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織田信秀は、天文9年に安祥城を攻略して支配下に置き、長男(庶子)の織田信広を城主として置いていた。
信長が帰蝶を娶った年の翌月、信秀の勢力を三河より駆逐しようとしていた今川義元は、織田方の西三河支配の牙城となっていたこの安祥城に対し、太原雪斎を主将とする一万の軍を派遣し、攻撃を加えて来た。
この時は織田信広が奮戦して一旦は今川軍を撃退したのだが九月に再び攻撃を受け、戦況は厳しいものとなっていた。
父信秀は四方に敵を抱え、この頃窮地に陥っていたと言って良い。自ら救援に向かうことが難しかった信秀から、平手政秀に手勢を付けて安祥城の救援に向かわせるよう命が届いた。
「兄上の救援には儂自ら出向く」
使いの者に信長がそう言ったが、
「なりません。殿が我等の言葉をお聞きにならぬのは仕方有りませんが、これは、大殿の命に御座います故、従って頂きます」
平手政秀はそう強く反論した。
「ならば、火急のこと故、平手、兵を率いてその方はすぐに出立致せ。儂は父上のお許しを得た上、後を追う」
「なりません。大殿の命に従い、この城においで下さい!」
「うるさい爺じゃのう」
と信長は背を向ける。
「殿!」
と聞いていた帰蝶が声を上げた。
「殿自ら出向かれて、兄上様と殿のお二人ともに、万一のことが有ったら困るとお考えなのでは御座いませんか?」
「お方様の仰せの通りに御座います」
そう言うと、政秀は、
「出会え!」
と声を上げ、出陣の準備に取り掛かった。
平手政秀の援軍も虚しく安翔城は落城する。そして、安翔城攻略戦の際に織田信広は捕らわれてしまうことになる。真人にはそれが分かっていた。
何処から歴史を変えなければならないのかは分からなかったが、ここが分岐の一つのポイントとなるかも知れないと言う想いが芽生えた。
一旦主張を引っ込め、信長は居室に引っ込み、帰蝶にまた膝枕をさせた上で、ふて寝でもするように目を閉じていた。
翌朝、平手政秀は兵を率いて、安祥城の救援の為に出発した。
見送りもせず、帰蝶の膝枕で横になっていた信長だったが、突然立ち上がり、
「馬を引け!」
と命じた。
帰蝶は何も言わなかった。信長は父・信秀の居る末森城に向かった。信秀は古渡城を捨て、前年に末森城に移っていた。
袖を切った湯帷子に荒縄を巻き、その縄にガラクタをいくつもぶら下げた、異様な風体のまま馬で駆け込んで来た信長を、末森城の門番も怪しい者として止めるようなことは無かった。足軽、小者に至るまで信長のうつけ振りは耳にしているから、『ああ、那古野の馬鹿殿か』と思って
、そのまま通したのである。
案内もこわずズカズカと、信長は城内に入って行った。出くわした者達は慌てて通り道を避け礼をするのだが、殆どの者の目には嘲りの色が読み取れる。
「親父殿、親父殿は何れじゃ」
そう叫びながら廊下を足早に歩く。角を曲がったところで、年増の侍女が立ちはだかった。
「どけ! 親父殿は何れじゃ」
信長がそう言うと、侍女は丁寧に頭を下げてから左掌を上に向けて横の部屋を差した。
開け放たれた部屋の奥に女が一人座していて、こちらを見据えている。侍女数人が侍っているが、奥の女の脇には、若武者が一人。
信長の実母である土田御前と弟の勘十郎に違いないと真人は思った。