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※愛人、不倫、妊娠、不妊、死産等などの描写・表現があります。不快に思われる方はご遠慮ください。


         

  

「ねえ泰従兄(やすにい)さん、お義姉さんを助けてあげてよ」

 ソファにゆったり座った曜子が、隣に座る従兄を見遣った――

 あれから後も、いつものように毎日実家に来る曜子からふんわりと離婚を促されていた。背後で多永子が操っているのも、曜子が来ている時間に在宅していないことでわかる。お互いの目前では気まずいのだろう。

 きょうは圭司たち兄妹の従兄、飯田泰斗まで参戦している。これも義母の差し金なのか。

「ごめんね、僕までお邪魔しちゃって」

 義母方の親戚は圭司や曜子を含め、みな上品で整った容姿をしている。その甘いマスクで泰斗は微笑んだ。

「いえ、かまいませんよ」

 夕子がリビングまで運んできたお茶のセットを受け取り、花恵手ずから入れつつ、なんてことないというふうに笑顔を浮かべた。

 曜子が泰斗の持参した有名菓子店の包みを開けながら、

「だって泰従兄さん、出掛ける間際に来るんだもの。一緒にお邪魔しよ、ってなっちゃうわよ」

「曜ちゃんの懐妊のお祝いしたくて来たんだけど。それにしても大きくなったね、お腹。赤ちゃんに会えるの楽しみだな」

「泰従兄さんも早く再婚して子供作ればいいじゃない」

 泰斗は若い頃非常にまじめで、大学卒業後すぐ、交際していたどこか会社の社長令嬢と結婚したという。

 だが、新婚早々、猫被り妻の被り物が脱げ、癇癪(かんしゃく)持ちで、我儘放題、男好きという本性が発覚し、実際数人の男と関係を持っていたことで離婚した。その間半年。それから放蕩者を気取るようになってしまったらしい。子供が出来てなかったのが不幸中の幸いだったと、圭司が以前話していたのを聞いたことがある。

「いやあ、子供はともかく、結婚は()()りだよ……花恵さんみたいな奥さんなら歓迎だけど」

「ほらお義姉さん、こぉんなこと言ってるわよ。泰従兄さんなら遊んでるけどちゃんと仕事はするし、遊んでるけどお金は持ってるし、遊んでるけど浮気はしないし、それにバツイチの分、きっと今度は結婚生活うまくやるだろうし――あんな誠実に見えて結局愛人作るような浮気者(お兄ちゃん)にいつまでも(かかわ)ってないで、従兄(にい)さんと再婚するつもりで離婚すればいいんじゃない?

 あ、このフィナンシェすごくおいしいっ」

 屈託ない笑顔の曜子と「遊んでるって言いすぎ! でも推してくれて嬉しいな」と、はにかむ泰斗に花恵は薄ら寒さを覚えた。

 二人とも本気で言っているのだろうか。

 これが離婚のための策略なら二人は名優だと感心しつつ、花恵は曖昧な笑顔を張り付け、二人の前にそれぞれ紅茶のカップを置いた。

「ところで、圭君、あっちに行ったままなんだって。なんだか許せないな――」

 憤懣やるかたない表情で泰斗が唇を噛む。

「美土里さん、まだ安定期に入ってないからって、ついてて上げてるらしいわ。ママが言ってた」

「あんな店に連れて行った僕が元凶なんだけど――僕も酔っていたとはいえ、あの時もっと注意していればこんなことにならなかったのに……」

 そう言いながら、深間に深い皺を寄せて紅茶を飲んでいたが「あぁおいしいなぁ、花恵さんはほんと何でもできるんだね」と眉を緩めた。

「今頃反省しても遅いのよ、泰従兄さん」

「ほんと謝っても謝り切れない――でも今でも信じられないよ。圭君が花恵さんを蔑ろにするなんて……いや、僕のせいなんだけど――本当に申し訳ない……」

「泰斗さんのせいじゃないわ。連れて行ったのは確かにそうかもしれないけど……お酒のその先は、自己責任よ……ううん、わたしのせいでもあるのかしら。お義母さんと仲良く出来ていなかったから……圭司さんも苦しかったのね」

「お義姉さんのせいじゃないっ、お兄ちゃんがころっと引っかかったのが一番悪い。あと――ママはお孫ちゃんが、お兄ちゃんは子供が、喉から手が出るほど欲しがってたってことも。あと――やっぱりあんな店に連れて行った泰従兄さんも悪いっ!」

「もうっ、花恵さんが許してくれてるんだから蒸し返すなよ。

 ねぇ花恵さん、子供だけ引き取るって選択肢はないの?」

 泰斗はカップから少しだけ口を離し、上目遣いで花恵を見る。

「ないわよっ、泰従兄さん!」

「なんで曜ちゃんが怒るんだ? 僕は花恵さんに訊いてるんだよ」

 曜子の剣幕に泰斗は再び深く眉を顰めた。

「まあまあ泰斗さん――曜子ちゃんも思い悩んだ時期があったから――」

 間に入った花恵に泰斗が「あ、そうか」とうなずく。

「そうよ。うまくいきそうで、うまくいかないのが()さぬ仲だとわたしは思うわけ。だから絶対良いわけないっ」

 ぷんぷんしてお菓子を頬張る曜子に、花恵と泰斗は顔を見合わせて苦笑した。


 曜子は浩一の連れ子由姫にずいぶん悩まされていた。交際中に距離を縮めていたつもりが、結婚が決まった途端、遠く離れてしまったと、花恵によく愚痴を零していた。

 あれだけ「かわいい子なの。あの子のママにならなれるわ」と張り切っていたのに、「やっぱり自分の子供じゃないのは無理。実の子なら、あんな目でわたしを見ないわよね」と毎日泣いていた。

 一過性なものでしょと慰めたが、浩一が娘の精神面を心配し始め、夫婦間の距離も開き始めたと、曜子はひどく落ち込んでいた。

 結婚し、多永子の用意した家で暮らし始めてから一週間もせずに、由姫は元の家に帰りたいと駄々を()ね、癇癪を起こし、浩一は身の回りのものと由姫を連れ、まだ処分せずにいた元の家に戻った。

 あの時の曜子は見ていられなかった。多永子に縋り、花恵にも縋って慟哭した。

 きっと大丈夫だから、という言葉は言っている花恵ですら空々しく感じ、曜子の慰めになってはいなかった。

 だが、元の家に戻って数日後、由姫が亡くなったと青白い顔で曜子が報告に来た。ひどい悪阻(つわり)で休んでいるところへ急な知らせが入ったという。

 由姫は散歩に出た近所の自然公園で誤って池に落ち、溺死したらしい。一緒にいたはずの浩一は続く疲労についベンチで居眠りをしてしまい、娘から目を離した隙の出来事だったそうだ。それで浩一がひどく取り乱してしまい、搬送先の病院から曜子にすぐ来て欲しいと連絡が来たのだ。

 曜子は今すぐ行かなければと慌てているが、死人のように蒼褪めて今にも倒れそうになっている。

 花恵は自分が行くから休んでなさいと諭した。それでも行こうとする曜子を無理やり休ませ、後を多永子に任せ、花恵は浩一の許へ駆けつけた。

 曜子の状態と自分が来た理由を伝え「しっかりしなさいっ」と年上の浩一を叱咤する。

 愛娘を亡くした悲しみは理解できるが、現妻の腹には新しく誕生する子供がいるのだ。その子の命までも危うくするのかと。

 文字通り泣き崩れ床に這いつくばった浩一がはっとなって顔を上げる。焦点をしっかり合わせて花恵を見たので、もう大丈夫だと安堵した。

 その後、曜子は義娘の死を嘆きながら、夫に寄り添い、徐々に彼の深い傷を癒し、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 今では生さぬ仲はやはりうまくいかないという持論を主張している。結婚しなければ、由姫の母親になろうとしなければ、あの子が亡くなることはなかったと、未だ気に病んでいるのかもしれない。

 当時を思い出しているだけだったのに、花恵の表情が沈んでいるように見えたのか、

「ごめん花恵さん、不謹慎なこと言ってしまって――」

 泰斗が頭を下げる。

「ああ、気にしてないわよ。正直そういう選択肢も自分の中ではあったもの。でも、お義母さんも圭司さんもあの人をとても大切に思っているみたいだし……実母から赤ちゃんを取り上げるなんてことはしたくないのね」

「違うわよ。お義姉さん、ママもお兄ちゃんも今は何も考えてないだけよ。あんな女、あの二人がいつまでも辛抱できるもんですか」

 曜子が三つ目の菓子を頬張る。

「ふふ、曜子ちゃんはわたしの味方なのね、ありがとう。でもね、そろそろ潮時かなって思っているの……いくら離婚を拒んでも、あちらに赤ちゃんが生まれたらね……」

「お義姉さん……」

「ところで曜子ちゃん、とってもおいしそうに食べてるけど、太るのは妊婦によくないわよ」

 萎れる義妹に花恵は注意しながら笑った。

「もしも圭君と別れたら――」

 泰斗が急に割り込んでくる。

「えっ?」

「あ、ごめん。もしもの話だけど……圭君と別れたら、女性一人じゃ何かと大変だと思うから……その……遠慮なく僕を頼ってね」

「えぇと……」

 真意を量りかね、花恵は泰斗をじっと見つめた。

「あ、(よこしま)な意味はないから」

 慌てる泰斗に「邪しかないでしょ」と曜子がツッコむ。

「なんだ? さっきは僕の再婚、応援してくれてたんじゃないの?」

 おどける泰斗に花恵も曜子もぷっと吹き出した。

「ありがとう泰斗さん。冗談でも嬉しいわ」

 花恵は久しぶりに楽しく笑った。

「じょ――んじゃないんだけど……」

「え、なんて?」

 聞き取れず、思わず泰斗に聞き返すも、「なんでもないよ」と笑顔を返された。




「気を付けて帰ってね。泰斗さん、曜子ちゃんをお願いね」

「まかせて。ちゃんとうちまで無事送り届けるよ」

「じゃあね、お義姉さん。また」

 門のエントランスでお腹を大事に抱える曜子と泰斗を見送り、花恵はひらひらと手を振った。

 いつもと同じく、曜子たちがいる間、多永子は帰って来なかった。まだ御義母会にいるのか知らないが、きょう「そろそろ潮時」などと言ってしまったので、きっと曜子はすぐ報告するに違いない。

 きょうの多永子はご機嫌で帰宅するかもしれないと思うと、花恵は深い溜息をついた。

 本当に、これから先どうしよう――遠くなってしまった圭司の笑顔を思い浮かべると胸の奥がちりっと痛む。

 蔑ろにされ続けても、愛する気持ちに全く変わりはない。

 わたし、いつまでもこんな気持ちを持ってて離婚できるのかしら……

 考え込む花恵の目の端にふっと赤いものが(よぎ)る。

 まただ――曜子を見送るときに必ず見える赤いボールのようなもの。道の真ん中を転がっているように見えるが、視線を向けるとそこには何もない。

 以前はお向かいのフェンスから咲き零れる赤い薔薇がそう見えたのかと思ったが、すでに赤い薔薇は刈り取られ、今は黄色の蔓薔薇しかない。

 花恵は目の端に映したまま赤を追い、不意打ちでぱっと視線を向けた。

「あれ?」

 いつもとは違い、本物の赤いゴムボールが道の上を転がっている。

 それを追って幼い少女がとことこ走っていく。背後には右隣の邸宅に住む老婦人がついていた。

「こんにちは。お孫さんがいらっしゃってるのね」

 花恵はにこやかにあいさつした。

「そうなのよ。娘家族が遊びに来ていてね。この子ったらお庭で遊べばいいのにお外に出るって聞かなくて……騒がしくしてごめんなさいね」

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。ますますかわいくなって――羨ましいわ」

 そう言った花恵に夫人が微笑んだ。

「お子は授かりもの。待っていればそのうち、ね」

「そうですね」

 義母もこれくらい寛容にいてくれればいいのに――

「では――あらあら、みぃちゃん待って」

 少し先まで進んだ孫を老夫人が慌てて追いかけていく。

 ボールに近付くたび足が当たりさらに転がる。それをきゃっきゃ笑ってついていくかわいい幼女を花恵は複雑な思いで見つめていた。



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