第五話
早坂先生がおんなの人と一緒にいる。しかも、おんなの人は先生のファースト・ネームを呼び捨てにして。
先生の彼女さん?
私の怖れていた事が、こんなにも突然訪れるなんて。
しかも、お祭りという本来ならおめでたい筈のイベントで。(って何の神様かもわかんないんだ、別にめでたいこともなかろう)
なんてこと!酷い、酷すぎる。
どうして? 私がどんな悪さをしたと言うの? どこが至らなかったというの?
私のどこがいけなかったの?
教えて、お小遣いが足りないの? ベッド・マナーが悪かったの? お酒を飲みすぎたから? お願い、先生、行かないで! 何でもするわ、貴方の望むものは何でもあげる!
だから行かないで!!
……ってドラマ・クイーンになってる場合じゃないっしょ。
顔からすぅーっと血の気が引いていくのを感じながら 私はその場に留まるべきか、それとも逃げるべきか逡巡した。
境内は大勢の人々でごった返していた。
あまつさえ奈津美ちゃんと歩いてて、通り行く人々が振り返るのにもし私がその場から去るとすれば、かなりの人込みを押し分けて行かかなければならない。
そうなると私達の姿が先生の目に留まる事は明らかだった。
まだ気づいていない。 私は咄嗟に先生達から背を向けた。
パン パンパーン パン
「葵ちゃーん、観てみて! 真ん中当たった!」
射的の模造銃を抱えて奈津美ちゃんが小躍りして叫び、周りの見物人が感嘆の声を上げた。
なんでこういう時に目立つコトするんだよ~!
「津田さんじゃないか、来てたの?」
「えっ」 振り向くと早坂先生だった。その横にハスキー声のおんなの人が寄り添うように立っている。
「いやぁ、見違えちゃったな」
「……。」
「どこのおねえさんかと思ったよ」
分かってるわよ。 その“おねえさん”は“お姉さん”じゃなくて“御姐さん”の方でしょ。
「こんばんは。 先生もいらしてたんだ」 今やっと気づいたというフリをした。
先生は淡いグレー地に細かい黒い格子縞の浴衣、渋い黒っぽい帯を締めていた。端正で上背のある先生は大正時代の書生さんみたいに爽やかだった。
「隆だぁれ、この人?」連れのおんなの人が胡散臭そうに私を見て言った。
「津田葵さん… 高校の美術部の生徒だよ」
先生、私のファースト・ネーム覚えててくれた。
「こんばんは」
私はペコリとお辞儀した。
「こちらは研究所で一緒の宮崎さん。これから同僚の家に焼肉食いに行く所だったんだんだけど、お囃子が聞こえてさ、つい寄り道しちゃったんだ」
「お祭り、好きなんですね」もっと気の利いたこと言えっつーの。
「夏の風物詩だろ、一応。 盆踊りもあるんだね、津田さんは踊らないの?」
早坂先生がその澄んだ瞳を私に向けてきいた。
「からかわないでくださいよ~、盆踊りなんて婦人会のおばさんか飲み屋の女将さん達が仕切って、あとは年寄りと子供がやるもんですよ」
なんと可愛げのないことを……。
「あら、素敵な浴衣着てらっしゃるから櫓にお上がりになるのかと思ったわ、観れなくて残念」
宮崎というおんなの人が皮肉たっぷりに言った。
畜生! こちとら芸者とちがうわい。
「葵ちゃん、なんだぁ、知り合い?」
おぉっ、奈津美ちゃん射的はどうしたの。もう止めちゃうの?
宮崎さんの視線が奈津美ちゃんに釘付けになった。
「う、うん。学校の先生とそのお友達」
なにか嫌な予感がする。
「奈津美で~す。へぇ、イカス先生いるんじゃん、葵ちゃんの学校」
奈津美ちゃんは私の背中をバンと叩き物怖じもせずに言う。
「男の人の浴衣姿って色気あるよね、うちのショージなんか夏はジャージ、冬は半纏だもんね、参っちゃうよ、どーにかしろって感じ。だけど今日のお祭りのテキヤは殆どあいつの組のもんだからね。まぁ、親分に顔は利くし、甲斐性はあんのよ、あれでも。あ、ねぇねぇ、そういえばこのお寺もうちらの同級生のお寺さんじゃん」
ってあんた何が言いたいの?
「今日のお祭り結構浴衣着てる人多いけど、あたしと葵ちゃんが断然垢抜けてるよねぇ、ほら、みんな振り返って見てたじゃん。柄にしろコーディネートにしろあたし達は格が上っつーかさ、衣紋の抜き方からして違うじゃん」
奈津美ちゃんが“見返り美人”のポーズをとった。
自画自賛って言うのか、空気が読めてないって言うのか、私はもうどーにでもなれっという心境だった。
「奈津美さんも津田さんも綺麗だよ。 ほんと最初見たとき誰かと思っちゃった。いつも制服着てるとこしか見たことないし、髪も下ろしてるでしょ?今日みたいに結ってると大人っぽく見えるね」
綺麗? 大人っぽい? 今、先生そう言ったよね。
お世辞でもうれしいよ。
「隆、もう行かないと遅れちゃ~う」宮崎さんがしびれを切らして先生を急き立てた。
行ってしまうの?
せっかく逢えたのに。
私は宮崎さんと先生の後姿を見送りながら切なくなった。
私はこの時ほど自分の置かれている立場がもどかしいと思ったことはなかった。 だってそうでしょう?
もし私が高校生じゃなくて先生の生徒でもなくて、ふつーの大人だったらこんな風に気持ちを隠してただ先生を見つめてるだけなんてことはなくて、きっと宮崎さんみたいに堂々と「デートしてます」って大手を振って世間に顔向けできるんだよ。
二人で何処に行こうと何をしようと誰のお咎めも受けずに交際えるんだよ。
どうしてもっと早く生まれて来なかったんだろう。
どうしてもっと違う形で巡り逢えなかったんだろう。
と嘆いてみても所詮は負け犬の戯言、誰が本気にするでしょう。
いいえ、いっそ犬だったらよかった 。 犬であればあの二人に吠え付き、噛み付いてこの鬱憤を晴らすことも出来たかもしれない 。
(そんなコトをすれば保健所に直行だよ。ワンワン )
犬にもなれず恋人にもなれない私は一体何処へ行けばよいの?
やはり行き着くところは修道院なのかしら。
17歳の誕生日を目前にして私の青春は丘の上の高い鉄門の後ろに閉ざされてしまった。いや、むしろこのお寺さんのお墓に葬られてしまったと言っても過言ではないでしょう。
皮肉な事よのう。
その晩私はリサ子にお祭りの一部始終を話した
リサ子は
「やっぱり(彼女)いたんだぁ、 でも分かってよかったよ。 これで葵ちゃん
スッキリするよね。 葵ちゃんは可愛いしさ、モテルからまたいい人でてくるよ」
可愛くてモテるんだったらどーしてこう、うまくいかないの?
恋をする対象にはケミストリーが無ければいかんのだよ。
仮にブラピがイイ男でも、反応するモノがなくて燃焼できるものがなかったらブラピも志村ケンも一緒なの
翌日 傷心の私にリサ子はパフェを奢ってくれ、 とてつもなく背の高いガラス容器にはいったパフェを食べながら来週から早坂先生が学校に戻ってくる事を思い出した。
「叶わぬ恋というものがあってもいいんじゃない」と呟くと
「まぁ葵ちゃんがそれでいいんなら 諦めろとは言わないけどさ、やっぱり自分が好きな人にはこっちも好きでいてもらいたいよ」
もちろんそうなんだけど。
家に帰ると描きかけのキャンバスの前に腰を下ろし、重い筆を手に取った。
せめて先生の“よき生徒”でいようと思った。
この恋が叶わぬとも絵を描くという情熱が残されてるじゃないの
凹んでどうする、葵 !
けれどキャンバスの絵が涙で霞んでいくのを私はどうすることもできなかった。
頬を伝わる涙を拭うこともせず キャンバスに絵の具を重ねていった。
その時の私の想いをぶつける場所はキャンバス以外になく、シリーズで描いているこの4枚目の絵は暗い雰囲気が滲み出ている物で、私のその時の気持ちそのままを映し出した。
私が文化祭に向けて制作していたのは前にも書いたように7枚の絵からなる物語風のシリーズ物だった。
最初の一枚は白髪のおじいさんが木の上に小さな可愛らしいお家を作り、二枚目で一人の男の子と一人の女の子がそこで楽しく遊んでいる。
それらは明るい色調で平和な様子を表現した。
三枚目は女の子がヘビともサンショウウオともつかない動物とお話してるところ。
四枚目もやはり女の子が画面に描かれ、彼女がりんごを食べているところ。
私はその時 五枚目の絵に取り掛かっていた。大まかなアウトラインとディテールはコンテを使って描き、フィキサチフをかけて乾くのを待っていた。
美術部の部員の殆どは自分の作品を手がけながら文化祭のポスターのデザインについてあーだ、こーだと話し合っていた。
“文化祭は十一月なのだからそんなに急がなくてもいいじゃん”というのが大半の部員の意見で そういうお気楽な雰囲気をぶち壊すのは本條先生だけだった。
「君達 後で徹夜で仕事したくなかったら今から始めなさい。 まだデザインも決まってないんじゃない。 十一月なんてぼやぼやしてるとすぐだよ」
「そうなんですけど、先生 意見がまとまらないんですよ」カンちゃんが両手を頭の後ろに組み、椅子の背に反り返って応えた。
「それをまとめるのが 部長の役目でしょ」 本條先生がカンちゃんの頭をコツンと軽く叩いた。
「痛っ」
「君達 ホントのんきだね、僕が学生だった頃はアトリエや工房に入ったら、もっと集中して取り組んだけどね。 展示会の前なんかはそれこそ寝食忘れて制作したもんだよ、ねぇ、早坂先生?」 本條先生が腕を組み仁王立ちになって、早坂先生に視線を移した。
「そうですか?教員試験の期間は大変でしたけど、あとは オレ結構バイトや飲み会やって遊んでましたよ」 早坂先生、正直すぎるぞ。
「あぁ、そうなの? T大は結構のんびりしてたんだ。 僕なんかねぇ、一旦自分の作品に取り掛かるでしょう? そうすると何かに憑かれたように、っていうか 忘れちゃうんだよね、周りの事なんて。 のめり込むっていうのかなぁ、世界に入っちゃうんだよね、その作品で表現したいことや、観る人に訴えたい事なんかさ」
流石、新進芸術家として知られる本條先生です。
学生時代から意気込みが違う。
「人の魂を揺さぶるような作品創りたいと思ったら、そのくらいの気迫は必要でしょ? まぁ、お嬢さん方のお遊びや暇つぶしならそれでもいいんだけどね」
ひぇぇえ~~。
真摯に芸術に身を捧げられてる本條先生のお言葉であるだけに それは私達にとっては、痛いセリフでした。