第十一話
いよいよ『蒼いパレット』の後半にさしかかりました。
教師と生徒の私たちの恋の行方、そして私は先生の世界に一足踏み込んだものを見た。
なにか自分の知らない世界を先生が知っている、或いはそこに先生は生きているという確かな、しかも不思議な感覚が私の心に染み入った。
「先生 キャンドル・サービスの時 真剣にお祈りをしてたけど、何をお願いしていたんですか?」
礼拝の後、先生と先生のお兄さんの三人で行ったレストランで私は訊いた。
「君に たくさん神様のみ恵みがありますようにって……」
先生はちょっと赤くなって言った。
「ほんと? 先生でも私、これ以上そんなに欲しい物はないし、だってこうして先生と一緒にいられるし先生の素敵なお兄様にだって逢えたし、それに……」
事実、私はまぁまぁ現状に満足してた。
ワリのいいバイトもあるし、両親はあまり口うるさくもない、ってそれは先生とのコト知らないからだけど。 それなりにいい友達もいる。
「素敵なお兄様かぁ、ありがとう葵さん。 僕はター坊と歳も離れてるし仕事が忙しいから、あまりいい兄らしいこともしていないけど。 そんな風に見てくれると嬉しいですよ」
先生のお兄さん、聖也さんがちょっと胸をそらしてみせた。
「いい兄貴だよ、津田さんとオレにデートの場所、提供できるのは兄貴だけだからな今のところ」先生はそう言って私の方を見た。
『先生はお兄さんに私と交際ってること言ったんだ』
歳は離れているけど、この兄弟はかなり気心が知れているらしい。
「ちゃっかりしてるというか呑気というか、こんなんで先生ちゃんと務まってるのかなぁ、ター坊は」 聖也さんがヤレヤレという風に先生を見た。
けれど私たちが交際していることについてお兄さんは何も言わなかった。
もっとも交際っているといってもまだ始まったばかりだけど。
お説教めいたコトを私の手前、言わなかったのか、それとも弟である早坂先生の私生活についてとやかく言わない主義なのか、そのへんは私に分かりかねたけど、そんなお兄さんは私にとって窮屈な感じを与えなかった。
恐らくそうしたお兄さんだから先生は私のことも話したのだろう。
「そういえば津田さん、教会は久しぶりなんだよね。 どうだった?牧師さんの説教、なんか難しいと思わなかった?」 早坂先生はベイグド・ポテトの銀紙をはずしながら言った。
「はい、難しかったっていえば、そうですね」
正直言って難しいし退屈だというのが私の感想だったけど、こうしてお兄さんまで紹介してくれた先生の気持を思うとネガティブな意見は言いたくなかった。
「津田さん、涙を浮かべて牧師先生の話きいてたからさ。 オレ、津田さんって純真な心を持ってる子だなってうれしくなっちゃった」
そう無邪気に言う先生を見て私は後ろめたい想いにかられた。
そう、あれは感動の涙なんかじゃなくて欠伸を堪えた涙だったのに。
私はドロドロと濁った自分の心を手で触ったような気がした。
もし、早坂先生が私の心の中をのぞくことができたら、先生はそれでも私を好きだといってくれるだろうか? それはきっと有り得ないことのように思う。
私はしごく俗っぽくて、浅い考えの平凡な子なんだから。
聖也さんと先生は食事の後、私を家まで送ってくれた。
私の母は〝先生と先生のお兄様“が私に付き添って教会へ行き、夕飯まで御馳走になったことに恐縮して深々と頭を下げた。
その母を見て先生が一層深々と頭を下げた時、私は母に隠し事をしている先生が謝っているように見えた。
「なんと言っても君はまだ未成年なのだから」と先生が折々に言っていた言葉を思い出して、先生が私だけではなく私の両親にも責任を感じていると思ったのはこれが初めてで私は二人が交際うことの重さをずしんと感じた。
とは言え、なにぶん私は十七歳やそこらの乙女であった。
両親への義理VS,先生への気持ち、ということになると俄然、後者に白旗が上ってしまう。
三学期になり美術室で絵筆を洗っていると私の傍に早坂先生が来て手伝いながら私達は顔を見合わせて微笑んだ。
たまにこんな風にひっそりと意味あり気に微笑んだりすることくらいが内緒で 『好き』と伝え合う時だった。
クリスマスを機会に私は度々教会を訪ねるようになっていた。
私が教会に通うことに両親はどちらかと言えば好意的だったのはありがたかった。
尤も、子供の頃、キリスト教の息のかかった保育園に私を入園させたのだから、
反対はしないとは予測してた。
両親とも、まさか私が教会に行き始めた動機が、先生と一緒に居たいからだなどとは思ってもみない。
何度か教会に行くうち私は牧師先生とも親しく話をするようになっていた。
ところでこの『牧師先生』というのは、ヘンな言葉で『牧師』か『先生』のどちらかで呼べばいいのに私はいつもそう呼んでいた。
その一つの理由には『牧師さん』と『さん』づけで呼ぶには、この先生は目上すぎた。
年齢もさることながら、『神に仕える』という、とてつもない大きな使命を負っているということが『さん』だけで呼ぶのを控えさせた。
もう一つは単に『先生』だけだと、早坂先生と混同してしまう。
他にも教会員の中に学校の先生やお医者さんなどが教会に来ていたから、敢て私はこの『牧師先生』という呼び方を使った。
牧師先生は上品な顔立ちで、日曜毎に着る式服はとてもきちんとしていて、皺ひとつないように整えられていたけど、平日に説教の原稿をお家(といっても教会の敷地にある古びた家屋だった)で書かれているときや、信者さんの相談事などをされている日は極めて質素な服装だった。
その簡素な部分は生活のいたるところで目に入った。
牧師夫妻のお家は、必要最低限の家具しかなくて、テレビなんかは本当に古い型のもので、もちろん一台しかないようだったし、台所の椅子やテーブルなんかもいかにも何十年にも亘って使い古しているような品だった。
そのかわり、と言ってはなんだけど本、これだけは沢山あった。
日本語のキリスト教関連のものはもちろん、英語やギリシャ語(かな?)
その他、信者さんのキリストに関わる証の手作りの小冊子みたいなのが山程あった。
こう言うと牧師先生はいかにも清貧のような印象だけど、『清貧』という言葉に連想されるひたむきさとは少し違っていた。
単にシンプルな生活様式、いつも片付けられている家、規律というものが極自然に穏やかに守られているという感じだった。
牧師先生は初めに私が思ったよりもずっと親しみやすい人で、私の学校生活やバイトの事など面白がって話を聞いてくれた。
飲み屋などでバイトしている私を咎めたりするようなこともしなかった。 寧ろ、私が教会で聴いた話をアルバイト先でするように励ましてくれるほどだった。
そんな牧師さんだったから私はリサ子も誘って教会のボランティアの手伝いもするようになった。
リサ子はギターが弾けたから皆で集まってワーシップ・ソングなどを歌うとき重宝されてのちに、自ら進んで大学生の信徒や同じ年頃の子を集め、小さな集会を持つまでに至った。
牧師先生は常日頃から言っていた。
「教会は完璧な人が来るところではありません。 心や体に問題や悩みのある人、
不完全な人、そういう人が大手を振って来るところです。イエス様によって癒していただく療養所、または疲れた人がどっかり重い荷物を降ろして休む場所です」
“丈夫な人には医者はいらない。 いるのは病人である。わたしが(イエス)来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである”
(マルコによる福音書二章十七章)
私はこの初老の牧師先生を敬愛した。 それは私が今までの、どの学校の先生にも見たことのない慈愛に満ち、しかも謙遜な方だった。
牧師先生は高校生や大学生に対しても他の大人に対するのと同じように敬意をもって接してくれ、決して頭ごなしにお説教を垂れたり、口先だけで訓えるという事をしなかった。
この先生と出会ったことは後々、私に大きな影響を与えた。
バレンタインデーが来た。
そのころ先生は研究所での仕事が忙しくて学校以外の場所で逢えなかった。
それでも先生と私は、この日だけは一緒に過ごしたいと思っていた。
放課後の部活が終わった後、先生と私は先生のマンションで落ち合うことになっていた。
制服を着替える為に私は一旦、家に帰り先生のマンションへ向かった。
寒い日だった。
白い息を吐きながら先生に逢いに行くこの道を何度私は通っただろう。
二人だけの時間を持つために安全といえるのは、あの瀟洒な煉瓦建てのビルの中だけだった。
外の寒気と共に玄関に入る私を、先生が迎えた。
「久々だね、こうして二人だけで過ごすのって」