4
「大儀であった。細かいことはまた何れ聞く、下がって休め」
真人はそう命じた。
「ははっ、では」
平手政秀は下がって行った。周りの状況や皆の考えをこうして一人一人探って行くのは、恐ろしく疲れる作業になる。可能であれば、影のような存在として、しばらく観察したいと真人は思う。しかし、すでに信長となってしまっている以上、それは無理だ。ならば忘れた振りをするしかない。そう考えた。
「誰かある」
と声を上げる。
「はっ」
廊下に一人の家臣が表れ、返事をした。
「野駆けに参る」
と告げると、
「お待ちを」
と返事をし、一旦下がって行く。間も無く、三十代半ばの男が表れ、真人の前に座り礼をした。
「急ぎ支度させますゆえ、しばしお待ちを」
林秀貞に違いないと真人は思った。年長の平手政秀を差し置いて一番家老となっている男である。こういう男は、己の才覚に自身を持っており、例え態度は慇懃でも、本音では常に相手を組み伏せようとする。何処かで屈服させて置かないと、この先の計画に支障を来たすことになる。秀貞を観察しながら、真人はそう思った。
「供は小姓達で良い。他のものは要らぬ」
そう言うと、
「何が有るか分かりません。せめて一人は年長の者もお連れ下さい」
秀貞はそう答えた。
「儂がそれで良いと申しておるのだ。聞けぬか?」
真人は敢えて強い言い方をした。
「いえ、そのようなことは御座いません」
秀貞は一瞬困惑するような表情を見せたが、逆らわなかった。
「お前たち、さっさと支度を致せ」
下座の両側に二人づつ控えていた小姓四人は
すぐに立ち上がって、支度の為に下がって行った。太刀持ちの小姓一人のみが残っている。真人は、太刀を取り上げ、
「お前もだ」
と、太刀持ちの小姓に告げた。その小姓も慌てて礼をして下がって行く。
太刀を掴んで縁まで出た真人は、まだ元の席に座している秀貞に、
「秀貞。この城の主は誰か?」
と、背中を向けたままで問うた。
「申すまでもなく、それは貴方様、織田信長様に御座います」
秀貞は座ったまま向き直って、信長の背中にそう答えた。
「うん。忘れるな!」
と信長である真人は念を押す。
「はっ。それでは失礼致します」
そう言い残し、礼をして秀貞も下がって行った。
織田真人は長らく乗馬を習っていただけではなく、古武道、弓、流鏑馬の稽古もして来ていた。だから、野駆けに不安を感じることも無い。
支度が出来たとの報告を受け庭に出ると、馬を引いた小姓達が並んで待っており、足軽が一人、信長の乗る馬の轡を取って頭を下げている。
見送りの為、林秀貞も控えていた。
「行ってらっしゃいませ。暮れぬうちのお帰りを……」
信長が乗馬するのを待って、そう挨拶した。
「うん。行って参る。皆、遅れるな!」
そう声を上げると、真人は駆け出した。
「おう!」
と返事し、小姓達も続く。
一列となって城から出て行く信長と小姓達の馬の列は、城下を駆け抜け山野へ向かう。
小高い丘の上まで登ると、見晴らしの良いところで真人は右手を上げ、列を止め、
「皆、矢立ては持っておるな」
と聞いた。
「はあ」
と、皆、不思議そうな表情で答える。
「馬は木に繋ぎ、二手に分かれて左右の道を辿りこの丘の絵図を描くのだ。良いな!」
真人がそう命じたのだが、
「なんの為に?」
と一人が呟いた。
「その方らは儂の身近に侍る者。何れ、手足となって働いてもらう者達だ。戦場で、将の命を聞き返す者などおらんだろう。そんな事をしていたら負ける。何も考えず、ただ素早く実行する。それ有るのみだ。分かったか?」
最早、言葉を返すことは出来ないと理解し、小姓達は二つの道に分かれて降りて行った。