お前のモノは俺のモノ
数ある中からお話を選んでいただきありがとうございます。寓話っぽいお話になります。
中世〜近代ヨーロッパの世界観を想像して書きました。
語り口調のお話は初挑戦ですが、よろしくお願いいたします。
国境沿いを這うように出来上がった深い緑の森林地帯。まるで龍の背のように木々が上下にうねり幾重にも重なり山をなす。
その山の中には、長い年月を経て踏み固められ、地面から盛り上がった木の根がいくつもある。
根の上は平らになり、周囲の草木が避けて細い道となり、複雑に絡み合っていた。
視界の奥まで重なっている木々たちが囁き合うように葉同士を擦りざわめく。その不穏な雰囲気を一掃するかのように、視界が唐突に開けるこの場所。
時とともに朽ちた大木は地面にずっしりと横たわる。
現在は旅人の疲れを癒す丸太の腰掛けとして使われている。
そこに座っていた男は皺一つない真新しいほど綺麗なスーツを着ていた。背中には定規を入れても気が付かれないほど真っ直ぐで、体格は良く50半ばに見える。
そこへ足音が近づいてきた。
男は振り返るとそこにはリアカーを引いた行商の男。
行商の男は驚いて歩みを止めて、冷や汗を掻いた。まるで幽霊にでも遭遇したかのように、上から下まで視線を動かした。
山深くには不似合いな姿。
行商の男は、自分も丸太に座ってよいかとスーツ姿の男に訊ねた。
スーツ姿の男は快く着席を促すばかりか、貴重な飲み水まで勧めてきた。行商の男は、まるでオアシスを発見したかのように何度も頭を下げて礼を述べると、受け取った水を音を立てて喉へと流し込んだ。
* * *
いやぁ、助かりました。こんな山深くまで来て水の用意を怠るとは、自分でも驚くことをいたしました。
もしお時間があれば⋯⋯
良かった、時間はあるようですね。
貴重な飲み水のお礼と言ってはなんですが、一つお話をして差し上げましょう──。
これは二つ向こうのナステリア王国のお話なんですけれども⋯⋯とある男が山賊に襲われておりました。
ナイフを持った複数の山賊がその男を取り囲んで今にも身ぐるみ剥がして金品を盗もうとしているのが見て明らかでした。
真ん中には山賊の親分と見受けられる大柄な男が目の前の男の耳元に顔を近づけました。
「痛い目を遭いたくなければ、金目のものをすべて置いてけ」と低重音の威圧的で凄みのある声、続けて濁音が笑い声が腹の底に響くのです。
周りにいた子分たちはニタニタと粘着のある笑顔を男に向けてきました。
すると男の目の前にいた山賊の親分が視界から消えました。
あまりの速さに瞬間移動をしたのかと思うほどでした。
すぐに山賊の親分が消えたほうから気配を示すように風が男の頬を撫でていったものですから、男はそちらを振り向きました。
新しく見えた無精髭の巨体─およそ一九〇センチ。
反対側には山賊の親分が地面にすべりながら転がりました。その衝撃で地面から跳ね上がった小石が男のくるぶしに当たって、どこかへ行ってしまいました。
男は礼儀正しくお辞儀をするとお礼を告げたのです。
無精髭の男は面白くなさそうに流し目で鼻からひと息出しました。
無精髭の男は“ブラドー”と名乗り、ここ一帯を自分のモノだと告げました。
今しがた山賊から救ってくれた御礼としてブラドーに金貨を握らせようと男は懐に手を差し込んだのです。
その時、「俺は強欲なんでね、貰えるものは何でも貰おうか」と先程の山賊よりも迫力の声で言うものですから、男は顔を上げてブラドーを観察し始めたのです。
男はブラドーに二、三聞くと頷き、「私の持っている金貨よりも価値のあるものを教えましょう」と切り出すのです。
男の言葉に驚くとともに、喜びが湧き上がってきたブラドーは、男の鼻に口づけをする勢いで顔を近づけました。
⋯⋯迫力のあるブラドーの顔を近づけられるなんて、さぞかし怖いことでしょうね。
そこの紳士殿もほころんだ顔ということは共感してくださっていますね、ははは。
ブラドーは男に“あること”を教えてもらうと、男と別れました。そしてなんとも良い気分で家へと帰りました。
その次の日からブラドーの周りには暗雲が立ち込めるのです。
ブラドーは強欲で有名でした。
しかし、前よりずっと欲にまみれたことを言い、近隣の人びとは眉をひそめてひそひそと話し始めました。
ブラドーが現れると、目の前のものをすべて持っていってしまう。
大柄で無精髭の姿ですから、歯向かう人は誰もおりません。人びとは泣き寝入りするしかありませんでした。
それからしばらくして、意地悪なちょび髭の役人が突然やってきました。すでに今年の徴収は終わっているはずです。
それなのに徴収できる物はないかと、執拗に畑の野菜を見ていきます。
すると、上等に出来上がった野菜ばかりを持ち帰ると主張しました。
人びとは役人に逆らえず下を向いて耐えるしかありませんでした。
ところがブラドーは自分のモノだと主張するではないですか。
その畑はブラドーのモノではありません。
しかし、持ち主に指を差して「あいつのモノは俺のモノだ」と大声で役人に告げるのです。
ブラドーが役人の前に立つと、役人は青白い顔にすぐに変わりました。そして開けた口からは言葉が出ませんでした。ブラドーは徴収と異なる時期だと指摘すると、役人は言葉を濁しよろめきながら踵を返しました。
これには人びとも驚きました。
その驚きは一度だけではなかったのです。
ある時、お腹をすかせた子どもにトマトをあげるブラドーの姿がありました。
強欲なはずのブラドーは頭でも打ったのかと皆は噂しました。
ある男がブラドーに理由を聞いたところ、「俺はこれが自分のモノであるのが気分が良いんだ。その中で育った野菜は皆で食べればいい」と言うのです。
誰一人としてブラドーの主張は分かりませんでしたが、この前の役人のこともあります。
皆は自分たちの畑をブラドーのモノだと言い始めました。
ブラドーは毎日気分が良くなりましたが、今度は畑が多すぎる。
頭を悩ませる前に、どこにどれだけあるのか一覧を作るようにと皆へ命じました。
皆は地図を広げて、顔を突き合わせると境界線を引き始めました。
すると、それぞれが思っている境界線が不満なようで、言い争いが起きました。
一人、二人と周りを取り囲んでいた人びとは我先に境界線を書こうとペンの取り合いになりました。
それでも解決しないので、取っ組み合いになると、もう収拾がつきません。
遅れてブラドーが来ると、ドスの効いた声が辺りに響き渡りました。
耳が痛くなるほどの大声に誰もが口を噤みました。
間があってからポツポツと皆が話し始めると、ブラドーが壊しそうなほど力強くドアを開けて外へ出ました。
畑に大股で踏み込むと乱暴にきゅうり、その次にトマトと次々と野菜を口へと運び始めたのです。
これには皆も仰天。
皆はドアから顔だけ外に出すと距離を取って見守ったのです。それでもブラドーは家からどんどんと遠ざかるので、諦めて部屋の中で待つことにしました。
しばらく待っているとブラドーが皆のところへ戻り、ペンをもぎ取りました。
淀みのないペンの走らせ方に皆は地図をのぞき込みました。
ブラドーの手が止まる。黄色い歯を見せ、満足そうに微笑んだ。
ブラドーは地図をペンで差しながら
「こちらはハリが強く、歯切れが良い。こちらは匂いが良く、甘みが強い──」と一つ一つ説明していくではありませんか。
ブラドーはそれぞれの作り方でわずかな野菜の違いを見分けていたのです。
日常的にブラドーから野菜を食べられることに諦めていた皆は驚きのあまり誰一人として声が出ませんでした。
それからも皆が驚くことや心を動かすこと、笑顔になることが増え、信頼も厚くなっていきました。
山賊の親分から助けたその男に、何を聞いたのかご想像はつきますか?
「周りモノすべてを自分のモノだと思いなさい。そしてそのモノに対して責任を取る心を持ちなさい」
その男はその言葉によって、人生が大きく変わったのです。
そして20年かけてブラドーは『ザルディア領の辺境伯』になりました。
これがザルディアを作ったブラドー・ザルデイアの逸話だそうなのです。
⋯⋯あれ? 紳士殿、あまり驚きではないのですか?
残念ですね⋯⋯今まで驚かない方は一度もお見かけしませんでしたのに。
あぁ、面白い話でしたか。
それは良かったです。
先を急がれますか?
それでしたらその先のアルデンまではさほどかかりません。
この国の宰相殿が国中に道を繋げて下さったからなのです。この周りではここが一番栄えておりますよ。
あぁ、それではお気をつけて。
─エピローグ─
行商の男を見送ったスーツの男は愉快でたまらなかった。相好が崩れた口元を手で覆い必死で隠すことが今まであっただろうか。
「エルドラン宰相閣下、そろそろ移動を始めても良いでしょうか?」
「あぁ、時間を取らせたな」
後方に待機していた執事や沢山の従者たちがエルドランの周りを囲んでお辞儀をしていた。エルドランの上機嫌な声音に混乱する彼らを横目に馬車へと乗り込んだ。
幾重にも重なった山の向こうのナステリアを見るように目を細めて、先ほど聞いたばかりの話に過去を重ねてみる。
「宛先がようやく分かったな。久しぶりに文を出そうか。ブラドーのやつ、驚くぞ。
それにしても俺がブラドーへあんなに口酸っぱく教えた件もなく、素晴らしい美談になっているとは思いもしなかった⋯⋯その話は会った時でいいか。
今夜はナステリアの方角に乾杯して美味いワインでも飲むとするか」
お読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただければ幸いです!
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