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第一章 夜明け前の静寂①

 ユウナは、ベッドの中でなかなか眠れないまま、考えを巡らせていた。今日、初めて話しかけてきた、吸血族(ノクト)のレイは何が目的なのだろうか。


 レイは別れ際に、抑えた声で告げた。

「明日の血液検査の結果を教えてほしい」

 それはまるで何かを確かめるかのようだった。

 

 そして、メッセージ用IDを差し出してきた。学園内でのみ使われるメッセージ交換用のアプリだった。外部との接触を制限し、生徒を学園の枠内に留めるためのものだった。ここでは、完全寮制度ですべてが管理され、外の世界とは切り離された、閉ざされたひとつの世界。それに息苦しさを感じることはあっても、同時に守られている安心感もあった。


 でもレイはなぜわざわざこのようなことを頼んできたのだろう。吸血族(ノクト)にとって、ユウナの検査結果を知ったところで利益があるとは思えない。それとも別の意図があるのだろうか。

 

 ユウナは、肌身離さず身につけている母の形見のペンダントを握りしめた。銀細工が施されたそれは、繊細に彫られた薔薇の花を中心に、茎や葉が絡み合うように巻き付いている。握るたび、亡き母のぬくもりが感じられる気がした。

 そんなふうに考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 今日は学内で行われる『血液検査』の日だった。健康診断は種族関係なく年に一回行われるが、『血液検査』は人族(ソル)のみ、半年に一度行われていた。表向きでは、健康状態を知るためとなっているが、その目的はみんな知っている。

 

「検査記入項目を入力したら、順番に並んでください」

 アナウンスが繰り返される中、ユウナは目の前のタブレットに表示された項目に答えていた。睡眠時間や体温、服用している薬や、既往症などが並んでいる。

 そして答えたら、採血検査。検査という名目とはいえ、採取される量は多い。そして後ほど生徒たちは個別に検査結果が送られる。そこには血液ランクも記されていた。

 

 血液ランクに応じて、『血液提供費用』が各生徒の口座に振り込まれる。Sランクならかなりの高額、AやBでも十分な額が手に入る。

 それを目的に、『血液検査』以外にも血液を追加提供する者も少なくなかった。ただし、生徒の健康を守るため、過度な提供はできず、三ヶ月に一度しか許されていなかった。


 検査の後、授業に戻ったものの、終わる頃に、医療管理室から呼び出しがかかった。ユウナは『まただ』と小さくため息をつく。

「神崎ユウナさんですね。血液検査の結果ですが、今回もDランクでした。他の数値には特に異常がなく、健康そのものなのですが……なにか思い当たる理由はありますか?」

 学園の健康管理を担う医師は、不思議そうに首を傾げる。ユウナぐらいの年齢でDランクというのは極めて珍しい。通常このランクが出るのは、重病人か、高齢者、あるいは死亡した者から採取された血液ぐらいだった。

「今まで何度も検査を受けましたが、結果はいつもDランクでした。おそらく体質なのだと思います」

 ユウナはそう言い切ると、一礼して医療管理室を後にした。


 寮に戻ると、エマはタブレットを広げて授業の復習をしていた。

「エマ、ずっと頑張ってるね。でも昨日も遅くまで勉強してたし、あんまり無理しないで」

「ううん、大丈夫。私、みんなと違って特待生制度で入ったから、頑張らないと」


 特待生制度とは、学業や才能が優れた者に対し、学費や寮費の一部、または全額を免除する制度だ。

 この学園に通うには、それなりの入学金や毎月の学費に加えて寮の費用がかかる。エマの家庭は決して裕福ではなく、母親は入院していて、弟は親戚に預けられている。エマの話を聞く限り、相当な苦労をしてきたのだろう。


 しかし、彼女は学業面で優秀だったため、特待生枠として入学を許された。それだけに、エマは人一倍努力しなければというプレッシャーを感じているのかもしれない。


「そうだ、ユウナ。さっき医療管理室から呼び出されてたけど、どこか悪いの?」

 エマが手を止め、心配そうに顔を上げる。

「全然。いつもの血液ランクの話だよ」

「……今回もDランク? 本当にどこも具合悪くないのかなあ。だって普通はありえないんでしょ?」

「でも、検査の結果は健康そのものだって。きっと体質なんだよ」

「そうならいいけど……」

 エマはまだどこか納得いかない様子だった。この空気を変えるように、ユウナは問いかける。

「エマはどうだったの? 前はBランクだったけど」

「……うん、それが」

 エマは浮かない声を出した。それに、ユウナはてっきりランクダウンしてしまったのかと思った。

「Sランク……だった」

「えっ……?」

 エマの様子と結果が伴わない。Aランクだってかなり高ランクで、学園内でも一握りだ。それがSランクとなると、噂ですら聞いたことがなかった。

「私も急にBランクからSランクなんて、おかしいと思ったんだけど……結果はそうだったんだって」

「え、おめでとう! よかったじゃない。血液提供金額も破格だって聞いてるよ?」

 エマは家族を支えたいといつも言っていた。そのため、ユウナは素直に祝福した。


「嬉しいことなのかもしれないけど……なんだか怖くて」

 エマはぎゅっとタブレットを握りしめた。彼女の声は、かすかに震えている。

「怖いって……どういうこと?」

「だって、Sランクって特別でしょ? 学園でも聞いたことがないし、それに……」

 エマは視線を落とし、ためらいながら続けた。

「あまり目立ちたくないの。もし悪い人に知られたら……どうなるか分からない」

 その言葉に、ユウナは一瞬息をのんだ。Sランクの血液は、学園にとっても、社会的にも貴重なものだと聞いている。学園の管理下にあるとはいえ、万が一、外部に情報が漏れたとしたら。


「大丈夫だよ、エマ。学園がしっかり管理してくれるし……」

「……うん、そうだよね」

 エマはかすかに微笑んでみせたが、その表情はどこか不安げだった。


 その夜、ユウナは寮の自室に戻ると、ため息をつきながら通信端末を開いた。レイに結果を伝えるべきか迷いながらも、ユウナは学園内のメッセージシステムにアクセスする。


『こんばんは、神崎ユウナです。血液検査の結果ですが、今回もDランクでした。』


 送信ボタンを押すと、画面に「通信完了」の表示が浮かぶ。少しの間、ユウナは画面を見つめていたが、何の反応もなかった。もう寝ているのかもしれない、と通信端末を閉じ、枕元に置く。

 しかし、その数分後――微かな電子音が響いた。画面には、新しいメッセージ通知があった。ユウナは少し緊張しながら画面を開いた。


「そうか、ありがとう。では、少し話がある。明日、図書館の奥にある特別研究室で会おう。入室IDは送っておく」

 特別研究室――その存在は知っていた。学園に多額の献金を行っている一部の生徒のみ使用を許される場所だ。もちろん、ユウナのような一般の生徒には無縁の空間だった。

 なぜ、そこへ呼ばれるのだろうか。

 レイが学園の上位層に属する吸血族(ノクト)だから、特別な施設を利用できるのは当然だろう。けれど、彼がユウナを直接呼び出す理由は、どこか引っかかる。


 ユウナはそっと通信端末を閉じた。胸の奥に、小さな不安が水面のように広がっていく。まるで、見えない大きな力に引き寄せられていくような――そんな感覚だった。

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