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蒼いパレット  作者: 黒薔薇姫
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第18話


 早坂先生と私の視線が絡み合った。

心臓がドキドキして息をするのも苦しく感じるほどだった。

先生の手の温もりが私の頬を包み、私はそこから自分の体がジーンと火照ってくるのを感じた。

いよいよ来る…

私のファースト・キスが……。


 私は全身の神経を口唇に集中し、息をひそめてその時を待った。

緊張で喉の奥が締めつけられるような気分だ。

口の中もカラカラに乾いてくる。

『目を閉じたほうがいいのかな…』


 ……。

先生の手が私の髪をそっと撫でて

「もう帰らないとね…」

ポツリと言った。


『へっ? キスはどうしたの?』

私は先生の顔をぽかんと眺めた。

先生はくちびるを一文字にキリッと結んで普段の歩調で歩き出した。

『そうか…やっぱりそうだよね…』

落胆に打ちひしがれ涙が溢れそうになった。

かといってその場で泣き出すわけにもいかなかった。

涙をグッと堪え、先を歩いていく先生に小走りで追いつこうとした。

私がすぐ横まで来ると先生は何も言わず私の手をぎゅっと握った。



  『先生と私は所詮キスすることさえ許されない仲なのだ』

 その確かすぎる事実を前に私はどうすることもできなかった。

ただ切なくて、胸の奥の方から嗚咽がこみ上げてくる。


 

 私の恋心はどんなに先生に抱きしめてもらっても優しくしてもらっても、さらに貪欲になるような気がした。 

 好きだという気持ちが自己増殖を起こしてどんどん膨らんでいく。

しまいには心がパンパンになって張り裂け、木っ端微塵に破裂する。

 私は散り散りに散らばったしまった心の破片を夢中で拾い集めようとする。

なのに一つ拾うと手の中にあるもう一つの破片が指と指の隙間から零れ落ちてしまうような、そんな感じなのだ。

求めても求めても決して満たされない…。


 けれどもそんな感情ををぶちまけるには先生はあまりにも平穏過ぎた。

授業中でも悪ガキ連中に対して声を荒げるようなことなど一度もなかったし、周囲がイラだったり騒いだりしていても一人平然としていてそれは傍で見ていて不思議なほどだった。

 その先生に自分でも扱いかねるほどの激しい心の内を曝け出したら…。

おそらく先生は面食らってしまうにちがいない。

もしくは静かになだめられ、落ち着くようにと諭すだろう。

私は上手く受け取ってもらえない自分の感情が宙ぶらりんになっているのを収めることもできず、それが地面に落ちるのを見ているより他ないのかもしれない。

 早坂先生にはそんな犯しがたい自制心が、生まれたときから植わっているように見えるところがあった。


『…愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起こすことも、さますこともしないように』  ソロモンの雅歌二章七節

 

 この言葉は叡知を極めたイスラエルのソロモン王が書いた愛の詩とも云われる雅歌の中に記されている。

 

 早坂先生は私と交際っている間、ずっとこの言葉を守り続けた。

熱情に流されず自分を律しているのだと私にもわかるほどストイックだったのは、

先生が“愛し合っているから”というエクスキューズで体の関係を持つことを潔しとしないからだった。 


 教師と生徒だからという事実を超えて、先生は自分の信じている神様の前でいつの日か結婚するであろう私が清くあっていて欲しい、という切なる想いからだった。

 生徒の私と交際していることは先生にとって気詰まりだったろうけど、私には罪悪感はあまりなかった。それは早坂先生との間には少しも疚しいところがなく、寧ろ私はこの人と一緒にいることによってきれいなままでいられるという確信があったからかもしれない。 


 当時でもこんな形の男女の関わりはめずらしかったと思う。

世の価値観に惑わされず、神様の意志を自分の理想としながら相手の貞節を守るという選択をした先生の私に対する愛情は後になって広く深いものに感じられた。 

 


 早坂先生との恋は年月のカーテンが幾重にも重ねられた後もその光を失わずにいる。

私はあの頃の先生の年齢を遥かに過ぎ、何度か新しい恋に出会い別れたけれど、

あれほど光に満ちた恋愛にはついぞ出会わなかった。

 それはあの頃の私が幼く純粋だったこともあるかもしれない。 

二人が心の中に色々な想いを抱えながらも神様の前で素直でありたい、神様の目に小細工をしたくないという気持ちがどこかにあった為ともいえる。

 

 教会堂のステンドグラスが真っ直ぐに光を通し、そのままの色彩と形を映すような、トランスパーレントな純粋さと正直さがあり、それを失わない恋だったのは先生が神様との約束を守ったためだったと知ったのはずい分後になってからのコトだった。





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