第2話
文化祭のポスターはシルク・スクリーンを使って創る事に決まった。
これは去年 今白先輩がみんなに先立って提案したのだ。
「今白先輩の時よりカッコイイのを創ってやろう」とみんな思ってた。
一学期までは三年生の先輩達が君臨していたから、やたらと私達は今白先輩にねじ込まれてた。
三年生が受験で部活からひっこんだのを機に二年生台頭というわけだ
早坂先生は去年のポスターを見てた。
「これ、むずかしかったんですよ先生。時間もかかったし」
新部長のカンちゃんが甘ったれた声で言う。
「初めて作ったの? ふぅ~ん」
あんまりできはよくないか…
「今年はもっとカッコイイの作りたいよ」私は先生の傍で言った。
「どんなふうに?」早坂先生は興味深そうに私を見た。
「もっと前衛アーティストみたいな…」
私は全然図案なんか考えてなかったから適当な思いつきで言った。
「そういう津田さんはちゃんと図案考えてるわけ?」
本條先生が疑わしそうに私に言った。 本條先生は美術部員達と付き合いが長いから、私が先生や文化祭実行委員にせっつかれないと腰を上げない呑気な性格をよく飲み込んでいる。
「去年とは違う雰囲気のを作りたいんでしょ?」
早坂先生がニコニコしながらフォローしてくれた。
先生のこういうところ、好きだな…。
「じゃ、画集でも写真雑誌でもいいから資料参考にして、ちょっと考えてよ。
早坂先生、準備室にも使えそうなのあったら出してきて」本條先生はいつの間にかその場をしきっている。
「はい…」 早坂先生が一人で準備室に向かうと麻里が私を肘で突付いた。
「葵ちゃん、ほら あんたも!」 麻里が私の耳元で囁いた
「あっ、あの…先生、あたしも行きます!」
思わず声が上ずったのを皆にバレやしないかと一瞬周りを見回した。とりあえず皆は本條先生の説明を聞いている。私はバタバタと急ぎ足で早坂先生の後から準備室に入った。
麻里さすがー、頭いいじゃん。先生と二人っきりになれるチャンス!
ってもう資料のことなんてすっかり忘れてる。
準備室は先生達の描きかけの作品、本條先生の彫刻っていうか“スカルプチャー”ですか? それに画材やモチーフ、その他雑多な書籍類が山積みになりカオスと化していた。 早坂先生のお部屋もこんなのかなあ…。
「足もと気をつけろよ、あっ、それまだ乾いてないから触んなよ」
早坂先生が本棚の前のハシゴに足をかけながらキャンバスのひとつを指差した。
「これ先生が描いたの?」
激しい赤と黒が基調のちょっとなんだかわからない中に羊だか山羊のような動物が描かれてある絵だ。
「うん。津田さん こういうの好き?」
先生が訊いた。
「好き? あんまりわかんないな、こういうの」
正直すぎるぞ、葵。
「そっか、津田さんはどんな作家が好きなの?」
ハシゴに載ったまま先生は本棚の本を引きぬきはじめた。
「ん~、シャガールとかモネ ユトリロも好きかな」
私の好きなアート聞いてくれた。
「もっと前衛的なのがすきなんじゃないの?」
先生はさっき私が本條先生に突っ込まれたのを思い出して笑ってる。
「それはポスターを作るときの話で、人の目を引くものじゃないと…そう思っただけです」
先生は分厚い画集を一冊づつ私に手渡しながら
「なんだぁ、オレのこういう絵も好きかなって思ったのに」
えっ、なにそれ…?
なんかまずいこと言っちゃった?
マジで?
『もちろんです。早坂先生、私こういうの大好きですぅ! 自己表現衝動を抑えながらも作家の叫び、苦悩がそのままキャンバスに叩きつけられていますよね。イメージとコンポジションは大胆なのにディテイルの色彩の絡みが微妙で斬新。このモチーフの動物の抵抗感が全体をさらに引き締めて盛り上げてますよね』
…とは言わないまでも
『先生の作品って破壊的ですね、この色彩ってイメージとコンポジションを殺してません? それとこれ、羊?やぎ? なんでこんなのモチーフにしたんですか?』
…違った!
準備室でせっかく先生と二人きりになれたのに これといった進展はなかった。
当たり前か…
それに、先生の絵はちょっとぉ…みたいなニュアンス残しちゃったしな。
ってか そういう意味じゃなかったんだけど そういう風にとられちゃったよね。
あーあ、なんでもうちょっと気の利いたこと言えないんだろう。
リサ子にその日の準備室でのことを話すと彼女は言った。
「葵ちゃんが早坂先生の作品気に入ってくれなくてガッカリしたかもよ」
もう 遅いんだよ…
ってか、私の批評なんて別に気にしてないんじゃないの?
「芸術家って自分の作品褒めてもらったらうれしいんじゃないかな。
上手い下手って評価するんじゃなくて 単純に“そういうの好き”って主観でいいからさ」
リサ子は軽音部に入ってて時々ロマンチックに詩を書いて見せてくれるから
彼女の言う事は当たってんな~と思った。
主観の問題ね。
恋もそうだよね あくまでも自分が好きだって それだけだもの。
「ねぇ、早坂先生って彼女いるの?」
リサ子が言った。
はあ? そんなこと考えたこともなかった。バカだね~私。
好きな人に彼女がいるとかなんも考えずに 一人で舞い上がってたよ。
「いたらどうしよう…? ね、リサ子 先生だって彼女くらい、いるよねぇ…」
「そんなの訊いてみなきゃわかんないでしょ。葵ちゃん訊いてみなよ」
「え~っ、でも“いる”って言ったらどうしよう」わなわな…俄かに不安になった。
「知りたいでしょ?」
「そりゃまぁネ。でも、いきなりそんなこと先生に訊いたらバレバレじゃんよ」私にそんなこと訊けるわけがない。
「麻里に頼みなよ?」
リサ子はそう言った。
翌日はかねてからの計画通り、部活のみんなでテーマパークにくり出した。
このテーマパークは家から近くて(ラッキー)おまけに大好きな場所。
カップルもたくさんいてみんな幸せ一杯の表情。
タエコおばさんの飲み屋のバイト代でお財布はほっかほっか かわいいおみやげいっぱい買っちゃおうっと! それとも少数豪華主義でキャラクターのでっかいぬいぐるみ買おうかな。
テーマパークのギフトショップはそれぞれに個性があって見てるだけでも楽しい。アトラクションも面白いけど趣向を凝らした可愛いお店を周るのもこのテーマパークの醍醐味といえよう。
祥子は彼氏と一緒に来た事あるけど「女同士で来た方がおもしろい」なんて言ってた。
「彼氏と一緒だと全部向こう持ちでお土産も買ってもらえるから それはいいかな」
麻里がちゃっかりと言う。
私は早坂先生におみやげを買った。本條先生にもお土産を買ったのは私が早坂先生にご執心だということのカモフラージュのため。なので ここで値段にちょっぴり差がつくのはお許し願いたい。
いやはや お土産を選ぶ際の時間にも実は差があるのだよ。
先生お土産、気に入ってくれるかなぁ。
次の日 早坂先生はお休みだった。
ずぇっかくお土産もってきたのに~。
早坂先生ったら再来週まで夏休みなんだそう ぐわゎわ~ん。
ま、いいか腐るもんじゃなし。
文化祭に出品する絵も仕上げられるかもしれない。 私は立ち直りが早いのだ。
先生がいないと雑念がはいらずに制作に集中できるじゃないの。
私は何枚かキャンバスを用意して一つが乾く間にまた別のを手がけるというようにして精力的にこなしていった。
この頃私は“男は芸術の妨げになる”ことを発見した。絵のモチーフを見てても先生がいるとどうしてもそっちに神経が飛んでしまい作品に集中できない。私の芸術家魂がいつの間にか画用紙やキャンバスから遠のいて早坂先生の姿を追ってしまうのだ。
だからどーよ。
私は早坂先生に逢いたくてたまらなかった。
できるなら下宿(実際にはマンションなんだけど、この古風な響きが私の一途な恋にマッチしてるじゃないの)に訪ねて行って『先生のお顔が見たくてつい、来てしまいました』なんて言ってみたいが そんな事はしちゃいけない。 アグレッシブなアプローチは私の恋の美学に反するのだ。
しかし…
このままでいいのか葵! という考えがないでもなかった。
のんびりした早坂先生とどうにかなるには待ってたってしょーがないんじゃん?とも思える。
っつーか先生が生徒に手ェつけるってのは犯罪だから先生からムーブして来るってことはまず無いだろう。犯罪とまではいかなくても県令に定められてるとか市の条例によりとか 学校方針とか教師の心得とか…なんかあんじゃないの?
しかも非常勤の先生の身でそんなことして見つかったら正規採用どころじゃなくなるよね。
あれっ、私、先生が私の事を好きって事 前提にしてモノ考えてない?
まぁいい。
そうだ、暑中見舞いってのはどうよ。
さりげなくて懐古趣味だしこれなら私の美学に反しない。私は早速 学校の事務室に寄って先生の住所を訊いた。私はついでに先生が結構この学校の区域に住んでるのも発見できて一石二鳥
私は心の中で“ヤッタネ”と小躍りした。
ところでこう次々と作品を描いていると絵の具も減る。
麻里は「今日は彼氏が仕事やすみだから」と言って学校までお迎えに来たおっさん彼氏のクラウンに乗ってさっさと帰ってしまった。
私は一人で学校の帰り画材屋さんへ行った。
私が画材屋さんの書棚の前でローランサンの画集をみてると
「津田さん」
と呼ぶ声がした。
声の方を見ると早坂先生だった。先生は相変わらず皺くちゃなシャツに乾いた絵の具がこびり付いたジーンズ、それに涼しげな眼をしている。
なんという偶然、なんという幸運。
神様、仏様、天神様 アラーの神様 ありがとう!
私はその場にドロップして跪き、天を仰ぎたい気持ちになった。
いや、死んでもいい…。
早坂先生のお顔をお目めに焼き付けたまま天の国に行けるならこれ以上望むものはありません。
って…本当か?
たしかボン・ジョビのコンサートの時もそう言ったよーな。
そんなにしょっ中死んではこの身がもたない。
なのに早坂先生の不意の登場に私は心の準備ができていなかった
して、せっかく先生に自分の名前を呼ばれたのになんて返事をしたかは憶えていない。
たぶん、素っ頓狂な声をあげたかもしれない。
「聞こえなかった? 向こうのパチンコ屋で遊んでて津田さんが画材やの方に歩いくのが見えたから呼んだんだけど…」早坂先生がそう言って私の前に立った。
エッ?
そんな…パチンコはどうしたの?
台の釘がガバ開きになってたらどーすんの¥¥¥?ジャック・ポット当ててたかもしんないじゃん。
勿体無い… ってそーゆー話じゃないんだよ。
「えっ 全然気が付きませんでした」
とクールを気取った。
先生、私を見つけてわざわざ追いかけて来てくれたの?
心の中でローランサンの画集 千切りまくって花吹雪にしてその下で万歳三唱したかった。
「先生 夏休みなんでしょう? パチンコなんて色気ないですね、デートとかしないんですか」
うまいぞ葵! よく言った。
「夏休み? 学校の方はね でも研究所のバイトもあるからそんなヒマないなぁ」
貧乏ヒマなしってか…。
つーか、ヒマないからデートしないってだけ?
じゃヒマあったらデートするんだ。 ツッコミたいのを押さえて…。
「先生もバイトしてるんですか?」
「津田さんみたいにヤバイバイトじゃないけどね」
先生はまだ微笑ってる。
私はチラッと先生を睨んだ
「でも 先生よか時給いいかもしれませんよ」
なんて可愛くないこと言うの。
「痛いコト言うね、いいんだよオレは好きな事やってるから金なんてそんなになくたって」
『エッ?』
そういう理論もこの世にはあるわけだ。
タエコおばさんや お店に来るおじさん達の会話を聞いてる限り そんなこと言う大人は皆無に等しい。みんながお金を稼ぐためにあくせくしてる。
ツケを払わないお客さんに催促の電話を入れる時のタエコおばさんや 飲み屋の従業員達が(とは言っても板前さんと下働きのおばさん、それに雇いの女の人が一人)暇つぶしにポーカーで博打やってるときなんか目の色がちがうもん。
場末のこんな飲み屋だけの話ではない。 TV や新聞のニュースにはインサイダー取引や使い込み、汚職、賄賂。 果てはゆすり、たかり、恐喝、強盗 殺人などお金をめぐって人生狂わしちゃうコトが日常的に報道されてるじゃない?
だからキリストの神様は聖書の中でどのサブジェクトよりも頻繁にお金に纏わる講話をしておられるのよ!
うそだと思ったらお近くの書店で聖書をお買い求めになり読んでください。
必ずあなたの魂に…
って今伝道してどーすんの。
『好きなコトしてメシ食ってる』
だからこの世の穢れに染まらずに この人はこんなにも澄んだ眼差しをしてるのだろうか…
この人の手から生まれる芸術はもしかして人知を遥かに超越して神の高みにまでリーチしてるのかもしれない。あの黒と赤の激しい色をした早坂先生の油彩画がふっと目に浮かんだ。
画材屋さんのレジで絵の具の代金を払い終わると先生が言った。
「部活の帰りでしょ お腹すいてない?」
「ペコペコですよ~」
店の出口まできたとき先生が明るい声で 「じゃあ何か食べに行こうか」
えっ…先生と? 二人で?
そんな願ったり叶ったりの事が今私の身の上に起こっていいわけ?
ラファエルの描く肉付きのいいエンジェルさんが私の頭上でコックリと頷いた。
時間はあるの?とか どこがいい?とも訊かずに先生は商店街の道を歩き始めた。
この人って案外強引?
それとも無頓着?
もしかして自己中?
頭の中で先生のキャラを孝察しながら付いて行った。
うちの学校の制服着た生徒もちらほらと商店街のアーケードにいる。 いいのかな、先生と二人でこんなして歩いてて…
ちょっと気になったけど それより先生と時間が過ごせるというコトの方がはるかに魅力だった。
ガラガラッという音を立てて格子戸を開けると
「らっしゃい」
威勢のいい声が店の奥のカウンター越しに飛んできた。
続く