリスにだけ執着しており、二人の姉アンナリーゼとヨランダには一切無関心だ。理想が故に、かのじょにのみ体型を維持するよう食事を徹底的に管理したり、少しでも意に反すれば虐待まで加えるのだからな……同じ子を持つ親として理解出来まい――古い古い一族たちを除き、歴代のグレイ家の美の為だけに奇行に走ってしまったり、癇癪持ちが多いことに私は理解に苦しむよ」
「青い血を守る為、ハプスブルク家と同様に近親相姦を繰り返した結果なのでしょうね」
「そんな近親相姦を繰り返した中で生を授け、青い血を流す私だが、神が私の願いを唯一叶えて下さるのなら、古い古い一族たちはどこで踏み外してしまったのかを知りたい。できるものなら狂った歯車を元に戻したいものだ」
「運命とは皮肉なものですね――さて、目的地に到着したようです」探偵は扉を開けて降りると、続けて卿も降りる。
酒場の入り口の隣にあるチョコレート色のオーク材の扉を開けて狭い階段を登り、ラファエル卿を誘導した。二階へ上がり、扉を開けて中に卿を入れた。
卿はまるで、貴族の部屋だと思わせる煌びやかな空間に驚きで眼を見張った。そして、こう尋ねた。「君は本当に探偵なのかい?」
カッスルは「ええ、ただのしがないな探偵です。それより、紅茶はいかがですか?」
「いや、結構だ」
「そうですか、適当に座ってお待ち下さい」と言い、質素な寝室に入り、問題の手記を手に取った。寝室から出るとそれをなんだか落ち着きのないラファエル卿に渡した。これはなんだと言いたげな卿に対して、読めば分かると促した。
訝しげな卿は恐る恐る、手記を開くと、そこには古い友ジョージ・ハワードの心境と真実が綴られていた。友は、イアンの誕生を祝福し、皆で訪れようともしていた。だが、我が一族が全てを阻み、ハワード家から疎まれるように仕組んだ。だが、友は私をずっと信じ、手紙を送り続けた! 一体、彼らが私達に何をしたと言うのだ!? 長きに渡り、私の友を苦しめた家内シャーロットが憎々しい! イアンを呪われし忌み子として、殺め掛けただけに懲りず、私から友を奪おうとしたか! 私から奪うことに関しては、彼女にそんな権限はない。己に流れる血がこれほどまで醜悪で卑しく感じてしまうのは初めてだ! 憤りで手の震えが止まらず、目頭が熱くなり、再び涙を流す。何よりも、青い血の呪いの軛に囚われ何も出来なかった自身が許せなかった。卿は青い血の呪いを終わらせ、狂った歯車を戻し、かつての古い古い一族たちのように秩序ある貴族に戻すと決意をした。
「カッスルと言ったかな? イアン宛に手紙を書きたい」
探偵は頷き微笑を浮かべて、引き出しからまず便箋と蝋封印を渡し、次にインクとペンを渡した。
ラファエル卿は、すらすらと書き綴る。カッスルは、静かに扉を開けて一階の酒場へ向かうと、昼間にも関わらず中は大変賑わっていた。探偵は、主人に向かって「アーサートン、『黄昏の夢』をお願いします」と叫んだ。
すると、賑やかだった店内は一斉に静まり返り、皆がカッスルに好奇の眼を向けた。アーサートンは、咳払いをし、言った。「お貴族を相手にしているのだな? 当たりか?」
警戒心を露わにしている主人と客に、カッスルは穏やかな声で言った。「貴族とは思えない程、艶を失った色のない髪の痩せ萎びた男ですよ。そして、あなた達が知るような傲慢な方ではありませんので、どうかご安心下さい」
「当たりか! あんたがそう言うならそう信じよう」と主人。
「では、後程、ご本人が登場すると思いますので、驚かずにいつも通りのあなた達で振る舞って下さい。くれぐれもちょっかいを出すことはしないで下さないね? その時は覚悟して下さい」と、光のない榛色の眼を向けて警告し、自室へと戻る。扉を開けると、愛する我が子への手紙を書き終えたのか蝋を使い、封をしていた。封筒を大切そうにポケットにしまい、カッスルに眼を注いだ。
「丁度、手紙を書き終えていたところだったのですね」
「ああ、何処に行っていたのだ?」と尋ねた。
「一階の酒場です。主人のアーサートンにあなたについて、話してたところです」と探偵は答えた。
「それは、ありがたい。ところで、下の酒場だが、私のような貴族が利用するのは、場違いにも程がないだろうか?」
「それでしたら、入店時に『黄昏の夢』とおっしゃって下さい。主人のアーサートンが、すぐに私の顧客の一人だと理解して下さるのでどうかご安心下さい」
「そうか――ならば、挨拶だけして私はお暇するとしよう。最後に、私から聞き出したいことはあるか?」
カッスルは、不敵な微笑を浮かながら尋ねた。「ウリエル・グレイとの接近方法です」
卿は、案の定来たかと、大きなため息をつきながら言った。「やめておきなさい。あの男は美を追求する芸術家とでも名乗らぬ限り、接するのは危険だ。その上に、高慢で癇癪持ちでどうしようもない男だ。探偵であることを知られてみよ、ありったけの金を積み、エリスの行方を見つけ出せと言うであろう」
顎に手を添えた探偵は「芸術家か……」と、呟く。無論、考える必要はなかった。ヘンリー・ニューカッスルとして接し、詮索すれば良いだけのは話なのだから――むしろ、どれ程都合が良いのだろうか! 探偵としての知的好奇心を刺激する男でもあり、いつか利用できるに違いないと思考に耽っていると、一枚の紙切れを差し出される。そこには、ウリエル・グレイの住所「ベルグレイヴィア、チェスタースクエア15番地」が書かれていた。それを、まじまじと見つめていると、ラファエル卿は忠告をした。「どうしても尋ねると言うなら、渡しておこう。ただし、私はあの男の異常性について、私は忠告をしたからな――尋ねる際は、人一倍身なりに気を配り、気をつけて行くが良い。そして、私の名を口にするでないぞ。それと、今後はこちらを拠点にすると言っていたが、ここに立ち入りをすれば良いのかね?」
「いいえ、留守にしている事もありますので、先程、申し上げましたコッテージ・デライトで合言葉を仰って頂ければ結構です。強面な者ばかりが集う場ですが、歓迎して下さるでしょう。さあ、着いて来て下さい」
気難しい老人のように深い皺が刻まれた卿は、初めて穏やかな微笑を浮かべて礼を言った。二人は部屋を出て、コッテージ・デライトへ向かう。扉を開け、二人は入るとグレイ伯爵は、すぐに「黄昏の夢」と声高に言った。すると、室内は一斉に静寂に包まれる。アーサートンが「そこのしがない探偵から話は聞いているぞ。ゆっくりしていけ」
「気遣いに感謝する。だが、今の私にはやらねばならぬことがある。次回、世話になるとしよう」
「そうか! なら、次回からクラブ代わりに使うと良い! 狭い上に強面しかいないが、良い奴らだ。クラブより多少は落ち着くだろう。が、酒は上等なモノは取り扱ってないから出してやらないがな」
「ここに身を寄せれるだけで感謝だ。酒はジンさえあれば良い。今、クラブでは私には隠し子がいると言う噂で一杯だ」と卿。
眉を顰めた主人は呆れるように答えた。「その噂ならここにも流れている。伝染病のようにあっという間に広がっている。一つ忠告しよう、この地区で変な事をしてみろ、明日には大注目の的になる! 気をつけるのだな」
「忠告を感謝する。では、アーサートン、カッスル。また後日会おう」と言い、コッテージ・デライトを出た。暫く沈黙が続いたが、それをすぐに破ったのは探偵だった。「さて、私は少し休むとしますよ。アーサートン、ご協力頂きありがとうございました」と言い、主人は片眉を上げながら頷き、再び店内には活気が戻る。カッスルは、自室へと戻り、シルクハットを手に取ると、次の行動に実行する。寝室に入り、箪笥を開けると、艶やかで滑らかな質感の白いシルクのシャツと首元を彩る紅色の蝶ネクタイ、黒い背広、シングルの胴衣、十六世紀を彷彿とさせる懐古的なシルエットに緩やかなフリルがたっぷりと施された長く張りのあるチュールスカート、踝まで丈のある外套、そして、かつらを取り出した。
今からアーネスト・オールドカッスルではなく、奇抜な画家ヘンリー・ニューカッスルとしてウリエル・グレイを調査するのだ。軽やかな服を脱ぎ、重たげな服へと時間を掛けて着替える。最後に、鏡台と睨み合いながら、マカサ油で髪を綺麗に纏めて、かつらをしっかり丁寧に整い被ってシルクハットを添えればヘンリー・ニューカッスルとして姿を変えた。ヘンリーは専用の鞄と卿から授かったウリエルの住所が記載された紙切れを持ち、今回ばかりは、部屋の鍵は外から閉めて一階へと向かった。本来であれば、先に室内で鍵を閉め、酒場に繋がる裏口から出ると、階段の途中にある肖像画の裏にある小さな小物入れに鍵を入れ、保管していたが、今の画家にするとそんな時間も惜しいほどだった。再び、御者の元へ向かい、ウリエルの住所が記載された紙切れを渡した。ここで、御者は初めてヘンリーに質問をした。「何故、こんな危険な男の元へ向かうのですか? エリス・グレイが失踪した際、署内でも酷く癇癪を起こした非常な面倒で人物ですよ」
画家は、一瞬、驚いたがすぐに平然となり、御者の質問に答えた。「ご心配ありがとうございます。私が、訪ねたい理由を申し上げますと、ウリエルは人形愛好家であると共に作家でもあります。そんな彼に興味が湧き、そして同じ芸術家として交友を持ちたいと思ったからです。私を引き止めたら、どうなるかお分かりでしょう?」ヘンリーはガラス玉のように怪しく光る眼で御者をじっと見つめた。
「……では、馬車にお乗り下さい。近くまでお連れします」
「ありがとうございます」
画家は軽やかな足取りで馬車に乗ると、ベルグレイヴィアへと向かい始める。鞄を開けて、中のスケッチを整理し始める。ラファエル卿が言うには、ウリエルと言う男は病的なまでに美に執着をしているらしい――恐らく、平凡であることに最も退屈と嫌っているのだろう。これまで出会ってきた中で気難しい男に違いない――今まで描いてきたスケッチの中で美しい景色や人物画を真剣に選別し始める。少々面倒な作業ではあるが、交友関係を結べばいつの日かその男を利用出来るであろうと、恐るべきことを考えながら、未知なる男好みの美しいものを選別をした。ふと、外を眺めると、見慣れない街並みと住宅街がぞろりと並んでいた。この広い未開の土地を歩きながら、美しい景色を堪能し、あの男と交流を重ねることができると考えると、さらに胸が高鳴る。この男には、緊張感と言うものは存在しない。あるのは、神々のように常人離れした好奇心であり、胸が高鳴る一方であった。画家は、機嫌が良いのか鼻歌を遊みながら、仕立て屋の妹のルーナを描き始める。あの場所に訪れた際、兄ルーカスにグレイ家との関係を問い出した途端、ルーカスはまるで人が変わったかのように回答を拒んだ記憶が鮮明に蘇る。愚かにも二人は、成長と共に髪が白くなったと公言していた。が、それはありえないのだ。遠き記憶の中で金色の髪から茶色へ変色するのはいくらかこの目で見たことがあるが、童話ピノッキオに登場する詐欺師たちも呆れるほど嘘が下手な双子だ。が、これ以上の情報をあの二人から引き出すのは明らかに不可能だ。だからこそ、外部から聞き出せなければならない――その鍵は、恐らく、ウリエルが握っているであろう。しばらくルーナのスケッチを描いていると、馬車が止まり、御者から目的地についたと告げられる。ヘンリーは描き足りないものを描いてから鞄にしまい、外へ出た。
「お気をつけて」御者が、珍しくヘンリーに言った。
「ありがとうございます。通行人の邪魔にならないところでお待ち下さい」と言って、ウリエルの自宅へと向かう。しんと静まる住宅街に扉を三度ノックする。暫く待っても、反応はなく再びノックをしようとすると、長きに渡る苦悩や疲労によって深く多めに刻まれた皺だらけの老婆が出てきた。が、どこか怯えた様子だ。それでも、構わずヘンリーはまるで演者の如く、大袈裟にこう言うのだ。
「こんにちは。私は、画家のヘンリー・ニューカッスルと申します。突然のご訪問およびご無礼をどうかお許し下さい」
「申し訳ございません。現在、旦那さまはお客様との面会をお断りしております。どうかお引き取り願います」
ヘンリーはここで引き返しまいと扉に片足を踏み込み、こう尋ねた。「画家でもでしょうか?」
「はい。どうかお願いですから、お引き取り願います」困惑した憐れな老婆は懇願した。その時だ――「何事だ!」と、杖を持ち、長い黒いマントを靡かせながら、艶のある長く美しい色のない髪の男が現れる。初老を迎えているだろうが、それを感じさせることのない若々しさに溢れている。
「突然、お客様が訪問されまして、画家をされてる方なのですが、どうしても旦那さまにお会いしたいと……」
「ふむ、下がりたまえ! 何用だ!」
「突然のご訪問及びご無礼をどうかお許し下さい。私は、画家のヘンリー・ニューカッスルと申します。あなたがウリエル・グレイでしょうか?」
「いかにも、そうだ。画家とは珍しい訪問客だな。目当ては人形か?」
「おっしゃる通りでございます。あなたは、巷では、美しい人形を創造する作家だと伺っております。美しいものを追求する者の一人として、あなたの作品を一度この眼にご覧になりたくお伺い致しました」
「入れてやれ」と、威圧感のある声で言うと老婆は両腕を大きく震わせながら扉を大きく開け、ヘンリーを中に入れた。「ついてきたまえ」と、画家を招くとある部屋に入れた。その部屋は、桃色と白に花柄が散りばめられたストライプ柄の空間を埋めるように至る所に鮮やかな配色の人形が飾られ異質で、どこか退廃美を感じさせる空間だった。ヘンリーは、眼を奪われるかのように人形たちを眺めていると、ウリエルは口は開く。
「お前の本当の目当てはエリスであろう? 私の最高傑作の人形エリスだが、今はおらぬ。本来であれば、揺れ椅子に座り、飾っていたのだが、失踪して以降、まだ見つからぬのだ……」
ウリエルは悔しそうに言った。その顔には憤怒の情を宿していた。
確かに、かのじょは美しかった。色のない髪と神秘色な菫色の瞳はよりエリス・グレイの美しさを引き立たせ、一目見たら忘れられぬ容姿の持ち主だった。居場所は知っているが、今はこの男に告げる時ではない。何故ならば、いずれその時がやってくるのだから――ヘンリーは振り返って、憂いを帯びた声で言った。
「とても残念です。ご拝見したかったです」
ウリエルは、独り言を呟きながら、揺れ椅子を眺めていた。その言葉はまるで呪詛を囁くほど恐ろしいものだった。画家は、咄嗟に鞄から数枚のスケッチを取り出して、ウリエルに「貴重な作品を見せて下さりありがとうございます。これが、私の作品になりますので、ご興味があればどうぞご覧になって見て下さい」
ウリエルは、差し出された数枚のスケッチをまるで官能的なすばらしいバーガンディ色の葡萄酒を堪能するかのように、一枚一枚じっくりと眺めた。が、とある人物画を眼にした途端、眉を顰め、ヘンリーを見て尋ねる。「一つ、尋ねよう。何故、貴様はルーナのスケッチを? ルーナ、いや、あの双子と合流でもあるのかね?」
「いえ、ありません。たまたま、美しい方を見かけたので描いたものです。何者ですか?」画家は首を傾げながら訊いた。
「そうか。実は、あの双子の母親は、私の実の姉ジェーンに当たるのだが、姉は顔だけは美しかったものの所謂忌み子だったのだよ」
「忌み子――それは、一体、どう言うことなのですか?」
「私の姉は、美しい白髪ではなく穢らわしい灰色の髪でこの世に産み落とされた。一族を侮辱するほどの恥だったそうだ。実の姉ながらとても忌々しかった。成人して、まもなく労働階級の仕立て屋の男と駆け落ちして、産まれたのがあの双子だ」
「我が子に遺伝するとはなんとも皮肉な話ですね」
「全くだ。私はあのすばらしく美しい双子を養子と引き取ろうとしたのだが、断られてしまった。愚かにも二人とも己らの血筋を忌み嫌っていたのだ。特に、兄ルーカスはな。実に、実に、愚かだ。君もそうは思わぬかね?」
ヘンリーは力強く頷いた。貴族の血を流すことのない低俗な身分の画家ヘンリーからすれば、青い血や貴族の血は憧れるものなのだ。そしてそれを嫌うこともまた理解できなかった。
「高貴な身分が多い画家とは対照的に身分の低い私からすれば、羨ましい話ですよ。それと、お二人のご両親はどちらへ?」
ウリエルは、鼻を鳴らし、不遜な態度で言い始める。彼自身は中流階級の人間だが、上流階級の人間がよくやる仕草だ。「父親は病死。ジェーンは幼き二人を残して、後を追うかのように自殺した。とことん、神からにも忌み嫌われた女だったのであろう。今頃、地獄におるであろう」
陰鬱な顔でヘンリーは会話を繋げ、さりげなく禁忌の質問をする。「自殺は罪と申し上げますからね。そう言えば、ラファエル・グレイについてお尋ねしたいのですが……」すると、杖を強く叩き、狙いを定める狼のような恐ろしい眼でヘンリーを睨みながら、そう言った。
「兄ラファエルの名を出すとは、貴様は回し者か?」画家は慌てて、否定をした。
「いいえ、同じ兄弟なのに何故、ここまで対照的なのか気になり、質問をしたまでです。あなたは大変お美しいにも関わらず、一方兄ラファエルは老人のよう……お気を悪くされたようであれば、申し訳ございません」
しばらく重く苦しい沈黙が流れたが、ウリエルは口を開いた。「……構わん。あの男は一族の意に反したからあのような見窄らしい姿になったのだ! 一刻も早く父子共々呪いに塗れて逝くがよい」
「父子共々?」
ウリエルは、咳払いをし、不機嫌な様子でこう言った。「ヘンリー、申し訳ないが、余計なことを喋りすぎたようだ――今の話は忘れてくれ! そして、今日は引き返してくれぬか? 今は貴様と話す気分ではない」と言い、数枚のスケッチをヘンリーに返却した。
「分かりました。またお伺いしてもよろしいでしょうか?」と、受け取ったスケッチを鞄にしまいながら、言った。
「構わない! が、留守の時はブライア・ローズにいると思え。まあ、貴様如きが入れる場ではないがな」
「それは、残念です。本日はありがとうございました」と、頭を深々と下げて、人形部屋を出ると、ウリエル宅を後にした。
そして、ヘンリーはアーネスト・オールドカッスルとして不敵な笑み溢しながら、馬車へと向かう。
実に、興味深いほど面倒で邪悪、そして邪魔な男だった。
同じ血を流す兄弟とは、思えぬほど美に病的な男で愉快だ。そして、ラファエル卿をコッテージ・デライトに招待したの正解だったと、今にでも歓喜の笑い声が洩れそうになりながら、馬車へと向かった。
なんとも面白い一族だのだろうか! こんなにも、一族同士で忌み嫌うとは、まるで現代のハムレットを鑑賞しているようだ! 明日にでも、ハワードの元へ行こうと意を決して馬車へと乗り込み、静かに馬車の中で不気味に笑いながら拠点へと戻って行った。




