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蒼いパレット  作者: 黒薔薇姫
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第四話

ぶっ倒れそうな体にムチうちながら想像の嗅覚で先生のパフュームを嗅ぎ、肺呼吸が困難になり、朦朧とする意識の中で、瞼に浮かぶ先生の艶かしい手にもんどりを打ってのた打ち回り、やっとの思いで家の柱に縋りついた私はロダンの彫刻、カレーの市民さながらにボロボロだった。

 それじゃただの変態じゃん。

私は自分の背負う恋の重みに私は耐え切れなくなって聖書をひも解いた。 


“すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう”

     -マタイによる福音書11章29節-


 お願いしますキリスト様、私を修道院に入れてくださいな。私は尼サン「サントス・アズール」になり、マザー・テレサの子分になってインドの貧しい人達のために一生この身をささげますからこの煩悩を取り去って下さい。

所持品がたとえサリー一枚とそれを洗うためのバケツひとつになっても この恋に想い病む魂と引き換えにして下さるならそれ以上望むものはありません。

 などと迂闊にお祈りをしてはいけない。

得てして神様はこういうお祈りは叶えて下さるお方。

安易な考えでお縋りしてはいけない。

でないとホントに修道女になっちゃうぞ。

 そうではないのだ。

私が本当に欲しいのは一人の女として恋に身を焦がし、芸術に身を捧げ、世俗の中にあっても清らかに、あたかもドロ沼に咲く白い水蓮の花のような生き方だった。

美しい……。

私はなんという麗しい精神をもった少女だったのでしょう!

 などと、このように無為に数日を過ごしてしまった所為か、私は先生に暑中見舞いを書き送ることなどすっかり忘れてしまった。


 母が婦人会のおばさま連中と盆踊りのお稽古にいそいそと出かける頃になって

私は夏祭りが近い事を知った。

去年まで着ていた浴衣の柄が子供っぽいというので、その年は母が浴衣を新調してくれていた。

「お母さん、新しい浴衣見せてよ」

それまでほとんど浴衣などに関心のない私が見たいと言ったのだ。

母は驚きながらも嬉しそうに、イソイソと和ダンスの広い引き出しから畳紙(たとうし)に包まれた浴衣を出した。

「どう なかなかいいでしょう?」

母が畳紙を開けると黒地に赤紫の大輪の牡丹というド派手な柄が現われた。

派手なだけじゃなくてなんていうのか玄人サンが着そうな柄。

帯はと云えばこれまたテカテカと光る水色の代物。

 今でこそ黒地の浴衣なんて珍しくはないけど、私が高校生の頃は浴衣の地色といえば 濃紺や白が主流でたまに緑や赤なんかもあったかな。

まちがっても黒地の浴衣を着る高校生なんていなかった。

「ちょっとハデだけど いいのよ、若い子はこのくらいで、ねっ」

“もしかしてこれ、タエコおばさんの見立てじゃないの?”

と疑いたくなるような演歌歌手にでも着せたいような浴衣だった。

 私はこの浴衣を着て夏祭りに行く自分の姿を想像した。

年齢相応の浴衣を着た可憐な友達の中で一人浮いちゃうのが私。

とは言え、ウキウキしてる母に“そんなの着たくない”とは言えない。

私は母にとっても優しいのだ。

私の両親は昔の人にしては晩婚で母が私を生んだのは30代の終わりだったから

経済的、精神的にはともかく肉体的には結構しんどかったのではないか。

その様な背景があるのを知っていて 私は自分の母親にむかって“クソババァ”なんて言う同世代の人達の気が知れなかった。

『親とは敬愛し、いたわるもの』

 それはいいとして。

私はこれを着て早坂先生とお寺の境内を歩く姿を想像した。

清潔、清廉そのものの先生とオミズの姐さんみたいな私が目に浮かんだ。

 イケテナイ……。

誰の目から見てもナイーブな青年を唆してる女がヒモの目を盗んで逢っている様に映るのではないの。

『おかーさん、なんでこんな柄選んだの?』と詰め寄りたい気持ちをぐっと抑え、

「うん、個性的でいいんじゃないの」と私は感想を述べた。

「そうよ、葵チャンは芸術家サンだもん、みんなと同じなんてつまらないわよね」

なるほどね、お母さんが選んだんだ。案外ラディカルだね。

もしかして私の方がずっと保守的なんじゃないか。年寄りを侮ってはいけません。


さて、夏祭りは小学校時代の同級生の一人が会場となるお寺の御曹司ということで気の合った同窓生で集まる事になった。

その中に一人、おばあさんが日本舞踊の師匠をしている奈津美ちゃんがいた。

彼女は中学を卒業すると進学せず暴走族の彼氏と同棲しているという噂だった。

 いわゆるヤンキーってやつ。

「みんな、元気ィ?」

彼女が髪を金髪に染め、歌舞伎紫の浴衣にゴールドの帯を締めて挨拶したときはみんな少なからずギョッとしたのではないか。

少なくとも私は驚いた。

金とか銀の帯ってあの留袖とかに合わせるんじゃないの?

 しかもその金髪を新橋辺りの芸者さんが結ってるように仕上げてたから、最初何処の誰さんかと思ってしまった。

ただ内心、この人とツルんでれば私は浮かない、と安心したのは事実である。

 境内は安っぽく、毒々しいハロゲンライトに照らされていつもの静粛さとは打って変わった風情だった(と言ってもお寺なんて普段 滅多に来たことないからよくわからないけど)

奈津美ちゃんが「葵ちゃんの浴衣、イカしてんじゃん、何処で買ったの?」と言いながら無遠慮に私の袂を広げた。

「お母さんの見立てだから知らないけど」

私はちょっと照れて言った。

「葵ちゃんのお母さん、センスいいじゃん! うちのババァなんかには絶対選ばせらんないよ」

この人は例の『お母さんを敬わず“クソババァ”って云っちゃう人種』なんですね。思わず説教したくなったけど、どーせ聞かないだろう。

 奈津美ちゃんは私の浴衣が気に入ったせいで、私を自分と同類かそれに近い人種だと誤解したのか、妙に懐いてきた。

 それはいいんだけどね。

津美ちゃんがテキヤのアンちゃん達を相手に「ハル、これもっと安くしなよ~」とか「アキラ、ショージがこないだ貸した金早く返せってさ」

などと大声話してるので私はなんとも意心地が悪い。

 もっと言えばちょっと恥ずかしくなった。

さらに言うならコワイ。

だってテキヤのあんちゃんって言わばヤクザだよね。

みんな体にインク入れてんじゃないの、それも龍とか般若とかイカツイやつ。

おまけに私をチラッと見ながら奈津美ちゃんに「おめぇのダチよぉ、結構マブイじゃん」とか耳打ちしてる。

中には「後で紹介しろよ」とか、何処の店出てんだよ」とか言う奴まで。

 オイオイ、私ってそんなにオミズっぽいわけ?

ま、一応バイト的には。

それでも自分では深くハマってるつもりないし、私にも選ぶ権利はあるのよ。

それもこれもこの浴衣のせいだ。私は産まれて初めて母が恨めしくなった。

「ねぇ、奈津美ちゃん あんず飴買いに行こうよ」

私はその場から一時も早く逃れたくてそう言った。

「ああ、ゴメン、ショージに組のもんの様子を見とけって言われてるからさ」

ショージとは多分彼氏さんのことなんだろう。

族からヤクザに昇格したのか。

おお、コワっ。

 でも奈津美ちゃんは見かけによらず親切だった。

幼馴染のよしみだよ」と言って何処の屋台でも私にお金を払わそうとしないし

(と言っても 小学校時代 特別仲がよかったというわけでもない)

「あいつら(テキヤのアンちゃんたち)のコト気にしないで、ヘンなコトしたらあたしに言いなよ、絞めてやっからさ」と腕っ節を見せて笑った。

高校に進学せず、中卒で大人の世界にいきなりデビューした奈津美ちゃんは案外大人で優しさと強さを持ち合わせてるのかもしれない。

 今思えば 複雑な家庭で育った奈津美ちゃんは早く大人になるより他にサバイバルの道がなかったのかも。

「葵ちゃん、射的やろうよ。あたしベガスで本物のやったことあんの、凄いでしょ」

えっ?ベガスってあのアメリカのラスベガスのコト?本物の銃撃ったことあるんだ......。

    コッエェ~!


「タカシィ、早く行かないと土井君待ってるわよぉ」私の隣りで奈津美ちゃんが射的の屋台のおじさんに紙幣を渡してると、ちょっとハスキーな女の人の声がした。

何の気なしにそのハスキー声の方を見て私は言葉を失った。


続く




 

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