第14話
葵は高校3年生になった。早坂先生との恋は友達の恋愛と比べ大っぴらにすることはできない。そんな内緒の恋愛の中で葵は心の葛藤を抱える。
私は先生を愛しすぎた。
初めて、こんなにも深く激しく、狂おしいほどの想いだった。
愛しすぎて私にはこれから先、他の人に分けてあげる愛など残らないと思った。十七歳という若さで自分の持っている愛の全てを捧げきった私は人の愛というものに限りがあるのでは、と考えてた。
限りがあるのであればいつか終わってしまう。
私は先生との恋愛が終わることなど考えたくはなかったけれど“終わらないという保障”などどこにもない。
恋愛などつきつめて考えれば二人の間の感情で成り立っているに過ぎず、人の感情ほど移ろいやすいものはないように思える。
形の無いものだけに、それはシャボン玉よりも容易く消えてしまう。
私は先生を愛するほどにこんな怖れを抱くようになった。
先生と逢っている間だけ、そんな思いを頭から追い出すことができても、一人になるとフッと不安が私の心に忍び込んでくる。
それは消しても消してもやがて又ぽっかりと、忘れた頃に浮かび出てくるようなしぶとさがあった。
“愛には恐れがない。 完全な愛は恐れをとり除く。…かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである” (ヨハネの第一の手紙四章十八節)
聖書のおしまいに近いこの箇所を読んで完全な愛とはなんだろうと思った。
不安や恐れのない愛などがこの世に存在するのだろうか。
もしあるなら私はそんなふうに先生を愛し、その愛の中で生きたいと願った。
冬の寒さが次第に緩み 季節が変わっていくのを感じた。
春休みになり、先生は私を誘って湖へ行こうと言った。
“知ってる人に逢ったらどーしよー”という思いがなかったわけではないけど、先生のマンション以外の場所で二人きりで逢うなんて初めてだったからワクワクする気持ちの方が強かった。
重いコートを脱いで先生とお出かけするなんて、いつか先生に誘われて海へ行ったきりではないだろうか。
あれから一年と経ってはいないのに私は自分がちょっと大人になったような気がした。
学年が上がったというのもあるけど、それよりも私には先生の存在に原因があるように思う。
誰かを愛すること、それは私にとって初めてではないと思っていたけれど、こんな深さで人を愛したことはなかった。
私は文字通り昼も夜も早坂先生のことを想い続けた。 先生が学校にいない日や、学校がお休みの日は、先生から電話が来ないかと、そればかりが気になった。
唯一、気を紛らわすのは絵を描いているときで、それに熱中している間は私の心は平和だった。木製の楕円形のパレットに新しく絵の具をチューブから絞り出し、様々な色を並べ、そこからモチーフを眼に映るのに限りなく近づけて描いていく時、私は平安に浸ることができた。そこにはあの熱情に翻弄される事もなく、自分一人の優雅な世界があってひと時の休息を得ることができる。キャンバスの中は自分の思うとおりに事が運ばれていくのだ。
私はヒマさえ見つけてはその作業に熱中した。
人目を憚る交際だっただけに自然と先生の立場を思いやることを強いられた。
私一人が突っ走れば決して成り立たない関係であるのを初めからわかっていたし、人前で感情を隠さなければいけないことは何度もあった。
リサ子や麻里なんかは恋してても落ち着き払ってる。まるで手の中に小さなお守りでも持っていて、それをいつでも触って確かめることができるみたいに。
私はいつも不安を抱いていた。『教師と生徒』として“あるべき”距離感みたいなものを誰からともなく押し付けられ、それをとり除かなければ先生との間が埋まらないもどかしさ、自分の気持が性急で焦躁にかれているのがどうしてなのかを掴みきれない苛立ち。それらが時折一気に膨れ上がり胸の中で沸々と煮え滾るような感覚。
早坂先生が私に対する愛情を口にするたびに、どうにも埋められない自分の心の中の空洞が大きくなっていく気がした。
先生の私に対する気持に少しも疑いは持っていなかったけど自分が先生の愛情に十分に応えられない不器用さ、言葉の足りなさ、そのことによって自分がまだ一人前ではなく、まだ『女』になるには程遠いような感じがした。
そして哀しいことに、それは事実だった。
誰かの言に『人は女に生まれてくるのではなく、女に“なる”のだ』というのがあるけど、それはホントかもしれない。