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小姓達は信長が変わったと感じていたが、口には出さず、頭を打ったせいなのかと考えたりしている。しかし、今まで家老達と信長の間で板挟みのような状態になり、身の処し方に悩んだりすることも有ったのだが、信長が宣言したことにより、信長の命だけ聞いていれば良いと割り切れたことで楽にはなった。
その格好や普段の振る舞いを見ると、始めは、呆けたのではないかと疑う気持ちも出て来たのだが、弓や鉄砲の稽古、兵法の講義を受けている時の目の鋭さを見ていると、何かの思惑が有ってうつけを演じているのだと確信するようになった。
ただ、一郎太は思うのだ。信長は前年に既に初陣を済ませている。その際、家老達の反対を押し切って敵に夜襲を掛け、無勢で大軍に勝利している。信長の父・信秀もその功績は認めており、家老達も納得している筈なのだ。
確かに、その事を忘れてしまってでもいるかのように、家老達が信長に吉法師時代のように接していることが有ると感じることは有った。しかし、頭から童扱いをしていると言うことは無い筈だと思う。ひょっとして、初陣のことを信長が覚えておらず、童扱いされていると思って過剰に反発しているのではないかと思い当たったのだ。
『儂が覚えていないことが有れば、他の者達に気付かれぬようにして教えよ』
と命じられている。
小姓達しか居ない時を狙って、一郎太は、
「殿」
と呼び掛けた。
「うん?」
「申し上げたいことが御座います」
「申せ」
「殿は、昨年 “吉良大浜攻撃” にて初陣を果たされ、大勝利を上げてらっしゃいますので、御家老達も殿を童扱いし侮っている訳では無いと思われます」
それは真人の知識の中に無い情報だった。
「その経緯と子細を話せ」
と、命じる。
「はっ。昨年のことに御座います。今川義元が三河に侵攻し、威嚇を加えて参りました。大殿(信秀)がこれに対抗する為兵を起こされました。その際殿は大殿に、強く初陣を願い出られました。大殿のお許しを得て使いの者が戻るなり、殿は僅かな手勢を率いて出陣され、本営の近くに陣を張られました。翌日は、風が強く成りました。殿は火やを持って奇襲を掛けると言い出されたのです。ご家老衆は皆、反対されました。織田勢800に対して敵は2000の兵力です。こちらから仕掛けて敵に反撃されればひとたまりもないと主張されていました。じっくり構えて、敵に隙が生まれるのを待つのが懸命。短気は損気で御座います。勇気と無謀は違います。などと、代わる代わる説教しようとなさいました。殿は手前を呼び、大殿の了承を取って来るよう命じられました。殿に説得の方法を伝授され、大殿の許に参った手前は ”多勢に無勢では時が経つほど不利になります。風が出て来たのは天の恵み、火は数千の兵を以ての攻撃ほどの打撃を敵に与えることができます” との殿のお言葉を大殿にお伝えしました。大殿はニッコリ笑い「やれ!」とひと言仰せになりました。結果、大勝利で、大殿もご満足され、御家老衆も殿の才覚に感服した筈です。殿を軽んじているなどと言うことは無いと思います。長年言い慣れた言葉がつい出てしまうことも有るので御座いましょう」
真人は事情を理解した。しかし、これからやることの為には、今までの関係を全て壊し、信長と言う唯一無二の存在を周りの者達に分からせる必要が有る。信長と言う人間に対する既成概念を壊さなければならないと、改めて思った。
「家老達、その時は感心したかも知れぬし、父上が褒めているのに貶す訳にも行かぬと思ったのであろう。しかし、時が経てば、初陣でのまぐれぐらいに思い始めているのではないか? これから儂が何をやろうと、誰と対立しようと、その方達は儂に着いてくれば良い。分かったか?」
と命じた。
「はっ」
と小姓達は声を揃えた。