↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「やかんなめ」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/12/23


落語声劇「やかんなめ」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約30分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)

      (2:2:0)【性別準拠人数比率】

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


お竹:おかみさんの付き人その1。おかみさんが癪(しゃく)持ちなのに合い薬(ぐすり)で

   あるやかんをうっかり忘れてきてしまう。


お花:おかみさんの付き人その2。やかんを忘れてきてしまったせいで

   命をかける羽目(はめ)に。


おかみさん:日本橋のさる商家(しょうか)のおかみさん。

      大変な癪(しゃく)持ちで、ひとたび発症すると周りが見えなくなる程

      苦しむ。唯一の解決策は……やかんを舐(な)める事。


武家(ぶけ):神道無念流(しんとうむねんりゅう)の免許皆伝(めんきょかいでん)の侍(さむらい)。頭がやかんに似ている。


可内:べくない、と読む。お武家様(ぶけさま)の付き人。

   お武家様(ぶけさま)とは仲が良く、いいコンビ。


語り:雰囲気を大事に。



●配役例


おかみ・お竹:

お花:

武家・枕:

可内・語り:




枕:古い病(やまい)に、癪(しゃく)というものや疝気(せんき)というものがあったりするんですが、

  まあ、病(やまい)に古いも新しいも無くて、今はそう言わなくなってしまった

  と、こういうことですな。

  腰が痛かったりとか、お腹が下(くだ)ったりとか、とにかく体の下部分に

  痛みを感じる、これを疝気(せんき)と言ったんだそうで。

  まあ皆さんにしてみればね、いきなり出てきて何を話し出すんだと、

  そう思われるかもしれませんけども。

  女性にも癪(しゃく)というものがあるんですが、これもはっきりしたことは

  分からない。

  芝居(しばい)だの時代劇なんかでも、ちょーっとその辺が痛くなるってえと

  「持病(じびょう)の癪(しゃく)が…あたた…」なんてのはよく見られる光景です。


語り:日本橋本町(にほんばしほんちょう)あたりのご商家(しょうか)に、あるおかみさんがおりました。

   このおかみさんと言うのがそれはもう大変な癪(しゃく)持ちで、

   ひとたび癪なんてことになると、目の前がもう何も見えなくなって

   辺(あた)りかまわず七転八倒(しちてんばっとう)して苦しむほど、重いものだったそうです。

   癪(しゃく)には医者から処方(しょほう)された薬を飲むんですが、このおかみさんには

   どれも合わない。

   なのに、やかんを舐(な)めるとケロッとウソのように収まってしまう。   

   おかみさんにとっては、やかんが合(あ)い薬(ぐすり)と言うわけです。

   季節は春、そろそろ向島(むこうじま)に梅が見ごろてんで、梅見(うめみ)としゃれこもう

   と女中(じょちゅう)二人を連れてやって参りました。


おかみ:春先の野原は心地(ここち)いいものだね。


お花:ほんに。

   まだ草は生えてきておらないですけれど。


お竹:でも、黒い土の上に青い芽(め)が、ぽちっぽちっぽちっと

   出ているところを歩くと、心持(こころも)ちが良いですね。


語り:などと語り合いながら歩いていきます。

   しかし心持(こころも)ちがいいのは、なにも人間だけとは限りません。

   野山(のやま)の獣(けもの)も、長い冬眠(とうみん)から覚(さ)めて動き回るわけですが、

   折(おり)しも春の匂(にお)いに釣(つ)られて出てきた一匹の蛇が、

   するするするするっ、と三人の前を横切ったのであります。


お竹:きゃああっ!


お花:きゃーっ、へ、蛇っ!


おかみ:ひいぃッ! ぁっ、うっ、うぅぅ……ッッ!


お花:あっ、おかみさん、おかみさん!?

   しっかりしてくださいまし!

   ちょっとお竹さん、お竹さん!来ておくれよ!

   おかみさんの癪(しゃく)だよ!

   すぐにやかんを出しておくれ!


お竹:えっ、やかん?

   今日は梅見(うめみ)だからやかんは持って来てなくて…!

   お酒の入ったひょうたんならあるけど…。


お花:ひょうたんとやかんじゃ、いくら少し丸っこいったって大きさが

   違うし…どうしたら…。


お竹:いけない、おかみさんの顔色が変わって来たよ!

   おかみさん、しっかりしてください!


お花:この辺りには人家(じんか)もないし、向こうまで行けばお茶屋(ちゃや)があるから

   やかんも借りれるだろうけど…おかみさん、気を確かに!


語り:打つ手もなく、二人の供(とも)の者がそこできゃーきゃーわーわー騒ぐ。

   それじゃどうにもなりゃしません。

   そんなところへ彼方(かなた)から男の二人連れがやって参ります。

   年の頃(ころ)は四十五(しじゅうご)・六でございましょうか、立派なお武家様(ぶけさま)でござい

   ます。供(とも)の者を一人連れまして、やはり梅見(うめみ)としゃれこんだ帰りで

   ございましょうか。よほど主従(しゅじゅう)の仲(なか)がよろしいと見えまして、

   互いに戯(ざ)れ口(ぐち)を叩(たた)き合いながらやってきます。


お竹:!ちょっと、ちょっとお花さん!


お花:なに?


お竹:あれ見て、あれ!

   あのお武家様(ぶけさま)のおつむりを!


お花:え、おつむりがどうかしたの?


お竹:ほら、あのおつむりがさ、

   よっぽどのぼせ症(しょう)なのかしら、つるりとしてて…、

   うちに置いてきたやかんに似てると思わないかい?


お花:うちに置いてきたやかんに…?

   あらいやだ、似たとはおろか、瓜二(うりふた)つとはこの事じゃないか。

   あのまんまだよ。


お竹:くやしいねぇ。

   あれがもしやかんだったら、事はすぐに収まるんだけど…。


お花:お武家様(ぶけさま)のおつむりじゃねぇ…。

   まさかに舐(な)めさせていただくわけにはいかないねぇ…。


おかみ:うぅ…うぅ…く、くるしい…。


お花:ああぁおかみさん、おかみさん!


お竹:しっかりしてください!


お花:いま何とかいたしますからね!

   お竹さん、あたし行ってお願いして来るよ。


お竹:えっ、お武家様(ぶけさま)にかい!?

   どうやって…。


お花:これこれこういうわけで辛(つら)いので、おつむりをひと舐(な)め、

   舐(な)めさせてくださいって。


お竹:そんなこと言ったら、「無礼者(ぶれいもの)、そこに直(なお)れ!」てんで

   手討(てう)ちにされてそれっきりだよ!


お花:それはその時だよ!

   仕方(しかた)ないじゃないか。他にどうする事も出来ないんだから。

   いまお願いしてくるから。

   おかみさんを見てておくれ。


   あの、お武家様(ぶけさま)!

   お武家様(ぶけさま)、お願いでございます!


武家:!

   あぁこれこれ可内(べくない)、先を急ぐな。


可内:へえ、旦那(だんな)様、どうなさいましたか?


武家:なに、急いで戻った所で屋敷(やしき)に何が待っている、何かあるというも

   のでもない。

   今ここにな、いきなり婦人(ふじん)が出てきて、わしに頼みがあると、

   こう申しておる。

   いやどうも、わしは婦人(ふじん)にものを頼まれるとなかなか断れん性質(たち)で

   なァ。

   まあ聞いてみようではないか。後ろに控(ひか)えておれ。


可内:へい、かしこまりやした。


武家:あー、して女、なんだなその頼みと言うのは。


お花:お願いでございます、お助け下さりませ!

   このとおりでございます!


武家:むぅ、お助け下さいませとな…。

   !そのほう、顔の色が変わっておるな。

   わかった!さてはそのほう、仇(かたき)を持つ身であろう。

   ほうぼうを探し巡(めぐ)っていたが、ついに出会った。

   討(う)とうと思ったがとても討(う)ち切れるものではないと、

   身(み)どもを見込んで助太刀(すけだち)をさせようと、こういうことであろう。

   相分(あいわ)かった!

   伊達(だて)には持たぬ、神道無念流(しんとうむねんりゅう)免許皆伝(めんきょかいでん)!

   その仇(かたき)とやらはいずれにおる!?


お花:いえ、その、かたき討(う)ちではないんでございます。


武家:なに、かたき討(う)ちではない!?


お花:はい、どうかわたくしめのお話を聞いて下さりませ。

   実はわたくしは、日本橋(にほんばし)のさる商家(しょうか)に奉公(ほうこう)しております者で

   ございますが、今日おかみさんのお供(とも)で向島(むこうじま)へ梅見(うめみ)に参ろうと

   ここまで差し掛(か)かりましたところ、この広い野原の中からーーー


武家:【↑の語尾に喰い気味に】

   ぅわかったぞ!!

   このごろここらには良くない奴が徘徊(はいかい)するという。

   つまりなんだな、賊(ぞく)が現れ、そのほうの主人をさらっていったと

   こう申すのだな!

   どこへ逃げた?けしからん男だな。

   どういった男だ?どいつだ!?


お花:それがあの、男ではございませぬ。


武家:なに、男ではないのか?

   …女か?

   けぇしからんおんなだなぁ。


お花:い、いえ…男で女でもございませぬ。


武家:な、なんじゃと、男で女でもない?

   …何者だそ奴(やつ)は。


お花:ぃ、いえ、そうではございません。

   実は、うちのおかみさんはいざという時にはとても苦しがって、

   もう手が付けられなくなる、癪(しゃく)という病(やまい)があるのでございます。


武家:なァんじゃ、そうかそうか。

   助けて下さい、手を貸して下さいと言うから何であろうと思ったら

   癪(しゃく)であったか。

   いや実はな、身(み)どもの家内(かない)も癪(しゃく)に時折閉ざされてな、困っておる。

   そうじゃ、ここにな、癪(しゃく)の薬が入っておる薬籠(やくろう)がある。

   これをーーー


お花:ちょ、ちょっとお待ちくださいませ。

   せっかくではございますが、お武家様(ぶけさま)のそのお薬では治(なお)らないので

   ございます。


武家:な、なに、身(み)どもの持っている薬は如何様(いかさま)だと申すのか!?


お花:い、いえ、そういうわけではございませんが、うちのおかみさんは

   まともな癪(しゃく)の薬では効(き)き目がないのでございます。


武家:【手を打って】

   わかった!

   それは、合い薬(ぐすり)であろう。


お花:はい、さようでございます。


武家:あぁそうかそうか、うむ、それは女の口からは言いにくかろう。

   まむし指とか、男の下帯(したおび)とか。

   ほれ、見るがよい、このまむし指。

   …いいなぁ…!

   身どもがぐいっとーー


お花:【↑の語尾に喰い気味に】

   い、いえ、まむし指ではございません。


武家:なに、まむし指でないとすれば男の下帯(したおび)か?

   それは言いにくいであろう。

   よしっ、身(み)どもが貸してやりたい…と言いたいところだが、

   実は今日は、越中(えっちゅう)ふんどしでな…。

   くくり付けるにはちと、寸法(すんぽう)が足りない…あ、待て待て、

   可内(べくない)、可内(べくない)!

   そのほうは、今日はまともな下帯(したおび)を締(し)めておるか?


可内:へえ、今日はいつもより五寸(ごすん)は長うございますから、

   さぞかしお役に立ちましょう。


武家:何をたわけた事を申しておる。

   さような事が自慢(じまん)になるものか。


お花:あのもし、お武家様(ぶけさま)。

   そのような戯言(ざれごと)をおっしゃっている場合ではございません。

   おかみさんがとても苦しがっているんでございます。

   うちのおかみさんの合(あ)い薬(ぐすり)と申しますのは…あの…実は…、


   や、やかんを、舐(な)めることなんでございまして。


可内:え、や、やかん…!?


お花:はい、やかんを舐(な)めるとピタリと収まるんでございます。

   とはいえ、このようなところに人家(じんか)もなく、やかんもなく…。

   困っております所へ、お武家様(ぶけさま)がお通り下さいまして…!


武家:何をたわけた事を。

   確かに身(み)どもはここを通った。

   通ったからなんだと申すのだ。うろたえるな。

   身(み)どもも家来も、やかんなどというものは持っておらん。

   のう、可内(べくない)。


可内:へえ、やかんは持ち合わせておりませんなあ。


お花:それはよく分かっております。

   じ、実は…、家に置いて参りましたやかんと…

   その、お武家様(ぶけさま)のおつむりが…う、瓜二(うりふた)つなのでございます…!

   お願いでございます!

   少しでよろしゅうございます!

   ひと舐(な)めでよろしゅうございますから、お武家様(ぶけさま)のおつむりを、

   うちのおかみさんに舐(な)めさせてあげてくださいまし…!


武家:っな、な、なにぃぃぃぃ…!?

   身(み)どもの頭を、舐(な)めさせろじゃと…!?

   無礼者(ぶれいもの)ッッ!

   むぅぅけしからん!勘弁(かんべん)ならん!

   斬り捨てて……可内(べくない)、可内(べくない)ッ、何をゲラゲラ笑っとる…!


可内:ははは、だ、だってッ…だ、旦那様(だんなさま)のっ、おつむりっ…やかんッ…

   ははははッ……。


武家:無礼(ぶれい)な奴め…!


   それよりそのほう、そこに直れッ!

   素(そ)っ首(くび)落としてくれる!


お花:【すすり泣きながら】

   申し訳ないことをお願いいたしました。

   打ち首になるか、あるいはお聞き届けくださるか、

   二つに一つとお願いをしておりました。

   お腹立(はらだ)ちとあらば致(いた)し方(かた)ございません。

   どうぞ、この首をお好きなようにして下さいませ。


武家:む、むぅぅ……では女、そのほうは手討(てう)ちになるのを覚悟(かくご)して参っ

   たと申すか!?


可内:はははは、ひーあはははっはは、や、やかんっ…あははは、

   ひー、ひーっ。


武家:っ可内(べくない)っ…!

   指さして笑いおって、ばかものっ。

   この女の申す事を聞いたか?

   わしに手討(てう)ちにされるのを覚悟(かくご)の上で参ったと。

   なのに何じゃ。

   同じ奉公人(ほうこうにん)でありながら武家(ぶけ)の家に仕(つか)えるそのほうが、

   主人の頭がやかんに似ておるからと言ってーー

   いい加減(かげん)笑うのをやめい。


可内:【↑の主人の頭が~のあたりから遠耳に聞こえるように笑っていて

   やめる。】

   ははは…へい。


武家:見よ、この女を。

   己の命をかけても、主人の為に尽(つ)くさんとしておるではないか。


   …相分(あいわ)かった。

   本来ならば、許せることではない。

   許しがたき事であるが、主人を思うそのほうの忠義(ちゅうぎ)を愛(め)でてな…。


お花:は、はい…。


武家:…ちょっとだけなら…の。


お花:!!ありがとうございます!!

   ありがとうございますお武家様(ぶけさま)!

   こちらでございます!

   お竹さん!


お竹:お花さん!

   お花さん無事かい!?


お花:ええ、すんでのところでお手討(てう)ちになるのをお武家様(ぶけさま)がね、

   望みをかなえてつかわすと、おっしゃって下(くだ)すったんだよ。

   それよりも、おかみさーん!


お竹:おかみさーん!しっかりしてくださいよ!

   おかみさんの癪(しゃく)の合(あ)い薬(ぐすり)のやかんがおいでになりましたー!


武家:こらこら。

   やかんがおいでになりましたという事があるか。

   して、どうすればよいのだ?


お竹:あっ、で、ではお武家様(ぶけさま)、おつむりをこちらへこうして…。


武家:む、こう、こうか?


お竹:あ、もう少しこういたしまして…。


武家:むむ、では、このような、これで良いか…?


可内:ぶっ、くく、ふふふ…ひひ…。


武家:べくないっ…!

   よく周りを見張っておれ!

   誰か来たら知らせるのだぞ。


可内:へへ、分かっております。


武家:このようなところ、人に見せられるか…!

   【声を落として】

   さ、ほれ、早(は)よういたせ!

   ほら、ほら!


おかみ:ぁ…ぁあ…や、やか、ん……!


武家:ぁっ、お、おい!


語り:おかみさんも具合(ぐあい)が悪くなけりゃこんな事にはならないんですが、

   よほど辛かったのでしょう、目の前のお武家様(ぶけさま)のおつむりがやかん

   に見えたのか、いきなりその頭をがっしりつかむや否(いな)や、

   べろべろべろべろーーーっと舐(な)めだしました。


武家:うわわわはぁあぁあぁあこらこらこら!

   おいっひと舐(な)めと言ったではないかぁ!

   あ、頭をつかまれたんではう、動けん…!

   ぁこ、これッ、そこは頭ではないぞ!

   耳をかじるでないぃいぃいぃ!


おかみ:ふーーっ、ふーーっ…!【必死に舐めまわしている】


武家:まだか? まだか!?

   は、はよ舐(な)めんかあ!


   【二拍】


お竹:…おかみさん…。


お花:お気が付きになりましたか…?


おかみ:ぁ……、ぁぁ……。


    【二拍】


    …お竹…お花…いたのかい…?


お花:いたのかではございません。

   おかみさんはいきなり倒れられたのでございますよ。


お竹:いきなりの癪(しゃく)でございました。

   やかんをおいて忘れてきてしまい、まことに申し訳ないことでござ

   いました。

   このようなところゆえ、どうする事もできないでいたところ、

   こちらのお武家様(ぶけさま)にお願いして、おつむりを舐(な)めさせていただいて

   通じたのでございます。


お花:おかみさんからも良くお礼を申し上げて下さい。


おかみ:そうだったんだね…ありがとうございます…。

    苦しさの中、知らぬ事とはいえ、誠(まこと)に申し訳ない事をいたしまし

    た。

    このとおりでございます。どうかお許しくださいませ。


武家:ぃ、いや、その、まあ…うん、その…なんだ、承知(しょうち)の上での事ゆえ

   …うん、良いのだ…。

   …。


   本当に治(なお)ったのか?


おかみ:はい、おかげさまで…。


お花:お武家様(ぶけさま)、ほんにありがとうございました。


お竹:おかみさんをお助け下さり、感謝の言葉もございません。


武家:っそ、そうか…ぅん、まあ、良かった…それは、良かったな。


   そうだ、此度(こたび)の一件はそのほうが良くないぞ。

   供(とも)の者どもにも言っておくがな、

   これから表(おもて)へ出る時は、必ずやかんを持って歩けよ。


おかみ:はい…まことに申し訳ございませんでした。


お花:私どもが気をきかせていれば…。

   おかみさん、申し訳ありませんでした。


お竹:私も…気付いて持ってきていれば…。

   お許しください、おかみさん。


武家:そのほうらがやかんを持って歩かないとな、

   先々の沿道(えんどう)の者が頭が薄(うす)いと、みな迷惑をいたす。

   わかったな。


おかみ:はい、肝(きも)に銘(めい)じまして…。


お花:必ずそういたします。


お武家:よし、早(は)よう行け。


おかみ:あの、お武家様(ぶけさま)。


武家:?なんだ?


おかみ:重(かさ)ねてお願いがございます。


武家:なっ何、重(かさ)ねてお願いじゃと!?

   頭の舐(な)め置きをするというのは許さんぞ!


おかみ:い、いえ、舐(な)め置きではございません。

    お屋敷(やしき)をお教えくださいませ。


武家:な、なに、屋敷へたびたび舐(な)めに来るつもりか!?


おかみ:そうではございません。

    あらためてお礼にうかがいたく存(ぞん)じまして。


武家:あぁあぁよい、礼になんぞ来てはいかん、いかんぞ。

   良いか、このような事があったというのはな、

   身(み)どもの家族にも内緒(ないしょ)だ。

   そのほうが礼に来たら、何をしたという事になるではないか。

   さ、良いから行け、行け行けっ。


   あぁそれからな、もうひとつ申し置くことがある。

   今後、どこかで顔を合わせる事があってもな、

   そのほうらと身(み)どもは他人だぞ!

   決して、あらためて礼などしてはいかん。

   忘れるのだ、よいな!

   心して参れ!


おかみ:は、はい、本当に、ありがとうございました。


お花:それでは、失礼いたします。


お竹:お武家様(ぶけさま)、ありがとうございました。


   【二拍】


可内:ぅくくくく、ふふふふっ、はははは…。


武家:べぇくぅない、いつまで笑えば気が済むのだ。

   そんな馬鹿な話があるか。

   わしがこうやって腹を立てたりなんどしている時に、

   ただただ口を押えたり、指さしてゲラゲラ笑いおって、ふんっ。

   さ、参るぞ。


可内:へい。


武家:まったく…今日という日はいったい何という事だ。

   犬も歩けば棒に当たるというのは聞いた事があるが、

   武士(ぶし)が歩くとつむりを舐(な)められるなどというのは聞いた事もない。

   実にどうもけしからんものだ。

   いやしかし、そうは言うものの、人助けをするというのは

   悪い心持(こころも)ちがするものではないな、ははは…。


可内:旦那(だんな)様。


武家:なんじゃ?


可内:お屋敷(やしき)に戻られましたら、どうぞ表(おもて)に看板(かんばん)をお出しなさいまし。


武家:看板(かんばん)?なんの看板(かんばん)じゃ。


可内:当屋敷(とうやしき)に癪(しゃく)に良く効(き)く、合い薬(ぐすり)のやかん頭あり。


武家:ばかものッ!!

   そのような、たわけた事を申しおって!


   しかしまァあの女め、遠慮会釈(えんりょえしゃく)なくべろべろべろべろ舐(な)めおって…

   、なんだか頭がべとべとべとべとして気持ち悪いぞ…おっ?おぉっ?


可内:?旦那(だんな)様、どうかなさいましたか?


武家:可内(べくない)、ちょっとこっちへ来て見てくれ。

   ここじゃ、ここ。

   何やらこの辺(あた)りがヒリヒリと痛んで参ったが、

   どうにかなっておらぬか?


可内:えっ、どうにかなって……あぁっ?

   旦那(だんな)様、大変でございます。

   おつむりの、ここのところに歯形(はがた)が二枚並んでついております。


武家:な、なに、歯形(はがた)が二枚!?

   さてはあの女め、べろべろべろべろ舐(な)めるばかりか、

   時折(ときおり)がりがりと歯を立ておったが、その時に付けた傷か!

   うぅむ、よく見てくれ。どうだこの傷は。


可内:あぁ、ご心配には及(およ)びませんよ、旦那(だんな)様。


   まだ漏(も)るほどではございません。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


柳家小三治(十代目)



※用語解説


おつむり:頭。


下帯:ふんどし。


合い薬:その人の病状、体質に適合して良く効く薬。


まむし指:指の長さが短く、横幅がある指の事で、別名「短指症」とも

     呼ばれる。主に親指によく見られる。遺伝的な要素が強い。


神道無念流:福井兵右衛門嘉平によって創始され、

      幕末の頃には三大道場の一つに数えられた。

      位は桃井春蔵【鏡心明智流】

      技は千葉周作【北辰一刀流】

      力は斎藤弥九郎【神道無念流】

      と評されるほど、力の剣法として有名。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。