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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「やかんなめ」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「やかんなめ」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約30分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


お竹:おかみさんの付き人その1。おかみさんがしゃく持ちなのに合いぐすり

   あるやかんをうっかり忘れてきてしまう。


お花:おかみさんの付き人その2。やかんを忘れてきてしまったせいで

   命をかける羽目はめに。


おかみさん:日本橋のさる商家しょうかのおかみさん。

      大変なしゃく持ちで、ひとたび発症すると周りが見えなくなる程

      苦しむ。唯一の解決策は……やかんをめる事。


武家ぶけ神道無念流しんとうむねんりゅう免許皆伝めんきょかいでんさむらい。頭がやかんに似ている。


可内:べくない、と読む。お武家様ぶけさまの付き人。

   お武家様ぶけさまとは仲が良く、いいコンビ。


語り:雰囲気を大事に。



●配役例


おかみ・お竹:

お花:

武家・枕:

可内・語り:




枕:古いやまいに、しゃくというものや疝気せんきというものがあったりするんですが、

  まあ、やまいに古いも新しいも無くて、今はそう言わなくなってしまった

  と、こういうことですな。

  腰が痛かったりとか、お腹がくだったりとか、とにかく体の下部分に

  痛みを感じる、これを疝気せんきと言ったんだそうで。

  まあ皆さんにしてみればね、いきなり出てきて何を話し出すんだと、

  そう思われるかもしれませんけども。

  女性にもしゃくというものがあるんですが、これもはっきりしたことは

  分からない。

  芝居しばいだの時代劇なんかでも、ちょーっとその辺が痛くなるってえと

  「持病じびょうしゃくが…あたた…」なんてのはよく見られる光景です。


語り:日本橋本町にほんばしほんちょうあたりのご商家しょうかに、あるおかみさんがおりました。

   このおかみさんと言うのがそれはもう大変なしゃく持ちで、

   ひとたび癪なんてことになると、目の前がもう何も見えなくなって

   あたりかまわず七転八倒しちてんばっとうして苦しむほど、重いものだったそうです。

   しゃくには医者から処方しょほうされた薬を飲むんですが、このおかみさんには

   どれも合わない。

   なのに、やかんをめるとケロッとウソのように収まってしまう。   

   おかみさんにとっては、やかんがぐすりと言うわけです。

   季節は春、そろそろ向島むこうじまに梅が見ごろてんで、梅見うめみとしゃれこもう

   と女中じょちゅう二人を連れてやって参りました。


おかみ:春先の野原は心地ここちいいものだね。


お花:ほんに。

   まだ草は生えてきておらないですけれど。


お竹:でも、黒い土の上に青いが、ぽちっぽちっぽちっと

   出ているところを歩くと、心持こころもちが良いですね。


語り:などと語り合いながら歩いていきます。

   しかし心持こころもちがいいのは、なにも人間だけとは限りません。

   野山のやまけものも、長い冬眠とうみんからめて動き回るわけですが、

   おりしも春のにおいにられて出てきた一匹の蛇が、

   するするするするっ、と三人の前を横切ったのであります。


お竹:きゃああっ!


お花:きゃーっ、へ、蛇っ!


おかみ:ひいぃッ! ぁっ、うっ、うぅぅ……ッッ!


お花:あっ、おかみさん、おかみさん!?

   しっかりしてくださいまし!

   ちょっとお竹さん、お竹さん!来ておくれよ!

   おかみさんのしゃくだよ!

   すぐにやかんを出しておくれ!


お竹:えっ、やかん?

   今日は梅見うめみだからやかんは持って来てなくて…!

   お酒の入ったひょうたんならあるけど…。


お花:ひょうたんとやかんじゃ、いくら少し丸っこいったって大きさが

   違うし…どうしたら…。


お竹:いけない、おかみさんの顔色が変わって来たよ!

   おかみさん、しっかりしてください!


お花:この辺りには人家じんかもないし、向こうまで行けばお茶屋ちゃやがあるから

   やかんも借りれるだろうけど…おかみさん、気を確かに!


語り:打つ手もなく、二人のともの者がそこできゃーきゃーわーわー騒ぐ。

   それじゃどうにもなりゃしません。

   そんなところへ彼方かなたから男の二人連れがやって参ります。

   年のころ四十五しじゅうご・六でございましょうか、立派なお武家様ぶけさまでござい

   ます。ともの者を一人連れまして、やはり梅見うめみとしゃれこんだ帰りで

   ございましょうか。よほど主従しゅじゅうなかがよろしいと見えまして、

   互いにぐちたたき合いながらやってきます。


お竹:!ちょっと、ちょっとお花さん!


お花:なに?


お竹:あれ見て、あれ!

   あのお武家様ぶけさまのおつむりを!


お花:え、おつむりがどうかしたの?


お竹:ほら、あのおつむりがさ、

   よっぽどのぼせしょうなのかしら、つるりとしてて…、

   うちに置いてきたやかんに似てると思わないかい?


お花:うちに置いてきたやかんに…?

   あらいやだ、似たとはおろか、瓜二うりふたつとはこの事じゃないか。

   あのまんまだよ。


お竹:くやしいねぇ。

   あれがもしやかんだったら、事はすぐに収まるんだけど…。


お花:お武家様ぶけさまのおつむりじゃねぇ…。

   まさかにめさせていただくわけにはいかないねぇ…。


おかみ:うぅ…うぅ…く、くるしい…。


お花:ああぁおかみさん、おかみさん!


お竹:しっかりしてください!


お花:いま何とかいたしますからね!

   お竹さん、あたし行ってお願いして来るよ。


お竹:えっ、お武家様ぶけさまにかい!?

   どうやって…。


お花:これこれこういうわけでつらいので、おつむりをひとめ、

   めさせてくださいって。


お竹:そんなこと言ったら、「無礼者ぶれいもの、そこになおれ!」てんで

   手討てうちにされてそれっきりだよ!


お花:それはその時だよ!

   仕方しかたないじゃないか。他にどうする事も出来ないんだから。

   いまお願いしてくるから。

   おかみさんを見てておくれ。


   あの、お武家様ぶけさま

   お武家様ぶけさま、お願いでございます!


武家:!

   あぁこれこれ可内べくない、先を急ぐな。


可内:へえ、旦那だんな様、どうなさいましたか?


武家:なに、急いで戻った所で屋敷やしきに何が待っている、何かあるというも

   のでもない。

   今ここにな、いきなり婦人ふじんが出てきて、わしに頼みがあると、

   こう申しておる。

   いやどうも、わしは婦人ふじんにものを頼まれるとなかなか断れん性質たち

   なァ。

   まあ聞いてみようではないか。後ろにひかえておれ。


可内:へい、かしこまりやした。


武家:あー、して女、なんだなその頼みと言うのは。


お花:お願いでございます、お助け下さりませ!

   このとおりでございます!


武家:むぅ、お助け下さいませとな…。

   !そのほう、顔の色が変わっておるな。

   わかった!さてはそのほう、かたきを持つ身であろう。

   ほうぼうを探しめぐっていたが、ついに出会った。

   とうと思ったがとてもち切れるものではないと、

   どもを見込んで助太刀すけだちをさせようと、こういうことであろう。

   相分あいわかった!

   伊達だてには持たぬ、神道無念流しんとうむねんりゅう免許皆伝めんきょかいでん

   そのかたきとやらはいずれにおる!?


お花:いえ、その、かたきちではないんでございます。


武家:なに、かたきちではない!?


お花:はい、どうかわたくしめのお話を聞いて下さりませ。

   実はわたくしは、日本橋にほんばしのさる商家しょうか奉公ほうこうしております者で

   ございますが、今日おかみさんのおとも向島むこうじま梅見うめみに参ろうと

   ここまで差しかりましたところ、この広い野原の中からーーー


武家:【↑の語尾に喰い気味に】

   ぅわかったぞ!!

   このごろここらには良くない奴が徘徊はいかいするという。

   つまりなんだな、ぞくが現れ、そのほうの主人をさらっていったと

   こう申すのだな!

   どこへ逃げた?けしからん男だな。

   どういった男だ?どいつだ!?


お花:それがあの、男ではございませぬ。


武家:なに、男ではないのか?

   …女か?

   けぇしからんおんなだなぁ。


お花:い、いえ…男で女でもございませぬ。


武家:な、なんじゃと、男で女でもない?

   …何者だそやつは。


お花:ぃ、いえ、そうではございません。

   実は、うちのおかみさんはいざという時にはとても苦しがって、

   もう手が付けられなくなる、しゃくというやまいがあるのでございます。


武家:なァんじゃ、そうかそうか。

   助けて下さい、手を貸して下さいと言うから何であろうと思ったら

   しゃくであったか。

   いや実はな、どもの家内かないしゃくに時折閉ざされてな、困っておる。

   そうじゃ、ここにな、しゃくの薬が入っておる薬籠やくろうがある。

   これをーーー


お花:ちょ、ちょっとお待ちくださいませ。

   せっかくではございますが、お武家様ぶけさまのそのお薬ではなおらないので

   ございます。


武家:な、なに、どもの持っている薬は如何様いかさまだと申すのか!?


お花:い、いえ、そういうわけではございませんが、うちのおかみさんは

   まともなしゃくの薬ではき目がないのでございます。


武家:【手を打って】

   わかった!

   それは、合いぐすりであろう。


お花:はい、さようでございます。


武家:あぁそうかそうか、うむ、それは女の口からは言いにくかろう。

   まむし指とか、男の下帯したおびとか。

   ほれ、見るがよい、このまむし指。

   …いいなぁ…!

   身どもがぐいっとーー


お花:【↑の語尾に喰い気味に】

   い、いえ、まむし指ではございません。


武家:なに、まむし指でないとすれば男の下帯したおびか?

   それは言いにくいであろう。

   よしっ、どもが貸してやりたい…と言いたいところだが、

   実は今日は、越中えっちゅうふんどしでな…。

   くくり付けるにはちと、寸法すんぽうが足りない…あ、待て待て、

   可内べくない可内べくない

   そのほうは、今日はまともな下帯したおびめておるか?


可内:へえ、今日はいつもより五寸ごすんは長うございますから、

   さぞかしお役に立ちましょう。


武家:何をたわけた事を申しておる。

   さような事が自慢じまんになるものか。


お花:あのもし、お武家様ぶけさま

   そのような戯言ざれごとをおっしゃっている場合ではございません。

   おかみさんがとても苦しがっているんでございます。

   うちのおかみさんのぐすりと申しますのは…あの…実は…、


   や、やかんを、めることなんでございまして。


可内:え、や、やかん…!?


お花:はい、やかんをめるとピタリと収まるんでございます。

   とはいえ、このようなところに人家じんかもなく、やかんもなく…。

   困っております所へ、お武家様ぶけさまがお通り下さいまして…!


武家:何をたわけた事を。

   確かにどもはここを通った。

   通ったからなんだと申すのだ。うろたえるな。

   どもも家来も、やかんなどというものは持っておらん。

   のう、可内べくない


可内:へえ、やかんは持ち合わせておりませんなあ。


お花:それはよく分かっております。

   じ、実は…、家に置いて参りましたやかんと…

   その、お武家様ぶけさまのおつむりが…う、瓜二うりふたつなのでございます…!

   お願いでございます!

   少しでよろしゅうございます!

   ひとめでよろしゅうございますから、お武家様ぶけさまのおつむりを、

   うちのおかみさんにめさせてあげてくださいまし…!


武家:っな、な、なにぃぃぃぃ…!?

   どもの頭を、めさせろじゃと…!?

   無礼者ぶれいものッッ!

   むぅぅけしからん!勘弁かんべんならん!

   斬り捨てて……可内べくない可内べくないッ、何をゲラゲラ笑っとる…!


可内:ははは、だ、だってッ…だ、旦那様だんなさまのっ、おつむりっ…やかんッ…

   ははははッ……。


武家:無礼ぶれいな奴め…!


   それよりそのほう、そこに直れッ!

   くび落としてくれる!


お花:【すすり泣きながら】

   申し訳ないことをお願いいたしました。

   打ち首になるか、あるいはお聞き届けくださるか、

   二つに一つとお願いをしておりました。

   お腹立はらだちとあらばいたかたございません。

   どうぞ、この首をお好きなようにして下さいませ。


武家:む、むぅぅ……では女、そのほうは手討てうちになるのを覚悟かくごして参っ

   たと申すか!?


可内:はははは、ひーあはははっはは、や、やかんっ…あははは、

   ひー、ひーっ。


武家:っ可内べくないっ…!

   指さして笑いおって、ばかものっ。

   この女の申す事を聞いたか?

   わしに手討てうちにされるのを覚悟かくごの上で参ったと。

   なのに何じゃ。

   同じ奉公人ほうこうにんでありながら武家ぶけの家につかえるそのほうが、

   主人の頭がやかんに似ておるからと言ってーー

   いい加減かげん笑うのをやめい。


可内:【↑の主人の頭が~のあたりから遠耳に聞こえるように笑っていて

   やめる。】

   ははは…へい。


武家:見よ、この女を。

   己の命をかけても、主人の為にくさんとしておるではないか。


   …相分あいわかった。

   本来ならば、許せることではない。

   許しがたき事であるが、主人を思うそのほうの忠義ちゅうぎでてな…。


お花:は、はい…。


武家:…ちょっとだけなら…の。


お花:!!ありがとうございます!!

   ありがとうございますお武家様ぶけさま

   こちらでございます!

   お竹さん!


お竹:お花さん!

   お花さん無事かい!?


お花:ええ、すんでのところでお手討てうちになるのをお武家様ぶけさまがね、

   望みをかなえてつかわすと、おっしゃってくだすったんだよ。

   それよりも、おかみさーん!


お竹:おかみさーん!しっかりしてくださいよ!

   おかみさんのしゃくぐすりのやかんがおいでになりましたー!


武家:こらこら。

   やかんがおいでになりましたという事があるか。

   して、どうすればよいのだ?


お竹:あっ、で、ではお武家様ぶけさま、おつむりをこちらへこうして…。


武家:む、こう、こうか?


お竹:あ、もう少しこういたしまして…。


武家:むむ、では、このような、これで良いか…?


可内:ぶっ、くく、ふふふ…ひひ…。


武家:べくないっ…!

   よく周りを見張っておれ!

   誰か来たら知らせるのだぞ。


可内:へへ、分かっております。


武家:このようなところ、人に見せられるか…!

   【声を落として】

   さ、ほれ、よういたせ!

   ほら、ほら!


おかみ:ぁ…ぁあ…や、やか、ん……!


武家:ぁっ、お、おい!


語り:おかみさんも具合ぐあいが悪くなけりゃこんな事にはならないんですが、

   よほど辛かったのでしょう、目の前のお武家様ぶけさまのおつむりがやかん

   に見えたのか、いきなりその頭をがっしりつかむやいなや、

   べろべろべろべろーーーっとめだしました。


武家:うわわわはぁあぁあぁあこらこらこら!

   おいっひとめと言ったではないかぁ!

   あ、頭をつかまれたんではう、動けん…!

   ぁこ、これッ、そこは頭ではないぞ!

   耳をかじるでないぃいぃいぃ!


おかみ:ふーーっ、ふーーっ…!【必死に舐めまわしている】


武家:まだか? まだか!?

   は、はよめんかあ!


   【二拍】


お竹:…おかみさん…。


お花:お気が付きになりましたか…?


おかみ:ぁ……、ぁぁ……。


    【二拍】


    …お竹…お花…いたのかい…?


お花:いたのかではございません。

   おかみさんはいきなり倒れられたのでございますよ。


お竹:いきなりのしゃくでございました。

   やかんをおいて忘れてきてしまい、まことに申し訳ないことでござ

   いました。

   このようなところゆえ、どうする事もできないでいたところ、

   こちらのお武家様ぶけさまにお願いして、おつむりをめさせていただいて

   通じたのでございます。


お花:おかみさんからも良くお礼を申し上げて下さい。


おかみ:そうだったんだね…ありがとうございます…。

    苦しさの中、知らぬ事とはいえ、まことに申し訳ない事をいたしまし

    た。

    このとおりでございます。どうかお許しくださいませ。


武家:ぃ、いや、その、まあ…うん、その…なんだ、承知しょうちの上での事ゆえ

   …うん、良いのだ…。

   …。


   本当になおったのか?


おかみ:はい、おかげさまで…。


お花:お武家様ぶけさま、ほんにありがとうございました。


お竹:おかみさんをお助け下さり、感謝の言葉もございません。


武家:っそ、そうか…ぅん、まあ、良かった…それは、良かったな。


   そうだ、此度こたびの一件はそのほうが良くないぞ。

   ともの者どもにも言っておくがな、

   これからおもてへ出る時は、必ずやかんを持って歩けよ。


おかみ:はい…まことに申し訳ございませんでした。


お花:私どもが気をきかせていれば…。

   おかみさん、申し訳ありませんでした。


お竹:私も…気付いて持ってきていれば…。

   お許しください、おかみさん。


武家:そのほうらがやかんを持って歩かないとな、

   先々の沿道えんどうの者が頭がうすいと、みな迷惑をいたす。

   わかったな。


おかみ:はい、きもめいじまして…。


お花:必ずそういたします。


お武家:よし、よう行け。


おかみ:あの、お武家様ぶけさま


武家:?なんだ?


おかみ:かさねてお願いがございます。


武家:なっ何、かさねてお願いじゃと!?

   頭のめ置きをするというのは許さんぞ!


おかみ:い、いえ、め置きではございません。

    お屋敷やしきをお教えくださいませ。


武家:な、なに、屋敷へたびたびめに来るつもりか!?


おかみ:そうではございません。

    あらためてお礼にうかがいたくぞんじまして。


武家:あぁあぁよい、礼になんぞ来てはいかん、いかんぞ。

   良いか、このような事があったというのはな、

   どもの家族にも内緒ないしょだ。

   そのほうが礼に来たら、何をしたという事になるではないか。

   さ、良いから行け、行け行けっ。


   あぁそれからな、もうひとつ申し置くことがある。

   今後、どこかで顔を合わせる事があってもな、

   そのほうらとどもは他人だぞ!

   決して、あらためて礼などしてはいかん。

   忘れるのだ、よいな!

   心して参れ!


おかみ:は、はい、本当に、ありがとうございました。


お花:それでは、失礼いたします。


お竹:お武家様ぶけさま、ありがとうございました。


   【二拍】


可内:ぅくくくく、ふふふふっ、はははは…。


武家:べぇくぅない、いつまで笑えば気が済むのだ。

   そんな馬鹿な話があるか。

   わしがこうやって腹を立てたりなんどしている時に、

   ただただ口を押えたり、指さしてゲラゲラ笑いおって、ふんっ。

   さ、参るぞ。


可内:へい。


武家:まったく…今日という日はいったい何という事だ。

   犬も歩けば棒に当たるというのは聞いた事があるが、

   武士ぶしが歩くとつむりをめられるなどというのは聞いた事もない。

   実にどうもけしからんものだ。

   いやしかし、そうは言うものの、人助けをするというのは

   悪い心持こころもちがするものではないな、ははは…。


可内:旦那だんな様。


武家:なんじゃ?


可内:お屋敷やしきに戻られましたら、どうぞおもて看板かんばんをお出しなさいまし。


武家:看板かんばん?なんの看板かんばんじゃ。


可内:当屋敷とうやしきしゃくに良くく、合いぐすりのやかん頭あり。


武家:ばかものッ!!

   そのような、たわけた事を申しおって!


   しかしまァあの女め、遠慮会釈えんりょえしゃくなくべろべろべろべろめおって…

   、なんだか頭がべとべとべとべとして気持ち悪いぞ…おっ?おぉっ?


可内:?旦那だんな様、どうかなさいましたか?


武家:可内べくない、ちょっとこっちへ来て見てくれ。

   ここじゃ、ここ。

   何やらこのあたりがヒリヒリと痛んで参ったが、

   どうにかなっておらぬか?


可内:えっ、どうにかなって……あぁっ?

   旦那だんな様、大変でございます。

   おつむりの、ここのところに歯形はがたが二枚並んでついております。


武家:な、なに、歯形はがたが二枚!?

   さてはあの女め、べろべろべろべろめるばかりか、

   時折ときおりがりがりと歯を立ておったが、その時に付けた傷か!

   うぅむ、よく見てくれ。どうだこの傷は。


可内:あぁ、ご心配にはおよびませんよ、旦那だんな様。


   まだるほどではございません。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


柳家小三治(十代目)



※用語解説


おつむり:頭。


下帯:ふんどし。


合い薬:その人の病状、体質に適合して良く効く薬。


まむし指:指の長さが短く、横幅がある指の事で、別名「短指症」とも

     呼ばれる。主に親指によく見られる。遺伝的な要素が強い。


神道無念流:福井兵右衛門嘉平によって創始され、

      幕末の頃には三大道場の一つに数えられた。

      位は桃井春蔵【鏡心明智流】

      技は千葉周作【北辰一刀流】

      力は斎藤弥九郎【神道無念流】

      と評されるほど、力の剣法として有名。



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