第17話
お腹が一杯になった後、私達は散歩がてら街を歩いてから美術館へ入った。
ちょうど西洋モダンアート展が開かれていた。
広い展示場の壁にはズラリと絵画が掛けられていて、ピカピカに磨き上げられたフロアには彫刻が間隔を開けてバランスよく置かれていた。
両腕を組み難しい顔をして絵を観ている初老の男性の脇で先生と私は
「この絵、なんだと思う?」
「さぁ、ちょっとわからないなぁ」
「幼稚園児の落書きみたいだけど…」
「感情をぶつけたまま、みたいな所がいいのかもしれないな」
感想を述べながら順繰りに絵画を見ていった。
「ねぇ先生、先生がモチーフに選ぶ人物ってどんな人なの?」
形も大きさもさまざまな彫刻の間を歩きながら私は訊いた。
「モデルになりたがる人」
サラッと答えが返ってきた。
「なんだ、それだけ?」
「うん」
「じゃあ、誰でもいいわけね」
「まあね」
「つまんないの、もっと深遠な理由で人物を描くのかと思ってた」
少なくともこの美術館に展示されている作品のアーティストはそうなんじゃないかと思う。
「仕事で依頼されて肖像描くこともあるからね。そういう時は製作料もらうから選り好みはしないよ」
「そういう意味じゃなくて、どんな人に創作意欲を掻き立てられる?」
「ああ、そういう事? うーん…」
先生はちょっと考える表情になった。
「津田さんをモデルにしてみようか」
「え?」
「それなら創作意欲湧くけど、どう?」
今度は私が考える番になった。
つい、自分がグランド・オダリスクみたいに全裸になって長いすに横たわる図を想像してしまった。
「うーん…」
「イヤ?」
先生は私の顔を見た。
「それはダメ!絶対やめたほうがいいですっ!」
私は両手で恥ずかしさに紅潮した頬を覆った。
「どうしたの? そんなにむきになって…」
「…。」
「あ、もしかしてオレがヌード描くとか思った?」
「…違うんですか?」
私はまたヘンな勘違いをしてしまったみたいだ。
「いや、描いてもいいよ」
「へっ…?」
「その代わり製作料うーんと請求しよう、教師クビになっても遊んで暮らせるくらいね」
笑いながら先生は言った。
絵画のモデルさんとゆうのは長時間同じポーズでじっとしていなければならないシンドイ作業である。その上描き手にジロジロ見られるのだから初めのうちはかなり緊張する。
それは美術部で交代でデッサンのモデルをする時でも同じだった。
知った仲間同士であるだけにモデルになった生徒への注文もうるさい。
私はじっと同じポーズでいるのが苦手で麻里に何度も頭をポカリとされたことがある。
先生は笑って
「鈴木さんに小突かれたのかぁ、なんか想像できるよ」
「麻里ってそういう子なんですよ、容赦なくネ」
「でも彼女、君に色々手助けしてくれてるよね」
先生がしたり顔で言うので私は驚いた。
「えっ?」
「君がオレと接近できるようにしたりさ」
「知ってたの、先生?」
先生は含み笑いをして
「なんとなくね…だから最初は面白いなと思って見てたんだ」
「先生って意外に人が悪いんですね。私と麻里のこと見え透いた手口使うなと思ってたんでしょう?」
私は自分のどうしようもない幼稚さを見透かされたようで恥ずかしかった。
「悪意はなかったけどさ、気まぐれなお嬢さんのクラッシュだと思ったんだよ」
「クラッシュ? じゃあ知ってたんですね、私の気持ち…ずっと前から」
「同期の先生からそんな話聞いてたから。でも個人的にじゃないよ、一般論としてそういうこともあり得る…みたいな」
「…で、先生どう思ったの、私のコト?」
「う~ん、可愛い子だなって思ったけどそれ以上はね…あまり考えないようにした」
「でも海に誘ってくれたでしょう、あの時は?」
「魔が差したっていうのかなぁ、なんだろう…教え子が飲み屋で酔っ払いの相手をしているよりは教師のオレと海へ行ったほうがいいだろうっていう言い訳がポンとヒザの上に落ちたみたいな」
先生は釘やボルトをつなぎ合せて造られたよくわけのわからない彫刻の前で足を止めた。
『じゃあ飲み屋のバイトもあれで悪くはなかったのか』私は思った。
もし私がタエコおばさんの所で働いていなかったら、先生が私を海に誘うきっかけを与えることはなかったのだから。
「外にでようか」
先生は何か重要な事でも思い出したように言った。
美術館の外に出るとすこし肌寒く、日差しは既に西に傾いて空がオレンジ色に変わっていた。
肩から羽織ったスプリングジャケットの打ち合わせを私がかき合わせると、先生が寒くはないかと訊いた。
「うん…」
小さく頷いた私を先生はそっと引き寄せ、冷たい頬を先生の温かな手が包んだ。